*

3.

 十月に入ると、律が唯と肌を重ねる頻度は減っていた。
梓とも交わるようになった影響が、そこに表れている。
そして今日も唯ではなく、梓が律の逢瀬の相手だった。

「律先輩の細い体、抱き心地が良いです」

 梓に抱きすくめられて、耳元で囁かれた。
梓の部屋にあるベッドはサイズが小さい為、二人で寝れば自然と抱き合うような体勢となる。

「梓も細いじゃん」

 律はそう返しながら、その代わりに肉感に欠けているとも思った。
体格が近い事もあり、梓は躍動的な性交には適している。
反面、澪に比べれば包容力の差は埋め難い。
柔らかく体温の高い唯と比べても、やはり梓の肉感は劣って感じられた。
初めて交わった時は、興奮のせいか特に気にはならなかった事だ。
だが一週間を過ぎた今は、難点として気付く事も多くなっている。

「律先輩には負けますよ。胸では少し、勝ってますけど」

 梓は茶化すように笑うと、律を抱く腕に力を込めてきた。
胸や腕の肉が薄い為か、少し窮屈に感じられる。
胸も大事な要素なのかもしれない、と今更ながらに律は思った。

「梓だって、私より大きいくらいじゃ何の自慢にもならないんだかんね。
唯はやや大きめだし、澪やムギに至っては言うまでもないし」

 そう返した後で、そういえば、と律は思う。
紬をまだ、試していない。
胸の大きさは澪と同程度でも、肉付きは澪以上だ。
決して太っている訳ではないが、柔らかそうで包容力を感じさせてくれる肉体である。
紬を試してみたい、という欲が律の胸裏で膨らんでゆく。

「それ言われると、返す言葉もないですけど。
でも律先輩、私を選んでくれたって事は、
胸よりも大事な要素があるって思ってくれてるんですよね。
なら、小さくっても構いません」

 微笑みながら梓は言うが、律は既に胸や体格も大事な要素だと気付いていた。
今のところは梓と別れるつもりはないが、興味は既に紬へと移りつつある。

「うん、そうだね」

 律は相槌を打ちながらも、頭では紬の事を考えている。
思えば、紬は他の人間よりも、自分の行動に理解を示してくれていた。
律の提案を最終的に折れて受け入れても、難色を示す事から入る澪とは違う。
紬は始めから好意的に受け止めて、甘やかしてくれる存在だったのではないか。
また、他の人間に言わないような悩みでも、自分には明け透けに打ち明けてくれている。
それら一つ一つが、自分に好意を持っている事の表れのようにも思えてきた。


「律先輩ぃー?」

 不機嫌そうな声で名を呼ばれて、律は梓に目を向けた。
その梓は顔にも不機嫌を露わにしている。

「どうしたんですか?何か、上の空ですよ?」

「あー、いや、ごめん。何か今日、気が乗らなくって。
また、今度な」

 律は梓の抱擁を解いて立ち上がった。

「あの、帰るんですか?セックスしたくないんなら、構いませんが。
コーヒー淹れるんで、ゆっくりしていってください。
恋人って、セックスだけの関係じゃないですし。
ああいや、まだ澪先輩に話されていないようですから、
まだ私は正式な恋人じゃありませんが」

 自分の言葉を慌てて訂正した梓に倣うように、律もまた胸中で訂正していた。
お前とはセックスだけの関係だ、と。

「んー、今日はいいや」

「あ……そうですか」

 梓の名残惜しそうな視線と言葉を振り切り、律はバッグを手にドアへと歩いた。
だが、ノブに手を掛けたところで、呼び止められる。

「あの、律先輩っ。一つだけ、教えて下さい。
どうして私の事、好きになってくれたんですか?」

 面倒な質問だ、と律は嘆息したくなった。
答える代わりに、律は問い返してみた。

「梓はどうして?」

「私は……確保ーって、抱き締めてくれた時から、既に意識してて。
それで、段々と目が離せなくっていて……気付いたら、好きになってました。
ただ、澪先輩も尊敬してるから、表には出さなかったけど、でも」

「つまりさ、自分でも何が決定打になったか、分かってはいないんでしょ?」

 長くなりそうな梓の言葉を遮って、律は続けた。

「私だってそうだよ。どうして梓が好きになったのか、よく分かってない。
好みのタイプだから、以上の事は言えないよ。
好意が恋愛感情に変わるボーダーって曖昧だし、決定的な理由がある方が稀でしょ?
そんなもんだよ」

「そう、ですか……」

 寂しげに呟く梓に構う事なく、律はドアを開けて室外へと出た。
.

