すっかり陽が落ちた頃に二人がようやくたどり着いた家は
旧くそして大きなお屋敷でした。
長く高い土塀がまるで何かを覆い隠すように、屋敷を囲い込んでいます。

梓「わあずいぶん大きな家だね」

純「大きいだけだけどね、古いしカビ臭いし」

純「廊下もさぐねぐね長くて馴れないとマジで迷子になるから気を付けてよ」


梓「この家に何人で住んでるの?」

純「ん?おばあちゃんとお手伝いの人だけだよ」

梓「え?それだけで?こんなに広いのにお掃除とか大変でしょ?」

純「そのへんはまあ色々と村の人達が入れ替わり面倒見てくれるからさ」

梓「へえ、田舎ってそんな風になってるんだ」

純「まあ色々とね」

梓「色々って?」

純「それは……まあいいじゃん、大したことじゃないよ」

梓「ふうん」

純の祖母に挨拶を済ませた後、長い廊下を幾度も曲がり
梓が通された部屋は離れの一角にある畳の間でした。


純「梓ースイカ食べるー?」

梓「私はもういいよ」

純「じゃあ梓の分も食べちゃうねー」

梓「純お風呂上りにカキ氷いっぱい食べてたくせに」

純「甘いものは別腹ー」

梓「かき氷も甘いでしょ、寝る前に冷たいもの食べるとお腹壊すよ」

純「ん、平気平気……」シャクシャク


梓「太るよ」

純「んあーそれは困るなー」シャクシャク

純「そう言えばお風呂どうだった?シャワーも無くて、使いにくかったでしょ」

梓「そんなことないよ、木のお風呂なんて初めてだから面白かったよ」

純「来て後悔してたりしない?」

梓「してないよそんなの」

純「ほんとにー?」

梓「ほんとほんと」

純「ならいいけどさー、この家陰気だしちょっと怖いでしょ」

梓「まあそれは……うん、ちょっと、ね」

純「だよねー、ひとりで寝るの怖いよ~」

梓「えっ、ひとりで?純と一緒じゃないの?」

純「私はおばあちゃんと寝るんだよね」

梓「そんなぁ……」

純「ふふふ……う、そ」

梓「……なによもぉ……」

純「ごめんごめん、なんなら同じ布団で抱き合って寝てもいいよ?」

梓「それは遠慮します」

純「あーずにゃーん!」ギュッ

梓「こ、こらあっ」


ゆったりと時間が過ぎて行きました。

純「じゃあ歯も磨いたし寝ようか、もう11時だし」

梓「まだ早いんじゃない?」

純「母屋の方はもう寝ちゃってるし、今日は早く寝る日だから」

梓「そう言えば挨拶した時におばあさんもそんな事言ってたね、やっぱり純も気にしてるんだ」

純「ち、違うけどさ、ほら郷に入ればとか言うじゃん、ほらお布団敷くよ」

梓「そうだ、ねえ、メール受信したいんだけど、電波届くところってどこかな」

純「えっ?このうちの中は……」

梓「ないの?」

純「うーん、ないことはないんだけど今夜はねえ」

梓「そうかあ……」

純「梓、唯先輩のこと心配なんだ」

梓「そういうんじゃないんだけどさ……」

純「あーもう、ちょっとは素直になりなよ、心配なんでしょ?」

梓「……うん」

純「もう仕方ないなあ……ちょっと携帯貸して、受信してきてあげる」

梓「ほんと?じゃあ私も」

純「梓はダメ、ほんとは怒られるんだよ」

梓「そんな……だったら諦めるよ」

純「いいから貸して、せっかく梓が付いて来てくれたんだから、この位サービスしなきゃ」

梓「……いいの?」

純「まかせなさいって」

純「そうだ、言っとくけど梓は絶対に出てきちゃダメだよ、夜は余計に迷うからね」

純「よっ、と」

 ガタガタッ

純「ホントは私もトイレ行きたかったんだよね、へへっ、すぐ帰ってくるから」

 ガタ……ピシャ 

そう言って純は建付けの悪い襖を開け部屋を出ていきました。

しかしすぐ帰るといったはずの純は10分待てど20分待てど
一向に帰って来る様子がありません。

30分……純は帰ってきません。
そして40分を過ぎた頃には梓はすっかり心細くなっていました。


梓「遅すぎるよ……」

梓「そうだトイレ行くって言ってたけど、まさか本当にお腹壊して苦しんでるのかも」

梓「冷たいものいっぱい食べてたし」

梓「心配だなあ……」

梓「ちょっとだけ様子見てこよう、迷いそうになったら引き返せばいいんだし

梓「よっ……と」

ガタッ

とうとう梓は廊下へ出てしまいました。

梓「こっちかな……ええと私達の部屋があそこだから……あれ?」

10歩ほど歩いて振り返って見ましたが、今出てきた部屋の位置がわかりません。
廊下には同じ柄の襖戸が幾つも並んでいたのです

梓「まああの辺だよね、部屋の前の廊下さえ覚えてれば大丈夫」

梓「確かトイレは……こっちか」


どの廊下も全く同じ造りです。
夕食前に何とか覚えたはずの道筋も、夜となってはまた全然違って見えました。
灯りと言えば曲がり角ごとのボウッっとした電球のみです。


  ぎっ  ぎっ  ぎっ


梓は足音を抑えて歩くのですが、床板の軋む音が矢鱈と響きます。

梓「何でこんな入り組んでるんだろ……

梓「昔のお城みたいに侵入者避けなのかな」


