303 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/20(水) 23:36:56.02 ID:3VYXPwr4o



――― 朱鞠湖内 ―――


姫子「いいね、ここ」

風子「とってもいいね」

姫子「そこに座ろう」

風子「うん」


湖のほとりで、二人並んで草の上に腰を下ろす。

目の前には綺麗な風景が広がっていて、私たちを優しく包んでくれているみたい。
これから夕陽に変わる時間帯、一日の終わりに入っていく。
湖に反射している木々は太陽に照らされていて緑鮮やかに映っている。

木々から視線を移して、遠くにある対岸の森をみつめる。
向こうからこっちをみても同じ光景なのかな。ここには私たちがいるんだけど見えているのかな。

そして、そのまま視線を上に移動して、少し褪せたような薄い青空を瞳に映す。
白が混ざったような、黒が混ざったような、そんな薄い空。

風は無く、木々も穏やかに佇んでいて、
土の匂いと鳥たちの囀りが時の流れを緩やかにする。

気持ちが落ち着くのは空気が澄んでいるせいかな。
自然の中はどこまでも穏やかな気持ちになれるから好き。

生きている者としての本能だね。


空を眺めていると小さな光が反射した。

飛行機が飛んでいる。

雲の上、遥か、遥か上空を、私に見つかったことにも気付かないで、まっすぐに飛んでいく。


湖に反射した木々、対岸の森、空に留まる薄い雲、青と黒が混ざった空、
風、匂い、見るもの全て、感じるものの全てがゆっくりと流れていた。


304 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 16:59:17.32 ID:cdyeIgfIo




姫子「ねぇ風子、なんだっけ、夕日が似合う曲」

風子「……」


前に二人で聞いて、紹介したことがある曲のことかな。


風子「イパネマの娘?」

姫子「それはボサノバでしょ?
   クラシックで……えっと、ピアノソロだったような」

風子「ジムノペディ?」

姫子「そうそれ」


私の答えに納得して、ポケットからオーディオプレイヤーを取り出している。


姫子「聴いてみようかな」

風子「ずるい」

姫子「……ずるくはないでしょ。ほら」

風子「ありがと」


姫ちゃんに寄って、右側のイヤホンを借りる。


~♪


聴きなれたテンポに聴きなれた音階が流れてくる。
だけど、特別な音に聴こえるのはどうしてだろう。
いつもとは違う空間にいるから、かもしれない。


私たちも自然に溶け込むようにしずかで特別な時間を味わう。


せつなくて、物悲しげな雰囲気のこの曲。
一日の終わりのこの時間に合っていて、とても感傷的になる。


風子「……」

姫子「……」


いつもとは違う4分間が終わった。

あぁ、せつない。


風子「あぁ、切ない」

姫子「……感情がこもってないんだけど」

風子「あぁ、せつない」

姫子「わざとらしい」


私たちだけの時間。

305 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 17:00:16.34 ID:cdyeIgfIo



風子「やっぱり、自然の音には敵わないね」

姫子「そうだね」


自然が奏でる音楽。

そしてまた、さっきと同じ時間を共有する。


風子「……」

姫子「……」


何を見るでもなく、何を話すでもなく、ただ、同じ場所で同じ景色を眺めているだけ。

心を目の前の風景に合わせているだけ。


迫られる事が今はない。

あれをしなくてはいけない、これをしておきたい、それをどうしよう、どれをえらぼう。

それらから離れて、自由気ままに過ごせる。


「姫子さーん、建てましたよー」


夏ちゃんが呼んでいる。


「ふぅちゃんさーん!」


姫子「わたし達も手伝うのにね」

風子「自分たちでやってみたいんだよ」

姫子「それは分かるけど」

風子「おかげでのんびりできたね」


三人で建ててみたいと提案されたので、テントの設営は任せたんだけど、
どうなっているかな。

306 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 17:06:56.05 ID:cdyeIgfIo



私たちがツーリングテントを建て終わっても、三人はまだムーンライトテントの設営に悪戦苦闘していた。
一通りやってみるから、と助言を遮られたので二人でほとりへと散策したわけです。

