翌日 秋山探偵事務所

澪「えーと、メモ帳はどこだっけ……」

唯「パソコンの横じゃないの」

唯は口元を手で押さえてあくびをした。昨晩は二人で遅くまで残っていたので寝不足気味だった。

澪「あ、あった」

澪はメモ帳を鞄に入れ、もう一度点検した。

澪「よし、準備完了だ」

唯「まだ眠いよー……」

澪「私だって眠いよ。さ、行くぞ」

唯「はーい」




中野家

純「そろそろ、来る時間だね」

梓「うん。お茶とか用意した方がいいかな?」

純「そうだね」

ピンポーン

梓「あ、来た」

梓「はい」

澪『秋山探偵事務所の秋山ですが』

モニターに畏まり、堅い表情をしている澪が映った。その横にまだ寝ぼけている唯がいた。

梓「はい、今開けますね」

梓は玄関に行きドアを開いた。

ガチャ

澪「お邪魔します」

唯「お邪魔しまーす」

梓「どうぞ、上がって下さい」

梓は二人をリビングまで案内した。

澪唯「おー……」

澪と唯はリビングに飾られている膨大な数のレコードに感嘆の声を上げた。

純「澪さん、唯さん!」

声の出所の方を見ると、ソファーに純が座っていた。

唯「あっ! 純ちゃん!」

澪「来てたんだ」

純「はい!」

純は一瞬笑みを浮かべて答えた。

澪「それじゃあ、予定を話します」

澪と唯はソファーに座った。梓と純は気を引き締めて耳を傾けた。

澪「郵便受けの周辺にこれを仕掛けます」ゴソゴソ

澪は鞄の中から小型のビデオカメラを取り出した。机の上に置くと、カメラに視線が注がれた。

澪「これを見えない場所に設置して、犯人の顔を撮影します」

梓「はぁ……」

澪「それを一週間続けてから、どのくらいの頻度で来るのか調べて、その次に犯人を直接捕まえます」

純「なるほど……」

澪「解決までに数日は掛かりますけど、構わないですか?」

梓「はい、解決できるのなら!」

澪「わかりました。じゃあ、カメラの設置を始めましょう」

~~~~~

澪「よし! 設置完了しました!」

唯「暑い~……汗びっしょりだよ~……」

澪と唯は炎天下の中、カメラの取り付け作業を終えた。夏の日照りで二人は全身汗まみれになっていた。
カメラを三台設置して、犯人の顔を撮り逃す事の無いように注意を払った。

梓「お疲れ様です、中に入って休んでください」

唯「はぁ~……どてっ……」

唯はリビングに入った瞬間に大の字になって寝そべった。クーラーが苦手な唯のために既にクーラーは切ってあった。

梓「紅茶入れたのでどうぞ飲んでください」

澪「ありがとうございます」

唯「これで生き返るぅ~……」

澪がカップに触れると、とても冷えていた。そのせいか、疲労でぼんやりとした意識が覚醒した。一口飲むと、澪は生き返ったようになった。

澪「あー……美味しいー……」

澪はこの至福の時をゆっくりと満喫した。どこか遠くから蝉の鳴き声が聞こえる気がした。

