さわ子「もう少しだけ……歩きませんか?」

 彼の言葉から逃げ出すように、私は立ち上がった。


男「え…? あ……はい……」

 彼の返事も聞かず、私は無言のまま歩き出す………。


男(やっばぁ……怒らせちゃったかな……)

さわ子「………っっ」

 ――何をやっているんだ……私は……!

 このまま逃げ続けたってダメなのに……意味なんてないのに……どうしてこの土壇場で逃げるようなことをしてしまうんだ……私は!

さわ子「………はぁ…」

 あまりの自分の情けなさに、ため息すら出て来る。

 それを後ろの彼に気付かれぬよう、肩を落とし、そっと息を付く。


男「さわ子さん……」

 私を心配してくれるのか、それとも自分の失言が私を怒らせてしまったと思ったのか、彼は落ちた声で私に声をかけてくれた。

 その声に、私も気落ちした声で応える。


さわ子「……すみません………」

男「いいえ……僕の方こそ、すみません………」

さわ子「………」

男「……………」


 ……お……重い。

 ……さっきよりも、数段重い空気が二人の間に広がって行く……。

 その時、やけに軽いトーンの会話が遠くの方から聞こえて来た。


声「いっやぁぁ~~♪ 向こうの社長もまさか、こーんな料亭用意してくれるなんてな~」

声「俺らのデビューが決まったって聞いて、ジャーマネ君も泣いてたしなぁ」

声「これで、もうゴミカスみてぇな小っせぇライブハウスをハシゴすんのも終わりだ、こっからは、俺らが日本のミュージックを変えてやっぞ!!」

声「まずはオリコン一位だなぁ! うおおおぉぉ!! 燃えて来たぜぇぇぇ!!!」

 話を漏れ聞くに、どうやら、メジャーデビューが決まったメタルバンドの様だった。

 ものすごい場違い感はあったけど、個人的になかなかイカしたメイクをしている四人組だ。

 そう言えば……どこかで見た事のある顔だけど……どこで見たんだっけ……?


さわ子(………ああ、思い出した)

