153 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 11:57:50 ID:eIu5qoLM0


投下いたします
遅くなってしまい、申し訳ありません

(注意:キャラが大人になった時の話で、ノーマルカップリング(結婚)、流産ネタがあります。)

154 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 11:59:10 ID:eIu5qoLM0



梓「天使に、ふれたよ」

155 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 12:00:19 ID:eIu5qoLM0



  

 still [副] 
 ――(接続詞的な用法として)それにもかかわらず,それでも

156 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 12:01:12 ID:eIu5qoLM0



1.


「梓ちゃん、稽留(けいりゅう)流産してるかもしれない」

 憂は私の眼をしっかり見詰め、ゆっくり、説き伏せるように言い放った。

「何、それ」

 思わず呟いた言葉は、しかし私の心情そのものだった。知っている言葉のはずなのに、全く頭に入ってこない。意味について考えようとすればするほど思考が震えて、上手く枠に収まってくれない。状況が、まるで理解できない。薄桜色の診療医を身に着けている憂が、とても遠くの存在に思える。

 何だろう、これは。

 私は、妊娠11週目の定期検診に来たはずで、流産の話を聞きに来たわけじゃない。時間的に、夕飯の買い物だってしなくちゃいけない。けれど、診察室の椅子から立ち上がることが出来ない自分がいる。今すぐ耳を塞いで逃げ出したいのに、よく分からない何かが、それを頑なに拒んでいる。
 何か話すべき、と口を開いたけれど、言葉を紡ぐことができない。
 
 憂は辛そうに表情を歪めたが、すぐに眉目を律し、大きな決意を宿したようなそぶりで私に告げる。

「あのね、梓ちゃん。落ち着いて聞いてほしいの」 

「――」

157 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 12:02:31 ID:eIu5qoLM0



2.


「梓!」

 夫の声がして、ふと我に帰る。先ほどまで診察室にいたはずなのだが、私はいつの間にか産婦人科の待合室に移動していたらしい。廊下の明かりが落とされて、周囲はすっかり薄暗くなっていた。
 
「あかちゃん、しんじゃうかもしれない」

 大きく上下していた夫の肩が一瞬だけ重苦しく止まり、僅かに崩れていく。

「そんな……」

 恐らく、憂から連絡を受けて駆けつけてきたのだろう。ワイシャツとスラックスは、所々に雨水と思しき透明な染みをつくり、ネクタイも乱れていた。申し訳ない気持ちで一杯になる。
 看護師の女性が窓口から顔を出し、夫に声をかける。

「○○さんのご主人ですね? 詳しい病状を説明いたしますので、診察室へどうぞ」

夫が頷いて私を見る。看護師も気遣わしげに私の方を伺う。

「梓さんも、いらしてください。旦那さんと一緒に、もう一回確認してみましょう。……もう、1回」

 もう、1回。その一言に、看護師の祈りが詰まっているような気がした。間違いであって欲しい、と。
 無論そうであって欲しいと思う。その為だったら、何度だって検査を受けてもいい。けれど、身体の方は思う通りに動いてくれなかった。もう一つの可能性を、それを認めざるを得ないことが、たまらなく、怖かったのだ。

「大丈夫か? あまり辛かったら、無理しなくていいぞ」

 その言葉で、どうにか首を振り、夫の差し出した右腕に掴った。

158 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 12:03:26 ID:eIu5qoLM0



 ディスプレイに、見慣れた胎児の白い影が映った。経膣プローブによって超音波撮影された、私の赤ん坊だ。
 その影は私の胎内でじっとしていて、まるで眠っているようにも見える。声をかければ動き出すんじゃないだろうか。そんな気さえする。

 この場にいる全員が、固唾を呑んで画面を凝視している。
 私も、夫も、看護師も、憂も。
 でも、最後まで胎児は動いてくれなかった。小さな身体からは想像も出来ないほどの逞しい音色を聞かせてくれていた心臓も、今は嘘のように静まり返っている。

「CRL(頭からお尻までの長さ)が10週と2日の数値を示しています。前回9週目の定期検診までは順調に増加していった事から推察すると、ほぼ10週と2日で心拍が止まったと考えられます」

 憂が夫に説明している。夫は拳を握りしめ、下唇を噛みながらエコー写真を見つめている。

「助からないんですか? どうにか、ならないんですか!?」

「おそらく、胎児側が何らかの染色体異常を持っているために引き起こされた、自然淘汰的な物だと思います。妊娠初期の流産は、ほとんど、これが原因なんです。残念ですが、赤ちゃんを信じるしかありません」

 母子手帳を握りしめる。出産予定日が確定したその日に申請して、交付してもらったものだ。それが前回の定期検診で、9週と3日目のことだった。そのわずか6日後、赤ちゃんの心臓は止まってしまったらしい。
 今日が11週の3日目だから、もう9日も経っている。気付いて、あげられなかった。私のお腹のなかに、ずぅっと居たのに。

