秋山探偵事務所

律「その時、弟が声上げて驚いてさ!」

紬「ふふふっ!」

唯「おもしろーい!」

澪「…………」ズズズ

唯と紬と律の三人は会話に花が咲いていた。澪は黙って三人の話を聞いていた。何と無く窓の方を見ると、空は灰色の雲で覆われているようだった。

澪「(雨が降らなければいいけど……)」

澪は憂鬱を晴らすように紅茶を一気に飲み干した。
すると、誰かが階段を上る音が聞こえてきた。音から察するに一人ではなく、かなり急いでいるようだ。三人も扉を見た。

ガチャッ

勢いよく扉が開き、息を切らした梓と純がなだれ込んできた。唯が心配そうに駆け寄った。

唯「純ちゃん! 梓ちゃん!」

紬「一体どうしたの?」

純「たたた……大変です! さっき、女の人二人が誘拐されましたっ!」

律「!!」 ピクッ

律は緊急事態を察知し、ソファーから立ち上がって二人を見つめた。

澪「誘拐されたって……知ってる人?」

純「いえ、知らない人ですっ! 偶然、車に連れ込まれている所を見たんです!」

純「これがその車ですっ!」バッ

純は息絶え絶えになりながらも、澪に携帯電話を突き出した。画面にはワゴン車の後方部分とナンバープレートが映っていた。

律「その二人の特徴は?」

律が澪の横に並んで立つと、鋭い気配が澪を突き抜けた。澪は律の横顔を見て少し驚いた。表情は張り詰め、目は真剣そのものだった。先程まで一緒にのんびりと紅茶を飲んでいた人物とは思えなかった。

