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純「あれ? カップひとつ多くない?」

 ひいふうみい、と純がカップを数える。
 確かに一つ多い。部室には今、私と憂と純しか居ない。
  テーブルには淹れたての紅茶の入ったカップが四つ用意されている。 

憂「あっ、ごめん……間違えちゃった」

 ばつが悪そうに憂が謝ると純が妙に慌てて「私が二杯飲むからだいじょうぶ」と言った。
 あえて指摘する気は無いけれど、「二杯飲めてラッキー」などと心の中では思っているのかもしれない。 

 純は目の前に置かれた二つのカップに息を吹きかけて、同時に冷まそうとしている。

 対して私は、まだ湯気の立っているカップは熱そうだな、と思って手をつけなかった。


 少し経って、純が一杯目の紅茶を飲み終えた頃、背後で扉の開閉する音がした。
 顧問のさわ子先生がやってきたようだ。
 挨拶とともににいつもの席にどっかりと座って、憂にお茶を要求した。
 だけど私は憂に新しいお茶を淹れさせることが何となく忍びなかったので、
 さわ子先生の目の前にまだ手をつけていなかった自分のカップを置いた。
 少し冷めており淹れたてのおいしさは無いが、さわ子先生はたぶん、お茶さえ飲めればなんでもいいだろう。
 予想通りさわ子先生は、あら、と少し驚いてから、渡したお茶を手に取った。
 さわ子先生もタイミングが悪い。もう少し早ければいれたてのお茶が全員に当たったのに。

さわ子「……そういえばもう、一週間経つわね」

 お茶を啜りながらさわ子先生がぽつりと言った。
 そうか、そろそろ新学期が始まってから一週間ほどたったらしい、最近は忙しくて日にちの感覚がぼやけていた。
 さわ子先生は未だ新入部員のいないこの部室の状況を憂いているようだ。


純「まだ、一週間ですよ」

 その通り、まだ、だ。まだ部活を決めていない新入生もいるだろう。
 新歓ライブは私の失敗で見学者があまり来てくれなかったけれど、
 部の存続のために、これから何とかしなくちゃいけない。 

さわ子「そうね、これからどうなるかわからないけど、けいおん部を廃部にしないように、がんばりましょう」

 けいおん部は私のオアシスなんだから、と付け足して、さわ子先生は紅茶を豪快に呷った。ロックンロールだ。

さわ子「ああ、そうそう、憂ちゃんは知ってると思うけど、今日はOGの子たち……唯ちゃんたちが来ることになってるから、よろしくね」

純「え? ほんとですか?」

 純と一緒に私は驚いた、来るなら教えてくれればいいのに。先輩たちも薄情だ、とほんの少しだけ思う。

さわ子「あと三十分もしたら来るかしら、……四人ともあなた達を心配しているわ、しっかりした姿を見せなさい」

 はい、と全員で返事をすると、さわ子先生は頷いて紅茶のおかわりを要求した。

 心配している、とは部員の人数のことだろう。
 新生けいおん部、活動の第一歩とも言える新入部員の獲得で先輩たちに心配されるとは。 
 けいおん部の部長という肩書きを律先輩から引き継いだというのに、なかなか上手くいかない。
 自分の情けなさについため息をついてしまう。いけない。暗い雰囲気の部活に入りたい新入生などいるものか。
 吐いた分だけ息を吸って、気合をいれた。がんばらなくちゃ。

純「がんばろう、憂」

憂「そうだよね、がんばらなくちゃっ」

 純と憂も手を取り合って互いを激励しあっている。
 そうだ、三人で支えあっていかなければ。私も立ち上がって二人の元へ歩み寄ってその手を取った。

 取ろうとした。

 しかしあり得ないことが起きた、私の手が二人の手をすり抜けていった。何が起きたのかわからなかった。
 ただ手が届かなかっただけだと思ってもう一度手を差し出した。しかし再び手はあっけなく二人の重ねた手をすり抜けていった。

 あれ?おかしいな。

 憂の顔を見る。憂は純の手を握ってどこかぎこちなく笑っている。
 純の顔を見る。純は何か憂に話しかけているが何を言っているか聞き取れなかった。

 やがて二人の顔がぼやけてきた。
 視界が押しつぶされるように上からぢかぢか黒く光ってああ多分これは立ち眩みだと思った。
 頭もガンガン痛くて倒れてしまいそうだった。 
 そうか立ち眩み、立ち眩みのせいで距離感が掴めなくなっていたのか、
 視界もぼやけていたのか、ならもう一度、いや今度はもう倒れそうなついでに憂と純に向かって倒れこんでしまおう―― 

