…………


紬「誰に会ってきたの?」


私がエレベータに戻ると、ムギがとぼけたように聞いた。


澪「唯がいたよ。と言っても私たちが知ってるような唯じゃなかったけど」

でも、最後に現れた唯はなんだったんだろう?

優しく慰めてくれたあの声は、私の罪悪感と未練の幻想なんかじゃなく、

かつて私たちが愛した唯の温もりそのものだった……ように思う。

紬「ふぅん……それで、何を話したの?」

澪「私が今後どうするべきか、とか……。それから、唯が死んだ時のことについて色々」

紬「難しい話題ね」

澪「難しいけど、そんなに混み入った話というわけじゃないんだ。

  答えの目前まで近づいているって分かってるけど、問題なのは私自身の気持ちだから……。

  ……あとは律と会って話せば全部解決するような気がする」

紬「じゃあ、そろそろりっちゃんの居る部屋まで行きましょうか」


そう言うとムギはエレベータのボタンを押した。

がこん、と不安定に揺れてエレベータは動き出した。



澪「ムギ……あの部屋に唯が居たって知ってたろ」

紬「あら、私はそんなの知らなかったわ。本当よ」

澪「なら何であの階で私を降ろしたんだ?」

紬「誰かが澪ちゃんの名前を呼んでる気がしたからよ。

  このホテルには色んな宿泊客がいて、みんな勝手に出たり入ったりしてるの。

  中には誰かの来訪をずっと待ってる人もいて、そういう人たちが私なんかを通じて部屋に招いたりするの。

  ただ実は私、好きで案内役をやってるだけで、本当はそんな役職は必要ないのよね。

  だから誰がこのホテルに住んでるのかなんてほとんど知らないの」

澪「そうだったのか……」


そんな会話をしながら、エレベータは止まることなくどんどん上へ昇っていった。

階を示す針は消えてなくなっていた。

澪「どこまで昇っていくんだ? このエレベータ……」

私が不審に思って聞いてみると、ムギは可愛らしく首をかしげて返事した。

紬「さあ? どこまで行くのかしら?」

その能天気な素振りに、私はなんだか呆れてしまった。

呆れると同時に、少し笑ってしまう。

紬「どうして笑うの~?」

澪「いや、なんだか可笑しくって……」




ガシャアン!という音がしてエレベータが急に止まった。

足元が激しく揺れたせいで私とムギはバランスを崩し、その場に尻もちをついてしまった。


澪「いたた……」

紬「大丈夫?」


ムギがすぐに起き上がって私を抱きかかえた。

歳のせいか足腰が弱くなって、私はすぐに立ち上がれなかった。


やっと目的の階に辿りついたにしてはずいぶんと乱暴だな、と私が思っていると、


紬「一体どうしたのかしら……。今までこんなこと無かったのに」


ムギがここにきて初めて不安の表情をした。

私はそれを見て急激に心臓が萎縮したような気持ちになった。


澪「まさか故障?」


思わぬ事故に私たちが狼狽していると、ごうんと低い音がしてエレベータの扉が開かれた。

私とムギは扉の向こうを見て驚いた。

そこに居たのは梓だった。


梓「……………」


梓は私をまっすぐに見つめて、何かをぽつりと呟いた。


澪「梓……?」


私が声をかけようとすると、梓はふわりと私たちに背を向けて

そのまま漂うように走って行ってしまった。

唐突に私は(なぜだか分からないけど)梓を追いかけなきゃいけないと感じた。


澪「梓! 待ってくれ!」


半透明に、亡霊のように遠ざかっていく梓を追って私はエレベータから飛び出した。


紬「澪ちゃん!」


ムギが呼び止める声も無視して私は梓を追いかけた。

梓はゆっくりと、跳ねるように私から逃げていく。

鬼ごっこを楽しんでいる子供のようだった。


澪(なんで梓がここに……。一体どういうつもりなんだろう?)


そんなことを考えながら懸命に追いかけた。

けれど年老いて体力もない私は、途中で息が切れて梓の姿を見失ってしまった。


澪「はぁ……はぁ……」

私は苦しくなってその場で立ち止まった。

汗だくになり顔を歪めながら辺りを見渡してみる。

いつの間にか大きくひらけた廊下に出ていた。

梓はどこへ行ったんだろう?




梓「澪先輩」


後ろから声がして振り向くと、扉の前で梓が笑っているのが見えた。


澪「梓……?」


梓は無言で私に笑いかける。

そこで私は初めて、梓が桜ケ丘高校の制服を着ていることに気付いた。

彼女の不器用な笑い方もあの頃のものだった。


梓はそのまま吸い込まれるように部屋の中へ入っていった。

私を誘っているんだろうか?

それにしても、なぜこのホテルに梓がいるのか不思議に思った。

梓とならいつだって会えるのに。

もっとも、最近は会う頻度もかなり減ってしまったけど……。


私は呼吸を整え、扉に手をかけて部屋に入った。

中は何もなかった。

真っ白な空間に、あの頃の小さな梓がぽつんと突っ立っているだけだった。


その梓を見た瞬間、私は大きな間違いを犯していたことに気付いた。

慌てて部屋から出ようとしてももう遅かった。

扉は勝手に閉まってびくともしない。


梓「澪先輩」


梓は歪んだ微笑を私に向けながら、呟いた。


梓「帰りましょう、澪先輩。こんな場所にいたら頭がおかしくなって、

  律先輩みたいになっちゃいますよ」


私はドアをガンガン叩き、助けを呼ぼうと必死に叫んだ。

けれども喉がぱっくり裂かれてしまったように息だけが抜けて、声が出ない。


澪「…………!! …………っ!!」


手のひらが熱い。

頭がぐらぐらと揺れて、自分が何を考えているかも分からなかった。

私は死に物狂いでドアを叩き、外に向かって叫んだ。

猛獣のいる檻に閉じ込められた子供のように、私は無力そのものだった。

あれは梓じゃない。

梓の姿をした何かが、私の心を蝕んで、破壊しようと近づいてくる。


梓「どうして怯えるんですか? 私はただ、澪先輩を助けたいだけなのに」

澪「はぁっ……はぁっ……」


身体中の力が抜けて、私はその場に倒れ、うずくまった。

目の奥を万力で押しつぶしたような、激しい頭痛に襲われた。



視界は真っ暗で何も見えない。

口の中は異常に乾き、饐えた匂いが鼻をついた。

耳鳴りがする。吐き気もする。苦しむ自分だけが意識の中にいる。

そんな私の遥か遠くで、梓の天使のような囁きが響いていた。

――…………。




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