梓「えーと……一人が金髪で……もう一人は眼鏡をかけていたような……」

紬「!!」ピクッ

紬「その時、梓ちゃんたちはどこにいたの……?」

梓「え……えーと……確かチェリーブロッサムっていう喫茶店の辺りだと思います……!」

紬「もしかして……!」

紬は梓の話を聞くと、ポケットから携帯電話を取り出した。そして、素早くボタンを押して通話の体勢に入った。

紬「繋がらない……!」

唯「ムギちゃん、大丈夫?」

只事ではない様子の紬を見て唯は少し戸惑った。

紬「誘拐された内の一人は私の妹かもしれないわ……」

澪「えぇっ!?」

紬は再び携帯電話のボタンを押して、通話の体勢に入った。澪たちはただ見つめるだけだった。

紬「もしもし、斎藤!?」

斎藤『何でしょうか、お嬢様』

紬「菫と連絡が取れないの!」

斎藤『菫に何か御用があるのですか?』

紬「菫とその友達が誘拐されたかもしれないの!」

斎藤『!!』

琴吹家の執事、斎藤は思わぬ不意打ちに言葉が詰まった。

紬「菫と連絡が取れるか斎藤も試してみて!」

斎藤『し、少々お待ちください……!』

ピッ

斎藤は焦りの色を滲ませながら通話を切った。紬はディスプレイを見つめながらため息をついた。

紬「…………」

唯「ムギちゃん、妹いたんだ……」

唯が紬の背中に向かって呟くと、紬は振り返った。

紬「うちの家には斎藤っていう執事がいて、菫は斎藤の一人娘……」

紬「菫は私が小さい頃から一緒に暮らしていて妹みたいなものなの……」

そう言って紬は手にしている携帯電話をじっと見つめた。

ピロリロ ピロリロ

紬「!!」

紬は急いで携帯電話を開いた。

紬「もしもし、斎藤!?」

斎藤『私の電話からも通じませんでした……』

紬「菫の携帯にGPS機能はあったかしら!?」

斎藤『もしもの時のために付けていたと思いますが……』

紬「調べてみて!」

斎藤『かしこまりました!』

紬は携帯電話を耳に当てながら斎藤の報告を今か今かと待ちわびた。

斎藤『……!!』

紬「どうしたの!?」

斎藤『菫の現在位置が見つかりました!』

紬「どこにいるのっ!?」

斎藤『街の外れにあるコンテナヤード近辺の倉庫です!』

紬「コンテナヤードの倉庫……!」

紬がそう呟くと、律が警察帽子を握り締めて一歩進み出た。

律「ここからは私に任せてくれ!」

澪唯紬梓純「!!!!!」

五人が一斉に律の方を見た。律は自信ありげに胸を叩いた。

律「私がそこまで行って状況を確認してくる!」

梓「一人で行くんですか……!?」

律「あぁ」

澪「そんな……! 一人で行くなんて危険だ!」

律「大丈夫っ!」

澪「でも……」

律「大丈夫だって! 無茶しないって約束するからさ!」

澪「…………」

明るく笑う律を見て、澪は口を噤んだ。そして、スーツの胸元を強く握り締めた。

律「じゃあ、行ってくるよ」

律「帽子ありがとう!」

ガチャン

律は警察帽子を振りながら事務所を後にした。一同は呆然と立ち尽くしながら律を見送った。

純「澪さん、止めなくていいんですか?」

澪「…………」

純がおろおろと扉と澪を交互に見なが尋ねた。しかし、澪はどうするべきなのか判断できなかった。





コンテナヤード

律「はぁっ……着いた……!」

律は両手を膝に置いて肩で息をした。空が曇っているせいなのか、辺りは薄暗く不気味な気配が漂っていた。

律「確か倉庫だったよな……」

律は膨大なコンテナの量に圧倒された。様々な色のコンテナが所狭しに並んでいて、まるで巨大な壁のようだった。律は生唾をごくりと飲み込んだ。

数分間進むと、薄汚れた巨大な倉庫が見えてきた。倉庫の側には先程、純に見せてもらったものと同様のワゴン車が止まっていた。律は高ぶる気持ちを抑えるために深呼吸をした。そして、入り口に小走りで駆け寄った。引き戸のドアノブに触れると、氷のように冷たかった。

ギイイイイィッ

甲高い金属音が倉庫に響き渡り、律は思わず口元に手を当てて静止した。気がつくと、冷や汗を大量にかいていた。律は拳銃を取り出して構えた。

中に入ると、更に薄暗くて辺りは埃臭かった。中にも大量のコンテナが積まれており、隠れ場所には打って付けだと思った。銃を構えたまま進むと、奥の方から人の気配を感じた。律はコンテナの影から様子を窺った。

律「(あれは……!)」

律の視線の先には縄で縛られた女性が二人いた。一人は金髪で、もう一人は眼鏡を掛けていた。その二人の手前に誘拐犯と思われる男性が二人、律に背を向けて座っていた。

律「(間違いない……! 和に連絡を取って応援を……)」スッ

律はその場を離れ、出口へ向かった。そして、ポケットから携帯電話を取り出した。

プルルルルルル

和『もしもし』

律「和! 今、私は誘拐犯の隠れ家にいるんだ……!」

律は可能な限り小声で話した。

和『誘拐犯?』

律「あぁ。昨日行った探偵事務所の助手の家族とその友達が誘拐されてるんだ……!」

和『えぇっ!』

律「場所を教えるから応援を頼む!」

和『わかったわ!』

律「えーと、場所は……」

和に場所を告げようとした瞬間、背後から足音が聞こえた。律がゆっくり振り向くと、黒い人影が腕を伸ばして迫っていた。

律「!!」

バチバチッ

火花が見えたかと思うと、律は気を失った。背の高い人影は倒れている律をじっと見つめていた。

和『どうしたの、律!? 何かあったの!?』

律の落とした携帯電話から和の声が人影にも聞こえた。しかし、和の問いかけに答える者はいなかった。





秋山探偵事務所

澪「…………」

澪は机をじっと見つめていた。ずっと律の事が気になっていた。紬も顔を曇らせて、時折、不安そうに窓の外を眺めていた。梓と純も俯いていた。唯はそんな他のメンバーを見て、そわそわしていた。

