車の中で私は涙が止まらなかった
 斎藤がいるのだから抑えようとは努力してみたけど
 抑えようと思えば思うほど後から後から涙が溢れ出た

 でも、斎藤は私に何も言わずに黙って運転をしている

 屋敷に着くなり、私は急いで車を降り部屋に向かおうとした
 しかし、お嬢様と呼ぶ声に止められる

斎藤「本日のご夕食は、いかがなさいますか」

紬「……いらないわ」

斎藤「承知いたしました」

 それ以上は何も言わずに、いつものようにお辞儀をして下がる
 彼は察しが良いからきっと私と澪ちゃんとの間で何があったのかはお見通しなのだろう

 部屋に入り、服も着替えずにベッドに倒れ込む
 今はもう何も考えたくなかった
 ただ、そう思っていても頭は勝手に何かしら思い描いている
 私の頭なのに自身の意志とは関係なしに
 さっきから思い出したくもないことばかりが頭に浮かんでくる
 頭にスイッチがあってそれを切れば一切の思考が止まれば便利なのに

 私はただ目を瞑って
 意地悪な私の脳みそと戦っていた


 気づいた時には部屋は真っ暗だった
 さすがの私の頭も私自身の苦悩には耐え切れずに睡眠をとることで
 スイッチを切ったのだろう

 ベッドに倒れこんでそのままだったはずなのに掛け布団が被さっている
 きっと菫だ

 明かりを付けて時計を見ると3時を指している
 少し寝て頭がスッキリした気もした

 もしかしたら夢だったんじゃないかと思ったが
 鏡に映る赤く腫れぼったい目が今日のことは現実だと教える

 部屋にあるテーブルの上にはラップに包まった少し大きめのおにぎりが2つあった
 脚本を書いていた時に夜食として菫に作ってもらう際
 普通のサイズより大きめの方がおにぎりとして存在感があって好きだ
 と私はそうリクエストしたことがあった
 なのでこの大きめのおにぎりも菫が用意してくれたものだろう

 しかし、菫には悪いが今は何も食べる気にはなれなかった
 私の為に握ってくれたのに何も手を付けられていないおにぎりを見て菫は何を思うだろうか

 外は雨が降っている。雨音は強めだった
 この強さならきっと、朝になっても降り続いているだろう

 この雨が私をより一層感傷的にさせる


紬「私の為に降ってくれてるのかしら……
  だったら、何もかも流れ出てくれればいいのに」

 そう呟いたとき
 私は、私中心に物事が進めばいいと思っていたことを知る

 雨は誰が頼んだわけじゃなく降っている

 もしかしたら、この雨のせいでどこかの家族のお出かけが中止になるかもしれないし
 どこかの誰かが朝からジョギングしようという決意が揺らいでいるかもしれない

 それなのに私は、この雨が私の為だけに降ってくれている
 だなんて自分勝手に考えてしまった

 私はとりあえず、おにぎりを無理矢理にでも食べた
 噛む元気さえ出なかったが、なんとかひとくち頬張る
 これが心配をかけたであろう菫に対するせめてもの罪滅ぼしだ
 でも、さすがにふたくちめを口にすることは出来なかった

 その後、私はまたベッドに入り寝ようと試みる
 何かを考えて起きているより
 意識が途切れている方が楽だったから

 わからず屋の脳みそも私のその意志を尊重したのだろうか
 意外とすんなりと眠りに入ることができた


 再び目覚ると、酷く喉が渇いていた

 私はとりあえず何か飲み物をもらってこようと部屋を出た

 厨房に向かう道すがら
 お父様の部屋から明かりが漏れていて
 何やら話し声が聞こえた

斎藤「旦那様、上手くいきました」

紬父「ああ。これほど上手くいくとはな」

斎藤「はい。これで紬お嬢様は一生誰のものにもなりません」

紬父「そうだ。私の大切な一人娘を男に渡すわけにはいかん」

 何を、言ってるの?

斎藤「お嬢様の幼少の頃より殿方ではなく女性を好きになるよう暗示をかけ続けた甲斐がありました」

 そ、そんな……
 私がこうなったのは、全て仕組まれたことだったなんて……

紬父「ん? 誰かそこにいるのか!?」

 !?

