授業中に時折、こんな手紙のやりとりがある。
けだるい午後の何気ない一コマ。

左隣の高橋さんから囁かれて受け取った手紙には、


 『明日の朝早く、誰もいないうちに教室に来て。
  理由は聞かないで。詳しくはそのとき話します。』


とだけ書かれていた。

左やや後方に視線を向けると、ムギは素知らぬ顔で普段通り授業を受けている。
受け渡しをした高橋さんも同様だ。

ふむ、これは何かよほど大事な相談があるのだろう。
ここで返信するのは無粋というものだ。

私も同じように、普段通り授業を受けた。



放課後も、いつものように軽音部ではティータイム。

私も半ば呆れつつ、雑談の輪に加わる。

ムギが紅茶を淹れてくれる。
唯がお菓子にがっつく。
梓が練習しようと急かす。
律がはしゃぐ。
私が律のデコを叩く。

ティータイムの後、申し訳程度に練習をする。
こうして、今日という時間も、いつものように過ぎ去った。

部活中も、私は手紙のことには触れなかった。

部活後、律にだけ、明朝は所用で一緒に登校できないことを伝えておいた。




──翌朝


校門が開いてまだ間もない、いまだ人気のない昇降口。
下駄箱を開け閉めする音がやけに大きく聞こえる。

靴を上履きに履き替えて床を爪先で叩きながら、

 「話って何だろうな…相当重要な話なんだろうけど」

と、独り言を呟きつつ、まさか告白されたりしないよなあ、などと苦笑する。



意を決して教室に入ると、誰もいない。

いきなり背後から驚かされたりしては心臓に悪い。
周囲を見回しつつ、恐る恐る声を出す。

 「おい、ムギ?いないのか?」

しかし、返事はなく、静寂が答えるのみだった。
少し早く来すぎたのかもしれないな、と、独り合点する。

ひとまず、自分の席に荷物を置いて腰掛けようとすると、机の上にある何かが光った。



 「眼鏡…」

シンプルでオーソドックスな眼鏡。洒落っ気はないが、野暮ったい感じもない。
黒っぽく細いチタンフレームで、掛け心地はよさそうだ。

だがレンズの向こう側の像が大きくゆがむところを見ると、
レンズは薄いが、向こう側の景色が縮んで見えるので、度はかなり強いことを伺わせる。

おそらく、隣の高橋さんが間違えて私の席に置いてしまったのだろう。
ということは、高橋さんももう登校しているということか。

でも、眼鏡を置いたままどこに行ったのだろう。


ふと、イタズラ心が脳裏をかすめた。

 「か、掛けてみちゃおうかな。ちょっとだけ…」

同じクラスになってからというもの、私と高橋さんはそっくりだとよく言われる。
席が隣ということもあり、しばしばからかわれるのだが、実際どのくらい似ているのだろう?

好奇心にかられ、私は鞄から手鏡を取り出すと、その眼鏡を掛けてみた。眼鏡の度で視界が歪む。


…なるほど、手鏡に映る像は確かにそっくりだ。他人のそら似とはよく言ったものだ。

高橋さんがドッペルゲンガー呼ばわりされてしまうのも頷ける。


 「度が強すぎるな。気持ち悪くなる前に外そう…」


そう思って眼鏡のツルに手を掛けた瞬間。

強烈な頭痛。

視界はさらに激しく歪む。

異変と危険を察知した私は、眼鏡を必死に外そうとする。
しかし、眼鏡は肌に癒着したかのごとく、外れない。

呼吸がままならなくなる。

左右のこめかみを万力で締め上げられるような激痛。

同時に、全身の血が脳内に充満してくるような圧迫感。


 「ぐ……ぁッ……!」


私は、叫びにならない叫びを上げて意識を失う。
その刹那、手鏡の中の私の顔が、かすかに嘲笑を浮かべた気がした。





… ……

……橋…!……さん!おーい!寝たら死ぬぞ~!衛生兵っ!衛生兵~っ!」


うるさい。しつこい。

肩を激しく揺さぶられて、たたき起こされる。

どうやら朝から居眠りしてしまったらしい。
ぼんやりとした意識のまま、眼鏡を直しつつ顔を上げる。

聞き慣れたはずの声に、見慣れたはずの額とカチューシャ。


 「…ああ、田井中さん、おはよう」

 「ここは澪の席だぜ?いくらメガネ澪だからって席まで一緒じゃ困るなぁ」


努めて穏やかな表情を保とうとするが、こういうガサツでやかましい人種は正直好かない。
だが、田井中さんの名を呼んだとき違和感を覚えたのは何故だろう。


すると、秋山さんが教室に入ってきた。


 「朝っぱらからうるさいぞ、律」

 「うお!本体のお出ましだ。『フッ、それは残像だ』とか言わないの?」

 「ふざけるなって!」

 「ところで今日はなんで早く登校したの?」

 「ちょっと早めに来て自主練してた。誰かさんのせいで最近おろそかだしな~」

 「スミマセンデス!」


秋山さんが田井中さんと掛け合い漫才のように話している間に、
私も、そそくさと隣にある自分の席に戻る。


秋山さんが自席に近付いてきて、私に話し掛ける。


 「おはよう高橋さん。ごめんな。いつもうるさくて」

 「大丈夫よ。気にしてないから」


気にしていても言えるわけないのに。溜め息が混じりそうになるのをごまかす。
それに気にしてはいないというのは嘘ではない。気に食わないし気に入らないけれど。
このくらいで目くじらを立てていたら私の狭量さが知られてしまう。

席に座った秋山さんが不思議そうにつぶやくと、田井中さんが応じる。


 「ん? なんか席が温かいな」

 「澪2号さんが秀吉ばりに席を暖めておいてくれたようでーす!」


メガネ澪だの澪2号だの言わないで。私にはちゃんとした名前があるの。


高橋風子という名前が。


そう内心で反感を抱きつつも、言い返せない自分にも腹が立った。



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