唯「間に合ってよかったね」
律「本当に危ない所だったぁー……」
澪「大丈夫だったのか?」
律「あー……ちょっと殴られたりしたけど、大丈夫かな」
唯「それは大変だよ、りっちゃん!」
唯はスーツから絆創膏を取り出して、律の額に貼り付けた。
唯「はいっ!」
律「……まぁ、殴られたのは顔じゃないんだけどな」
唯「えっ! そうなの!?」
唯が慌てふためいていると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。
律「警察より探偵の方が早かったな……」
澪「そういえば……」
倉庫の入り口の方を眺めている澪の横顔を見て、律はある事を思い出した。
律「あっ、そういえば!」
澪「ど、どうしたんだ……?」
律「さっき、初めて私の名前呼んだよな?」
律がそう言うと、澪の顔が急激に赤くなった。
澪「あ、あれは……誘拐犯たちに気づかれないようにすぐに呼べる名前で……」
律「へへっ! 別にいいよ!」
律「澪!」
澪「!!」
律は子どもっぽい表情で満面の笑みを浮かべた。その顔を見ていると、澪もどこか可笑しくなってきた。
数台の車が急停車する音が聞こえ、倉庫内に複数人の足音が鳴り響いた。そして、コンテナの側から和が現れた。
和「律っ!?」
和「…………」
息を切らして駆けつけた和は一同を見て目を丸くした。背後にいる二人の警官も呆然と立ち尽くしていた。
唯「あっ! 和ちゃん!」
和「唯!」
唯は和を見るなり、すぐに抱きついた。和は状況を把握できないようだった。
和「唯……これは一体……」
唯「もう大丈夫! 全部解決したから!」
和「??」
和の表情はまるで頭上にはてなマークが浮かんでいるようだった。律がよろよろと前に進み出た。
律「心配かけてごめん……」
和は、はっとしたように口を開けながら、埃まみれになった律を見つめ、それから、大きくため息をついた。
和「まったく……ボロボロじゃないの……」
律「悪い……」
律はそう言って苦笑いした。和もやれやれとばかりに微笑んだ。
澪は辺りを見渡してほっとした。
泣いている菫を優しく抱きしめている紬。ほっとした様子の直を温かく微笑みながら支えている梓と純。どこか子どもっぽくて勇ましい律。まるで、母親のような和。にこにこしながら和の側にいる唯。
澪「解決か……」
澪がそう呟くと、胸の内の黒い靄が綺麗に無くなった。そして、明るい光がゆっくりと差し込み、澪の心を温めた。
翌日 秋山探偵事務所
律「いやー! 昨日は本当に助かったよ!」
律「ありがとう!」
紬「どういたしまして!」
唯「みんなが無事ならそれでいいよ!」
探偵事務所には律が訪れていた。四人でソファーに座り、お茶を飲みながらのんびりと寛いでいた。
律「あ、和から伝言があるんだった」
唯「なになにっ!?」バッ
澪「唯、落ち着け」
唯は目を輝かせながら律に詰め寄った。興奮する唯を澪が宥めた。
律「“秋山さんへ、あまり無茶な事はしないでください”……だってさ」
唯「……それだけ?」
律「ん、それだけ」
唯「なぁんだ~……」
紬「まぁまぁ」
唯は落胆して机に顔を預けた。意気消沈している唯の背中を紬が撫でた。
律「そういえば、菫ちゃんと直ちゃんは大丈夫?」
紬「うん! 元気になったわ!」
律「そっか、よかった!」
紬「二人ともりっちゃんのこと、体を張って守ってくれて、かっこよかったって言ってたよ!」
律「へへ……そうかな……」
律は少しはにかみながら鼻の下を指で擦った。それを聞いて、澪はある事を思い出した。
澪「そういえば……無茶はしないって約束だったような……」
律「あ!」
芝居がかった澪の声を聞いて律も思い出した。そして、頭の中であの時の言葉がフラッシュバックした。
律『大丈夫だって! 無茶しないって約束するからさ!』
律「あー……そういえば、そんな約束もあったような……」
澪「忘れたとは言わせないぞ?」
律「あはは……」
澪のプレッシャーに気圧され、律の語気は弱くなった。澪は微笑みながら律の顔を見た。