斎藤「これは、これは。紬お嬢様
    こんなところで何をなさっていらっしゃるので?」

紬父「なに? 紬か」

斎藤「どうぞ、お嬢様。中へお入り下さい」

紬父「さぁ紬。ここに座って、催眠術ごっこをしようじゃないか」

紬父「実は父は魔術師なのだ。そ~ら、アブラカタブラ」

 いけない
 このままでは、より一層強い暗示をかけられるかもしれない
 そう思った次の瞬間

「人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られてヒヒヒヒ~ン!」

 私の目の前を一頭の白馬が駆け抜ける

紬父「な、なんだ!?」

斎藤「旦那様!」

 その白馬が大きく後ろ足を蹴りあげると
 父と執事はお星様になった

「大丈夫かい?」

 あなたは?

「キミを助けにきたよ」

 私を?

「ああ。キミはとても苦しんでいるからね」

 そうなの。すごく苦しい

「どうして苦しいんだい?」

 失恋しちゃって
 でも、それは私の勘違いで
 本当は何も始まってもいなかったの

「なぜ勘違いをしちゃったんだい?」

 キス

「キス?」

 そう。キスしたから

「そうか。でも、キスする前はどうだったんだい?」

 キスする前?

「軽音部でずっと一緒だったんだろ?」

 うーん
 仲の良い友達だったと思う

「でも、キスしてスキになっちゃったんだ」

 うん
 あることがキッカケで恋が始まるなんてよくあることでしょ?
 私の場合はそれがキスだったってだけ

「じゃあ、もし澪ちゃんと本当に付き合うことになったらどうなってた?」

 すごく嬉しい

「りっちゃんはどう思うかな?」

 意地悪
 どうしてそんなこと聞くの?

「だって、避けて通れないことだよ」

 そうだけど……

「元々キミは澪ちゃんが好きになる前はその2人をそういう目で見ていて
 熱くなっていたはずだよ」

 だからと言って
 はい、そうですか。って簡単に譲れないわ

「実は澪ちゃんとりっちゃんは既に良い関係になっているかもよ」

 え?

「お花見の日。酔っ払った澪ちゃんをりっちゃんは自分の部屋で介抱したんだってね
 澪ちゃんが酔っ払っているんだから2人っきりの部屋で何があってもおかしくない」

 そ、そうかも
 きっと色々なことがあったに違いな……
 やだ、私ったら変な想像を

「あれ? なんで少し嬉しそうな顔してるの?」

 だ、だって……

「梓ちゃんが唯ちゃんのことを意識してるってはっきりしたときも
 キミはキミの中で熱く滾る何かを感じていたよね」

 それはもはやライフワークだから

「だったら、澪ちゃんとりっちゃんのこともそういう方向で受け入れたらどうだい?」

 嫌よ
 例えキスがきっかけでも
 そのキスが澪ちゃんが酔っ払ってたのが原因で
 澪ちゃん自身にそのつもりがなかったとしても
 好きになった感情はきっと本物だし
 そのお花見の後から今まで本当に世界が煌めいて見えていたもの

「そっか」

 ええ

「でもさ。本当にキスしたの?」

 え?

「お花見のときにさ」

 したわよ

「誰か見た人は?」

 えっと……
 あの時は風が強く吹いて
 それで、髪の毛が邪魔になって

「じゃあ、キミ自身もちゃんとキスしたかどうかわからないの?」

 でも、確かに唇に何かが当たったんだから

「そっか」

 キス以外のなにものでもないわ

「でもさ、その唇に何が当たったかは確認できてないんでしょ?」

 え? ええ、そうね

「ここでキミの考えるキスの定義についてだけど」

「唇同士だったら間違いなくキスだよね」

 もちろん

「じゃあ、唇以外だったら? 例えばほっぺたとか」

 ……何が言いたいの?

