唯は幸いにも一命を取り留め、数日内に意識も回復した。
しかし原因不明の身体の衰弱は半端なものではなく、
医者からは『持ちこたえて数週間』との非情な通告を、
憂はじめとする唯の家族と、軽音部の4人は受け取ることとなった。

そして、死の床についた唯は、何かに取りつかれたかのようにギターを欲した。


唯「うい……ギー太はどこ……?」

虚ろな目でベッドに横たわりながらか細い声で唯は尋ねる。


憂「お姉ちゃんのギターなら……家だけど」

唯「持ってきてくれないかな……」

憂「その身体でギターを弾くの!?」

唯「お願いだよ……うい……」


最愛の姉の、最後になるかも知れぬ望みなら、
と憂は泣きながらギターを持ちこみ、恐る恐る唯に手渡した。すると、


憂「お姉ちゃん……!?」

驚くことに、唯はギターを弾き始めたのだ。それも、倒れる前と寸分違わぬ流麗な指使いで。
そしてひとしきりの速射砲のようなフレーズを弾き終えると、急に涙を流し始めた。


唯「だめ……やっぱりだめだよ……」

唯「あんなにギターが上手くなりたいって願ったのに……」

唯「ひとりで弾いたってちっとも楽しくなんかない……」

唯は思い返した。そもそも自分はなぜ悪魔に縋ってまでギターが上手くなりたいと思ったのか。

唯「みんなといっしょに演奏しなきゃ……上手く弾けても楽しくないよ……」

唯「もっとみんなといっしょに演奏したいよ……」

唯「死にたくない……死にたくなんかないよ……」



梓「――と、唯先輩の最近の様子はこんなところらしいです……」


梓が憂から伝え聞いた悲壮な唯の近況を話し終えると、澪は唇を噛んで肩を震わせ、
律は「クソッ!」と嘆くと苦々しく顔をしかめ、紬は両手で顔を覆って嗚咽を漏らした。


澪「どうして気づいてやれなかったんだ……」

律「唯がそこまで追い込まれていたなんて」

紬「私……唯ちゃんの友達失格です」

梓「…………」


4人にとって何よりも悲しく、同時に悔しかったのが、唯が自らの技術の稚拙さから、
軽音部内で孤立感を感じた末に、悪魔との契約などという最悪の方法に縋ってしまったことだった。

しかし、梓だけはまだ希望を失っていなかった。


梓「こうなったら、直接悪魔のところに乗り込んで、
  唯先輩との契約をなかったことにしてもらうようにするしかないですね」

澪律紬「!!!」


ただ、それはあまりにも非現実的だった。


澪「そんなこと言ったって……悪魔なんてどこに……」

梓「わかっているのは『十字路に悪魔が棲んでいる』ということだけです」

律「町中の十字路を探しまわるか?」

紬「そもそも、悪魔なんて本当にいるのかしら……」

梓「なんにせよ、こうして音楽室で何もできずに唯先輩の死を待つより行動を起こすべきです!」


梓の言葉に、絶望に塗りつぶされかけた3人の心に一筋の薄明かりが照らされかけたその時だった。


?「別に苦労して探しまわる必要なんかないぜ」

澪律紬梓「!!!!」


突如、音楽室に現れたのは、どう見てもただの少年の外見をしたヒトガタ。
ただ、ふわふわと宙に浮遊するその不気味する在り方が、
そのヒトガタが人外の存在であることをなによりも雄弁に物語っていた。


梓「もしや……」

悪魔「推察の通りさ。ユイと契約した悪魔はこの俺だ」


ニヤリと気味の悪い笑みを浮かべる悪魔。


律「キサマか! キサマのせいで唯はッ!!」

律が思わずドラムスティックを引っつかんで悪魔に殴りかかったが、
相手は人外。あっさりとかわされてしまった。


悪魔「おいおい嬢ちゃん、引っぱたくなら空気じゃなくてスネアドラムにしときな」

梓「……唯先輩が急に上手くなったのは貴方のせいなんですね?」

悪魔「その通りさ」

澪「そしてその代償に唯の命を奪おうとしているのも……」

悪魔「奪おうなんて酷い言われようだな。その対価として相応しいだけのモノを俺はユイに与えたはずだぜ?」

紬「だからって命を奪うなんてあんまりです! 許せない……!」


厳しく眉をしかめた紬をちらっと見ると、悪魔は一つ舌打ちをし、


悪魔「お前らは分かってねえな。
   ミュージシャンってのは太く短く生きて、若いうちにコロリと死んじまう方がいいんだぜ?」

律「そんなわけあるか!」

悪魔「いや、あるね。歴史が証明してるじゃないか。
   ロバート・ジョンソンもジミ・ヘンドリックスも
   デュアン・オールマンもランディ・ローズも
   スティーヴィー・レイ・ヴォーンもダイムバッグ・ダレルもアベフトシも、
   全盛期の若い内にコロリと逝っちまったからこそ、
   今こうして伝説のギタリストとしてもてはやされてるんじゃねえか。
   唯もそんな伝説の仲間入りをするんだ。これが幸せでなくてなんだよ?」

