*

10.

 突然に助けを求めてきた律に、澪は驚いた様子を見せた。

「何があったんだよ?」

「唯と梓とムギに追われてるんだよ。今も、澪の家の前で張ってると思う。
助けて、澪。あいつら追っ払って、私を庇ってよ」

「いや、追われてるって。どうして?」

 躊躇を感じないでもないが、正直に話さなければ上手く対応もできないだろう。
律は澪の甘さに賭けて言った。

「実はね、唯達に浮気してみたりしてて」

「は?」

 澪の顔が怒りに歪んだ。律は慌てて言い繕う。

「いや、ちゃんと今日、清算はしたよ?
もうこれっきりにしよう、って。そしたら、あいつら納得してくれなくて。
怒って、追ってきてるんだよー。
だからね、みぃお、恋人の私を守ってよ」

「終わりって、それでもお前が私を裏切って浮気してた事に変わりないだろっ。
ましてや、私の親友や妹分が相手って。
で、いつからだ?それで、浮気って、どこまでやった?
まさか、寝たのか?」

 澪の怒りは静まるどころか、更に昂ぶった様相を呈している。
この状態で説明する事に躊躇うが、結局律は顛末を正直に言った。
自分に有利となるよう話を運んだが、事実を変えはしなかった。
澪が唯達と相対する時に、話に齟齬が生じては解決が遠のくと思ったのだ。


「図々しいよな、お前は」

 律は説明を終えた途端、怒気を孕んだ澪の声に迎えられた。
説明している間も澪の表情には憤懣が漲っていたが、
その溜まった怒りを声に代えて放ったような迫力がある。

「ず、図々しいって……」

「浮気の不始末を本命の恋人に頼むなんて、図々しいにも程があるって言ったんだよ。
大体、唯達も可哀想じゃないか。
唯やムギ、梓達の気が済むように制裁を受けたとしても、
それでも文句の言えない立場だって分かってるのか?」

 友情に篤い澪は手厳しく律を糾してきた。
だが律は、澪の態度に衝撃も落胆も感じなかった。
律は澪が自分に甘い事をよく知っている。

「そんな事言わないでよー。私にとって、澪だけが最後の頼りなんだから。
ね、お願い、みぃおっ、助けてよぉ。
もう浮気もしないし、エッチの時だって澪への愛撫を怠けたりしないからー。
みーおー」

 律は上目で澪を見遣りながら、泣き付くように言った。
律が自信を持つこの仕草は、澪にこそ最も効果を発揮してきた。
やはり今も澪は、溜息と共に目を閉じて頷いている。

「しょうがない奴だな。ほんと、どうしようもない奴だよ。
分かった、唯達と話してくる」

 澪は諦めたように呟くと、不承不承といった様子ながらも立ち上がった。
織り込んでいた結果ながらも、澪が折れた事に満足して律は言う。

「流石は澪しゃん。
あの甲斐性なし達と違って、乙女心をよく分かって大切にしてくれるよね。
そういう所がだぁい好きっ」


 ドアを開いていた澪は、首だけ振り向けてきた。
その表情からは、もう怒りの色は見て取れない。
代わりに何処か寂しげな表情を浮かべて、言葉を返してきた。

「律の乙女心も大切にしたいけど、友達も傷つけたくなかったな」

 それだけ言って、澪はドアの向こうへと消えていった。
一瞬だけ胸を刺した澪の表情も、それとともに律の意識から消えた。
律にとっては、澪の心情よりも交渉の行方の方が遥かに関心事なのだ。
律は逸る心のまま、窓際へと寄った。
窓から覗けば、未だ澪の家の前で待ち構えている唯達の姿が映る。

 程なくして、そこに澪も姿を見せた。
ここからでは声は聞こえないが、それでも唯達が何か言っている様子が伺える。
対する澪は、ここで話をするつもりはないらしい。
彼女達を先導するように、家の前から歩き始めた。
澪に伴われて唯や梓、紬の姿も消えた事で、律は安堵の笑みを浮かべる。
危険な存在を律から遠ざけてくれる配慮が、有り難かった。
.