.



 家に帰るとすぐ、律は携帯電話を取り出した。
紬の名を呼び出し、コールする。
コール音を四つ数えた辺りで、紬は出てくれた。

「はーい、お待たせー」

「いや、すぐに出てくれたじゃん。今ちょっと電話、大丈夫?
すぐ終わるからさ」

「長電話でも大丈夫よ。どうしたの?」

「いやー、次の日曜日、二人で遊ばない?
私の家に来てよ。偶には二人で、仲良くしよ?」

 唯や梓との逢瀬において、律はあまり自分の部屋を使ってこなかった。
ただ、紬に関してはその日の内に同衾まで辿り着こうと目論んでいる為、
勝手の利く自室に誘い込んだ方が都合は良い。
また、唯や梓相手の不倫に澪が勘付く素振りさえ見せない事から、警戒が緩んでもいた。

「ええ、いいわ。りっちゃんの家、皆と一緒にしか行った事ないから、楽しみね。
でも、いいの?」

「そりゃ構わないよ。遠慮せずに寛いでよ、大したもてなしはできないけど」

「いえ、そういう事じゃなくってね……」

 紬の語尾が濁った。
律は問い掛けるような語調で名を呼んで、言い淀む紬を促す。

「ムギ?」

「えっと、澪ちゃんと、付き合ってるんでしょう?
他の子と、二人っきりになっていいの?」

 遠慮がちな声で、紬の懸念が語られた。

「なーに言ってるんだよ、ムギ。
澪はそこまで私の事を拘束してないよ。そんなの気にしなくていいって」

 律は鷹揚に振る舞ったが、内心を見透かされたようで背筋に冷たい汗が流れた。

「そう……よね。友達、だものね。
分かったわ、是非、行かせてもらうわ。
お菓子とか、作り方教えてもらいたいな、って思ってたし」

 自分に言い訳するような口調で、紬はそう返してきた。
まだ胸中では、澪に対する引け目が燻っているのかもしれない。
その後ろめたさを吹き飛ばしてやるように、律は努めて明るく言う。

「わぁ、ありがと、ムギ。私も楽しみにしてるからさ。
食欲の秋なんだし、いっぱいお菓子、作ろうね」

「ええ、そうしましょうね」

 律の無邪気な声に気が緩んだのか、紬が安心したように呟いた。

「うんっ。じゃ、日曜にね。あ、場所、分かるよね?」

「まだ憶えてるわ。それじゃあ、日曜日に」

「うん」

 最後に相槌を入れてから、律は電話を切った。
もう既に、日曜日が待ち遠しくなっていた。


*

4.

 約束していた日曜日を迎え、紬が律の家へとやって来た。
唯と梓を交互に一度ずつ回しただけの日数しか経ていないが、律にしてみれば一日千秋の思いだった。
自然、玄関へと迎えに行く足取りも軽くなった。

