6番手:◆MPy9nxtvXs

  梓「田舎に泊まろう」



……

……

あれ?


ええっと……


……なんだったっけ……

……


……お腹減ったなぁ


……




梓は窓ガラスを伝う雫をぼんやりと見つめていました。

宵口から降りだした雨
その雨脚は夜半を過ぎても強くなるわけでも弱まるわけでもなく
しとしとと陰鬱に降り続いています。

そこは暗く長い廊下。
旧い日本民家独特の湿った土と木の匂いが辺りを満たしていました。


真夏というのにひんやりと冷たい板貼りの床
そこにじっと腰を下ろしていると、
自分もこの古い家と同化して朽ちていくような気がします。

外は灯りもなく、今梓に見えるのは窓ガラスを伝う水滴とそこに映る自分の顔だけでした。



  ぴちゃん……  ぴちゃん……

もうどのくらいの時間こうしているのだったでしょうか
先ほどまではあれだけ煩く思えた蛙の鳴き声もなぜか今は聞こえません。

耳に入ってくるのは、雨垂れなのでしょう、水滴の落ちる音と
そして扉の向こう側から漏れ聞こえてくる苦しみを堪えるような声。

  ぴちゃん……  ぴちゃん……

 『んっふ……あぁ……』

住み慣れた街から遠く離れた山奥の村
誘われるがまま訪れた、この旧い屋敷での最初の夜です。

旅先での心細いような切ないような、感傷的な気分。
今自分がここにいる、そんな事が何故か不思議に感じられてしまいます。

そして梓は思い出すのです。
そう始まりはこんな他愛の無い会話からでした。



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純「あー、夏休みまであと一週間かぁ」

梓「純、今年も夏祭り一緒に行くでしょ?唯先輩に誘われてるんだけど」

純「いいねー、当然澪先輩も一緒だよね?」

梓「うん、またみんなで行こうって」

純「よーし夏休みの心躍るイベントがまたひとーつっ」

憂「夏期講習もあるけどね」

純「えーそれは言わない約束でしょ」

梓「純、受験勉強進んでるの?」

純「うぅ~、割とヤバめかな……」

梓「受験は一夜漬けじゃ無理だよ」

純「わかってるよ……でもまああれだ、私の家系って霊感強いからさ、選択問題なら自信あったり」

梓「またそんないい加減なこと言ってるよ」

純「ほんとだよ~田舎のおばあちゃんとか凄いんだよ」

梓「でさ憂は……」

純「スルーしないでよっ」

憂「そう言えば純ちゃん田舎帰るって言ってなかったっけ?」

純「大丈夫だよ、お祭りの前の日には帰ってくるようにするから」

梓「純は毎年帰省するんだね」

純「うんまあね」

憂「純ちゃんの田舎ってどんなところなの?」

純「え?うーん、なんにも無いところだよ、山と川と田んぼと……」

憂「それっていわゆる自然がいっぱい?」

純「そうそう、自然だけはね、たっぷりあるんだ、涼しいしね」

梓「へーっいいなぁ」

純「おおおーっ!釣れたーーっ!」

憂「えっ」

梓「なにが?」

純「あんた達が」

梓「は?」

純「ねっねっ、二人とも泊まりに来ない?」

梓「泊まりに?」

純「実際のとこ一人じゃ寂しいんだ、ほんとなんにも無いから退屈で死にそうになるんだよね」

憂「でもご両親と一緒なんでしょ?」

純「ところがところが、今年は私一人なんですよねっ」

梓「一人ででも行くんだ」

純「……だってさ、おばあちゃんが私の顔みたいって言うから」

憂「わぁ、純ちゃんいい子だねー」

純「へへっ」

純「だからさー行こうよー、ねー梓ー憂ー」

梓「うーん、どうしようか……受験勉強もあるし」

純「そんなの向こうでみんなでやればいいじゃん、マイナスイオンいっぱいで、もう勉強が捗る捗る」

憂「ほんと?」

純「と思うんだけどね、まあ向こうで勉強したことないから……」

梓「もう調子いいんだから」

純「いやははは、でもね綺麗な川で水遊びできるよ、そこで冷やしたスイカも美味しいし」

梓「憂はどう思う?」

憂「梓ちゃん行ってみたいんでしょ」

梓「それはそうなんだけど」

憂「だったら行こうよ、私も行きたいし」

梓「そう?」

憂「うん」

梓「よし、じゃ行こっか」

純「やった!決まりだね!」


期末テストも終わって気分はもう夏休み、
どこかに受験勉強からの逃避したい気分もあったのでしょうか
梓は憂と共に純の帰省に同行することに決めたのでした。



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梓「えっと、あれが何日のことだったっけ……」

梓の手は無意識に携帯電話を求めてパジャマのポケットを探りますが、
その手に触れるのもは何もありません。

梓「あ、そうか純に渡したんだった」

そして梓の心配気な視線は自然と声の聞こえる方へ、扉へと向けられます。

梓「純……大丈夫なのかな」

  ぴちゃ……ぴちゃ……

『あぁ……んっ、くぅ……』


  ぴちゃん……  ぴちゃん……

雨は一向に止む気配がありません。

梓「あーあ、着いたときはあんなに晴れて爽やかだったたのに……」

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朝6時に出発して、特急からローカル線へと幾度か電車を乗り継ぎました。
人気のない駅でバスへ乗り換え、山を4つ越えてようやく目的地へ着いたのは
もう日が落ちる少し前の予定通りの時刻です。
しかし予定とは異なったこともありました。
山の端に隠れる前の夕陽が伸ばされる影が三つではなく二つだったことです。