ちゃんと設営できたみたい。


風子「昨日の設営だけで、よく建てられたね」

夏「大変でしたよ」

冬「楽しかったね」

姫子「まだ太陽は沈んでいないけど、火をつけようか」

澪「それもやりたい!」

風子「姫ちゃんは上手なんだよ、枝と板があればなんのその」

澪「分かった!」


駆け出していった澪ちゃん。
なにが分かったのかな。


冬「原始時代でも生きていけますね」

姫子「ライター使うから、そんな技術ないから」

夏「なぁんだ」

冬「そうですか」

姫子「というか、原始時代ってなに?」

冬「えっと……」

風子「旧石器時代とも言われていて~」

姫子「はいはい。概要を聞いているんじゃないって」

澪「持ってきたぞ」


右手に木の枝、左手に薄い板を持っている。


姫子「違う、出来ないから」

澪「……そうか」

風子「やってみようよ」

冬「いいですね、やってみましょう」

夏「それじゃあ、ふぅちゃんさん達はそっちで、あたし達はこっちで火を起こしましょう」

姫子「ライターですぐなんだけど」

風子「それはどうかな」

姫子「……いいけど」


二手に別れて勝負が始まる。

307 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 17:08:10.75 ID:cdyeIgfIo



風子「頑張ろうね」

冬「はい!」


冬ちゃんは枯れた葉っぱや枝を集めてその上に板を乗せる。
私は摩擦箇所を作るために穴を空け――


姫子「終わったよ」


私たちは勝負に負けた。


―――――


わたし達は勝負に勝った。……のかな。
文明の利器に抗おうとしたらしい。


風子「僅差だったね」

姫子「煙すら出てないでしょ」

夏「あれで火が付くんですか?」

風子「どうなのかな? 適当にやっただけだから、分からないよ」

姫子「ちゃんと責任持ってよ。澪が今頑張っているでしょ」


投げ出した風子の変わりに澪が懸命に枝を擦っていた。


冬「澪さんの代わりにわたしが料理をしますね」

姫子「!」


袖を捲くってやる気を出している。冬は本気で料理をするつもりだ。
ちゃんと食べられるような夕飯にするために止めなくてはいけない。


澪「だ、ダメだ冬っ……。私が作るから休んでいて」

冬「そうですか……」

夏「……危ない」


夏もわたしと同じ気持ちだった。

薪をくべて火力を強めること5分近く。


姫子「こんなものかな」

夏「手際がいいですね」

姫子「まぁ、ね」

冬「ふむふむ」


冬が観察して火の起こし方を吸収しているみたいだ。

308 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 17:10:23.33 ID:cdyeIgfIo



澪「……」


その横で澪が下準備をしていた。

一人暮らしの澪の調理に興味がある。


澪「よしっ」

姫子「……」

風子「本当に手伝わなくていいの?」

澪「声をかけるから、その時にお願い」

風子「分かった」

澪「さて、と」


買ってきた水をコッヘルという万能鍋に移している。


姫子「あ、ちょっといい?」

澪「ん?」

姫子「沸かして茹でた水は捨てるだけだよね」

澪「あ、そうか。もったいないな」

夏「水汲んできます!」

冬「行ってきます!」


二人で駆け出していった。
容器を持たずに。


風子「しょうがないなぁ」


そう言って駆け出す風子も何も持っていない。


澪「容器はここなんだけど……」

姫子「風子は遊んでいるだけだから」


折りたたみ式容器。
小さく折りたためて携帯するには便利なアイテム。


澪「どのくらい入れたらいい?」

姫子「半分くらいかな……」

澪「全部入れると重くなる?」

姫子「うん。でも、夏もいるから、一緒に持てば軽いよ」

澪「うん、行ってくる」

姫子「……」


走っていく後ろ姿を見送って、わたしは自分の作業にとりかかる。

309 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 17:13:38.36 ID:cdyeIgfIo



目の前で火が燃えさかっている。


姫子「……」


太陽がまだ沈んでいないので、目の前の火が頼りなく映る。


姫子「同じ火なのに」


少し自分勝手な心に呆れた。


視線を上げて、テントに横付けされた相棒を眺める。
相棒だなんて、それも自分勝手に聞こえる。

傷をつけてしまった。

自分で手に入れた最良のもの。
だから、愛情を込めて相棒と呼んで大切にしていた。
なのに、不注意から傷をつけてしまった。


姫子「違うか……」


そうじゃない。

最良のものだから、わたしの相棒だから、
今、ここに居ることができる。と信じよう。

楽天的なのかもしれないけど、救われたのは確かだから、これからももっと大切にしたい。


姫子「……」


立ち上がって車体に近づく。

ゆっくりと縦線の傷をなぞる。

そして、流れるように車体をなぞっていく。


風子「……」

姫子「よく転ばなかったな……」

風子「……」

姫子「……よかった」

風子「……」

姫子「コイツのおかげかな」


メーターのすぐ下にフクロウの飾りがある。
守り神として買ったストラップだった。
縁起物として高校時代から――


風子「それ、高校の時から持っているよね」

姫子「……そうだけど。なにしてるの?」


振り返って尋ねる。

310 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 17:17:36.59 ID:cdyeIgfIo



