飛鳥駅前

時刻は11時を少しまわったあたりである。


唯「着いたよっ!!」

律「それほど田舎でもないかな?」

和「駅から離れると、ほんとにのどかな所らしいわ。」

律(『和』だけにね…)


明日香村は、奈良県の真ん中あたり、
橿原市から見て南部、桜井市から見て南西部に位置している。

一方、飛鳥駅は、明日香村のかなり西より、
橿原市と、明日香村からみて南西の高取町との境近くにある。


ともかく、この風光清々しい場所で、大化の改新を始めとした、
日本史における幾つかの激動が起っていたのだ。


律「ムギからメールで、もう着いてるってよ…」

唯「どこ~?」

澪「お前ら…どう考えても、あれしか考えられないだろ…」


澪が指さした方向には、本当に右左折できるのか?
というぐらいに長いボディの、黒色の車が止まっている。


梓「…(唖然)」

聡「り、リ○ジン…本物はじめて見た…」


唯「おーい!」


唯が駆け寄って手を振る。

するとリムジンは動き始め、ゆっくりと近付き、一行の前で停車した。

運転席から斎藤が、後部座席から紬が降りて来る。


紬「みんな、ようこそ、飛鳥の里へ♪」

律「ポカーン」

澪「ハァ…」

さわ子「今度の衆院選、左派政党に投票したくなったわ(キッパリ)」

澪「ムギ、他の車はなかったのか?」

紬「ごめんなさい…これがウチで、一番たくさん人が乗れる車なの。」


澪は、小型マイクロ借りるか、二、三台に分乗すれば良いだろ、
と思ったが口には出さなかった。




一行を乗せたリムジンは、南部へと進路をとる。


紬「別荘まで20分かかるわ。」


助手席の紬が振り向きながら言う。


紬「あ、あと途中、寄りたい所があったら言ってね!」


明日香村南西部のメジャーなスポットはキトラ古墳しかない。
あとは、ほとんど畑か水田だ。
主要な見所は北部に集中している。

結局、あまり周囲の風景に気を払わず、リムジンの中でおしゃべりに収支する。

タローマティの『眼』は再び収縮と拡大をし始めていた。

タローマティの『眼』は、数千年来を経、この地に溜まった人間の欲望の臭い、
そして同胞と敵対者の臭いを見ている。


そして、尾根がまさに張り出さんとする所に建つ、
大きな屋敷の前にリムジンが止まった時、


タローマティの『眼』は、ある一点を見て、はじめて、『眼』、つまり己自身を細めたのだ。

タローマティが何を思っているのかは分からない。




琴吹家別荘前 駐車場


梓「すごく大きな別荘ですね…」

さわ子「嫌になっちゃうわ…」

律「聡、荷物持て!」

聡「えー…」

律「持て!男子の本分を尽くせ!」

聡「わかったよ…、あ、澪姉のも持つけど…?」

澪「いいのか聡?悪いな。」

憂「よいしょっと…これで全部…」

憂「…あれ、お姉ちゃんは?」


大きめのバッグを持ちあげながら、憂が言う。


和「唯がいないの?」

憂「はい。」

さわ子「唯ちゃん?唯ちゃんなら、あそこよ。」


さわ子が示した方向には、別荘の母屋の左側を、尾根に向かって歩いていく唯の姿。


唯「…」


唯はさらに小走りになる。

別荘の左裏手の小道にでる。
小道は、下れば公道、上れば尾根を進む。

そして小道から尾根側に10mほど進んだ所に、二つの石像があった。

石像に近寄る唯。

一つの石像は鎧を纏い、ヘルメット状の兜を被り、剣を持っている。
古代日本のますらおの姿だ。
ただ、背後には放射線状の光背がある。

もう一つの石像は、猿のような形をしている。
右手に体長の半分くらいの棒状の武器を持ち、
その表情は忿怒で変形している。
明王たちの義憤の表情とは全く異質な、である。