「風が吹いて、酔っ払って平衡感覚が怪しい澪ちゃんがちょっとバランスを崩してキミに倒れ掛かってくる」

「直前まで澪ちゃんがキスのことを話していたことも相まってキミはそれがキスだと思い込む」

「それでキミはまんまと恋に落ちる」

 例えそうでも……
 好きであることには変わりないわ

「じゃあ、こういうのはどうかな?」

「キスをされたから好きになったんじゃなくて
 好きになろうとしてそれがキスだと思い込もうとした」

 どういうことだか、話がわからないわ

「だからね。キミは澪ちゃんを、そもそも女性を恋愛対象とは見てないのに
 どういうわけか好きにならなきゃいけないと思い込んでいた」

 ???

「今日、梓ちゃんとお話したよね?」

 ええ。したわ

「梓ちゃんが将来的には男性と結婚するって言った時
 やたらと動揺してたよね?」

 ……うん

「それはなぜだい?」

 だって、女の子同士がイチャイチャするほうが見てて美しいんだもの

「じゃあ、キミ自身は?」

 私?

「そう。キミは男性と結婚することに抵抗がある?」

「琴吹の一人娘という立場で、将来はお婿さんを迎えることに抵抗はある?」

 ……特に、ないわ

「だったら、おかしいよね」

「キミは将来幸せな家庭を築くつもりがあるのに
 なぜか他人にはそうなって欲しくないって思ってる」

 ……

「結婚なんてものはまだまだ先のことだろうけど
 年頃の女の子なんだから、ちょっとしたことで
 誰か男とお付き合いを始めてしまうかもしれない」

「だけど、出来れば、ずっと澪ちゃんとりっちゃん
 唯ちゃんと梓ちゃんで百合分を供給され続けたい
 間に男が入るだなんてとんでもない」

「そう考えている」

 私は……

「他人にはそうであって欲しいという気持ちがありながら
 自分はただはたから楽しくそれを見てるだけ」

「でも、キミはそんな自分が卑怯だと思い始めた」

 私……そうやって自分が許せないからって……

「だから、自分も女性と恋愛することで、そういう意味でも仲間になろうって考えたんだ」

 そう……かも……

「あのお花見の時にそういうことになって
 それをきっかけにして無理矢理にでも女性を好きになろうって」

 好きになったって思い込んでいた……?

「本当は、澪ちゃんとりっちゃんで一生を添い遂げてほしいくらいの
 幻想を抱き続けていたのに」

 私はただ傍観者でいることに満足していた
 私は私の中でそれを他人に押し付けていたにも関わらず
 だから、私は……

「別にそれでいいんじゃない?」

 え?


「そもそも、本当に澪ちゃんと付き合えるとしても
 キミが周りに気を遣わずにいれるとは思えないし」

 ずっと考えずにいたけど
 そうね、きっとそうだわ

「せっかく軽音部っていう素晴らしい環境にいるんだ」

「幼馴染。先輩と後輩」

「完璧なシチュエーションじゃないか」

 ゾクゾクしてくるわ

「うん。だから無理しなくていいんじゃないかな?」

「そりゃ、いずれは結婚するだろうけど
 だからといって自分を曲げてまでそんな仲をかき回さなくてもいいじゃないか」

「むしろ傍観者でいる幸せを噛み締めるべきだね」

 本当に、いいと思う?

「当然だよ。確かにキミは澪ちゃんが好きなんだろうけど
 それはあくまで親友としてだし
 それ以上に律澪、唯梓が好きなはずだよ」

 そういう目でただ楽しく見ることを許してくれる?

「もちろん」

 こんな私でも軽音部の皆は友達として見てくれる?

「澪ちゃんも言ってたじゃないか。皆キミの事が好きだって」

 うん

「もう大丈夫だね?」

 ありがとう

「もうキミの気持ちに嘘をついちゃいけないよ」

 わかったわ
 私は律澪、唯梓を愛で続けるわ

「さぁ、早く起きなきゃ。皆が心配してる」

 ええ、そうね


 白馬はこちらをチラリと振り返り
 「じゃあね」と言い残し飛んでいく
 その白馬には額から一本角が生えていた
 あれは伝説上の生き物の……
 そう、確か一角獣ユニコーン


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