紬「なんだか勢い良く教室から出てきちゃった」

紬「和ちゃんに変に思われちゃったかな」

 それでも、私はとりあえずの今の心配の種である
 デコとボインのプライベート空間を打ち破るべく立ち上がらずにはいられなかった訳で

紬「もし、私が澪ちゃんと二人っきりになったら……」

 いらぬ想像をしてしまい頭を軽くふる
 だって状況的には今は澪ちゃんはりっちゃんと……
 そんなことを考えるだけで気が滅入る

 そろそろ軽音部の部室だ
 私はなぜだか部室に近づくにつれ足音をたてないよう無意識のうちに静かに歩いていた
 息を殺してドアノブに手を掛けたとき、どうして自分がこんなにも慎重になっているんだろう
 と少し可笑しくなって笑がこぼれた

紬「そんなことは、あり得ないだろうけど」

 だけど、その言葉とは裏腹に、ドアを開ける前にガラス窓から部室の様子を確かめる

 二人はただ劇の練習をしているだけ、そうに決まってる

 それなのに、私の目に飛び込んできたものは、やけに距離を詰めた
 今にもキスをしてしまいそうな二人だった


律「澪……」

澪「律……お願い……早く、して」

 同じ中学で幼馴染 なんだそのえらそうなデコ

律「じっとしてて……」

澪「……うん」

 私の見てる目の前で

澪「……んっ」

 ボインに手を出した

 何かがおかしい何かが

 あなたのようになりたいが

 部活とはなんだ人生とは何だ


 デコトボイン ワタシ ハ ボイン ノホウガ スキデス

 ……ハイ


 私は、なるべく音をたてないようその場を離れて
 階段を降り、最初の踊り場で駆け出した

梓「あ、ムギ先輩。部室に何か用事だったんですか?」

 すぐ誰かに声をかけられたような気もしたけど
 そんなことはお構いなしにとにかく走った
 目に焼きついた二人のキスシーンを頭から振り払うために

梓「え!? あ、あの!? どこに行くんですか!?」

梓「???」

梓「ムギ先輩、どうしたんだろ?」

梓「こんにち……」ガチャ

梓「って!? うわっ!? 何やってんですか!?」

律「!?」

―――

 逃げるように駆け出したはいいけど
 行くあても無いので結局教室へ戻らざるを得なかった
 でも、平静でいられるわけもなく

和「あ、ムギ。お帰り」

和「って、澪と律は?」

紬「え、えっと……ちょっと……」

 今、その名前を出さないで

和「え!? ちょっと!? どうしたのよムギ!?」

 なぜか慌てふためく和ちゃん

唯「あ~、和ちゃんがムギちゃん泣かした~
  いーややこややー せーんせにゆーたろー」

 気づかない内にどうやら私は泣いていたらしい

紬「なんでもない、なんでもないの」

和「え、で、でも……」

紬「放っておいて!」

 自分の席に座り机に突っ伏す

唯「ムギちゃん、どうしたの?」

 さっきまで和ちゃんに茶々を入れていた唯ちゃんが
 尋常じゃない私の状況を察したのだろう
 優しく声をかけてくれる

和「どこか具合でも悪いの?」

 私は顔を伏せ、ただ駄々っ子のように頭を振ることしかできない

 教室中が騒然とする

 こんなことをしていたってどうにもならない
 でも、どうにもならないからこうすることしかできない

 ただこうやって顔を伏せて時が過ぎるのを待つしかないのか
 ただ時に身を任せることしか出来ないのか

 いずれ澪ちゃんたちが教室に戻ってくるだろう
 そのとき私はいったいどうすればいいんだろう

 来るべき時の不安で頭の奥がチリチリする

 きっと唯ちゃんや和ちゃん、他のクラスメイトも今私に対して
 何かしらの言葉をかけていてくれているだろう
 だけど当の私にはその声は届かない

 教室のドアがガチャリと開く

 きっと澪ちゃん達だ

 私は……もう……

梓「ムギ先輩!」

 予想に反して教室にやってきたのは梓ちゃんだった

唯「あずにゃんどうしたの?」

梓「すみません、ちょっとムギ先輩に」

唯「あのね、今ムギちゃんちょっと……」

梓「ムギ先輩、大事な話があるんです」

紬「……」

梓「さっき、のことです」

紬「!?」

梓「さぁ、立って下さい」

紬「嫌よ!」

梓「すみません」

 そう梓ちゃんが言うと私は無理矢理に引っ張られた
 その小さな体から出ているとは思えないほどの力で

紬「ちょ、ちょっと」

梓「ごめんなさい、ちょっとムギ先輩をお借りします」

和「え? あ、ええ」

唯「あずにゃん、どうしたんだろ?」

 私は梓ちゃんに人気のない所へと連れだされた
 最初はビックリしたし、さっきの話というのも部室でのことだろうから
 そんなことは聞くのも嫌だったけど
 もはや自分ではどうすることも出来ない状況から
 無理矢理とは言え、梓ちゃんが抜け出させてくれたことに少しホッとした