唯は戦士のような石像には気にも留めず、猿のような石像を手でふれる。

一瞬、唯の心に大きな感情の波が生じる。
がむしゃらに目的を追求するときに覚えるような、焦燥感が走った。

不快ではなかった。
感覚が研ぎ澄まされるよう。

ギー太に住まうタローマティは、ギターケース越しに、より、『眼』を細めた。
タローマティが何を覚えているのは分からない。


「お嬢様のお友達かな?」


背後から声がする。
少しずつ焦燥感は落ち着いていく。


唯「…」

「どうかしたかね?」

唯「ブルッ…」

唯「あ。」


唯は声のほうへ振り向く。

眼鏡をかけた老人が立っていた。
麦藁帽に泥のついたナイロン性の黒ズボン、上は肌着一枚。
農家の旦那さんのような格好だ。
還暦はとっくに過ぎたであろう。


唯「えっと…」

唯「第一明日香村人さんですか?」

老人「はあ?」


老人はキョトンとする。


管理人「おれはほれ、そこの琴吹屋敷の管理をしてるもんだ。」

唯「あっ!じゃあムギちゃん家の…」

管理人「むぎ?むぎ…つむぎか!」

管理人「やっぱりお嬢様の友達の!」

唯「はい!」

管理人「そっかそっか!」

管理人「よく来たねぇ!」

唯「お世話になります!」

管理人「ああ!食事だけ!…は期待してなさい!」


そう言うと、管理人は、腰にかけたタオルで汗を拭う。


管理人「で、なんで屋敷の外れにいるんだい?」


管理人は唯に聞く。


唯「この石像が気になっちゃって…」

管理人「それかぁ。まあ、いわゆる猿石の類いだわな。」

管理人「二つで組み合わさってるらしいんだよ。」

管理人「それと、ほれ、そこのお堂。」


管理人はもっと尾根側の斜面を指す。

そこには五畳ぐらいの大きさの、木製の建物が建っていた。

いわゆる観音像などを納めてあるような、仏教系のお堂である。


管理人「そのお堂には弥勒菩薩の仏像がおられてな…」

唯「へぇ~」

管理人「琴吹家のものじゃないんだが、近頃は仏像泥棒が多いから、
    ついでに管理してるんだ。」

管理人「そのお堂の由緒、まあ、どうして建ってるかってことだけど…」

管理人「昔は、お堂なんかなくて、石造の弥勒菩薩が野晒しになってたんだ。」

管理人「かなり古いもんだったらしいんだが、いつのころからか無くなってしまってね。」

管理人「危篤な方がかわりにお堂を建てて、弥勒菩薩の仏像を置いたそうだよ。」

管理人「で、その『ますらお』みたいな像は弥勒菩薩の家来で、
   その猿みたいな化け物と戦っているんだって。」

管理人「弥勒様の石仏のほうが古いのか、
    それとも、その猿石みたいな奴のほうが古いのかは、分からないがね。」

唯「猿…」


猿じゃないのに、と唯は思った。


唯(アエーシュマ。)

唯(忿怒司る首人〈おびと〉)


唯は猿のような石像をじっと見つめた。


管理人「ん?どうしたんだい?」

唯「あっなんでもないです!」

管理人「なら…」

管理人「あっ!よくない!」

唯「えっ…」

管理人「あんたがここにいるなら、お嬢様を待たせちまってるわ!」

管理人「ごめんね、先に母屋に帰ってるから!お堂も見ていいよ!
    弥勒様には触らないでよ!」


そういうと管理人は母屋のほうに走っていった。




唯「管理人さん行っちゃった。」

唯「私もみんなのとこ行こっ♪」


唯はお堂に見向きもしない。
方向転換して、管理人の後を、てくてく追う唯。



その時、唯の影から球状の形が顔を出す。

球状の物体は、その胴体の最大円周まで、
つまり、ちょうど半球ぐらいの形になるまで、体を唯の影から現す。

色は唯の影と同色。平面のようにも見えるが、しかし球である。

唯は鼻歌をならしつつ、小道を下る。

球状の物体から、男性器のようなものが、生えるようにして現れる。

男性器のような物は、跳躍するようにして球状の物体から分かれ、
弧を描き、猿のような石像に接触する。

すると、石像に吸い込まれるように、それは石像の中に消え去る。

唯は全く気付かなかった。


タローマティの『眼』は、これをギー太の内から見届けると、
瞳を上にずらし白目を見せた後、
すぐに再び、何の感情も持たぬ形に戻った。


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