「わぁ、待ってたよ。早速上がってよ」

「ええ。改めて、お邪魔します」

 紬はきちんと靴を揃えてから、框に足を掛けた。

「さ、こっちだよ」

 律は紬を先導するように、階段を上がった。
いよいよ紬と肌を重ねられる、そう思うと心も足も急いて逸った。

「ふふ、りっちゃんたら、そんなに急いじゃって。
本当に待っててくれたのね」

 振り返れば、優しく微笑んだ紬が付いて来てくれていた。
律はその手を取って、更に急かせる。

「うんっ。ムギの事、待ってたよ」

「り、りっちゃんっ」

 手が触れた時、紬の頬に赤みが差した。
律は顔色の変化に気付かないよう装って、そのまま手を引いて自室へと連れ込む。

「さ、適当にベッドにでも腰掛けてよ」

 ドアを閉めた律は、ベッドを指差して言う。

「そう、じゃあ、失礼して」

 紬は躊躇うようにベッドを眺めてから、物静かな動作で腰を下ろした。
その隣に律も腰掛けて、身体を寄せる。

「ね、ムギ。今日は本当にありがとね。
ムギとはもっと、もーっと仲良くなりたいって、前々から思ってたんだ」

「え、ええ。私もよ」

 紬の震えた声から、緊張が感じ取れた。
律には好意の表れのように思えて、更に積極的な気分になった。

「こうして密着してると、ムギって、いい匂いがするよね。
身体も柔らかいし」 

「ちょ、ちょっと、りっちゃんっ」

 紬が顔を朱に染めて、身体を仰け反らせた。
その身を追って、律は紬に抱き付いてシーツへと押し倒す。


「逃げないでよ、ムーギ。こういう事、興味ない?」

 紬に覆い被さりながら、律は問い掛ける。

「きょ、興味ない訳じゃないけど……。
こういうのは、好きな人とやらないと」

 戸惑った様子を見せる紬に、律は優しく笑い掛けた。

「じゃ、いいじゃん。だって私、ムギの事、好きだよ?」

「っ。何を言ってるのっ?」

 紬が語気鋭く問い質してきたが、律は落ち着いていた。
もし本当に紬が律を拒もうと思っているのなら、この身体を跳ね除ければいいだけだ。
それが容易にできるだけの体格差が、律と紬の間にはある。
言葉とは裏腹な紬の本心が、そこに透けて見えていた。

「何って、告白。で、ムギは?ムギは私の事、嫌い?
嫌いだから、私とはこういう事したくないの?」

 律は上目を紬に向けながら、甘えるような声音で問うた。
澪の譲歩を引き出す時、よく行っている仕草だ。

「嫌いな訳、ないわ。
だってりっちゃんは……私の、初恋の人なんだもん」

 紬は躊躇いがちな声でそう漏らした後、顔を背けた。
よくよく見れば、その瞳は今にも落涙しそうな程に潤んでいる。

 律の思っていた通り、やはり紬から好意を向けられていたのだ。
予想というよりは、願望に近い賭けだったかもしれない。
律は歓喜一入、勢い込んで言う。

「じゃ、いいじゃん。
こういうのって、好きな人とやる事なんでしょ?問題、ないよね?」

「でも、だって。りっちゃんは、澪ちゃんと付き合ってるんでしょ?
だめよ、そんなの」

 胸へと伸ばした律の手を捉えて、紬が頑として言った。


「澪に悪いから?」

「それもあるけど、私だって嫌なの。
浮気はいけない事よ、その相手として扱われるなんて屈辱、受けたくない。
りっちゃんの事は好きだけど、本命として愛されないのなら、
身体まではあげられないわ」

 貞操に対する意識の高さに、紬の育ちの良さが表れているようだった。
ただ、それでも性欲を持った一人の人間である事に変わりはない。
育てられた後天的な淑女を説得するのではなく、内奥の先天的な女を刺激してやればいいだけだ。
律はそれを甘言で誑かす事によって実践へと移す。

「澪とはその内、別れるつもりだよ?
でも、付き合いは長いし部活にも迷惑掛けたくないから、ソフトランディングしたいんだ。
時間は掛かるけど、ちゃんとムギにシフトするよ。
今はもう、澪ともご無沙汰だし。
だから、いいでしょ?ムギが本命なんだよ」

「でもっ。本当にそうなら、澪ちゃんと別れるまで待ちたいわ」

「言ったでしょ?時間が掛かるって。私、そんなに待てないよ。
ていうかムギだってさ、こうなる事、分かってたんでしょ?
約束した時の電話で、それ匂わせてたよね?
私と寝るつもりで部屋に来るみたいな事言っておいて、今更ヤりませんは酷いよ。
私、生殺しされた気分」