.



 夕餉の時間に差し掛かり、律が空腹を覚え始めた頃。
澪が部屋へと戻ってきた。
律は読んでいた雑誌を棚に戻すと、笑顔で迎えて言う。

「おかえり。どうだった?」

 澪の穏やかな表情を見れば、悪い結果は出ていないだろうと推測できた。

「うん、唯達とは話が付いた。
もう家に帰っても大丈夫だぞ、唯達も家に帰ったからな。
解決だ」

 その言葉で、律は心底から満足できた。
やはり澪は頼れる恋人だと再認識した律は、守られる実感を更に得たくなった。

「そっかぁ、良かった。
でも、追われた直後だから、ちょっと怖くてさ。
今日は家まで送ってよ。乙女にはナイトの護衛が必要でしょ?」

「いいよ。じゃ、送るよ」

 即座に澪は承諾してくれた。
澪を選んで良かったと、律は改めて心底から思う。
唯達が相手では、ここまで甘える事は到底望めない。

 澪の部屋を出たところで、廊下の奥に置いてある袋がふと律の目に留まった。
やや大きい黒色の袋が三つ、壁際に鎮座している。
ここに来た時にあっただろうか、記憶を手繰っても律には思い当らなかった。

「律、何してるんだ?早く行くぞ」

「あ、うん」

 澪に急かされた事で、律は袋から意識を逸らした。
澪の家に来た時は唯達に追われた直後で、律も気が急いていた。
見落としていても不思議はない、と。


「あ、そうだ、澪。もう、夕飯に近い時間でしょ?
私の家に寄ってってよ。ご飯、作ってあげるね」

 澪の家を出たところで、律はそう提案した。
実際には、そのまま褥まで共にする意を込めている。
二人の間では、食事の相席は同衾の符丁にまでなっていた。

「いや、今夜は駄目だな。やる事があるし」

「澪も忙しいんだね。でも、純粋にご飯だけなら?
それなら、大丈夫?」

 律は再度誘ったが、澪は苦笑を返してきた。

「そのパターンで、今までに何度もベッドに縺れ込んじゃってるだろ?
私も律も、特に律が抑え切れないんだから」

 律も思わず笑った。

「あー、確かに。でも、それだけ澪が魅力的なんだよー。
まぁ、今日はいいや。私も疲れてるし。
また、今度ね」

「あ、そうだ。今度っていうか、明日、律の家に行くよ。
唯達の件なんだけど、それを話したいんだ。
今夜は律も疲れてるだろうし、私にしたってやる事があるから」

 敢えて日を改めて話すのならば、長引く話となるのだろう。
だが、結果を話すだけならすぐに終わるはずだ。
時間を確保しようとする澪の姿勢から、説教を交えた話になる事が察せられる。
澪が来てくれる事は嬉しいものの、できれば退屈な説教は避けたかった。
解決したのなら、律にとってはもうどうでもいい話だ。

「来てくれる事は歓迎だけど、結果は簡略でいいよ。
それより、澪との触れ合いを大事にしたいし」

 澪の顔が綻んだ。

「嬉しい事言うよな、律は。
ん、着いたぞ」

 澪の言うとおり、気付けば律の家に着いていた。
もっと澪と話していたかった律は、名残惜しそうに言う。

「うん、じゃ、また明日ね。
明日、絶対に来てね?」

「ああ。お昼頃に行くから、今日は早めに寝ておけよ?
じゃ、またな」

「うんっ」

 去ってゆく澪の背を見送りながら、早くも律は明日に思いを馳せていた。
ただ澪と会える事が、楽しみだった。


*

11.