 ……少し前に動画サイトにちらほら、彼らに似た容姿のバンドの歌が上がっていたけど、あの人達が……そうか。

 マイナーバンドにしてはなかなか歌詞と演奏の勢い、それにパフォーマンスが私の好みにぴったりで、それで何曲かブックマークに入れてたっけな。

声「っしゃあ! 俺達のソウルをこのまま日本中にブチ広めていくぞおおお!!」

声「よーっっし! 今日はこのままパーリーだ! 朝まで飲むぞテメェら!!」

声「おうっっっ!!」


 場違いに騒がしい声を上げながら、彼等の姿は見えなくなっていった。

 そっか……、良かったじゃない。

 彼等の、自分の好きな音楽が認められたって事と、私と同じ志を持った人が、日本の音楽シーンにデビューする事。

 他人事の筈なのに、それがどこか嬉しいと感じる私だった。


男「まったく……関心しませんね」

 そんな彼等のやり取りを見てた隣の彼が、やや怒り気味に言い捨てた。


さわ子「……はい?」

男「あんな素行の悪い連中が音楽をやってるなんて……悲しいです」

さわ子「そう……ですか?」

男「ええ……ああやって大声を上げて、自分を大きく見せるのは臆病者の証拠です」

男「ああいう連中の奏でる音楽は、もはや音楽ではありません、むしろ……ただの騒音です、歌詞も汚い暴言ばかりで支離滅裂、とても音楽を愛してる人間とは思えない」

男「情けない話ですよ、あんな歌とも呼べない単なる叫び声が支持されるなんて……」


さわ子「……………」

 ――何を言っているんだ……この人は。

 確かに、メタルが人を選ぶジャンルなのは理解できる。 ましてやクラシックとかの真面目な音楽が好きな彼がそれを毛嫌いする気も、確かに分かる。

 ………でも、それでも……いや、それも音楽の一つの在り方だと思う。

 例え笛一つで演奏する歌手がいようが、カスタネットだけで歌を歌うような人がいても、私は良いと思う。

 音楽にこれっていう明確な基準は無いし、形は違えど、音を楽しむ事こそが音楽の本質。

 でも、彼の考えは違っていた……。


男「音楽と言うのは、音と音が重なり、それが演奏になり……聴く側を感動させる、そう言うものだと思います」

男「でも、ああいう連中の歌には感動のカケラすらない、さわ子さんも、そう思いますよね?」

 それを、この人は……さも自分の価値観が当然だとも言わんばかりに、私に同意を求めてくる。

 違う……私は、彼の意見とは違う……。


 メタルは、言えば私の青春そのものだ。

 そりゃ……きっかけこそ、当時思いを寄せていた男を振り向かせるためだなんて小さな理由だったけど……。

 でも、この音楽に出会えたからこそ、私は紀美やデラ、ジェーン達にも出会えた。


 ……そして大人になって……桜高で唯ちゃん達や梓ちゃん達の、軽音部の顧問を務めるようになって……そんな彼女達の青春の手助けと、後押しが出来るようになって……それがすごく、すっごく嬉しいと思えて……!

 ……でも、彼は違った。

 いや……むしろ、私の好きな音楽を……私の青春を見下し、否定し、虚仮にして……この人は……こいつは………!

 ……その時。


さわ子「―――っっ!」

 ぷちんっと……私の心の中で……何かが………弾けた―――。

さわ子「…………」

男「………? さわ子さん?」

 私は彼の後ろに回り、背中から彼の懐に腕を絡ませる。

 そして……


男「さ……さわ子さん……その…他の人に…見られますよ……っ」

さわ子「……ルを……」

男「……へ?」

さわ子「メタルを……」

男「さ……さわ子さん……?」

さわ子「メタルを……舐めんじゃ……ねえええぇぇぇーーーっっっっっ!!!!」

男「…………へ……!!??」

 ―――ばっしゃーーーん!!!