 ――どさり。

 私の身体は憂と純二人の身体をすり抜けて倒れこんだ。
 今度ははっきりと見えた。
 広げた右腕が憂の左肩をつきぬけ純の右肩を掴もうとした左手がまるで煙を撫でたかのように空振りした様子が視界の端に映った。
 私の胸を二人の結ばれた腕が裂いていくのも見えた。
 だというのに二人は私のほうを見もしない。
 私は透明人間にでもなってしまったのだろうか、SFじゃあるまいし。ちょっと異常すぎる事態だ。依然頭は痛いし。

 さわ子先生を見るとカップをひとまず置いて憂と純をみていた。私ではない。
 誰もこの異常事態に気づいていない。やはり私のことは誰にも見えていないようだ。

「こ、こんにちはー……」

 不意に声が聞こえて、扉のほうを見る。もう先輩たちが来たのかと思い振り向いたが、
 そこには入部希望らしき子がドアを開けて恐る恐る顔を出していた。 

純「おっ、こんにちは! 入部希望かな?」

 純がその子に駆け寄る。その進行方向に私がいた。
 後頭部を突き抜けてきた純のつま先が私の眉間から抜けそのまま靴の縁が両目を切り裂いていく。
 私は思わず悲鳴を上げる。

憂「歓迎するよー、そこに座って座ってー」

 うずくまる私に追い討ちをかけるように憂が私の頭を踏み抜いたらしく視界が真っ暗になる。
 とっさに起き上がると私の頭が憂の太ももをすり抜けて、私はそのまま部室の隅までほとんど這うようにして逃げた。

 錯乱してしまうには十分すぎる光景を散々見てやっと我に返ってああこれは夢だと思う。
 たちの悪い夢だと。ためしに腕をつねってみる。痛くない。 
 やっぱりと思うけど頭のほうはもう早鐘を打たれているかのようにドクドク痛くなっていくし
 夢の外の私はひどい頭痛で寝込んでいるのかもしれない。 

 こんな状態のわたしをあろう事か無視して行われる体験入部を傍目にみて
 仲間はずれにされているような寂しさを覚えるがこれは夢だから仕方ないと割り切る。 
 コレは怖い夢だ。
 背骨が氷になってしまったかのようにぞっとして身体を冷やして恐怖心が私の体を縛る。
 そして頭痛がひどくなる、頭が何度も固いものに打ち付けられているような鈍くて重い痛みだ。
 よろめいて倒れそうになるのを、膝をついてなんとか堪える。
 早く目が醒めてくれないかなとかそんなふうに思うけれど
 そんなものは憂と純に囲まれてソファに座る新入生のその白く美しい肌と綺麗な碧眼を斎藤菫のそれだと認識した瞬間に
 一瞬で掻き消えて思い出したくもない恐怖いっぱいの最悪な一部始終がフラッシュバックする。 

――――
――――――

 放課後。私は斎藤菫に屋上に呼び出されていた。一人で待っているとしばらくして彼女がやってくる。
 逆光でいまいち表情は見えなかったがどうも様子がおかしい。
 「どうしたの?」と声をかけたが無視される。
 手を伸ばせば届く距離まで斎藤菫が近づく。そこまで近づいてやっと彼女が怖い顔をしていることに気づいた。
 その虚ろで何も映らないような瞳と目があってゾッとする。不意に彼女の両腕が私に向かって伸びる。
 服の襟を掴まれ抵抗する間もなくそのまま驚くべき力で首を締め上げられた。視界が横に振れ傍らの柵に強く頭を打ち付けられる。
 痛みを感じてようやく狂気に触れていることに気づく。首にかけられた手を外そうと試みるが力が入らない。
 膝を菫の腹に入れる。菫は一瞬だけ怯んで首にかかる力が緩む。
 手首を掴んで振りほどこうと試みる――解けた!
 けれど掴んだ腕を振り回されて私の身体は呆気なく床に転がる。
 立ち上がる暇もなく追い打ちをかけられ後頭部に踵が浴びせられる、ガンッガンッガンッ……、
 斎藤菫の興奮した呼吸が荒くなるに連れ鈍い痛みが激しくやってくるようになる。 
 うずくまって無抵抗で蹴りを受けつづけやがて私も痛みを感じなくなってきた。
 意識がぼやけてきて頭から血が流れてきたことにやっと気づく。感覚はもう手放したはずなのにその血の熱さだけがわかる。 
 強く頭を蹴りあげられ私は転がって仰向けになる。どうして斎藤菫は私を殺そうとしているのか。
 全くわからない。
 斎藤菫の左足が上がって私の顔面に踏み潰すまでの一瞬だけ考えてみようとしたけれどその思考回路ごと踏み潰されて私は意識を失った。 