紬「ね、ねぇ梓ちゃん。いったいどうしたっていうの?」

梓「澪先輩と律先輩のことです」

紬「……あまり聞きたくないわ」

梓「キスなんてしてませんよ」

紬「……え?」

梓「ただ澪先輩のまつ毛が抜けて目に入りそうになってたのを
  律先輩が取ろうとしただけです」

梓「部室の入り口からの角度だと二人が重なってキスしてたように私も見えました
  でも実際は違います」

梓「だから、安心して下さい」

紬「そ、そっか……」

 なんだか不思議な気持ちになる
 そして同時に疑問も浮かぶ

紬「どうして、梓ちゃんが私にそんなことを?」

 梓ちゃんは間違っていたらすみません、と前置きをして言った

梓「ムギ先輩、澪先輩のことが好きなんじゃないのかなって思いまして」

紬「……うん。ごめんね」

梓「なぜ謝るんです?」

紬「だって……」

梓「大丈夫ですよ。私も同じなので」

紬「え!? もしかして、梓ちゃんも澪ちゃんのことが!?」

梓「いえ、趣向というか……そういうものがという意味です」

紬「梓ちゃんも、女の子のことが」

梓「はい」

紬「そっか……」

梓「あれはまだ私が小学生だったころです」

 梓ちゃんは私が何も聞いてもいないのに急に語り出した
 きっと自分がなぜこうなってしまったかを喋りたいのだろう
 ただ私も興味があったので黙って聞いた
 むしろ興奮した

梓「私がギター始めたのは4年生だって以前も言いましたよね」

紬「ええ、そうね」

梓「親の影響があったとはいえ女子で小4からギター始めるなんて
  すごく珍しいことだったんだと思うんです」

梓「だからちっこいくせにギターなんて生意気だって男子からいじめられて」

梓「それでも私はギターに夢中だったんで、そんな声は無視してたんです」

梓「中学に上がってもいじめとは言えないまでも、相変わらず男子からはチョッカイを出されてて」

梓「だけど、そのくらいの時期になってくるとギターに興味を持つ男子もいて
  だから、家からギターを持ってきて見せたりもしたんですけど
  力任せに私のギターを扱われたりして、傷がついちゃったり……」

梓「私にとってみればそれだけで男子という存在は邪魔なものでした」

梓「だけど女子から見るとそれが男子と仲良くしてるって映ってたみたいで」

梓「ちょうど異性を意識し始める時期ですし、今度は女子からそれが生意気だっていじめられて
  どちらかと言えばそっちの方が辛かったですね」

梓「だから中学時代は私にとって思春期というのは無いといっていいものでした」

梓「女の子たちは強すぎだし、男の子たちは意地悪」

梓「だけど、軽音部の皆さんはとても優しくて親切で」

梓「とりわけ私にとっては唯先輩が……」

 そう言うと梓ちゃんは赤くなって黙った
 私はこんな身近にお仲間がいたという事実に嬉しくなり
 自分という存在が孤独じゃないということに少し安心した
 いや、むしろ興奮した

紬「そうだったの」

梓「はい」

 梓ちゃんが唯ちゃんに対する態度と唯ちゃん以外に対する態度とは明らかに違う
 今まで注意深く2人の動向を見守り続けていた私だから
 正直、そんな事だろうとは思っていたので特に驚きはしなかった

