琴吹家別荘 玄関
憂「あっ!おねえちゃん!」
憂は、近付いてくる唯を見つける。
唯「ごめんごめーん!」
ちょうど管理人が紬を先導するような形で、
母屋に一行を招き入れるところであった。
母屋は和風の造りをした二階建てで、尾根にそって北南に長い建物であった。
和風といっても農村によくあった形態のもの、
ぱっと見れば土地持ちや豪農の屋敷に見える。
憂「おねえちゃんっ!どこ行ってたの!?」
憂は少し必死である。ここは見知らぬ土地で、まわりは畑と山林だけ。
憂「おねえちゃんはすっごく可愛いんだから、誘拐されちゃったらどうするの!?」
梓「憂、いくらなんでも…それは重症…」
こんな所でそんなことする人間はいないから、と梓は思った。
唯「ごめんよぉ~」
律「平沢姉妹って…」
管理人「おお!もう戻ってきたか!」
唯「はい!」
管理人「弥勒菩薩の仏像はどうだった?」
唯「あ、見てないです、とりあえず今日はいいかなぁーって。」
澪(弥勒菩薩…ミスラが仏教に取り入れられた姿…)
澪は、唯が来た方向を見つめた。木々の影になっているが、お堂が見える。
管理人「まあ、後で拝めばよし。」
管理人「ともかく、さ、お嬢様、皆さん、すぐに蕎麦を用意しますので…」
紬「ありがとうございます。」
一行は母屋の中へと入っていった。
昼食に管理人手打ちの蕎麦を食べ終わった後、唯たちは明日香村北部へと向かった。
何のへったくれもない、いわゆる観光、である。
行き先は澪がピックアップした。
とある駐車場で停車する。
リムジンから降りる唯たち。
地元の人々や他の観光客の視線が少し痛い。
すぐそばには、ちょっとした広場のようなものがあり、芝生に覆われている。
小岡のようなものもある。
小岡にも同じく、芝生が群がっている。
その上部には、巨大な岩を組み合わせた石造の建造物がそびえていた。
小岡の『ふもと』には石造りの入り口があり、内部へと続いている。
澪「石舞台古墳だぞ!」
小岡はよく見ると方形になっている。
石造建造物に見えるものは、
墳墓内部の、被葬者を埋葬した石室、
いわゆる玄室の上部が露出したものである。
律「蘇我馬子のお墓…に推定…へぇ」
さわ子「あ、私に質問しないでね、音楽教師なのよ?」
聡「聖徳太子と同じ時代の人でなんしょ?」
澪「ああ、大臣(おおおみ)っていう役職についてたんだ。
今の総理大臣のような感じだな。」
唯(馬子っていうぐらいだから馬面だったのかなあ?)
和(唯、馬面の人を想像してるわね、きっと。)
律「で、なんで古墳の上にストーンヘンジみたいのが乗っかってるんだ?」
澪「石造建造物に見えるものは、古墳の石室の上の部分なんだって。
だから、もともとは、土の中に隠れてたはずだな。」
律「じゃあなんで顔出してんの?」
さわ子「千何百年も前のお墓でしょ?雨風で古墳も禿げるわよ。」
紬「多分…葬られた人を辱めるためなんじゃないかしら。」
紬はぽつりと言い、小岡に向かって歩き出す。
梓「どういうことですか?」
澪「大化の改新で蘇我氏は滅ぼされたろ?
そのとき殺された蘇我入鹿は蘇我馬子の孫だ。」
さわ子「驕れる者なんとやらってわけね…」
石室の中は約10畳分くらいの広さだ。天井の狭い隙間から陽がうっすらと射してくる。
入り口からの入光もあるが、それでも暗い。
内部には何もない。石壁と地面だけ。
澪「静かだ。」
澪は天井を見上げたまま、ゆっくりと身体を左に回転させる。
非日常的な場面で、そのような振る舞いをするのが、澪の癖である。
澪「っ…」
一瞬目が回って、床に尻餅をつく。
聡「澪姉、大丈夫!?」
聡は澪に駆け寄ると澪の腕を掴んで引き上げる。
聡(お、重っ…)
まだ、聡より澪のほうがずっと長身だ。
澪「ごめんな、さとし。」
聡「うん。」
少し赤くなる少年。
律「暗いトコでくるくるまわったら、そりゃ目もまわるって…」
呆れる律。
唯も続いて石室内に入る。
唯の背中のギー太の内から、タローマティの『眼』は見つめる。
辱める者と辱められる者。
この石室の被葬者も、かつては辱める者であったはず。
タローマティの瞳孔は縮小拡大を繰り返す。
石舞台古墳を離れると、一行は徒歩で史跡をまわりはじめる。
そして、その際、所々に散在する奇妙な石像たち。猿型、人型、鳥型、爬虫類型…
また、石像ではなく、表面に幾何学的な図形が彫り込まれた奇岩。
それらの由来について想像力を働かせる彼ら。
王候貴族のインテリアだと熱弁する澪
。
梓と憂がそれに同調する。
UMAを模したものだと言う聡。
単なるベンチや椅子だろうと言う律。
仏教や道教との関連性について語る斎藤。
缶チューハイを飲みながら猿石とのツーショットを撮ってもらう、さわ子。
紬は話題に加わらない。
和はそれよりも、唯のことが気になっていた。
唯が興味を示し、触れる石像は、常に、醜悪な姿のものや際立って異形なものなのだ。
唯は、石像のうちのいくつかが、ダエーワやヤザダ、
そして、それらの眷属を象ったものだということを知っていたが、
口には出さなかった。
ギー太の内から、タローマティは『眼』を細めていた。
ヤザダたちの象りを見る度、
幾度となく争った敵対者、
アムシャスプンタ六柱の一柱、
豊穣と信仰の守護女神、
『アールマティ』のことを思う。
タローマティは、『眼』を一層細めた。
軽音部一行は五時には観光を切り上げて戻り、離れの広間で練習を行った。
二時間ほど練習したあと、母屋に戻り、管理人手製の夕飯を頂くことになる。
その一方、次第に深くなる夕闇にまぎれて…
最終更新:2012年09月23日 00:14