母「失礼します」

さわ子「失礼します」

 すっと襖を開け、私は母と共に中に入る。

 部屋の中には、呑気にくつろいでいる伯父と……その横に、彼はいた。

 高級感のあるスーツが実に似合い、落ち着いた印象で、これまた整った髪型と、それに似合った顔をしている。


 ……写真で見る以上にかっこいい男性だと、この時素直に思ってしまっていた。


伯父「おおー、二人ともよく来てくれたね」

母「すみません、遅れてしまって」

さわ子「伯父さん、今日はこの様な素敵な場をご用意してくれて、真にありがとうございます」

伯父「いやいや、小さい頃から可愛がってたさわちゃんのせっかくの見合いとあっちゃ、これぐらい何てことないさ、はっはっは♪」

 と、上機嫌に笑う伯父だった。

 そんな伯父の横で正座をしていた男性が、私達の方を向き、深々と頭を下げて挨拶をする。


男「……始めまして」

母「まぁまぁ……この度はわざわざ遠い所からありがとうございます、さわ子の母でございます……」

さわ子「はじめまして、山中さわ子と……申します」

 私も母も彼に頭を下げ、挨拶を済ませる。


母(話に伺ってた以上に立派な方じゃない……やったわね、さわ子)

さわ子(………………)

 礼儀正しい彼の態度に、母もすっかり気を許してしまったようだった。

男「今日は、実りある一日にしたいですね……」

 ……そう、初対面の私に向け、優しい顔で微笑んでくれる彼に対し……


さわ子「……はい、そうだと……良いですね……」

 と、私もまた、ぎこちない笑顔で返すのだった。

―――――――――――――――――


 最初は伯父と母を交え、軽く雑談をした。

 互いに少し緊張してると言う事もあってだろう、伯父と母が上手に話を進行してくれていた。


伯父「しかしなぁ……いやはや、振袖を着て来ると聞いてはいたが、まさかさわちゃんがここまで美人になるとは思わなかった、どうだ? 綺麗な女性だろう?」

男「はい、さわ子さんの和服姿、とても綺麗だと思いますよ?」

さわ子「あ、ありがとうございます……」

 彼の言葉に俯き、思わず下を向く。


母「あーら、この子ったら照れちゃって…♪」

さわ子「……………」

 正直、今かなりどきどきしている。

 それは私が単にスーツ姿の男性に弱いだけなのか……場の雰囲気に緊張しているだけのかは分からない。

 理由はともあれ……私はどうにも彼の顔を直視できなかった。


母「そちらのお仕事は順調なのかしら? 聞けば、昇進が近いのだという事らしいけど」

男「はい、まだ確定ではないんですが……再来月より、僕にもう少し上の仕事を任せてくれると、先輩が……」

伯父「いやぁ……彼のおかげでウチの業績もだいぶ伸びてねぇ……私が専務に直々にお願いしたんだ、彼にももっと、もっと上の仕事を任せてもらえませんかってね♪」

男「先輩の進言で多少責任は増しましたが……それでも、先輩のその期待に応えられるよう、僕も頑張りますよ」

伯父「はっはっはっ、その調子でこれからも頼むよっ」

男「はいっ!」

さわ子(……仕事が出来て私よりも高給取りで、おまけにかっこいい……かぁ)

母「素敵よねぇ……なんだかさわ子には勿体ない気がするわぁ」

さわ子「母さんったら……」

男「さわ子さんは、その……」

さわ子「は、はいっ」

 不意に彼から話を振られ、思わず声が上がってしまった。

 ……何も、ここまで上がらなくても良いのになぁ……。


男「さわ子さんは現在、教員としてのお仕事をなされてると伺いましたが……」

さわ子「え……ええ、まぁ……桜が丘の女子高で、音楽を担当してます……」

男「ああ……いいですよねー、僕、モーツァルトとショパンが好きで……一応、ピアノも弾けるんですよ」

さわ子「まぁ……では、学生時代は音楽を?」

男「ええ、一応、器楽を専攻してました……っても、大学も補欠合格みたいなものだったし……当時はほとんどサークルばかりで、講義にはあまり出てなかったんですけどね…」

さわ子「…………伯父の地元で音大と言うと……もしかして、S音大?」

男「はい、あ、分かります?」

さわ子「ええ……3年生の担任だったので、多少は……」

 ―――S音大、決して一流とは言えないけど、それでも伯父の地元ではかなり高偏差値の音大だ。

 おそらく、私の卒業した大学よりもその偏差値は高かったと思う、今現在はどうなのかは分からないけど。

 ……少し前に生徒の進路関係で書類をまとめていた時、そんな内容のデータがあったのを、私はふと思い出した。


男「おかげで単位はいつもギリギリで……就職にも随分苦労しました……」

男「そんな時だったんですよ……先輩の勤めてた会社に受かって、それから心を入れ替えて、真面目に働こうって思って……」

伯父「彼は今もよくやってくれる、いやぁ、あの時君を選んだ僕の目に狂いは無かったよ、はっはっはっ」


男「いえいえ……先輩に比べたら、僕なんてまだまだです……」

さわ子(…………彼も…最初から完璧ってわけじゃなかったんだ……)

