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「ごめんなさい、何度も迷惑掛けちゃって」

 複数回の練習を終えた後、紬は両手を合わせて謝った。
演奏に集中できず、何度も間違えてしまった。

「いや、まぁ久し振りだったからね。
私もリフるべきなのに、乱れちゃってた箇所あったよ。
歌詞も間違えちゃったしね。
そういえばりっちゃんも、ビートがいつも以上に早かったよね」

 唯が擁護してくれたが、紬の演奏に問題があった事は明白だった。

「本当にごめんなさい……」

「まぁ、いいですよ。皆さん、最近の騒動で精神的にも疲れてるでしょうし。
私だって、カッティングを何度もミスって、曲の勢いを削いじゃいましたし」

 改めて謝る紬に、梓が慰めるように言ってくれた。

「うん、演奏を重ねればすぐに勘を取り戻すさ。
それで、できればもう一度、といきたい所だけど。
あまり遅くなる訳にもいかないから……そろそろ、話を始めようと思うんだ」

 澪が切り出すと、律が待ち構えていたように立ち上がった。

「うん、ずっと待ってたんだ。澪が信じてくれる日。
それに、早く澪の策を聞きたいよ」

「じゃあ、私達は外に出ますか」

 先導するように梓がドアへと向かう。

「くれぐれも、早まった決断しちゃヤだよ?
りっちゃんは、私達のメンバーなんだから、ね?
バンド活動が最優先だよ?」

 唯は未だ心配しているらしく、未練がましく律と澪を見遣って言う。

「唯先輩、心配せずとも、澪先輩が上手くやりますよ。信じましょう。
それに、人生の優先順位を決めるのは本人です。押し付けはよくないです」

「うん……そうだよね。信じてる。じゃあ、出ようか」

 ドアの前に辿り着いた梓から窘められて、唯も歩き出した。

「そうね。出ましょうか」

 紬も歩き始めた時、澪が念を押すように言う。

「頼んだぞ。誰も入れないでくれ」

 澪の視線は唯にも梓にも一瞥すら投げる事なく、紬の目へと注がれていた。
昨夜に受けた協力の要請を、強く想起させる。

「ええ、分かってるわ」

 唯と梓も含めて誰も入れるなと、澪は言っているのだろう。
だからこそ、自分だけに視線を送っていたのだ。
まるで澪と共犯の関係になった気分だった。
少なくとも、澪は紬に対して共犯の意識を抱いているに違いなかった。

 ただ、紬は澪の企みに盲目的に追従するつもりはなかった。
紬はどちらかに肩入れしようとは考えていない。
勿論澪の力になってやりたいが、律が心配だという意識も強くある。

「ありがとうな」

「いえ、気にしないで」

 紬は澪の礼に手を上げて返すと、唯や梓と共に室外へと出た。
そして校内が既に静かである事を確認しながら、階段を降りていった。




 紬達三人は澪に言われたように、部室に通じる階段の下に構えた。
もし人が上に向かいそうなら、澪は携帯電話に連絡を入れるように言っていた。
だが、それは念の為に言っただけだと察せられる。
この階段の上には、屋上と軽音部の部室しかない。
もしこの階段を登る生徒が居るのなら、噂に惹かれて軽音部の内情を見る為だろう。
それは軽音部の部員が張っているだけで、阻止できる事だった。
実際には澪は見張りを期待しているのではなく、抑止効果を期待しているのだ。

 その事情を分かっているから、紬達は敢えて見られやすいよう廊下にまで姿を出している。
ただそれは、二人でも同じ事なのではないか、と紬は思った。
自分が上に向かっても、抑止効果は期待できる、と。
澪が本当に律の出産に付いて話し合うのか、それを確かめたかった。
今まで多くの事を見落としてきた。
だからこそ、気付けた不審には全力で対応したい。