バス停に降りたのは純と梓の二人だけでした。

純「ふぅ……やっと着いた」

梓「ここまで山奥とか思ってなかったよ」

純「うぅ……おしり痛い……」

梓「そりゃあもう5時間もバスに乗ってたんだから、でも純は慣れてるんじゃなかったの?」

純「だっていつもはお父さんの車なんだもん」

梓「ああ、そういうことかぁ」

純「さすがにこっちは涼しいね、憂も来られればよかったのになぁ」

梓「仕方ないよ、唯先輩家に帰るなり熱出しちゃったんだから」

純「残念がってたけど妙に嬉しそうでもあったよね」

梓「そりゃあね、久しぶりにたっぷりお世話できるからでしょ」

純「ま、そういうことだよね、あのお姉ちゃん大好きっ子は」

梓「あはは」

純「で、唯先輩大好きっ子としてはその辺りどうなんですか?」

梓「な、何わけわかんないこと言ってるのよ」

純「梓も会いたかったんじゃないの?」

梓「そ、そんなことないよ……あっでも会いたくないってことじゃなくてね」

純「わかってる、わかってますよ」

梓「それに帰ったら夏祭りで会えるし」

純「それまでに唯先輩の熱が下がってるといいね」

梓「うん……」

梓「そうだ、憂に無事着いたってメールしようかな……あれっ?」

純「あーダメダメ、この村じゃ電波届くとこ限られてるから」

梓「そうなの?電波届かないとなんか心細いな」

純「電波の入るポイントが何か所かあるから、後で教えてあげるよ」

梓「うん……」

純「さあ行くよ、ここから歩いて峠越えなきゃ」

梓「ええっ?」

純「あはは、うっそー」

純「といっても結構歩くんだけどね、おばあちゃんとこバス停とは反対側の村の端っこだから」

梓「それってこの村の端から端まで歩くってこと?」

純「うん、でも村全体でもそんなに広くないんだよ、山と山の間に流れてる川の回りに村が出来ただけだし」

梓「ふうん、人間ってどんなんとこでも生きて行けるんだなあ」

純「あー梓、それちょっと失礼だよ」

梓「あっごめん」

純「まあ私もそう思うけどさ」

梓「あれ?あっちの畑で誰か手を振ってるよ」

純「えっ?」

村人「おーい、純ちゃんじゃないかねー」

純「あっおばさん!お久しぶりでーす!」

村人「あらあらまた可愛くなっちゃって」

純「へへっ今年は友達連れてきましたー」

梓「あ、こんにちはー」

村人「はいはい、こりゃまた可愛いお友達だねえ、中学生かい?」

梓「えっ?いえ……純と同い年なんですけど……」

村人「あ……ああーいやーごめんごめん、あんまり可愛いからさ~、あっはっは」

梓「ああ、いえいいんです……あはは」

純「ぷぷっぷ」

梓「ちょっと純?」

純「おおっとのんびりしてちゃ日が暮れちゃう、じゃあ行きますねー」

村人「はいはい、またスイカでも食べにおいで」

純「はーいありがとうございまーす」

村人「あ、そうそう、今日は朔月だからね、夜は早く寝るんだよー」

純「あ、そっか……はーい」

梓「今の、親戚のひと?」

純「ううん、違うよ」

梓「でもよく知ってるみたいだった」

純「ああ、村中知合いみたいなもんだから」

梓「さっきあのひとの言ってた、さくつきってなんのこと?」

純「新月のことだよ、お月様の」

梓「ああその新月、確か新月って月が見えないんだよね。それで?」

純「田舎でしょ、古い言い伝えとかいろいろ残ってるんだ」

梓「へえ」

純「おばあちゃんとこでもね、離れに開かずの間なんてあったりさ」

梓「開かずの間……」

純「特に朔月の夜は良くないことが起こるから早く寝ろとか」

梓「良くないことって」

純「いやいやそんな顔しないでよ、はは迷信迷信、決まってるじゃないそんなの」

純「あれは子供を早く寝かせるための作り話だよ」

純「おばちゃんまだ私のこと子供だって思ってるんだなー、ははは」

梓「私なんて中学生って言われた」

純「あーうん、いや梓はちゃんと高校三年生に見えるって」

梓「純、本当にそう思ってる?」

純「え?んー……あっ!それより梓あそこ、高い木があるでしょ」

梓「あ、話逸らした」

純「違う違う、ほらあの右お地蔵さんあるから、そこでだったら電波受信できるよ」

梓「あ、お地蔵さん、ここね」

梓「えーと……あアンテナ立った」


      新規メール
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To  憂
Sub 着きました!
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さっき着きました。
思ったよりずっと山奥で自然に囲まれて
気持ちいいよ。
唯先輩の様子どうですか?
少しだけ心配です。

こちらは電波が悪いのですぐに返信できな
いと思いますけど、何かあれば連絡下さい。

      -----END-----


梓「っと……送信」

  ピッ





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梓(あのメール……少しだけ心配って、変だったかな?)

梓(それに何かあればって……何があるっていうのよ、もう)

梓(バカだな私、なんでいつもこうなんだろ)

梓「……」

梓「まだかな……」


  ぴちゃ……ぴちゃ……

   『ううっ……』

  ぴちゃん……

            ぴちゃん……


   『……んっ……あぁぁ』


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すっかり陽が落ちた頃に二人がようやくたどり着いた家は
旧くそして大きなお屋敷でした。
長く高い土塀がまるで何かを覆い隠すように、屋敷を囲い込んでいます。