 次の日、昼過ぎには澪が律の家へとやって来た。
律が思っていた時刻よりも、少し遅い。
待ちかねていた律は、頬を膨らませて部屋へと迎え入れる。

「待ってたよー、澪ー。
昨日はあっさり帰っちゃったから、寂しかったんだよ?」

「悪かったな。
お詫びじゃないんだけどさ、プレゼントも持ってきたから膨れるなよ」

 澪は抱えているバッグを指差しながら言った。
そのバッグが律の家を尋ねるにしては不自然に大きく、律も気にはなっていた。
それが贈り物を持ってきたからだと知り、律は顔を綻ばせる。

「こまめなプレゼントも有り難いな。澪は分かってるよねー。
で、プレゼントってなぁに?」

「まだ、開けるなよ。話が先、なんだから」

 そう言いながら澪は、バッグの中から包装された箱を三つ取り出した。
大きさは何れも等しく、人間の頭が入るくらいだった。

「三つもっ。それに、ラッピングも綺麗だね」

「これのお蔭で、昨日は時間を食ったよ。
まぁでも、律が喜んでくれたなら良かった」

 昨日澪が言っていた「やる事」の内容を知り、律は弾んだ声を漏らす。

「なるほどー、私の為に、私の誘いを断ったんだ。
うーん、澪は本当に、女心を擽るのが上手いよね」

「それは律の方だろ?で、その擽った女心の始末の話だ。
唯達の件なんだけどね、それと絡めて、私の想いとかも律に知ってもらいたいんだ」

 律は早く箱を開けたかったが、澪は先に話を始めたいらしい。
律は逸る心を抑えて、耳を傾ける。


「私はさ、できれば律にはこれきり、浮気とかしないでもらいたいんだ。
浮気なんて本当なら、許せる事じゃないからな。
でも、律が浮気しても、私は律を強く咎める事ができないんだ。
制裁にその五体を引き裂く事も、別れる事もできない」

 吐露される澪の葛藤を聞きながら、律は思っていた。
それでも澪は、また自分が浮気をしても助けてくれそうだ、と。
律が都合の良い考えを内心に巡らす間にも、澪の話は続く。

「本当なら、かつて遊郭の女が一途さの証にそうしたように、
小指を噛み千切って律に送り付けてやりたいところだよ。
それだけお前を愛している、その事を重く受け止めてもらう為にな。
それは唯達にしたって、同じ思いだっただろうな」

 そこまで言われて、律は反射的に箱を見遣った。
律が浮気した人数と同じ、三つの箱。
まさかあの箱の中には──


 律の不安を見透かしたように、澪が付け足してきた。

「安心しろよ。バンドに携わる者として、指は大切にしなければならない。
私はベーシストなんだぞ?
唯や梓やムギだって、その点も同じ思いさ。
律に対して一途な思いを抱えていもギタリストにピアニスト、指を粗末に扱えやしない。
私達はそういう人種さ」

 律は胸を撫で下ろした。
考えてみれば、この箱は小指を入れるにしては大き過ぎる。
それ以前に、澪がそのような物を自分に渡しはしないだろう。
中身が物騒なものではないと分かったが、律は箱から目を外さなかった。
贈り物を意識した事で、再び箱の中身が気になり始めたのだ。
澪が何を送ってくれたのか、律の胸中で期待と興味が高まる。

「ふふっ、箱が気になって仕方がないみたいだな。
それで話から気を散らされても困るし、仕方ない。
開けていいよ?」

 根負けしたのか、澪が許してくれた。

「わぁい、ありがと、澪。
私、焦らされるのって苦手でさー」

 律は声で喜びを表すと、丁寧に包装を解いた。
そうして勢い込んで、箱を開く。

「ひっ?」

 途端、律は口から怖じた声を上げていた。
箱の中に綺麗なブロンドのウェーブヘアーが入っていた、
それだけではここまで驚きはしない。
ウィッグがプレゼントだと思えるからだ。
問題は、見慣れた髪の毛だという点にあった。
どう見ても、紬の髪の毛にしか見えない。