「ちょっ、ちょっと待ってっ。私、そんな事言ってない……」

 紬は愕然とした調子で言った後、気付いたように言葉を続けた。

「もしかして、お菓子の事?お菓子作りの話を、隠語か何かだと勘違いしてるの?
違うわ、私は純粋に、りっちゃんからお菓子作りを教えてもらいたかっただけで。
あ、そうだ、お菓子。お菓子、作りましょうよ。
私、お腹空いちゃって」

 身体を起こそうとした紬を抑えて、律は言う。

「そーんな見え透いたごまかし、いいからさ。
お菓子どうこうの話じゃなくて、
澪と付き合ってるのにいいのか、ってムギ訊いてきたじゃん。
そんな事を確認しておきながら、
本当にムギは私と寝るつもりは欠片もなかった、って言い張るつもりなの?」

「いや、それはっ。澪ちゃんに誤解与えないか心配で訊いただけで……。
別に、りっちゃんと契っていいのかって訊いた訳じゃなくて……」

「じゃ、私の事、生殺しにするの?
誤解与えるような事言って期待させといて、全く責任取らずに放り出すの?
酷いよ……ムギなんか、好きにならなきゃ良かった……」

 律は潤ませた瞳で、紬を恨みがましく見つめた。
泣いて見せる事くらい、律にとっては造作もない。
ただ、紬には堪えたらしく、態度を軟化させてきた。

「ごめんね、りっちゃん。
りっちゃんを悲しませるつもりなんてないから、そんな事言わないで。
ちゃんと責任を取るから、だから、一つだけ、確認させて?
本当に、澪ちゃんと別れてくれるのよね?
もう澪ちゃんとは、身体の契りを交わしていないのよね?」

 律は偽りの涙を瞳から拭うと、小さく頷いた。

「うん。澪とは時間は掛かるけど、ちゃんと別れるよ」


「分かった、信じるわ。でも私、初めてだから。
その、あまり、上手じゃなかったらごめんね?
一応、そういう知識が無い訳じゃないんだけど……」

 紬の声は震えていた。

「私だって、あまり経験がある方じゃないよ」

 律は何回目になるかもう数えていない嘘を吐くと、
再び紬の横へと座して自身の服に手を掛けた。
紬も倣うように、羽織っていたカーディガンを脱いでいる。

 ワンピースを着ていた律は早々に下着姿となって、未だ脱衣中の紬を見つめる。
紬は覚束ない手付きで、ブラウスのボタンを外しているところだった。
緊張が指にまで伝播しているのかもしれない。

「ムギってさ、綺麗な肌してるよね」

 漸くブラウスを脱ぎ終わった紬に、律は素直な感想を漏らす。
上半身を纏うものがブラジャーだけとなった紬は、白い肌を腕で隠すようにしながら赤面した。

「りっちゃんだって、綺麗な身体してるじゃない。
細いし、羨ましいわ」

「そう?でもムギの方が、色っぽいよ。上品な色気が滲み出てる。
それでね、私、もっと、もーっと、ムギの綺麗なところ、見たいな。
ぜーんぶ晒して、私だけに見せてよ」

 律が素直な欲望を漏らして促すと、紬は顔を背けながらも従ってくれた。

「もう……りっちゃん、上手なんだから」

 紬はショーツを手で隠しながら、スカートをゆっくりと下ろした。
太腿を強く閉じた内股気味の姿勢と併せて、紬の性的な羞恥が赤裸々に表れている。
ショーツに添えられた手の隙間から覗く純白が、堪らなく扇情的だった。
太腿や腹部の肌も、ショーツに劣らぬ白さで律の目を引く。

「わぁ、本当に肌、綺麗だよね。ショーツも上品だし。
どっちも真っ白で、ムギの清純さを象徴しているみたいだよ」

 唯や梓との爛れた関係の渦中に居るからこそ、尚更そう感じられた。



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