教室内にもだいぶ人が増えてきた。もうすぐ朝のホームルームだ。

窓から差し込む朝の日差しを眺めて眠気を覚ましていると、教室後方の集団が視界に入った。
平沢さんの席を中心にして、軽音楽部の面々及び真鍋さんが談笑している。


軽音楽部を見ていると、全くもって理解に苦しむ。秩序も統制も何もない。

平沢さんや田井中さんは言わずもがなとして、
幼馴染みのよしみとはいえ、秋山さんが田井中さんとつるんでいる理由もわからないし、
琴吹さんはこんな交友関係で家格に傷が付くとは思わないのか。
真鍋さんも平沢さんのようなお気楽極楽で自堕落な人間のどこがいいのだろう。



そんな理解不能な連中がこの上なく疎ましく、嘆かわしく、


そして、この上なく妬ましく、羨ましかった。



私はクラスでは特段好かれも嫌われもしていない。
が、その立場を保つためにどれほど汲々としていることだろう。
“オンナノコの世界”とやらは、無用な暗黙の了解が多すぎる。

朝からまた溜め息をつきたくなる。


強い朝日が窓から差し込んでいるせいなのか、秋山さんのつややかな黒髪は、
いつもより明るい色をしているように見える。


秋山さんと一瞬目が合った。

私とそっくりなのに、なぜこうも違う境遇なのだろう。
心中を見透かされているような気がして、黒板に視線を逃がすと、予鈴が鳴る。




ほどなく、朝のホームルームが始まった。山中先生が連絡事項を伝達する。


 「…それと、来週は月曜が祝日なので、水曜に月曜の時間割で授業をします。
  教科書や宿題を忘れないよう、各自メモしておいてね」


このハッピーマンデーとやらのせいで、時間割が変則的になるのは煩わしい。
連休だろうが単発休日だろうが、私には関係はない。

もちろん、休日はありがたいことだ。

些末な人間関係に煩わされずに、喜ばしき知識に親しむことができる。
休日でありさえすれば、家の土蔵にある古書を読みふけることができるのだから。


そんなことを思いながら、時間割変更をメモしようとする。
手帳を押さえ、シャープペンを持つ。と、手が止まる。


 (字が、書けない?)


力を込めたペン先がぶるぶると震える。ほんの数秒だったが、長く感じた。
が、そのとまどいの後、あっさりと問題は解決した。

まったく馬鹿馬鹿しいことだ。まだ寝ぼけているのかもしれない。


 「…左手で書けるわけないじゃない」


無意識に独りごちて、ペンを持つ手を握り替える。


そうして右手にペンを握った瞬間、視界の右端に、
同じようにペンを握り替える秋山さんの姿が映った。
彼女は、右手から左手にペンを握り替えると、呟いた。


 「私が左利きだったな」


そう言って、彼女が私のことを横目でちらと見遣ったような気がした。


 (私“が”左利き? 私“が”? “が”? “が”?)


その何気ない一言で、体内の血液全てが一瞬にして水銀に置き換わったような衝撃を受ける。
瞳孔が極限まで収縮し、また散大する。
汗腺という汗腺から汗が噴き出し、動悸が激しくなる。


突如、私は秋山さんに掴みかからねばという衝動に駆られ、
席から腰を浮かそうとするが、目眩がして崩れ落ちる。

床に頭を打ち付けるかという、すんでの所で秋山さんに支えられる。
山中先生が駆け寄る。クラスは騒然となる。


 「高橋さん!どうしたの?大丈夫!?」

 「は、はい…」


私はそう答えるのが精一杯だった。
前方から寄ってきた田井中さんが遠慮がちに言う。


 「高橋さん、朝も机に伏せてたし、席も間違えてたし、体調悪いんじゃ…」

 「私、このまま高橋さんを保健室に連れて行きます。しばらく安静にしたほうが」

 「それがいいわね…。じゃあ秋山さんお願いね。他の人は席に戻って」


山中先生に促され、教室はようやく平穏を取り戻す。
私は秋山さんに支えられて、教室を後にした。




──廊下

板張りの廊下に、上履きの抑揚のない足音がひたひたと響く。
なぜ、秋山さんに掴みかかろうとしたのか、自分でも分からない。
私の体はかすかに震えている。

秋山さんが口を開く。


 「風邪なのか?」

 「ううん、熱はないわ」


さらに秋山さんが視線を前方に泳がせたまま問う。


 「……………ムギから私宛ての手紙、覚えてるか?」

 「いつの手紙のこと?」

 「いや、分からないならいいんだ」


質問の意図がつかめなかった私の反問に対して、秋山さんは答えない。

そのまま、保健室まで一言も交わさぬまま、私たちは歩いた。
保健室までの道のりが、恐ろしく長く感じられた。





──保健室

秋山さんがドアをノックする。


 「失礼します。って、先生いないな。今日は出張みたいだ」

 「勝手に使っちゃっていいのかな…」

 「大丈夫だろ。体調が悪くて休ませてもらうだけだし」


誰もいない保健室に着くと、私は秋山さんに促されてベッドに横たわる。
朝の白く鋭い日差しは、ベッドの周りのカーテンによって和らげられる。
横たわる私の上に、秋山さんが掛け布団を掛けてくれる。


 「秋山さんごめんね。手間かけちゃって」






 「………………本当に手間だよ。しらばっくれちゃってさ。なめてるのか?」






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