律「確かに約束は破ったかもしれないけど……罰ゲームか何かあるのか……?」
律は微笑んでいる澪に恐る恐る尋ねた。
澪「あぁ」
そう言って、澪は唯と紬の顔を見た。すると、二人は微笑みながら無言で頷いた。律は怪訝そうに三人の顔を見た。
澪「そうだな……じゃあ、律には……」
律「……!!」
律はゴクリと生唾を飲み込んで次の言葉を待った。どんな罰ゲームか想像しただけで、頭の中が真っ白になった。
澪「私たちのバンドに入ってもらおうかな」
律「……え?」
律はぽかんとした表情で澪を見た。澪は咳払いして顔を背けた。唯と紬はうずうずしながら律の方を見つめている。律は目を瞑って決心した。
律「……わかった」
律「私がお前らのバンドのドラマーになるよ!」
唯紬「やったーっ!!」ガタッ
唯と紬は歓喜して立ち上がった。澪と律は歓喜する二人を見て笑顔を浮かべた。
澪「そっか……」
澪は律にゆっくりと手を差し出した。律は澪の手を力強く握り締めた。
澪「よろしくな!」
律「こちらこそ!」
二人は握手を交わした。握手しながら律の顔を見ると、目が合った。そして、子どものような笑顔が明るく輝いた。
とある冬の日 秋山探偵事務所
律がメンバーに加わってから数ヶ月が経過し、秋山探偵事務所は騒々しくなっていた。この日もいつものように“ミーティング”が行われていた。
純「もう私より上手いじゃないですか、澪さん!」
澪「純の教え方が上手なんだよ」
純「えへへ……ありがとうございます……」
純は照れ隠しに頭を掻いた。ここ数ヶ月で、澪の演奏技術は格段に向上していた。依頼が殆ど来ない影響もあるのかもしれない。それでも、澪はこの生活を充実していた。
唯「えーっと、ここは……」
梓「いい加減に楽譜を読めるようになってくださいよっ!」
唯「ごめん、ごめん!」
梓「まったく……」
梓は腰に手を当てて、ため息をついた。しかし、唯の無邪気な顔を見ると、どうしても本気で怒ることができなかった。
紬「さわこさん、お茶入れましたよ~」
さわ子「あら、ありがとう」
紬「いえいえ」
律「ムギ、私のも淹れてくれないか?」
紬「ちょっと待ってね、りっちゃん!」
さわ子はうっとりとした表情で至福の一時を満喫した。律はクッキーを頬張りながら、唯の練習を眺めている。紬は嬉しそうに紅茶を準備していた。
澪はふと思った。
澪「(そういえば、始めは唯と二人だけだったんだなぁ……)」
澪は夏のあの日の事を思い出した。思えば、あの時、唯が引き止めてくれなければ、今のこの状況は無かったのかもしれない。
みんなとお茶を飲んで、楽器の練習をすることも。こんなに温かい時間を過ごすことも。
澪「(ありがとう……唯……)」
澪は唯を見つめた。澪の視線に気づいた唯は澪の方を見た。
唯「どうしたの、澪ちゃん?」
澪「……いや、何でもないよ」
澪はベースに視線を移した。今は上達しなければならない。澪は拳を握り締めて意気込んだ。
コンコン
澪「え?」
不意に扉が鳴り、澪は目を点にして扉を見つめた。律がカップを片手に前に屈んで澪の方を見た。
律「誰か他に来るのか?」
澪「い、いや……」
唯「もしかして、依頼人かもしれないよ!」
これ以上の来訪者はいないはずだった。澪の手にじんわりと汗が浮かんだ。紬はポットを机に置いて、扉へと向かった。
ガチャッ
紬「はい?」
外に立っていたのは縦ロールの髪型の女性だった。顔は無表情でどこか不思議な存在感を放っていた。女性は事務所の中を眺め、怪訝そうな表情で尋ねた。
「ここって秋山探偵事務所ですよね……?」
澪はベースを肩に下げたまま勢いよく立ち上がった。ふと、周囲を見ると、全員が澪を見つめていた。唯と紬を見ると、二人は黙って頷いた。
そうだ、私には仲間がいるんだ。これからもずっと一緒にいたい大切な仲間が……。
澪は目を輝かせながら、大きく深呼吸して言った。
澪「はい!」
澪「秋山探偵事務所です!」
~完~
最終更新:2012年07月14日 16:38