梓「え?」

純「一体どういうことですか?」

律「ジョークだよ、ジョーク!」

いたずらな笑みを浮かべる律を見て澪は口を開けて固まっていた。

律「いやー、あまりにもみんなが信じきってるもんだからどうしようかと思ったよ」

紬「ふぅー……よかったぁー……」

紬は大きく息を吐いて安堵の胸を撫で下ろした。唯もがっくりと肩を落とした。律は嬉しそうに頭を掻いた。

律「ドッキリ大成功! なんちゃって!」

突然、律は背後に大きな存在感を感じ取った。その気配は怒りでゆらゆらと揺れているようだった。律が恐る恐る振り返ると、拳を握り締めた澪が立っていた。

律「あ……」

律が恐怖に慄いて小さな声を発した時にはもう拳は振り下ろされていた。

ゴンッ!

紬と梓は思わず目を瞑った。

律「くぅ~っ……!」

澪「ふざけるのもいい加減にしろっ!」

澪は荒い息遣いで律を叱咤した。律はたんこぶでもできたかのように頭を押さえて呻き声を上げた。

コンコン

唯「!!」

事務所の扉からノックの音が鳴った。頭を押さえていた律までもが扉の方を見た。紬が駆け寄って扉を開いた。

ガチャ

「失礼します、こちらの事務所で警官が世話になってませんか?」

赤い眼鏡を掛けた女性警官が入って来た。その警官の顔を見た唯の目の色が素早く変わった。そして、立ち上がって指差した。

唯「あーっ! 」

唯「和ちゃん!!」

和「え?」

急に名前を呼ばれた和は少し驚いた。そして、声の出所を見て思わず目を疑った。

和「唯!」

唯「わぁ~、和ちゃん!」

唯は目を輝かせながら近づいて、驚いている和の手を取った。

和「唯はここで働いているの?」

唯「うん! そうだよ!」

和「そう、それならよかった……」

和は唯の笑顔を見て安心した。和は言葉にせずとも、唯の笑顔を見ただけで唯の充実ぶりを悟ることができた。

唯「ところで今日はどうしたの?」

和「私の同僚がこの探偵事務所に行きたいって言ったからパトロール中に立ち寄ってみたんだけど、中々戻って来ないから私も来てみたの」

律「そーっと……」

律は忍足で机の影に隠れようとしていた。その後ろ姿を和は見逃さなかった。

和「あっ! 律!」

律「うっ……!」

律は観念したようにがっくりと項垂れた。和は澪の方へと歩み寄った。

和「ごめんなさい……同僚がご迷惑をおかけたしたみたいで……」

澪「いえ、そんな……」

和「あと、唯がお世話になってます」

澪「唯も頑張ってますよ(ママみたいだなぁ……)」

和「そうですか……」

和が振り返って唯を見ると、唯は大層な笑みを浮かべて胸を張った。和はクスッと笑った。

和「ほら、律。そろそろ戻らないと」

律「へーい……」

和が促すと律は力無い足取りで扉へ向かった。

唯「和ちゃん、もう行っちゃうの?」

和「うん、私も仕事だから」

それを聞いた瞬間、唯は自分がもう子どもではないことを痛感した。急に唯は昔に戻りたくなった。いつも和と一緒に笑っていたあの時へ。

和「唯も仕事で忙しいでしょ?」

唯「え、あー……」

唯は返答に困り、紬の方を見た。しかし、紬も苦笑いするしかなかった。梓と純を見ると複雑な表情をして俯くだけだった。

律「この探偵事務所バンド組んでるらしいぞー」

澪はギョッとして律の顔を見た。律はやはりいたずらな笑みを浮かべていた。

和「バンド……?」

和「唯、ここ本当に探偵事務所なの……?」

唯「ま、まぁね……ははっ……」

和「まぁ、いいわ……」

和は丁寧に警察帽子を被り直した。唯は急に和が大人に見えた。

和「また、何かありましたら遠慮無くご連絡ください」

和「行くわよ、律」

律「失礼しましたー」

唯「またね……和ちゃん……」

和「うん、また今度どこかに行きましょう」

唯「うん……」

ガチャ

嵐が通り過ぎたように事務所は静まり返った。唯は和に会うことができて嬉しかった。しかし、昔とは違い、気軽にいつでも会える訳では無いとしみじみ思った。

澪「ふぅー……」

澪はまるで疲れを吐き出すように声を出してため息をついた。紬がカップに紅茶を注いで澪の顔を窺った。

紬「澪ちゃん、大丈夫?」

澪「何だか疲れたよ……」

純「あっ!」

純が指差した方を見ると、警察帽子が落ちていた。唯は帽子を拾い上げてじっくりと観察した。

唯「和ちゃんは帽子被ってたからあの人の帽子かなぁ……」