~~~~~

澪「それじゃあ、今日から録画を開始して明日の昼頃に回収して、メモリーカードを交換しますね」

澪「撮影した映像は事務所で確認させてもらいます」

梓「はい、お願いします」

澪「それじゃあ、失礼します」

梓純「ありがとうございました!」

唯「またねー!」

唯が笑顔で二人に手を振り、別れを告げた。

唯「何だか本格的になってきたね!」

澪「うーん……最初の頃を考えるとそうだなぁ」

澪は顎に手を当てて考え込むような仕草をした。その横顔を盗み見た唯は微笑んだ。

唯「でも、梓ちゃんのためにも頑張らないとね!」

澪「うん、絶対に犯人を突き止めよう!」

唯「うんっ!」

唯は元気よく大きな声で返事をした。その次の瞬間

唯「あれ?」

唯の中である違和感が生まれた。自分にとって何か重大な事を見落としている、そんな予感がしていた。

唯「……調査期間は一週間だったっけ」

澪「え? あぁ……」

澪「一週間“毎日”だ!」

唯の体に強力な電撃が走った。澪は魂が抜けかけて、放心状態になりつつある唯の顔を覗き込んだ。唯の体は小刻みに震えていた。

唯「ににっ、日曜日も……?」

澪「もちろんだ!」

唯「」

澪は当然とばかりにきっぱりと言いのけた。それを聞いた唯は完全に魂が抜け出してしまった。
澪は抜け殻と化した唯を引きずるようにして事務所まで連れて帰った。





翌日 中野家

ピンポーン

梓『はい』

澪「おはようございます。秋山です」

梓『あっ、今行きます』

ブッ

唯はカメラの状態を確認した。移動した痕跡は無く、誰にも気づかれてはいないようだった。

唯「カメラは大丈夫だよ~」

澪「よし、ばれてないみたいだな」

ガチャ

梓「おはようございます」

澪「今日は手紙は来てませんか?」

梓「今日はまだ来てないです」

澪「そうですか。じゃあ、メモリーカードを持ち帰って事務所で確認しますね」

梓「お願いします」

澪は鞄の中から三枚のメモリーカードを取り出した。唯が録画停止ボタンを押して、ビデオカメラからメモリーカードを抜き取った。

澪「これでよし……っと」カチッ

澪は新たなメモリーカードを差し込み、録画開始ボタンを押した。映像が正しく撮れてるかどうか確認した後に梓の方へ向き直った。

澪「じゃあ、明日もよろしくお願いします」

梓「はい」

唯「またね~、梓ちゃん!」

唯はいつものように元気よく手を振り、梓はそれに笑顔で答えていた。




秋山探偵事務所

唯「手紙は来てないのに確認するの?」

澪「あぁ、もしかすると、犯人が中野さんの家の周りをうろついているかもしれないしな」

唯「なるほど」

澪はノートパソコンにメモリーカードを差し込んだ。

澪「よし、準備完了!」カチカチッ

澪がマウスをクリックすると、再生ボタンが表示された。

唯「映像が3つあるって忙しそうだね……」

澪「だから、二人で見るんだろ」

唯「あと一人誰か欲しいよ~……」

唯はブーブー文句を言いながら澪の隣に腰掛けた。

澪「見てる最中に、気づいた事があれば停止ボタンを押すから言ってくれ」

澪「それじゃあ、再生するぞ」スッ

唯「待って! 澪ちゃん!」

澪「ど、どうしたんだ?」

唯が突然、大声を出したので澪は思わずマウスへ伸ばした腕を引っ込めた。

唯「トイレ行かせて!」タタタッ

唯は澪の返事を待たずにトイレへと駆け出して行った。トイレの扉が閉まる音を聞いた澪は一人静かにため息をついた。

澪「(確かに、助手が唯だけじゃ不安だな……)」

澪「(あと一人ぐらい助手が必要かな……)」

澪「……って仕事もほとんど回ってこないのにかわいそうか」

澪は静かに呟いた。その声の調子は諦め混じりだった。

唯「ふぅ~お待たせ~」

澪「まったく……」

ため息こそついたものの、澪の感情に怒りは無かった。

澪「始めるぞ」カチカチッ

3つの映像が同時に再生された。澪と唯は食い入るように画面だけをじっと見つめた。映像の中は通行人や車が通り過ぎるだけで、変化は特に無かった。

唯「何も起きないね」

澪「監視カメラも普段はこんな感じなんだろ」

唯「そうなのかな」

その後も似たような光景がしばらく続いた。
車、人、車、人……

唯「ねぇ、澪ちゃん」

澪「……なんだ?」

唯「その~……早送りはどうかなぁ~と思いまして……」

唯は遠慮がちにどこかの店員のように両手を組んで提案した。澪は停止ボタンを押して大きなため息をついた。
とは言え、澪も単調で大きな変化もない映像にどこか退屈してきていた。