 その事実がようやく頭の奥まで染みわたってきて、大きなしゃくりと共に涙がこぼれた。

「梓ちゃんは、悪くないよ。稽留流産は、自覚症状が無い場合がほとんどなの。この週数だと胎児側に原因があることが多いから、梓ちゃんに責任は無いと思う。それにまだ、流産と決まったわけじゃないんだから、あまり自分を責めちゃ駄目だよ」

 憂は優しく、私に言い聞かせる。

「ただ、覚悟はしておいて欲しいの。1週間後また来て駄目だったら、稽留流産が確定するわ。そうなると、早めに手術して赤ちゃんを外に出してあげなきゃいけなくなる。
 放っておいても自然に流産されてしまうけれど、私はあまり勧めたくない。出血と痛みが酷くなるし、その間も母体は胎児を異物として認識しているから、免疫力が低下して感染症のリスクも上がってくるの。
 手術すれば、より安全に次のお産が始められるから、考えておいてくれないかな」

 夫に肩を抱かれ、泣きながら私は頷いた。ただ、頷くことしかできなかった。

159 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 12:04:47 ID:eIu5qoLM0



3.


 再検診までの1週間、私はインターネットで自分と同じ症状の人が居ないか調べようと思っていた。
 もしかしたら、今からでもやり直せるかもしれない。民間療法でも怪しい通販でも構わないから、とにかく、何かに縋りたかったのだ。

 “稽留流産 11週 再検診”

 検索エンジンにかけると1万件余りもヒットする。自分だけでは無いことに少しだけ安堵し、一番上に上がっていた妊婦用の質問サイトをクリックする。
 記事を最後まで追っていったが、結局、私の望んだ症例は得られなかった。週数や症状の微妙な差異はあれど、みんな稽留流産と診断され、ほんの細やかな期待も裏切られて流産し悲しみに暮れる。

“どうか、一人で抱え込まないように”

 そう、経験者たちは口を揃えたように結んでいる。

 それでも、と微かな希望を求めて幾つかのサイトを廻ったが、2日ほどで何もする気が起きなくなった。1日の大半を、布団に包まってじっと過ごすようになっていた。
 不治の病に侵され余命を宣告された患者の気分というのは、こういう感じなのだろうか。
 つわりが無くなっていたのが、唯一の救いだったのかもしれない。もし続いていたなら、自分が母親であることを、強く意識してしまいそうだったから。


 そんな私を助けてくれたのは、純だった。

 再検診を3日前に控えた夕方、携帯電話に着信があったのだ。

160 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 12:06:22 ID:eIu5qoLM0


「あ、梓? ひさしぶりい! 純ちゃんだよん☆」

 眠りすぎて痛む頭に、純の元気な声が突き刺さる。
 何時もならほっとするその声が今は鬱陶しくて、でも何故だか切ることは出来ないでいる。
 純も私の雰囲気を察したのか、気勢を削がれたように黙り込んでしまった。
 携帯電話を耳に当てたまま、ただ沈黙だけが過ぎ去っていく。
 
「……うん。それどころじゃ無かったよね、ごめん」

 どれくらいの時間、黙していたかは分からない。さして長くは無かったと思う。けれど、静寂を破ろうと発せられた純の声は、ひどく沈んでいた。

「話は、憂から聞いた。だから梓、きっと落ち込んでいるだろうな、て。その……ごめん。無神経だった」

「良いよ」

 自然にそんな言葉が流れていた。

「気にしないで、良いよ。純の気持ち、分かったから」 

 まるで言霊のように私の内に浸透して、心を軽くしていく。
 さっきまでは純を疎ましいとすら思っていたのに、なんて現金なんだろう。
 
「あたしさ、ネットで調べたんだ。そしたら、ごく僅かだけど、助かった症例があったの。心臓がとまったはずの胎児が、再検診では元気に動いていた、って。
 梓の赤ちゃん、助かるかもしれないんだよ!」

 純の言葉に胸が詰まる。
 何も言う事ができない。

「だからさ、梓。もう落ち込んじゃ駄目だよ。ひょっとしたら今こうしている間にも、赤ちゃんの心臓がバクバク動いてて、梓に聞かせてあげたい、っと思っているかもしれないじゃない。早く検診してくれぇえええってさ」

 上手く笑うことができない。代わりに、涙としゃくり声ばかりがこみあげてくる。

「本当だよ。憂も言ってたんだ。“赤ちゃんは最初 雲の上にいて、自分からパパとママになる人を選んで、産まれてくるんだ”って。
 産まれてから3歳までの子に話を聞くと、何割だかが、示し合わせたようにそう答えるんだって。“パパとママが楽しそうだから、その一員になりたくて降りてきた”り、“ママが落ち込んでいて、慰めるために降りてきた”って言うの。“胎内記憶”、だったかな。
 だから雲の上に戻った赤ちゃんは今、梓を元気づけたい、って思ってるんじゃないかな。でもあんまり梓が悲しそうにしていると、赤ちゃんも責任を感じて出てきづらくなるじゃないの」

