唯『ん…ここ…』


唯は気がついた。
そこは少し薄暗い、草原のような場所だ。


『気が付いたか、ユイ、わたしの愛しいものよ。』


朽ちつつある竜、アーリマンの声がする。

よく目を凝らせば、唯から20mほど離れたところに
アーリマンと六体のダエーワの姿があった。

タローマティのみ、以前の姿ではなく人型である。
そしてその周囲には、異形の神々がひしめき合っている


『すぐにも、〈はらから〉の影が
 アムシャ・スプンタどもを率い、ここにやって来よう。』

唯『はらから…兄弟の影?』

『いかにも。』


アーリマンは答える。


『我が〈はらから〉、マズダーはめったに姿を見せぬ。
 かわりに居るのが、その影、スプンタ・マンユ。』

唯『じゃあ…ヤザダたちも…』

『いかにも。』


アーリマンは答える。


唯『あのヤザダと…合体変形した…ムギちゃんも…』

『いかにも。』


アーリマンは再び答える。


唯『ダエーワの主!!やめてっ!ムギちゃんと戦わないで!!』

アーリマン『それはできぬ。あの娘はアナーヒターと一つになった。
      その手にスラエータオナを持って、私を打ち倒そうとするだろう。』

唯『お願い!!ダエーワの主!!やさしいあなたなら…』

アーリマン『やさしい?私は、お前を愛しているだけだ。
      スラエータオナを振るう小娘を食い殺すは、全く本望。』


アーリマンは表情をかえず、そう言う。


唯『そ、んな…』

アーリマン『〈臆見〉、ユイを守りつつ、存分に戦え。』


アーリマンはタローマティにそう言う。

タローマティは、言葉を発しなかった。
フードの下の口は、悦びに満ちた笑みで、大きく変形している。

そのとき。


『ゆいちゃーーーーんん!!!』


紬の声がした。アムシャスプンタらとともに、
紬が空中を、ダエーワたちのもとへ近づいていく。


唯『ムギちゃん…!?天使…みたいに…』

『来たか。旨そうな小娘だ…』


アーリマンは、その目を細めた。




一方、『烏飼の臣』の墳墓前。

澪たちは呆然とその場に立ち尽くしていた。


憂「おねえ…ちゃん…」ポロポロ…


憂はただ涙を流すだけ。


和「斎藤さん!!とにかく警察に!!」


和が機転を利かせる。


斎藤「はいっ!」

律「警察にいってどうすんだよ!?化け物みたいのが二匹現れて、
  唯とムギをどっか連れてったって…信じてくれるのかよ!?」


律は、眉をきつく潜めて、そうはき捨てる。

絶対に警察は信じないだろう。
しかも、仏像や猿石が散在しているこの状況では…


梓「でも…なにかしないと…唯先輩とムギ先輩が…」


梓も、目に涙を浮かべる。


さわ子「とにかく!みんなこの周辺を探すの!!
    どこかに…絶対にいるはずだから!!」


さわ子が叫ぶ。

そのとき、澪は…


澪(アーリマンの愛を増大させるな…
  大王の祠堂を開錠させるな…
  タマーヴァンド山で…英雄と竜は争う…)

澪(唯とムギが…)

澪(私は…)

澪(私が決めればいいんだ!!)



澪「ミスラ!!」


澪はその場で叫んだ。


澪「私は決めました!!そして…あなたの力が必要なんです!!」

律「澪、おまえな…」


澪がそう叫び、律が澪に何か言おうとしたとき。

その瞬間、そこにいる澪以外の動きが静止した。
時が止まったのか、刹那の出来事なのか。



澪の髪から太陽色に輝く球のようなものが現れ、
それは眼前で、男性戦士のかたちをとる。
ミスラに、ネルガルと呼ばれた、あのウルスラグナの一人だ。


ネルガル「よかろう。さあ、言うがいい。」

澪「私を…タマーヴァンド山に!」

ネルガル「承知した。」

澪「でも、その前に…取りにいくものが…」





紬は、アーリマンから少し離れたところで静止していた。


紬(あの大きな腐った竜…あれがアンラ・マンユ…?)


おざましい腐敗と死の臭いが紬の鼻をうつ。


『いまこそ、スラエータオナでともにアンラ・マンユを。』


スプンタマンユが言う。


紬『スラエータオナという武器はどこに…?』

『ハルワタート、アムルタート。』


スプンタマンユがそう言うと、ハルワタートとアムルタートが紬の前に出る。
すると、二柱のかたちが渦巻状の柱となり、
各々左右に移動し、一つに融合する。

二柱の姿が消えると、そこには、
長さ40センチメートルくらいの、棒状の武器が水平に浮かんでいた。
白くまばゆく輝き、両先端はそれぞれ、ほのかに赤と水色に光っている。