風子「?」

姫子「いや、いつからそこにいるのかなって」

風子「その子を愛おしそうに見つめている時からかな」

姫子「……あ、そう」


客観的に指摘されると恥ずかしかったりする。
再び向き直り、傷を右の掌で包む。


姫子「……」


わたしだけではなく、周りの人をも不幸にしてしまうところだった。
それから守ってくれたことに感謝して、新たに誓う。

もう事故は起こさないから、と。


姫子「さて、と」


腰を上げて焚き火へと足を向ける。

自分で手に入れたからこそ、愛しい気持ちが湧いていく。


冬「なにかあったんですか?」

姫子「え?」

夏「なんというか、顔付きが勇ましくなってます」

冬「はい」

姫子「女性に使う言葉じゃないでしょ」

風子「これから事故は起こさないって」

姫子「……口に出てた?」

風子「ううん、なんとなく」

澪「……」


なんとなくであてられた。


澪「よし、やるぞ」


澪が袖を巻くっている。

その横で冬が鍋に水を汲んでいた。


姫子「どうしてなにも持たずに走っていったの?」

夏「持っていきましたよ、一応」


そう言って1.5Lのペットボトル容器を見せる。

311 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 17:20:48.16 ID:cdyeIgfIo



澪と目が合う。


澪「出来上がるまで暇だろうから、遊んできていいよ」

姫子「それじゃ、お言葉に甘えて」

夏「あ、そうだ……!」


夏は何を思ったのか、テントに向かって走って行った。


風子「私が手伝うから、冬ちゃんも遊んできていいよ」

冬「え、でも……」


いい判断だと思った。


澪「姫子と遊んできて」

冬「は、はい」

夏「姫子さん! これやりましょう!」


手に持っているのはボールだった。
キャッチボールか。

ひさしぶりだな。


姫子「うん」

夏「あっちでやりましょ」


澪の作るペペロンチーノを密かに期待しながらその場をあとにする。

夏が指した方向はキャンプ場らしく広々とした場所。
わたしたち以外には……、


姫子「人、あんまりいないね」

冬「そうですね、平日だからでしょうか」


そうだった。
世間ではまだ夏休みも入っていない、初夏の季節。


夏「いきますよー!」

姫子「うん」

夏「えいっ」


シュー

冬「……」


夏が投げたボールを冬が目で追っている。

低い弧を描いてわたしへ飛んで来たのを右手で捉える。

素手でも取れる軟球だった。

312 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 17:23:08.68 ID:cdyeIgfIo



夏「反射神経、衰えていませんね」

姫子「まぁ、ねっ」


シュッ

夏に投げ返す。

シュー

冬「……」


バシッ

夏「おっとぉ」

姫子「あれ……」


コントロールの悪さは相変わらずだった。


夏「相変わらずノーコンです、ねっ」


シュー

冬「……」


パシッ

姫子「……」


シュッ

無言で返す。

わたしは小さい頃からコントロールが悪い。
ソフト部に入ってすぐに、新入部員と上級生で練習試合を行った。

打者が打ち返したボールをグローブへ納めたまではよかった。
しかし、ファーストへ送球した筈なのに、フォローに走っていたライト選手にボールが飛んでいってしまった。
この間抜けな展開にチームメイト、対戦相手、ベンチに座っている上級生、監督に笑われた。


夏「それっ」

シュー

冬「……」


緊張するとノーコンになる。
最初から上手くしようとするからコントロールがダメになる。
変な癖がついていた。
だからキャッチボールをして感覚を掴まないといけない。


姫子「……」

シュッ

冬「……」

夏「よっ、と」

パシッ


小さめにジャンプをして掌に収める夏。

313 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 17:27:02.49 ID:cdyeIgfIo



部活前には必ずキャッチボールをしなくてはいけなくなった。

部員はいい人たちばかりで、わたしが変なところへ投げても笑顔で付き合ってくれた。
気にしないで、ドンマイ、いい運動になるよと分かりやすい嫌味で笑ってくれた。
自然とローテーションが組まれ、わたしの相手をしてくれる人が日替わりになる。
おかげで部員達とも早く仲良くなれたので、得をしたのかもしれない。