 紬は唯と梓を見遣った。
上に向かおうにも、この二人から止められる可能性が高い。
特に梓は澪を信じており、紬が介入する事を良しとしないだろう。
せめて上に向かう口実を考える必要があった。
それもできる限り、早急に。

 唯も澪達の話が気になっているのか、浮かない顔をしていた。
その唯を、梓が頻りに「大丈夫ですよ」と慰めている。
悲観的な唯と楽観的な梓という構図は、普段とは逆のものだった。

「ムギちゃんは、どう思う?
澪ちゃん、上手くやってくれると思う?」

 唯が心配そうな声で、紬にも話を振ってきた。
唯は澪が律に甘い事をよく知っている。

「唯ちゃん、今ここで、そういう話はダメよ。
見張ってる意味さえ、なくなるでしょう?」

 紬は窘める事で、唯の問いを躱した。

「あ、ごめんね。そうだよね。
上の会話が聞かれなくても、私達の会話からでも分かっちゃうもんね」

 詳細までは知られずとも、妊娠の事実を裏付けてしまう。
唯もその事に気付いて、素直に謝ってきた。

「まぁでも、ここから聞こえる範囲の教室には、誰も残ってなさそうですけどね」

 梓が明かりの消えている教室を順に見遣りながら言った。
屋上に向かう者どころか、教室に残っている者さえ少ない時間なのだ。

 そこまで考えた時、紬は上へと向かう口実に思い当たった。

「あっ」

 声を上げて唯と梓の注意を引くと、気付いたように言う。

「そうだ、見落としがあったわ。屋上に人が残ってないか、確かめてきたいの。
ここ、任せていいかしら?
迂闊ね、警戒するのは下だけじゃないのに」

「この時間帯にですか?
屋上に残ってる人なんて、居ないと思いますけど」

 梓の言う通りだと紬とて思う。
それでも退けない。

「私もそう思うわ。でも、念には念を入れたいの。
澪ちゃんは念入りに警戒したがっていたでしょう?」

「んー、確かにムギちゃんの言う事は一理あるかも。
オカルト研究会辺りが、宇宙と交信ごっこしてるかもしれないしね」

 唯の加勢は有り難かった。
唯が加勢せずとも無理矢理通すつもりではあったが、それでも自然を装えるに越した事はない。

「ああっ、言われてみれば」

 オカルト研究会の名が出た事で、梓も納得したように声を上げた。

「じゃあ、行ってくるわね」

「でも……ムギ先輩に任せてしまって、いいんですか?
私が確認に行っても……」

「任せて。私が言い出した事なんだし」

「すいません」

 梓は単に先輩への遠慮を示したかっただけらしく、あっさりと頭を下げていた。
紬は梓の頭が上がるまで待ってから言う。

「いいのよ。それでもし、私が部室の扉を開ける音が聞こえたのなら。
それは屋上に人が居た、っていう事よ。
その時は帰ってもらっていいわ。きっと、話し合い自体が中止になるだろうから」

 部室に紬が足を踏み入れるケースは、勿論今言った事に留まらない。
紬は部室内の様子に怪訝を感じたら、躊躇せずに入ろうと思っていた。
澪の言っていた話し合いの件が真実ならば、その必要はない。
明らかに澪の言葉とは違う現象が、部室内で起こっていないかと紬は警戒しているのだ。
それを確かめる為には、特に律の表情を注意して見るつもりだった。

「はい、分かりました」

「まぁコールするより、そっちの方が確実だもんね」

 梓と唯が順に承知したので、紬は礼だけ言って階段を上り始めた。
本当は、紬の抱いている疑念を話してしまえば、
口実など作らずとも簡単に部室へと向かえた。
ただそれでは、紬の疑念通りだった場合、澪が不利な立場に置かれる。
律と澪のどちらも大切にしたい紬は、何が起こっていても自分の胸中に留めたかった。
例え澪が行っている事が、どれ程非人道的だとしても──
それを行わせた原因は、自分にあるのだから。


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