梓「わあずいぶん大きな家だね」

純「大きいだけだけどね、古いしカビ臭いし」

純「廊下もさぐねぐね長くて馴れないとマジで迷子になるから気を付けてよ」


梓「この家に何人で住んでるの?」

純「ん?おばあちゃんとお手伝いの人だけだよ」

梓「え?それだけで?こんなに広いのにお掃除とか大変でしょ?」

純「そのへんはまあ色々と村の人達が入れ替わり面倒見てくれるからさ」

梓「へえ、田舎ってそんな風になってるんだ」

純「まあ色々とね」

梓「色々って?」

純「それは……まあいいじゃん、大したことじゃないよ」

梓「ふうん」

純の祖母に挨拶を済ませた後、長い廊下を幾度も曲がり
梓が通された部屋は離れの一角にある畳の間でした。


純「梓ースイカ食べるー?」

梓「私はもういいよ」

純「じゃあ梓の分も食べちゃうねー」

梓「純お風呂上りにカキ氷いっぱい食べてたくせに」

純「甘いものは別腹ー」

梓「かき氷も甘いでしょ、寝る前に冷たいもの食べるとお腹壊すよ」

純「ん、平気平気……」シャクシャク


梓「太るよ」

純「んあーそれは困るなー」シャクシャク

純「そう言えばお風呂どうだった?シャワーも無くて、使いにくかったでしょ」

梓「そんなことないよ、木のお風呂なんて初めてだから面白かったよ」

純「来て後悔してたりしない?」

梓「してないよそんなの」

純「ほんとにー?」

梓「ほんとほんと」

純「ならいいけどさー、この家陰気だしちょっと怖いでしょ」

梓「まあそれは……うん、ちょっと、ね」

純「だよねー、ひとりで寝るの怖いよ~」

梓「えっ、ひとりで?純と一緒じゃないの?」

純「私はおばあちゃんと寝るんだよね」

梓「そんなぁ……」

純「ふふふ……う、そ」

梓「……なによもぉ……」

純「ごめんごめん、なんなら同じ布団で抱き合って寝てもいいよ?」

梓「それは遠慮します」

純「あーずにゃーん!」ギュッ

梓「こ、こらあっ」


ゆったりと時間が過ぎて行きました。

純「じゃあ歯も磨いたし寝ようか、もう11時だし」

梓「まだ早いんじゃない?」

純「母屋の方はもう寝ちゃってるし、今日は早く寝る日だから」

梓「そう言えば挨拶した時におばあさんもそんな事言ってたね、やっぱり純も気にしてるんだ」

純「ち、違うけどさ、ほら郷に入ればとか言うじゃん、ほらお布団敷くよ」

梓「そうだ、ねえ、メール受信したいんだけど、電波届くところってどこかな」

純「えっ?このうちの中は……」

梓「ないの?」

純「うーん、ないことはないんだけど今夜はねえ」

梓「そうかあ……」

純「梓、唯先輩のこと心配なんだ」

梓「そういうんじゃないんだけどさ……」

純「あーもう、ちょっとは素直になりなよ、心配なんでしょ?」

梓「……うん」

純「もう仕方ないなあ……ちょっと携帯貸して、受信してきてあげる」

梓「ほんと?じゃあ私も」

純「梓はダメ、ほんとは怒られるんだよ」

梓「そんな……だったら諦めるよ」

純「いいから貸して、せっかく梓が付いて来てくれたんだから、この位サービスしなきゃ」

梓「……いいの?」

純「まかせなさいって」

純「そうだ、言っとくけど梓は絶対に出てきちゃダメだよ、夜は余計に迷うからね」