紬「でも、私が澪ちゃんのことが好きだってよくわかったわね」

梓「なんだかそんな気がしてたんです」

紬「同じ物の見方をする者同士だからかしら?」

梓「どうでしょう。ただ学年が上がってからなんだかムギ先輩と澪先輩がやけに
  よそよそしくなったっていうか、2人だけで話したりすることもあまり無くなりましたし」

梓「けど、だからと言って仲が悪くなったとは思えなかったので
  もしかしてと思って注意深く動向を見守り続けていたんです」

 えっ……。動向を見守り続けられてたなんて気持ち悪……
 いや、間違いなく私も彼女と同類だった

梓「いつから澪先輩のことを好きになったんですか?」

紬「うふふ、聞きたい?」

梓「あ、いえ。ご迷惑なら」

紬「ううん。梓ちゃんも過去を教えてくれたから、今度は私」

梓「はい」

紬「今年の春にお花見したじゃない」

紬「あの時にね、私と澪ちゃんキスしたの」

梓「ええ!? き、キスですか!」

紬「もう、声が大きいわよ」

梓「あ、すみません」

紬「それからかしら、私が澪ちゃんのことを意識するようになったのは」

梓「こう言っちゃなんですけど、なんだか順番が逆ですね」

紬「え? ええ、そうね」

紬「でも、恋っていうものは予告もなしに始まるものだし」

梓「まぁ、それもそうですね」

紬「ねぇ、一つ聞いてもいい?」

梓「なんです?」

紬「梓ちゃんはこれから先、唯ちゃんに対してどうするつもりなの?」

梓「私は、今までどうりの関係で充分だと思っています」

紬「だけど、気持ちは伝えないの?」

梓「その気持ちを伝えてどう思われるのかが怖いですし」

梓「なにより今までのこの関係を無くしたくないんです」

梓「それに結局、将来的には私だって誰かと結婚すると思いますし」

紬「え? ええ? ちょっと待って。結婚? って男とってこと? え? え?
  唯ちゃんはどうな、え? 何言ってんの? 意味わかんない」

梓「お、落ち着いて下さい」

紬「ご、ごめんなさい。今の今まで夢の世界にいたのに、急に現実が攻めてきたから」

梓「そんなに私が将来的に結婚するって言ったのが意外でしたか?」

紬「だ、だって、男の人は苦手だから唯ちゃんが好きになったんじゃないの?」

梓「正直、意地悪な女も嫌いです。でも女だからじゃなくて唯先輩だから好きなんです」

紬「そ、そっか……」

梓「そりゃ、唯先輩と一生一緒に居れるっていうなら素敵ですけど
  それは唯先輩の都合ですし、唯先輩こそ誰かと結婚しちゃうかもしれないし」

梓「両親にも孫の顔を見せるくらいの親孝行もするべきじゃないかなって
  今はまだそんなことは思いませんけど、きっといずれは」

紬「そういうものかしら……」

梓「ムギ先輩だって、大きな家の一人娘ですし、将来はどなたかお婿さんを迎えるんじゃないんですか?」

梓「もしかして、許嫁とか家が用意した人とかいたりして」

紬「そんなものはいないけど……。でもそうよね、将来的にはそうなると思うわ」

梓「それが普通なんですよ」

 でも……。あれ? なんかさっきまで唯梓いちゃこらイメージで
 白飯何杯でもいけるって感じだったのに……。
 なんでこんなことに……。あれ?

紬「でも、ずっとこのままで辛くはないの?」

梓「いいんです。好きになったのは私の勝手ですし
  それに唯先輩にマスコット的に扱われているとしても
  それは唯先輩にとっての特別ってことですし
  私にとってはそんなんでも人生は上々だって思えます」

紬「割り切ってるのね。梓ちゃんは強いわ」

梓「そんな」

紬「でも、私は自分の気持ちを押し込めておくなんて出来そうにないわ」

梓「ムギ先輩……」

紬「こう言っちゃ悪いけど、唯ちゃんはもしかしたらその気はないかもしれない
  だけど、私は確かに澪ちゃんとキスをしたの、その事実があるの」

梓「はい」

紬「確かに今まで通りの仲の良い親友っていうのも悪くわないわ」

紬「だけど、ただ時の流れに身を任せるだけじゃなくて
  私自身が動いて私の未来を作る」

梓「運命は自分で切り拓くってことですか?」

紬「たとえ勝てはしないゲームかもしれない」

紬「でも、どうにかなるの!」

梓「あ。ムギ先輩どこへ?」

紬「体育館裏!」

梓「どうしてです?」

紬「梓ちゃんとお話ししてて、なんだか勇気が湧いてきたの!
  今から澪ちゃんに告白してくるわ!」

梓「ええっ!?」

紬「私、ちょっと面かせやって言って体育館裏に誰かを呼びつけるのが夢だったの!」

梓「ムギ先輩! そのシチュエーションは告白とは正反対ですよ!」

梓「って……行っちゃった」


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