 驚く律に構う事無く、澪は話を続けていた。

「でも、一途さを示す方法は、小指を噛み千切るだけに限らないよな?
女の命である髪の毛を切る、っていう方法もある。
昨日はあの後、梓の家に移ったんだけどさ。
そこで唯も梓もムギも、私の前で髪の毛を切り始めたんだよ。
お前に届けてくれって。お前への一途な思いを表す為にな。
そこまでされたなら、友達としてその意思を尊重しない訳にはいかないだろ?」

 澪はそこまで言うと、紬の髪の毛を律の身体へと撒けてきた。
更に残った二つの箱も開けて、その中身も撒けてきた。

「ほら、彼女達の想いだよ。受け取ってやれ」

 慌てふためく律の身体に、黒い髪の毛と茶色い髪の毛が被さる。
梓と、唯の髪の毛なのだろう。
今更ながら、昨日澪の家で見た黒い袋が律の脳裏に蘇る。
恐らくあの中に、今律の身に纏わり付く髪の毛が隠れていた。
そうして昨夜に律を家まで送った後、澪は髪の毛を包装したのだ。

「ひっ、み、澪っ?」

 律は髪の毛に拘束されて動く事さえままならず、叫ぶ事が精一杯だった。
まるで情念が篭っているかのように、三種の髪の毛が身体に絡みついている。
澪は身体の自由を失った律の頭を掴むと、窓へと向けさせた。

「頃合いだ。見てみな?」

 律の瞳に、髪の毛が短くなった唯と梓、紬の姿が映った。
彼女達は間違いなく、この家に向かって来ている。

「み、澪っ?どういう事なのっ?」

 律は澪を質すべく叫んだ。
対する澪は、律とは対照的に落ち着いた態度で言葉を返してくる。

「皆が幸せになる方法、思い付いたんだ。
唯や梓、ムギに律をシェアリングさせて、順繰りでセックスさせるんだ。
ああ、勿論、輪姦も有りだ。
ていうか、初日の今日はその輪姦なんだけどね。
でも安心してよ。
少なくとも律が死ぬ前には、私が助けてあげるから。
改めて私がお前を貪り尽くしてやるな。
日を改めて再び不倫相手が律を犯す、そこでまた私が助けて律とセックスだ。
今日からはその繰り返しだよ。
そしてそれこそが、昨日唯達との間の話し合いで決まった事だ」

 自分が強姦される事に、律は気付いた。
今まで唯達を従わせていた別れ話という切り札は、もう一度切った事で使えないカードだ。
自分の支配下を離れた唯や梓、紬が恐ろしかった。


「みっ、澪はそれでいいのっ?
それって、不倫だよ?恋人なら許しちゃ駄目だよぅっ」

 律は『不倫』や『恋人』という語に、殊更強いアクセントを込めて喚いた。
自分に甘いと思っていた澪は、友情との葛藤で折れたらしい。
ならば、恋人としての矜持を刺激するしかないだろう。

 だが澪に心を動かされた様子は見えなかった。

「言ったろ?私は全員が幸せになるプランを思い付いたって。
それは私自身も含めた話なんだよ。
律の浮気は止めたいけど、どうせ秋の空みたいな律はすぐに浮気するだろうからな。
だったらその浮気相手と予め合意しておく事で、律の浮気もコントロール下に置きたいんだ。
もうお前の変心に煩わされる事もなくなるんだよ」

「一番大事な事を忘れてるよっ。それじゃ私が幸福じゃないよっ」

 反射的に律は叫んだ。
説得など不可能だと分かっている。
だが、自分の意に沿わない性交など我慢がならなかった。
ましてや、愛憎に塗れた唯達が相手だ。
制御など期待できない。

「いや、律も幸せになるプランなんだけどな。
だって、コロコロ変わる恋のサイクルを、
秋の空みたいな乙女は望んでいるんだろ?」

 冷たく突き放す澪の声を聞いた律の耳に、来客を告げるチャイムの音が響いた。
唯達が来たのだ。

<FIN>