「うん……うん」

 純の想いを、無駄にしたくない、と思った。
 憂が言うのなら、それは本当のことなのかも知れない。私に言わなかったのは、何か思ってのことなのかも、と。そう、思うことにした。
 何より、私はその希望に縋りたかった。

「再検診の日には、私も立ち会うから。大丈夫。何もかも、上手くいくよ」



 電話を切った後も、温かい何かに押されるように泣き続けた。
 空が暗くなった頃にようやく泣き止んで、赤く腫らした眼を見た夫に、強く抱きしめられた。
 
“どうか、一人で抱え込まないように”

 経験者たちの書き込みが、優しくリフレインしていた。

161 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 12:07:35 ID:eIu5qoLM0



4.
 

 憂が静かに首を振った。
 肩に置かれていた夫の手が震えて、純が何かを呟いた。私は、そうか、と思った。自分でも意外なほど、落ち着いていた。
 
 その日のうちに手術をすることが決まり、手続きを済ませる。

 手術前検査を待つ間、純はことある毎にごめん、と呟いていた。自分の発言を悔いてのことだろう。だから私は、そのたびに純を慰めた。その時の私を救ってくれたのは本当だし、今もし独りだったら、確実に取り乱していただろうから。
 夫と共に説明を受け、同意書にサインをした。病名、稽留流産。手術名、子宮内容除去術(清掃術)。

 どうにか平静を保っていられた心が、前処置の辺りから少しづつ揺らいでいった。
 ラミナリア(子宮口を拡げるための、棒状のスポンジみたいなもの)が挿入されて、痛みで視界が歪む。しばらく重い痛みが続き、変に気持ちが揺れて涙がこぼれる。

「これから病室に移動します。手術まで、そこで安静に過ごしてください」

 車椅子に乗せられ、看護師の先導に従い純、私、夫の順番で病棟へと進む。車椅子は、夫が押してくれていた。

 突き当りを曲った光景は、さらに私の気分を沈めた。
 お腹の大きな母親たちのなかに、何もない私が混ざると、そこには違和感しかなかった。
 動揺を誰にも気取られたくなくて、つい足元ばかりを見てしまう。何だか滑稽だ。


 手術室には憂がいた。マスクをしていて表情は分からなかったが、逆にそれが安心をもたらしてくれた。

「すぐ、終わるからね。赤ちゃんを、きれいに出してあげるから」

 おねがい、と言おうとして、私の意識は暗転した。

162 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 12:09:21 ID:eIu5qoLM0



5.

 
 20XX年の8月4日13:50頃、胎児はようやく私の胎内を離れ、うまれてきた。私のわがままで、2週間も、待たせてしまった。
 超音波では分からなかったが、どうやら女の子だったらしい。
 私と夫は、彼女に“幸(さち)”と名付けた。短い人生でも幸せであってほしい、という祈りを込めて。


 流産によって子供を失くした母親を、“天使ママ”と呼ぶらしい。幸は天使になって、雲の上に帰ってしまったのだ。
 わずか10週と2日で居なくなってしまった幸は、戸籍に載ることもできず、埋葬すら叶わない。
 日付だけ書かれた母子手帳と、今までに撮ってきたエコー写真が3枚。
 その僅かなパーツたちが、幸がこの世に存在していたことを証明する全てだ。


 術後1週間は安静にするように言われていたが、どのみち何もする気が起きなかった。生理のような鈍い痛みがずっと続いていて、自分が母親であったこと、もう子供は死んでしまったことが否応なく思い出されていたからだ。

 仕事帰りの夫に当り散らしたこともあった。夫は疲れているだろうに、泣きわめく私を宥めつつも、決して怒らなかった。夫が眠ったあと、申し訳なくてまた泣いてしまった。
 でも結局、そういった周囲の人たちに救われてもいた。私の母や義母も何かと気遣ってくれていたし、純と憂も仕事の合間を縫って、励ましのメールを送ってくれていた。私は孤独ではなかった。
 それなりの時間を必要としたけれど、皆のために、早く立ち直りたいと思うようになった。そして、何でも良いから恩返ししたいと。私に向けられているのは、紛れもない、奇跡のような善意たちだったから。

163 : ◆z.RlTki.D. 2012/08/29(水) 12:10:23 ID:eIu5qoLM0




 だから、ある日純から送られたメールに凍り付いてしまった自分を、私は恥じた。

 “辛いだろうけど、悪い夢だったと思って忘れよう。まだ、次があるよ ^-^ ”

 その通りだと、思った。早く、忘れて、立ち直ろう。そう、思った。


 でも、その日から、“私”の、“何か”が、ずれた。
 自分が自分でないような、でもそれすら肯定できない違和感が、がん腫瘍に変性した脳細胞のように、頭の片隅にこびりついてしまったのだ。


唯「君へのメッセージ」 2