紬「多分、すぐに取りに来るんじゃないかな」

唯「そうだね」

唯は警官帽子を机の上に置いた。帽子はほとんど汚れておらず、あまり使われていないようだった。





翌日 秋山探偵事務所

唯「暇だねー……」

紬「お茶にする?」

唯「ありがとー……」

澪「暇なのは良いことじゃないか。困っている人がいないってことだ」

唯「でもそれじゃあ、私たちが困るよ?」

澪「…………」

澪はぐうの音も出なかった。気を落ち着かせるために紅茶を一口飲んだ。

コンコン

唯紬「!!」

澪「…………」

澪は頬杖をついて扉を見つめた。澪は既に悪い予感がしていた。いつものように紬が扉へ向かって歩いた。

ガチャ

紬「はい?」

律「あ、あのー……すいません……」

紬「まぁ、どうしたんですか?」

やって来たのは律だった。中にいる澪にもその声は届いていた。

律「昨日この事務所に忘れ物をしたかもしれなくて……」

律「警官帽子ありませんでしたか……?」

随分と探したのだろうか、律は涙目になりながら紬に尋ねた。

紬「ありますよ」

律「えっ? 本当に!?」

紬「はい、どうぞ中に入ってください」

律「失礼しまーす」

律は右腕を上げて挨拶しながら事務所に入った。

唯「帽子ってこれ?」

律「そう! それそれっ!」

唯が帽子を手渡すと律は安堵の表情を浮かべた。

律「いやぁー、助かったよ。ありがとう!」

唯「いえいえ」

律「昨日、帽子が無いのに気づいて探してたら和に怒られちゃってさ」

唯「なんで帽子被らないの?」

律「あぁ、私帽子嫌いなんだ」

律「それにこれもつけてるし」

律はそう言いながら親指で頭に着けている黄色のカチューシャを指差した。そして、子どものように微笑んだ。

紬「立ち話も何ですし、お茶でも飲んで行きますか?」

律「え? いいの?」

思わぬ提案に律は上半身を捻って紬の方を見た。澪は小さく呻き声を上げた。理由はわからなかったが、どこか律が苦手だった。昨日の訪問が尾を引いているのかもしれないと思う事にした。






とある道

梓「……見つかった?」

純「うーん……今探してる……」

梓と純は住宅街を彷徨っていた。純は眉間に皺を寄せて携帯電話の画面を睨んでいる。そんな純を見て梓はため息をついた。

梓「昨日調べとくって言ってなかった?」

純「…………」

梓の声は純には届いていなかった。梓は再びため息をついて空を見上げた。灰色の雲が空一面を覆っている。今にも雨が降りだすかもしれない。

二人は連休だったので遊びに出かけていた。有名な喫茶店に行こうとの純の誘いに乗ったが、なかなかそれらしい店が見つからなかった。梓は空腹を抑え込むようにお腹をさすった。
ふと、前を見ると、50m程前方に二人の女性が歩いていた。一人は金髪で一際存在感を放っていた。梓がそのまま見ていると、その二人の背後にスピードを落としたワゴン車がジリジリと迫っていた。

梓はピリピリとした嫌な予感がした。

次の瞬間、二人の男が飛び出て二人を車内に連れ去った。

梓「あっ!」

純「え?」

梓は目を丸くして車を指差した。梓は頭をめまぐるしく回転させた。そして、すぐさま純の肩を掴んで叫んだ。

梓「純! カメラであの車を撮って!」

純「え? どうしたの?」

梓「いいから早く!」

車は発進していた。純は急いでカメラを起動させた。梓は車と純を交互にせわしなく見た。

純「準備できたよっ!」

純は携帯電話を車に向けた。車はスピードを上げて迫る。梓は身を寄せて息を潜めた。

カシャッ

ワゴン車が横切るのとほぼ同時に撮影ボタンを押した。車は低い音を鳴らして走り去って行った。二人は恐る恐る画面を覗き込むと、車体の後方部分とナンバープレートが鮮明に写っていた。

純「写ってるよ!」

梓「よし!」

純「いきなりどうしたの?」

梓「さっき、私たちの前を歩いていた女の人たちがあの車で誘拐されたの!」

純「えぇっ!?」

梓「どうすればいいんだろう……」

梓は狼狽えながらも懸命に考えた。

純「ここ秋山探偵事務所に近いよ!」

梓「本当に!?」

純「澪さんたちに相談しよう!」

梓「うん!」

二人は事務所へ向けて駆け出した。二人にとって探偵事務所は希望の光だった。



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