【作者(和ちゃんでなくうp主のほう)の戯れ言】


ご閲覧、深謝いたします。

本SSは、『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史』(山本茂実 著 1968年初版)を元にしております。

内容は、大体(半分程度)において上記原著のとおりですが、

一部、時系列等を組み替え、変更しております。

興味のある方は、原著をお読み下さい。

『女工哀史』(細井和喜蔵 著 1925年初版)も有名ではありますが、
本書の方が、工女のつらい生活のみならず、製糸家の苦労、近代日本の辛酸を知る上で、
より興味深く読めるのではないかと思います。


そして、私は、『放課後ティータイムⅡアルバム』にて、
りっちゃんがいみじくも喝破したことを服膺します。

りっちゃんが宣わく、

 「つまり、放課後ティータイムっていうのはなぁ、
    今を生きる高校生のロックスピリッツを、
    熱ぅ~く、激しぃ~く表現するロックバンド、っつうかさぁ」と。

(その後、澪ちゃんに「いいこと言おうとしてるだろ?」とたしなめられていましたが)

糸引き唄もまた、近代日本を生きた工女たちの魂の叫びを、
熱く激しく表現したものであった、
そのように感ぜられる次第であります。


なぜ、『けいおん!』と『あゝ野麦峠 ある製糸工女哀史』を
クロスさせたかと言いますと、
(クロスと言えるのかさえよくわかりませんが)

もちろんタイトルの駄洒落もありますが、
10代の女性中心で、歌があり、資本家も居て庶民も居て、
青春群像劇として相互の親和性も比較的高いと考えたことによります。

そして何より、前述の通り、糸引き唄はある種のロックスピリッツの発露という観点から、
これを再評価し、両者を統合出来るのではないか、
そのように考えたためでもあります。

不快の念を抱いた方もおいでかと思いますが、その点は何卒ご容赦願います。


ところで、今般、このようなSSを投下したわけですが、
スレタイ自体は一発ネタとしてかなり前から浮かんでおりました。

では、なぜその機会が今なのか。
その理由として、一つはけいおんの原作が再開するやに報ぜられたことであります。
しかし、もう一つ、大きな理由がございます。

同アルバムにおいて、りっちゃんは、
唯ちゃんとの問答に、このように答えていらっしゃいます。


「では、部長のりっちゃん、あなたにとって、放課後とは?」

「そうだなぁ……“人生の無駄遣い”、かな?」


過日の大地震、私の家はせいぜい壁がひび割れたり瓦が落ちる程度でしたが、
同時に、私が今こうして命拾いをし、
“無駄遣いをも享受しうる人生”が今もこうして存在することに対して、
えもいわれぬ感慨を抱かざるを得ません。

すでに私は「放課後」を享受できる年齢ではありせんが、「人生」を享受するにあたり、
如何とも形容しがたい感情が、久方ぶりに、私に筆を執らせたのでありましょう。


同アルバムにおいて、ムギちゃんが、

「この時間も録音しておかない?」と仰っておりました。

山本茂実氏は工女らの苦境を、資本家の苦闘を、日本の近代の苦悶を記録しました。

私たちの周囲では、いまだ日常とはほど遠い事態が進行してはおりますが、そんな中においても、
私という名も無き一個人が、現代の何気ない日常と、いにしえの名も無き人々の日常を、
僅かなりとも橋渡しすることができれば、望外の喜びです。


本編及び本件戯れ言を含め、乱筆乱文、失礼いたしました。

皆さまのご健勝を祈念しつつ、結びに代えさせていただきます。

ありがとうございました。

最終更新:2011年12月15日 00:09