合宿の前日

奈良県某市 琴吹家傘下の博物館


紬は、合宿の準備があるからと、唯達と別に、一足先に奈良に入っていた。

この博物館を訪れるためである。


館長「紬お嬢さん、いらっしゃいませ。」


入り口の手前で、館長が紬に慇懃に頭を下げる。側の学芸員や事務員もそれに倣う。
紬も深々と頭を下げる。

紬と斉藤は館内に入る。


紬「それで館長さん、お願いしておいた…」

館長「はい、こちらです。」


展示室内を通り抜けて、一行は作業所のような場所に入る。

作業所の中は、幾つかの長机と椅子、用途不明の器材がおいてある。

館長は一番奥の長机の端に、紬たちを案内する。

長机の上には30cm四方、高さ10cmぐらいの箱が置かれている。

館長は白手とマスクをつける。
年配の女性事務員が紬と斉藤にも同じものを手渡す。

館長は箱の蓋を取り去る。

中にもびっしりと和紙が詰められていた。

館長は、和紙も取り去る。
すると、布で包まれた何かが現れる。

館長は布をゆっくりと回転させるように剥いでいく。

段々と中身が見えてくる。

布に包まれていたのは『錠(じょう)』であった。

縦十五cm横三cmほどの細長いものである。

うっすらと黒がかった銅色で鈍い光沢がある。おそらく青銅製だろう。

斉藤は紬を見やる。

紬は驚きで目を見開いている。

錠の胴体の部分が、左右に翅を有する円を象ったものだったからだ。

アフラマズダーの翅とほとんど同じ形。


館長「電話で説明させて頂いたとおり、
   この錠はアフラマズダーのシンボルとほぼ同じ形です。」

紬「真ん中の円のようなものは?」

館長「日輪を具象化したものです。」

斉藤「すみません…」


斉藤が館長に質問する。


斉藤「錠であれば、鍵とセットになっているのでは…?」

館長「そのはずですが…」

館長「残念なことに、鍵については、どうであったか…
   全く由来が伝わっていないのです。」


紬は祖先の墓から帰ったあとも、あの標と半円の石造物が気になって仕方なかった。

そのため父親の許しを得て、琴吹家由来の文物を保管してもいる、
この博物館に問合せを行ったのだ。

翅を有する標を持つ、もしくはケン教由来の文物がないかと。


紬「この『錠』は…どういった由来のものなのですか?」

館長「ササン朝ペルシア、をご存じでしょうか?」


紬は世界史の授業を思いだす。


紬(パルティアを滅ぼして建国した、ペルシア人の国で、
大化の改新と同じぐらいの時に、イスラム勢力に滅ぼされた…)

紬「はい、世界史の授業レベルですけれど…」

館長「十分です。」

館長「その錠は、ササン朝の大王専用の祠堂を閉じていたもの…」

館長「…という由来で伝わっているものです。」

斉藤「大王専用の祠堂?」

館長「大王がアフラマズダーに祈りを捧げる場所です。」

館長「詳しく話しますと…」

館長「ササン朝最後の大王は、イスラム勢力との戦いの最中、殺されてしまいます。」

館長「そして、大王の祠堂は、ムスリム達によって破壊されてしまいました。」

館長「ただ、最後の大王の王子の一人がなんとか生き延びまして…」

館長「その王子は、中国、当時は唐朝です、に亡命しました。」

館長「その王子が唐に逃げた際に、保有していたもの、だそうです。」

館長「なぜ祠堂の錠を唐にまで持っていったか…。その理由は、全く分かりません。」

館長「錠にまつわる意味についてもです。」

紬「なぜそれが琴吹家に?」

館長「琴吹家に渡ったルートについても、伝わっておりません。」

館長「何より、この錠が本物の祠堂の錠なのかすら…」

館長「第一、最低1400年を経ているわりには、全く錆が出ていないのですから…。」


錠は鈍く輝いており、確かに年月を感じさせない。



紬と斉藤は作業所を出ると、展示室内の見学をはじめた。

紬は真っ先に『烏飼の臣』の墳墓のコーナーに向かう。

そこでは、墳墓の壁画の、レプリカが展示されていた。


レプリカには、左上のほうに太陽のようなもの浮かび、黒い鳥が数多く飛び回っている。

右下には盃のようなものが描かれており、
その上には、貴人と思われる人物が寝かされている。

黒い鳥は、とくに『太陽』の周辺と、『盃』の周辺を飛び回っている。

盃のような台座の上に横たわり、貴人は目を閉じている…と思われる。

壁画の古人の顔は典型的なオカメ顔で、
目が細く閉じているのか開いているのか判別が難しい。
(この人物自体は、男性であるはず。)


紬「似ていないわね…」


紬は呟いた。それはそうである。1400年前の先祖だ。
おそらく紬から数えて六十代は軽く溯るだろう。

血の繋がりがあるかどうかすら、かなり疑わしい。

しかし、紬が気になったのは先祖と思うれる男性よりも、
そのまわりに群がる黒色の鳥である。

鳥たちの『動き』が躍動感を持っているのだ。全く、ヤマト的でない。


館長「鳥葬を描いたものに…見えないこともないですね。」


館長が後ろから声をかける。


館長「私は、その説に反対しますが…」


とも、続けた。


館長「墳墓の壁画に、このような絵が描かれたということは、もちろん異例中の異例です…」

館長「いわゆる『猿石』と同種の躍動感があるのも確かです。」

館長「しかし、日本にはヤタガラスや、ヤマトタケルと白鳥のように、」

館長「鳥にまつわる神話もあり、というか世界中にあって、その機能も似通っています。」

館長「これはごく当然な話です。」

館長「イラン高原周辺の諸民族の伝統と日本のそれとに、
   直接的な関係を認めようとすりのは、まことに危険な話です。」

館長「ただし、当時の国際的な交流、という点は重んじてみても良いかもしれません。
その刺激の中での試みか、もしくは渡来人の手によるものとして解釈するという…」


館長はそこまで続けると、ふと、あることに思い至った。

壁画を照らす橙灯に照らされて、紬の髪は緩く輝いている。


紬の髪は日本人にはまず存在しえないほどに、
明るい色をしている。
そして同じく、濃く太い眉毛。

館長は、もちろん、紬の父や、そして祖父の顔も見知っている。

二人とも紬によく似た髪質と眉。

狂った二人の男、一人は哲学者、もう一人は政治家、の言葉を思いだす。


『金毛種族たるアーリヤ人!』


そこまで考えて、館長は自分の先走った直感に嫌気を覚える。

イラン高原、のみならず中近東の民族構成は、ここ数千年めまぐるしく動いてきた。

仮にコーカサス、もしくは黒海周辺に住んでいた金髪長身の種族が、
イラン高原に移動してきたとして、

それからササン朝が滅びるまでに、どれほど他民族との融合や混交があったのだろう。

館長はそれ以上考えないことにした。

そう、ペルシア人が七世紀の日本に渡来し、我が国に子孫を残し、

しかもその子孫が先祖の身体的特徴を、現在まで保っているということに。

館長は再び紬に話しかける。


館長「紬お嬢さんは、鳥葬にも興味がおありですか?」


紬は答える。


紬「興味は…ありますね。」



7