――――――
――――



 頭が狂うほどのこの痛みにも覚えがある。これは生前の痛みを引き継いでいるんだ。

 怒りがふつふつと沸いて来る。

 私のけいおん部なのになんでソファの真ん中で笑っているのが私を殺した斎藤菫なんだ、ふざけるな。
 憂も純も私の親友でしょなのになんで斎藤菫と一緒に笑っているの。
 怒りに任せて壁を殴ると確かに部室内に音が響いた。
 全員目を剥いてこちらを見たからもう一度今度はガリガリガリガリ爪を立てて壁をひっかいた。
 純が立ち上がってこっちへやってくる。私は純が気づいてくれたことが嬉しくて少し頭の痛みも和らぐ。 
 純は私の味方だと思った、だから許そう。憂は?なんでこっちにこないの?急かすようにもう一度壁を殴った。
 間近で音がなったからか純が驚く、ごめんね純。
 いよいよ怪しいと思ったのかさわ子先生も憂も私の元へやって来た。
 斎藤菫はソファに一人置き去りだ、何かに感づいたのか青ざめている。
 私は音を立てた壁に三人を残し斎藤菫の元へ近づく。
 私がそうされたように首を掴んでソファのアームレストの部分に打ち付けてやろうと思うがやめる。
 今部室で怪我人がでたら迷惑だしもしも「中野梓の霊がいたいけな新入生を呪った」などという馬鹿な噂が流れでもしたら
 私の仏前に手向けられる花も無くなってしまうかも知れない。それは寂しいし。 
 なんて馬鹿なことを考える余裕も出来てきたから耳元でそれっぽい呪詛を吐きながら菫のカップを傾けてあげる悪戯をしてあげた。
 殺人に比べれば可愛すぎるものだ。 

菫「きゃあぁああっついッ!」

 菫が悲鳴をあげるのが私は嬉しくて危うく成仏しかける。
 痛みを完全に忘れて沈みかけた太陽の光の暖かさをじっくりと感じて一仕事したーとか思う。 
 この調子で私を殺したこの女を地獄の底から追い詰めてやろうと決意した。
 壁を見ていた三人も菫がお茶をぶちまけたことに気づいて「大丈夫ー?」とか言いながら戻ってきた。



純「火傷しなかった?スミーレ、震えてるよ?」

憂「ハンカチ水で濡らしてきたよ、こぼしたとこに当てて当てて」

菫「大丈夫です……ごめんなさい、なんだか体調悪くなったので、帰らせてもらいますね……」

 斎藤菫は本当に気分が悪そうに立ち上がって出口に向かう。憂と純が心配そうな顔をする。私はそんな二人がまた少し気に入らないが仕方ない。

菫「じゃあ……お疲れさまでした……」

憂「うん、また来てね……」

純「何度も言うけど部員不足で困ってるから、初心者でも入部してくれたら大助かりなんだ。よかったら、またね」

菫「はい、では……」

 斎藤菫がドアノブに手をかける。すると菫が手首を捻る前にドアノブが回った。菫は過敏になっているのかそれだけで短い悲鳴を上げて手を離した。


 扉の向こうに誰かがいるらしい。多分先輩達だ。
 そのままドアが開く。私は斎藤菫のことなんかどうでもよくなる。どうしよう。私は死んでしまってる。先輩達に会わす顔が、文字通りない。

唯「こんにちはー……あっと、新入部員かな?」

 扉をあけたのは唯先輩だった。目が少しはれているのをみて、私は心苦しくなる。

菫「あ、あの……」

憂「あ、お姉ちゃん、その子は体験入部にきた斎藤菫ちゃんだよ。体調悪いみたいで、今帰るとこだったんだけど」

紬「え?菫ちゃん?」

菫「あ、紬お嬢様!? あのっ、私、失礼します!」

 紬お嬢様?ムギ先輩の親の会社の関係で知り合いか何かなのだろうか。
 唯先輩が「知り合いなの?」と質問したがムギ先輩は曖昧に返答してお茶を濁した。 
 律先輩と澪先輩も部室に入る。二人ともさわ子先生に会釈して、それから部室を見回した。

律「久しぶりの部室だなー」

澪「……そう、だな」

 私のいない部室をみて先輩達はどんなことを思うんだろう。
 目元をみると律先輩以外は、全員目が赤くなっていた。
 私が殺されてから一週間立つらしいし、周りも落ち着きを取り戻した頃を狙ってに訪問してきたのだろう。
 どうやら、皆さんも「まだ、一週間」だと思ってくれているみたいだ。嬉しく思う。

 それから少しの沈黙があった。恐らくそれぞれ思うことがあるのだろう。
 誰もこんな形でまた部室に来ることになるだなんて思っていなかっただろうから。私はその沈黙が苦しかった。申し訳なかった。 

 その沈黙を破ったのは律先輩だった。多分その発言は皆にとって周知の事だったのかもしれない、何気なく言っただけなんだろう。

 だけどその言葉は私を本当の地獄のどん底に突き落とすどんな放送禁止用語をも超える悪魔の囁きに等しいものだった。
















「それにしても梓……自殺って、そりゃないよなぁ」





"梓「hidden」" おしまい。