  ぎっ  ぎっ  ぎっ


  『ぁ……』


梓「あれ?なんだろ?」


  『うっん……』


廊下を左へ曲がった途端、微かな声が耳に届きました。


  『はぁっ……ぅ』


梓「これ……純の声だ」



声が聞こえてくるのは廊下の奥のほうからです。

梓「どこ?」

その声を頼りに進んでいくと、
長く続く壁に頑丈そうな木の扉が一つぽつんと付いていました。

声はどうやらこの中から聞こえてきます。

梓「ここもトイレなのかな」


  ぴちゃ……ぴちゃ……


  『んんっ……あっ、ああっあああっ!』


  『はぁはぁ……んひぃ……』


苦しそうで聞き取りにくいけれど、確かに純の声です。

梓「やっぱりお腹壊してたんだ……」

梓「純、大丈夫?」


  『ぐぅ!』   がたんっ!


梓「どうしたの純?」

  ……

梓「お腹痛いんでしょ?だから言ったのに」

  ……


 『……だい……じょうぶ』

梓「ほんとに?薬持ってこようか?」


 『まって……』


梓「なに?」


 『そこに、いて……』


梓「え、でも……」


 『そこに、いて……』



梓「わかった、ここで待ってるよ」


そうして梓は扉から少し離れた窓際の床に腰をおろしたのです。

真夏というのにひんやりと冷たい板貼りの床
そこにじっと腰を下ろしていると、
自分もこの古い家と同化して朽ちていくような気がします。

梓は窓ガラスを伝う雨の雫をぼんやりと見つめていました。


  ぴちゃ……ぴちゃ……


  ぐちゅぅ

  『あっ……ああんっ』 


  ぴちゃん……ぴちゃん……  


  『んはあぁぁぁっ……ひぃっ…ぐぅぅ」


梓「なんか純の声、色っぽいな……」

そう思うと余計に艶かしく感じられ
梓は少し頬を赤らめたりしてしまうのでした。


  ぴちゃん……


             ぴちゃん……  

梓「ふぅ……」

梓「唯先輩……今頃」


             ぴちゃん……


  ぴちゃん……  


梓は目を閉じ気になる先輩の顔を思い浮かべました

今度会った時もあの無垢な笑顔で呼びかけてくれるのでしょうか
彼女はまた抱きついてくるのでしょうか
そして、その時もまたきっと自分は迷惑そうな顔をしてしまうのです。

梓(私ももっと素直にならなくちゃ)

梓(もし私から抱きついたら、あのひとどんな顔するんだろ)

思わず唇に笑みが浮かびます。


  ミシッ     ミシッ


  ギ……ギィ……


何か軋むような物音に梓は我に帰りました。

気が付くと純の声が聞こえなくなっています

梓「純……?」

梓は腰を上げ、少し扉に近づきました。

先の音はその木の扉が開く音だったのでしょう

梓「純……?」

ぞくぞくっと、
背筋に冷たいものが走りました

梓「あれは……」

  視線-----

少しだけ開いたその隙間から、何かがこちらを伺っています。


梓「じゅ、純……だよね」

返事はありません。

全身総毛立つものを感じながらも、梓は眼を逸らすことが出来ませんでした。
逸らした途端何か、おぞましいものが飛び出してきそうな気がしたのです。



どの位そうしていたでしょうか、視線がふっと消えるのが判りました。

ほうっと安堵の溜息をついた次の瞬間

それはすうっ……と伸びてきました。

それ、そう

真っ白い腕


  『おいで……』

梓「ひゃっ!」

  ドスンッ

梓は思わず声を出し、尻餅をついてしまいました。



  『……おいで……』

白く細い腕、その手がひらひらと手招きをしています


  『おいで……』

梓「じ、じゅん?純なの?」

  ひら   ひら

梓「そういうのやめよ……ねっ」


  『おいで……』


  『……おいで……』


そして梓は気が付いたのです。

梓「……違う」


梓「純じゃない……純はそんな手じゃ……」


純の腕などではありえない真っ白い腕は、手招きを繰り返します


    ひら  ひら  


   『あずさ……おいで……』   


梓「いやだ……いや」

梓「な、なんで私の名前知ってるのよぉ……」


   『おいで……あずさ……』

    ひら  ひら  


梓「逃げなきゃ……」

後退りして立ち上がった梓は、一気に踵を返し廊下を走り出しました。

ダダッ ダダダダダッ





ぎい……    ビタンッ

       ひたひたひたひたひたひた     



       ひたひたひたひたひたひた     


梓「なにこれ?足音?」

何かが後ろから付いてくるのです。


梓「追いかけて……来てる!」





       ひたひたひたひたひたひた     
        ひたひたひたひたひたひた            


梓「なに?なんなのよもうっ!!」

梓は暗い廊下を夢中で走りました
恐怖で足が縺れ何度も転びそうになるのを堪えながら。