一年が過ぎ、3年生が卒業をして新一年生が入学してきた。

綺麗なユニフォームを着た夏がわたしの相手となった。


夏「なんですか?」

姫子「え?」

冬「楽しそうです」

姫子「まぁ、ね」


口元が緩んでいたみたいだ。


夏「んー?」

シュッ


冬「……」


パシッ

姫子「夏、一番最初にキャッチボールをした時の事、覚えてる?」

夏「え? ……覚えてますよ」

冬「……」

姫子「思い出してたっ」

シュッ


少し強めに投げる。


冬「あ……」

夏「あ、っと!」


ちゃんと掴んだ。


夏「薄暗くなっているんだから、気をつけてよ!」

姫子「ごめんごめん」


口で謝っても、わたしは笑っているんだろう。


夏「もぅっ」

シュッ


あの時とは変わったようで、変わっていない関係だな。

わたしが投げたボールは夏の遥か上空を飛んでいった。
それを目で追って、わたしを呆れ顔で見返していた。
いや、呆れていたんじゃなくて困っていたのだろう、あの時の夏は。

314 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 17:29:36.70 ID:cdyeIgfIo



バシッ

姫子「あ……」


少し物思いに耽っていたせいで、飛んできたボールを手で弾いてしまった。
掴み損ねたボールは冬の足元へ転がっていく。


わたしの制球の悪いボールを一所懸命に追いかけてグローブに収めた夏。

わたしもそれに応えたくなって、真剣になっていた。

その日から、夏がわたしのキャッチボール相手になる。


冬「どうぞ」

姫子「さんきゅ」


今のように会話は無かった。仲良くもならなかった。
夏が冬とのことを抱えていたから、夏自身が少しだけ自分らしさを失っていた。
わたしはそれに気付きもしないまま、キャッチボールだけの日々は続いていく。

高校三年生の秋までは。


冬「わたしもキャッチボールをしたいです」

夏「なに言ってんの、冬ねぇはとろいからダメだって」

姫子「……じゃ、はい」


陽の沈んだ空に高く投げた。


夏「取れるわけ無いでしょ」


と、呆れ顔の夏。


姫子「取れなくてもいいよ」

冬「おっと……っと……と?」


フラフラとボールを追っかけている。


姫子「オチが見えた」

夏「あたしも」

ポンッ

冬「った……!」


予想通り、額でボールを受け止めた。
そのボールがわたしに向かってきた!


ポスッ

姫子「った……!」

夏「な、なにやってるんですか」

姫子「び、びっくりしたー……」

冬「痛くないですけど、びっくりして声が出ますよね」


気を抜くとすぐこれだ。
しばらくは気を張っていた方が良いかもしれない。

315 :VIPにかわりましてNIPPERがお送りします(沖縄県) 2012/06/23(土) 21:47:29.11 ID:cdyeIgfIo



焚き火に戻ると、鍋にパスタを投入している所だった。
ジューと野菜の焼ける音と、いい香りが漂っている。


風子「もうすぐ出来上がるよ」

姫子「……うん」

冬「なんですか、それ?」

澪「塩だ。タイミングが難しくてな……」


サッサと塩をかけている。
ペペロンチーノ澪風と言ったところかな。


夏「いい匂い」

澪「胡椒は……今っ」

冬「ジャムもありますよ」

姫子「いらないから!」

冬「……そうですか」


こんな風に実験をしているのだろうか。

夏と目が合って、コクリと頷かれた。
わたしとなにかが通じたみたいだった。


澪「こんなものかなっ」

風子「冬ちゃん、鍋から取り分けてくれるかな」

冬「はいっ」

夏「姫子さん、どうしてあたしが姫子さんの相手を続けたのか分かります?」

姫子「ううん、理由があったの?」

夏「最初の部活が終わってから、部室でキャッチボールのこと聞かれたんですよ」

姫子「そう……」


キャプテンかな。
夏とは結構気があっていたような……。


夏「あの先輩、ノーコンだろう、って」

姫子「……」


キャプテンだ。人をからかうのがその証拠。


夏「その時、姫子先輩が馬鹿にされている、と思ったんですね」


久しぶりに先輩と呼ばれた。


夏「だから、変な意地が出てきて、
  次の日もあたしがキャッチボールの相手をすることにしたんです」

姫子「……ふーん」


確かに変な意地だな、と思った。


姫子「グッド・ラック」 25