 ……正直、少し驚いた。

 話を聞いた限りのイメージだと、まるでドラマにでも出て来るような……完璧な人だと思ってたけど……。

 ……でも、彼は違ってた。

 学生の頃はひたすらサークル活動でクラシックを聴いて、それを演奏して……彼も、彼なりに青春を謳歌していた……

 彼も、どこにでもいるような、音楽が好きな普通の学生だったんだ……。

 それに拍子抜けした反面……どこか、彼に親近感が沸いた。

 まるで、勝手に作っていた壁が一気に取り払われたような……そんな、親近感が。


男「あ、すみません…脱線してしまって………」

男「……でもいいですよねぇ……交響曲や合奏団の演奏って……」

さわ子「……ええ、心が洗われると言うか……音に触れる事で、音楽が心に潤いを与えてくれると言うか……」

男「ええ、分かります……なんだか疲れも吹っ飛ぶ感じがするんですよね……あははっ」

さわ子「ええ……そうですよね……うふふっ……」

 彼の言葉に自然と笑みがこぼれる……。

 少し低く…それでいてよく通った優しい声で、彼は次々と私に話しかけてくれた。

男「何か得意な料理ってありますか?」

さわ子「お鍋でしたら……最近、トマト鍋なんかを作ったりしましたねぇ」

男「いいなぁ、僕、料理の方は自信がなくて……」

さわ子「あら、お鍋くらい、誰でも簡単に作れると思いますよ?」

男「いやいや……料理が苦手な男にとっては、鍋一つを取っても、なかなか難しい所があるんですよ……」

 ……話の華は、少しづつ膨らんでいく。

 お互いの仕事の事、プライベートの過ごし方、学生時代の事……

 どれだけの時間が経ったのか、何を話したのかはあまり覚えていなかったけど、彼との話はとても楽しいと、素直に思えた。


 ……けど、さすがに“あの事”は話せなかった。 私が、へヴィメタバンドのボーカルをやってたなんて事は……。

 言ったら余計な角が立ちそうだし、前にも同じ事で失恋した事もあったし……この事は黙っていよう……少なくとも、今はまだ……。

伯父「……二人とも、だいぶ打ち解けて来たみたいですなぁ」

母「ええ、そうですねぇ…」

伯父「では、そろそろ僕たちはここで……あとは、若いのにお任せしましょうか……」

母「うふふ、そうしましょうか」

さわ子「え、母さん、もう行っちゃうの?」

母「年寄りがいたんじゃ、込み入った話も出来ないでしょ?」

さわ子「でも……」

 私の静止も聞かず、母と伯父は立ち上がる。


伯父「じゃあ二人とも、僕たちはこれで失礼するよ……あとは、二人で心行くまで楽しんできなさい」

母「さわ子、何なら今日はそのまま帰って来なくてもいいわよ? ……せっかくなんだし、彼に桜が丘を案内して差し上げたらいかが?」

さわ子「か~あ~さ~ん……」

男「あはははは……」

 まったく、初対面の人の前で何を言い出すんだ……この人は。

 ……でも母さんらしいな、既に上手く行く事が前提かの様に、すっかり安心しきっていた。

母「さわ子」

さわ子「……何よ?」

母(いーい? 仕事が出来て高学歴、しかもイケメンってオマケつきなんて……これを逃したらアンタ、もう二度とチャンスはないんだから、絶対に次に繋げなさいよ?)

 と、去り際に私に小さく耳打ちして、伯父と共に、部屋を抜けて行った……。


さわ子(……次に繋げろって言われてもなぁ……)

男「………お母様、何か仰ってましたか?」

さわ子「…………あっ、い、いえ……大したことじゃないんです………」

男「そう……ですか」

さわ子「はい………」

男「………………………………」

さわ子「…………………………」


 ……………………………。

 ……沈黙。

 ……気まずい、とても気まずい沈黙……。

 そよぐ春風が桜の木々を揺らす……風の音しか聞こえない、無言の空間……。

 何か話さなければならないだろうけど、一体何を話せば良いのだろうか。

 ……さっきの話の続きか……それとも、別の話題か。

 なんとかこの沈黙から抜け出そうと、少し息を飲んだ時だった。


男「……とに」

さわ子「………え?」

男「僕達も外に出ませんか? 良い天気ですし……その、散歩でも……どうでしょう?」

さわ子「……え…ええ……そうですね」

 そして、ゆっくりと彼は立ち上がる……。

さわ子(あ……私より背、高い……)

 座っていた時は気付けなかったけど……立ち上がった彼の背は、私の頭一つ分は上だった。

さわ子(高学歴に高収入……おまけに高身長ときたか……)