 静かな池のほとりに……水音の弾ける音と共に、彼の悲鳴が響き渡っていった―――。


―――――――――――――――――

 それから、数ヶ月の月日が流れ……

 いつぞやのファミレスに紀美を呼んだ私は、あの日、何があったのかを紀美に話していた。


紀美「……んで、見合い相手に思いっきしジャーマン決めて縁談は破談、あんたはあんたで両親に勘当されたと……」

さわ子「…まぁ、そんな所……」

紀美「……………っっ……」

 私の前の席に座っていた紀美はふるふると震え、そして……


紀美「………っっぷ……っっっ!!」

紀美「あーーっはっはっはっはっは!!!! あーっっっっはっはっはっはっはっっ!!」

紀美「……ひーっっ……っくっ…! あっははははっっっ!! も、もうダメ……! お……お腹痛い……っっ!!」

 げらげらと周りの目線もお構いなしに、ひたすら笑い転げていた。

さわ子「そ、そんなに笑う事ないでしょ!!」

紀美「だーってさわ子……っっくっっくくく…っ!! いやー、いくらなんでもそれはダメっしょ!」

紀美「ひーっ…ひー……と、途中までは上手く行ってたのに……っっ! そんで……キレてジャーマンって……! どんだけ…っ!」

さわ子「だってーー、あんなにメタルの事馬鹿にされたらそりゃー……」

さわ子「てか、紀美だったらどうだったのよ、いくら知らなかったとはいえ、私達の青春をバカにされたのよ? こっちは…」

紀美「アタシ? ま~……あはは、そんな事言われた日にゃ、アタシでも張っ倒してたね、うん」

さわ子「でしょ?」

 私の言い分ももっともだと、それでも大笑いを続け、紀美は私の言葉に同意していた。


紀美「でも、あんた本当にどーすんの? このままじゃ、結婚どころか実家にだって……」

さわ子「……もういいのよ、それは」

紀美「……?」

さわ子「あれから考えてみたの……私にとって、何が幸せかって…」

さわ子「彼にああ言われて、それで、後先も考えずにあんな事やるぐらい怒るって……私、やっぱりこの仕事も、メタルも大好きなんだって……改めて思ったのよ」


 ――そう、あれから私は吹っ切れた。

 幸せな家庭を作るのももちろん、幸せな事だと思う……。

 でもそれ以上に、自分が好きな事を好きなだけ続けて行く人生……それもきっと、素晴らしい。

 だから私は、後悔なんてしない。


 自分のした事が間違いだったなんて……思ったりしない。

 だって、私は―――。


紀美「……いい顔になったね、さわ子」

さわ子「……そう?」

紀美「うん、少し前とは大違い、まるで憑き物が取れたみたいに、スッキリしてる」

さわ子「あはは、それはどうも…♪」

 私の言葉にうんうんと頷き、紀美は笑っていてくれた。

 この数ヶ月、色々と紀美を付き合わせてしまい、それでこの様だから言うのは少し気が重かったけど、そんな事気にしてないかのように、紀美は笑ってくれた。


紀美「さわ子の幸せはさわ子のもんだ、誰にだって口出しできやしないよ」

さわ子「そう言ってくれて嬉しいわ、ありがと」

紀美「っかし、随分遅いね、みんな……」

さわ子「そうねぇ~、そろそろ来ると思うけど……」

 時計を見ては店の出入り口をちらちらと見る。

 予定の時間はとっくに過ぎているし……あの子達、そろそろ来ると思うんだけど……。


 その時、店のドアが開かれ、楽器を持った女の子達が、私達のテーブルに駆け足で向かって来た。


さわ子「あ、来た来た……」

声「す、すみませーん! お、遅れちゃいましたー!」

さわ子「遅いわよみんなー」


梓「ったく……純が寝坊なんてするから……」

純「ご、ごめんなさい……」

憂「まぁまぁ梓ちゃん…」

菫「先生、遅れてすみません…」

直「あれ……この方は?」

紀美「えっと……さわ子、この子達は?」


さわ子「紀美に紹介するわ、彼女達が現軽音部、『わかばガールズ』よ」

さわ子「んでもって、菫ちゃんや直ちゃんは初めてよね、私の友達で元DEATH DEVILのギターの、クリスティーナよ」

 そう、双方にお互いを軽く紹介する。

梓「紀美さん、お久しぶりです♪」

憂「この人が……さわ子先生のお友達の、クリスティーナさん……」

純「わぁぁ……か、かっこいい! なんか、大人って感じがする…!」

菫「は、初めまして!」

直「初めまして…それで先生、私達を呼んで一体何を……?」

梓「あ、もしかして練習……ですか?」


さわ子「ええ、今日みんなを呼んだのは他でもないわ、私達が今日一日、あなた達に色々とみっちり叩き込んであげるから、覚悟なさいよー?」

さわ子「特に憂ちゃんと梓ちゃんはギターを徹底的に強化! 文化祭まで時間はあるけど、先輩達に負けないバンドにするつもりだから、みんなしっかりついて行きなさい!」

憂・梓「は……はいっ!」

紀美「デラにジェーンにジャニス、それにミホコも例のライブハウスに着いたってメール来たよ、じゃーそろそろ行こっか、みんな」

一同「――はいっ!」

梓「大先輩たちに教えて貰えるなんて……今日一日、絶対に無駄にしないようにしなきゃ!」

憂「私、頑張るよ! お姉ちゃんにも負けないぐらいギター上手になる…!」

純「うんっ! 私も今から燃えてきた……っ♪」

菫「DVDで見た律先輩に負けないドラム……私も頑張らなくっちゃ…!」

直「わ、私も……!」

 そうして意気込む彼女達を引き連れ、私と紀美はライブハウスへと赴く。


さわ子「紀美、今日はありがとね、付き合ってくれて……」

紀美「いいって、どうせ暇してたしさ~。 ……っかし、休日使ってレッスンだなんて、さわ子もホント、軽音部が好きだねぇ…」

さわ子「なーに言ってんの、軽音部は私達の青春よ?」

紀美「ああ……そうだね♪」

憂「先生~、お姉ちゃんたちも後で来るそうですよー!」

梓「先生方に久々に会えるからと聞いて、みなさんとても嬉しそうでしたっ」

純「わぁ…♪ わ、私、澪先輩にも教えて貰おっと!」

菫「紬お姉ち……紬さん…元気かな?」

直「梓先輩達の先輩かぁ……き、緊張して来たなぁ……」



さわ子(あははは……こりゃまた、騒がしい一日になりそうだわ……)


 あの日の事を後悔せず、糧として、私は今日を言う日を生きる。

 ――だって私は……


 この子達の……いいえ、みんなの先生であって……そして、一人の軽音部員なのだから――――!



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