澪「じゃあ、少しだけだぞ」カチッ

澪がクリックすると、本来の映像よりも少し早く動き始めた。

澪「早くなったから注意しないとな」

唯「うん、わかってるよ」

再び、二人は画面に注目した。少し早くなっただけで、やはり目に留まる変化は無かった。

映像の中は辺りが暗くなり、夜になった。普通なら見えなくなる可能性もあるが、近くの街灯のおかげで映像は鮮明に映っていた。

澪「やっぱり来るとすれば夜かな……?」

唯「私が犯人だったらバレないように夜に行くかなぁ」

澪「(人目を気にするのなら、普通は夜を選ぶはず……)」

澪「(もし見られても、薄暗いし顔もバレる確率は低い……)」

~~~~~

結局、映像は夜を過ぎて明け方になり、朝になって回収する時間までに犯人らしい怪しい人物は映っていなかった。

澪「ふぅー……」

唯「長かったね」

澪「そうだな」

流石の澪も普段とは違った疲れを感じていた。唯は隣で伸びをしていた。

澪「今日は帰ろうか」

唯「うん、お腹空いた~」

唯は疲れきった表情をしながらお腹を擦った。

唯「今日の晩ご飯はなんだろう~」

唯「一週間仕事が続くって言ったら、今日はご馳走にするって憂が言ってたんだ!」

澪「憂ちゃんって唯の妹だっけ?」

唯「うん、何でもしてくれて優しいんだよ!」

澪「何でも……」

唯がリビングで寝転んでダラダラしている姿が想像できた。

唯「そうだっ! 澪ちゃんも今日ウチでご飯食べない?」

澪「え?」

唯の突然の提案に澪は帰り支度で動かしていた手を止めた。

唯「みんなで食べた方が美味しいよ~!」

澪「唯のパパとマ……お父さんとお母さんがいるから迷惑なんじゃないかっ!?」

澪は唯と一緒に夕飯の時を過ごすのが嫌なのではなく、会ったこともない人といるのにどこか気が引けた。普段は仕事と割り切っているが、仕事が終わると、どこか消極的になっていた。

唯「大丈夫だよっ!」

しかし、唯は気にも留めない。澪の密かな悩みの種にまったく気づいていないようだった。

澪「大丈夫だよって……いきなり押しかけたら迷惑だろ」

唯「うちの両親はいつも仕事で海外に行ったりしてるから、ほとんど家にいないんだ」

澪「そうなんだ……」

唯の話を聞くたびに、澪の中での平沢家のイメージが様々なものへと変化した。

唯「憂に聞いてみるね?」スッ

唯は素早く携帯を開いて電話を掛けた。

澪「おいっ! まだ返事してないだろ!」

澪が唯に手を伸ばした。しかし、既にコール音が鳴り、澪な静かに項垂れた。

澪「う……」ガクッ

唯「あっ! 憂~? 今日の晩ご飯なんだけど、澪ちゃんも一緒に食べてもいいかな?」

唯「量が足りない? 三人で分ければ大丈夫だよ~!」

唯「わかった、ありがとう~! 今から帰るね」

パタン

唯「大丈夫だってさ!」

澪「う、うん。ありがとう……」

唯「それじゃあ、帰ろっか!」

澪「そんなに急がなくても……」

唯は澪を急かすように背中を押し、意気揚々と事務所の扉を閉めた。





平沢家

唯「ただいま~!」

憂「おかえり、お姉ちゃん」

澪「お、お邪魔します」

憂「どうぞ、上がって下さい。お仕事ご苦労様です」

澪は目を丸くして憂を見つめた。双子の様に瓜二つだったことはもちろんだが、本当に同じ姉妹なのかと疑った。礼儀正しさ、言葉遣い、立ち居振る舞い、どれを取っても唯よりも完璧にこなしていた。

ただ、雰囲気だけは二人とも同じだった。一緒にいると、どこか安心する。澪の緊張はいつの間にか解けていた。

リビングに入ると、テーブルの上にすき焼き鍋と牛肉が置かれていた。

憂「今日はすき焼きです」

牛肉やその他の具材を見て、澪は急に空腹感を覚えた。

唯「お腹空いたよ~憂~」

憂「はーい、ちょっと待っててね」

憂は嫌な顔一つせずに唯を宥めた。

憂「心配だったので買い足して来ました」

よく見ると、机の隅の方に追加分の牛肉が入ってると思われるビニール袋があった。その横には皺一つ無いレシートと小銭があった。

澪「すいません、急に押しかけたりして」

憂「敬語なんて使わないで下さいよ~」

憂は笑いながら、食事の準備を始めていた。無駄な動作は一切無かった。

忙しそうに働いている憂を見て、澪は何か手伝わなければいけない気がして立ち上がった。

澪「何か手伝うことないかな?」

憂「あ、構わずに座っていてください」

澪「う、うん。ごめんね?」

憂「いえいえ」

澪「(できた妹だなぁ……)」

澪は感心するように憂の横顔を見つめた。後ろにいる唯を盗み見ると、リビングでのんびりと寛いでいる。

唯「はぁ~……」

澪「(駄目な姉だ……)」

澪は少し微笑みながら、ため息をついた。その姿も唯らしいと思った。



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