『さあ、スラエータオナを手に取りなさい。』


紬はスラエータオナに手を伸ばす。


『唯ちゃん…絶対助けるから!!』



紬はスラエータオナを右手に、
一直線にアーリマンのもとへ飛び出す。


『来たか…』


そう言うとアーリマンは首をもたげ、なにやら呟く。
影色の衣のようなものがアーリマンの周囲を覆い、
空中に浮遊をはじめる。

紬の手の中で、スラエータオナは
形状を1mぐらいの槍型に変える。

アーリマンの目前に肉薄し、竜の両目の部分を大きく凪ぐ。
腐敗液の濁流とともに、アーリマンの顔に大きな傷がつく。
地鳴りのようなおぞましい叫び声をあげる竜。


アーリマンは紬の横腹を噛み切ろうとするが、間一髪でかわす。


唯『あ…ああ…ふたりとも…やめてよ…』


タローマティに守られ少し離れた場所から、紬と竜の戦いを見やる。
そのとき、アールマティがタローマティに近づいてく。


アールマティ『久しぶりです、タローマティ。』


タローマティは何も発せず、悦びに大きく歪んだ顔を敵対者に向けた。

アールマティが胸元で印を結ぶ。
アールマティの周りから水と岩石が柱のように生えあがり、
タローマティへ向かって、生きているかのように突出していく。

タローマティのまわりの虚空で、それらが何かに衝突し四散する。
タローマティも大きく印を結び始める。

その周辺でも、ヤザダたちとダエーワたちが、
また、五柱のアムシャスプンタと五体の大悪神が戦いをはじめていた。
ウォフ・マナフはアカ・マナフと、ドゥルジはアシャと…

紬はなおも、竜の周辺を舞うように飛び交い、
スラエータオナで竜を傷つけていく。
対して、紬にかすることもできぬアーリマン。

紬は、アーリマンから一定の距離をとると、
スラエータオナを、もとのやや短い棒状に戻す。
紬は、それをアーリマンに投げつける。
投げつけるたびに、虚空からもう一つのスラエータオナが現れ
それをまた投げつける。
アーリマンの全身に突き刺せるスラエータオナ。

紬が、胸元で印を結ぶと、竜に刺さった数十個のスラエータオナが、
アーリマンの周辺に浮遊する。
今一度、印を結ぶと、数十個のスラエータオナはその体(たい)を急速に伸ばし、
竜の全身を無数に貫く。

すさまじいうなり声をあげるアーリマン。


紬『これでっ…』


そのときである。



『戯れだ。』



アーリマンは突然そう言った。
苦痛を示していた表情も、瞳のない、いつもの無表情のものとなる。


『〈渇き〉、〈熱〉、参れ。』


アーリマンがそういうと、離れたところにたたずんでいた
ザリチュとタルウィが近づいてくる。

ザリチュとタルウィがアーリマンの頭部のすぐ横まで来ると、
二体のダエーワは、はじめて各々の体を分離させる。
紬は息を呑む。

一見すれば頭髪のない死体のようなザリチュは、
左腕と右足付け根から先、そして左下腹部を欠損しており、

大トカゲと亀の頭部をあわせたようなタルウィは、
右前足と左後ろ足の付け根から先、そして右上腹部がなかった。

ニ柱のダエーワはザリチュがアーリマンの右側、
タルウィがアーリマンの左側で静止する。


『スラエータオナを持つものは、アジダハーカと争う。』


アーリマンは無表情で続ける。


『小娘よ、今こそ、お前の陰(ホト)肉を存分に堪能してやろう。』


そうアーリマンが言い終わったとき。
アーリマンの頭部と、ザリチュ、タルウィが融合を始めた。
ボコボコという音と腐敗液を放出しながら。

紬はあまりのおぞましさに強い吐き気を覚える。

アーリマンの体が急速に腐敗から再生していく。
アーリマンの纏っていた影色の衣のようなものは
幾つもの波となって、アーリマンの体を包む。

そして、紬の前にあらわれったのは、体長こそ変わらぬものの、
長い首の先に三個の頭と、六個の目、三つの口をもち、
赤がかった黒銅色に輝く姿の竜であった。


『喰らうとするか。』


そういうと、アーリマンは、
紬に向かって、その三つの頭を有する頭部を突出させる。
うまくかわすことができず、右の翼を食いちぎられる。


『っっっーー!!!』


声にならないうめきを発する紬。


唯『ムギちゃん!!ねえ!やめてっ!ムギちゃんを傷つけないで!』


しかし、食いちぎられた紬の翼の周りに
水流のようなものが生まれ、欠損した部分を包む。
そして、次に水流が消えたときには、翼がもとのままに復元されていた。


唯『え…』


そのとき初めて、タローマティが口を開く。


タローマティ『あの娘はヤザダと合一した…ゆえにほぼ不滅…』


タローマティの言葉が続く間、
紬とアジダハーカは互いに何箇所か傷を付けあうが、
アジダハーカは、内部から湧き出るように
紬の傷のまわりには、先ほどの水流が取り付くようにして、
欠けた部分を修復していく。


タローマティ『スラエータオナを持つ者と…
       アジダハーカの戦いは…すぐに終わりはしない…』


アールマティと争い、印を結びながら、タローマティは答える。


唯『どのぐらいつづくの…?』

タローマティ『日が沈むのを…千度繰り返すほどか…その十倍か…』

唯『うそ…』

タローマティ『お前が老い…地上の生を終えても…
       決着はつかぬかも知れぬ…』

唯『そんな…』


唯の目から光が失われる。



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