純「よっ、と」

 ガタガタッ

純「ホントは私もトイレ行きたかったんだよね、へへっ、すぐ帰ってくるから」

 ガタ……ピシャ 

そう言って純は建付けの悪い襖を開け部屋を出ていきました。

しかしすぐ帰るといったはずの純は10分待てど20分待てど
一向に帰って来る様子がありません。

30分……純は帰ってきません。
そして40分を過ぎた頃には梓はすっかり心細くなっていました。


梓「遅すぎるよ……」

梓「そうだトイレ行くって言ってたけど、まさか本当にお腹壊して苦しんでるのかも」

梓「冷たいものいっぱい食べてたし」

梓「心配だなあ……」

梓「ちょっとだけ様子見てこよう、迷いそうになったら引き返せばいいんだし

梓「よっ……と」

ガタッ

とうとう梓は廊下へ出てしまいました。

梓「こっちかな……ええと私達の部屋があそこだから……あれ?」

10歩ほど歩いて振り返って見ましたが、今出てきた部屋の位置がわかりません。
廊下には同じ柄の襖戸が幾つも並んでいたのです

梓「まああの辺だよね、部屋の前の廊下さえ覚えてれば大丈夫」

梓「確かトイレは……こっちか」


どの廊下も全く同じ造りです。
夕食前に何とか覚えたはずの道筋も、夜となってはまた全然違って見えました。
灯りと言えば曲がり角ごとのボウッっとした電球のみです。


  ぎっ  ぎっ  ぎっ


梓は足音を抑えて歩くのですが、床板の軋む音が矢鱈と響きます。

梓「何でこんな入り組んでるんだろ……

梓「昔のお城みたいに侵入者避けなのかな」


  ぎっ  ぎっ  ぎっ


  『ぁ……』


梓「あれ?なんだろ?」


  『うっん……』


廊下を左へ曲がった途端、微かな声が耳に届きました。


  『はぁっ……ぅ』


梓「これ……純の声だ」



声が聞こえてくるのは廊下の奥のほうからです。

梓「どこ?」

その声を頼りに進んでいくと、
長く続く壁に頑丈そうな木の扉が一つぽつんと付いていました。

声はどうやらこの中から聞こえてきます。

梓「ここもトイレなのかな」


  ぴちゃ……ぴちゃ……


  『んんっ……あっ、ああっあああっ!』


  『はぁはぁ……んひぃ……』


苦しそうで聞き取りにくいけれど、確かに純の声です。

梓「やっぱりお腹壊してたんだ……」

梓「純、大丈夫?」


  『ぐぅ!』   がたんっ!


梓「どうしたの純?」

  ……

梓「お腹痛いんでしょ?だから言ったのに」

  ……


 『……だい……じょうぶ』

梓「ほんとに?薬持ってこようか?」


 『まって……』


梓「なに?」


 『そこに、いて……』


梓「え、でも……」


 『そこに、いて……』



梓「わかった、ここで待ってるよ」


そうして梓は扉から少し離れた窓際の床に腰をおろしたのです。

真夏というのにひんやりと冷たい板貼りの床
そこにじっと腰を下ろしていると、
自分もこの古い家と同化して朽ちていくような気がします。

梓は窓ガラスを伝う雨の雫をぼんやりと見つめていました。


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