唯「ねぇ、みんな」

澪「どうしたんだ、唯」

唯「みんなはりっちゃんの事が心配じゃないの!?」

澪「それは……心配だけど……」

唯「じゃあ、私たちも行こうよ!」

唯は両手を机の上に叩きつけ、澪に詰め寄った。じりじりと迫る唯を見て澪は少したじろいだ。顔を俯けていた梓と純も二人を見ている。

澪「でも、私に任せろって言ってたし……」

唯「りっちゃんにもしもの事があったらどうするの!?」

澪「…………」

澪は悩んだ。自分一人で決めることはできないと思い、紬の方を見た。紬は澪と目が合うと、両方の拳を握り締めて頷いた。

紬「私もりっちゃんを手伝いたい!」

澪「ムギ……」

紬「それに、菫が誘拐されているのに、黙って見てるだけなんてできないわ!」

紬の主張を聞いて梓と純は顔を見合わせ微笑んだ。

梓「みなさんが行くなら私たちも手伝わせてください!」

純「力になりますよ!」

澪「梓ちゃん……純ちゃん……」

気がつくと、四人が澪を見つめていた。澪も四人を見つめていた。

唯「澪ちゃん!」

唯が澪の名を呼んだ。澪は唯の目を見てから大きなため息をつき、そして、立ち上がった。

澪「わかった……」

澪「私たちも行こう!」

澪が力強く宣言すると、唯の顔が明るく輝いた。

澪「このまま行くのは危険だから防犯グッズを持って行こう!」

澪「みんなも準備を手伝って!」

唯「わかった!」

一同は一斉に準備を始めた。澪の心は不安や恐怖を吹き飛ばすほど熱く燃えていた。






倉庫

律「ん……」

律は薄暗い倉庫の中で目を覚ました。少し手前にランプが灯っており、律の周囲はぼんやりと明るかった。辺りはコンテナの壁で囲まれている。誘拐犯たちはいないようだった。上半身が縄で縛られて、そこから伸びた縄は鉄柱に結ばれていた。

「あっ、起きたんですね」

律「え?」

律は金髪の女性に寄り添う形で眠っていた。眼鏡の女性は律を凝視している。

「大丈夫ですか?」

律「うん……大丈夫だけど……」

律は金髪の女性を見つめた。二つの蒼い目が律を不思議そう見ている。

律「もしかして……菫っていう名前……?」

菫「えっ!? どうして私の名前を知ってるんですか!?」

菫は大きな声で律に尋ねた。眼鏡の女性も少し驚いている様子だった。

律「いや、あなた達が誘拐される所を見た人がいて、その事をあなたのお姉さんに話したら、もしかしたら菫ちゃんかもしれない……ってなって」

律「そこから、菫ちゃんに連絡をとったけど繋がらなかったから、GPS機能で居場所を調べたらこの倉庫が表示されたんだ」

律「で、私がここに来たら捕まっちゃったってわけ……」

律が話し終えると、菫は暗い表情で俯いていた。よく見ると、少し肩を震わせていた。

菫「お姉ちゃん……」ガクガク

「落ち着いて、菫」

女性が穏やかな口調で呼び掛けた。菫は涙目になりながら女性を見た。女性は表情を変えずに続けた。

「きっと大丈夫だから」

菫「うん……そうだね……ごめんね……」

菫は泣き止んで少し微笑んだ。女性も菫が笑ったのを見て微笑んだ。

律「あ、あのー……あなたの名前は……」

「あ、申し遅れました」

直「私は奥田直といいます」

直「菫と同じ大学に通っています」

律「へぇー……」

直「ところで、あなたは……」

律「え? あぁ! 私?」

律は咳払いして仕切り直した。

律「私は警察官の田井中律!」

菫「警察官……」

菫は尊敬の眼差しで律を見つめた。直の方を見ると、何を考えているのかまったくわからなかった。



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