 ほんと、どこまで理想の男性像を体現しているんだ…この人は……。

―――――――――――――――――

 外に出た私達は、澄み切った青空の下で少しだけ、庭園の散歩をしていた。

 ひらひらと舞う桜と、一際輝いた陽光が私達を包む、そんな二人だけの世界がそこにあった――。


男「それでですね……その時、目の前には……」

さわ子「うふふ……もしかしてそれ、実は鏡に映った自分の姿……だったりして」

男「あ~、先に言うのは反則ですよー」

さわ子「あら、それはそれは……失礼しました…うふふっ」

さわ子(楽しいな……すごく、楽しい……)

 私も、これまでに様々な男性に恋をして……相応に付き合いを重ねて来たりもした。

 でも、その誰よりも彼は誠実で……真面目で、優しかった。


 それは、見合いの場で猫を被ってるだけの私とは違う、ありのままの表情。

 彼の笑顔には嘘が見えない……いくら粗を探しても……それを見つけられない。

 それに、単に完璧なだけじゃなく、料理が出来ない所があったりと、案外可愛らしい所もあったりして……


 うん、きっと……彼となら、良い夫婦になれるに違いない。

 互いに足りない所を支え合い……好きな事を分かち合いながら……幸せを育み、未来へ進む……そんな夫婦に。

 彼となら、どんな事があっても…何が起ころうと……それを乗り越えられる、輝きに満ちた毎日を歩んで行ける。

 ……いつの日か紀美と見た、あの家族以上に素敵な家庭を築けるに違いないと、そう……思い始めていた……。


 そして……手頃なベンチに腰を下ろしたところで、彼が突如、口を開いた。


男「……すみません……少し、下らないことをお話してもいいですか?」

さわ子「……はい」

 私は、彼の言葉にゆっくりと耳を傾ける。

 少し間をおいてから彼は、真顔で……ゆっくりと話し始めた。


男「実は僕……小さい頃から、親は共働きで、なかなか両親と遊んでもらえなかったんです」

男「家に帰っても勉強や習い事の毎日で、それから帰っては、冷たい食事を一人で温めて……一人で食べる、そんな毎日で……」

男「それで親と過ごす時間はほとんどなくて……普通の人よりも寂しい子供時代を過ごしていたと、自分でも思います」

男「だから……もしも自分に子供ができたら、そうはさせたくないなと、思うんです……」

さわ子「……………」


男「……ずっと前からの夢だったんですよ……」

男「夜に仕事から帰って……奥さんのご飯を食べて、奥さんの沸かしてくれた風呂に浸かって……子供と一緒に寝て……朝を迎えるの……」

男「そんな……すごく小さい、ごく普通の夢なんですけど……さわ子さんは、どう思いますか」

さわ子「…………」

 少し間をおいて……私もまた言葉を返す。

さわ子「素敵な……とても素敵な夢だと、思います……」


 ……ずるいなぁ……この人は……

 優しいだけじゃなくて……口まで上手いなんて……ほんと、ずるいな……


 そんな事言われたら……私、結婚してからでも教師の仕事を続けさせてくれなんて、言えるわけがないじゃない……。


男「さわ子さん………あの……」

 少し顔を赤らめ……強い眼差しで、彼が私に向き合う。

 そんな彼の表情に、思わず心臓が高鳴り出す。


さわ子「……は…はい?」

男「さわ子さん……こんな僕で良ければ、是非これからも……お付き合いを続けて頂けないでしょうか……」

さわ子「私と……ですか?」

男「っ……はい……僕、きっとさわ子さんとなら……良い関係を築けると思うんです……その……一人の人間として……」

男「も、もちろん結婚とかはまだでも良いと思うんですけど……その………あ、ああれ、僕、何言ってんだろ……?」

男「すみません、何か、どうかしちゃってますね、僕……」

さわ子「……いいえ、大丈夫……ですよ」

さわ子「………………」


 ……あーあ……ついに来てしまったな……この時が。


 結婚はまだと言っても、それはもう遅い。


 このまま行けばきっと……ううん、確実に、もう2~3回も会えば、私はこの人の事を、愛してしまう。

 収入とか学歴とか……そんな事を抜きにして……私は、この人の事を……好きになってしまう。


 それは私からすれば……彼の言葉は……仕事を辞め、僕と結婚してくれと言ってるのと同じだ。

 もう私は……決めなければならない。


 教員としての仕事の生活か……それとも、二人で歩む、素敵な結婚生活か。

 一人の“女”としての幸せか……一人の“教師”としての幸せか……その、どちらかを。


 ―――私は………………


※分岐:教師編と結婚編があります


「もう少しだけ……歩きませんか?」

 彼の言葉から逃げ出すように、私は立ち上がった。



「………ふつつかな女ですが、それでも宜しいのでしたら、よろしくお願いします……」

 私は、彼の言葉にそっと頷いた……。