梓「それは違います!」

澪「私たちはまだこれからもずーっと一緒に演奏して行くんだ!」

紬「それがこんなところでお別れだなんて……耐えられません!」

律「そうだ! 唯は死なせないぞ!」


熱を帯び、自分達の絆の深さを訴える4人であったが、残念ながら相手は悪魔であった。


悪魔「ふん。知るかよ、そんなこと。どっちにしろもう手遅れさ」

梓「そ、そんなっ……!」

悪魔「せいぜいこれから伝説になろうとしているギタリスト、平沢唯を賞賛してやれよ。
  それがユイにとっては、何よりの喜びなはずだぜ?」


絶望に呆然とする4人の頭上を飛び越えると、悪魔は窓から飛び去って行ってしまった。




その後、病状が悪化の一途をたどる唯は
とうとう自力でベッドから起き上がることもできなくなるほど衰弱し、
憂の呼びかけに応えることも少なくなってきた。ただそれでもギターだけは手放そうとはしなかった。
親族以外面会謝絶のため、軽音部の面々が会うことも出来ない。
日がな孤独にギターをかき鳴らし、陰鬱なメロディを奏でて朽ちていく身。

そんなある日、甲斐甲斐しく姉の身の回りの世話をする憂に唯はか細い声でこんなことを言いだした。


唯「憂……外……でたい……」

憂「!? 外に……出たいの、お姉ちゃん?」

唯「学校……音楽室……軽音部……演奏……ギー太……」

憂「そんな身体で……無茶だよ!!」

唯「憂……私……たぶんもうだめ……最後に軽音部のみんなと……もういっかい……」

憂「!!」

唯「おねがいだよ憂……おねえちゃんの……さいごのおねがい……」

ここまで言われて心が動かないほど憂は薄情な妹ではなったし、それ以前にあまりにも姉思いであった。


憂「わかったよ……お姉ちゃん。そしたら車いす……借りてくるね」

そう言って顔をぐしゃぐしゃにしながら憂が病室を出た時、


悪魔「解せん。実に解せんなぁ」

唯「あ……」


唯の頭上にあの悪魔が現れた。


悪魔「ユイ……お前はいまだに『死にたくない』だなんて考えているだろう?」

唯「そんなの……あたりまえだよ。私はもう一回、軽音部に戻りたい」

悪魔「その考えが俺には解せん。
   ユイ、お前は誰もが羨むような最高のギタープレイを可能とする指を得たんだぜ?
   それだけで十分じゃないのか? なにをそんなにあの軽音部にこだわるんだ?」

唯「…………」

悪魔「実際、俺は軽音部の連中に会ったけどな。
   どいつもこいつもなんもわかっちゃいなかったぜ。ユイが伝説になるっていう、その意味がな」

唯「わかっていないのは……悪魔さんの方だよ」

悪魔「はぁ?」


唯の言い分に思わず顔をしかめた悪魔。しかし、唯はたじろぐことなくきっぱりと言い放った。


唯「いくらギターが上手くなっても……ひとりじゃ意味がないんだよ」

唯「りっちゃんのドラムがあって、ムギちゃんの鍵盤があって、
  あずにゃんのギターがあって、澪ちゃんのベースと歌があって――」

唯「――それに乗せてギターを弾かないと意味がないんだよ」


悪魔は怪訝な表情で唯を見つめると、


悪魔「ふん、好きにしな」


と、捨て台詞を残して消えていった。



一方、音楽室では――。


澪「せめて……せめて唯の最期を看取ってやることは出来ないかな」

律「な! 縁起でもないことを言うなよな!!!」

紬「でも……私たちに出来ることはもうそれくらいしか……」

梓「私……っ! もう一度あの悪魔を探し出してなんとか……っ」


梓がたまらず音楽室を飛び出そうとしたその時、一歩先に扉が開かれた。


梓「せ、先生……」

現れたのは神妙な表情のさわ子と、

澪「和まで……」

複雑そうな面持ちで軽音部の面々を見回す和だった。

さわ子「本当は教師として……軽音部の顧問として……
    こんなことは絶対に認められないんだけれど……あそこまで言われちゃあね」

律「そ、それは一体どういう意味……?」

和「私も生徒会の一員としてはこんなこと許可できない。でも唯の幼馴染としては別。とにかく見て」


すると和は、音楽室の外を覗きこむと、一つ手招きをした。

和「憂ちゃん、入ってきていいわよ」

次に見た眼前の光景に、4人は一様に驚愕した。


澪律紬梓「!!!!」


憂が恐る恐る押している車いす、そこに座っていたのは
もはや生きているのかどうかすらも分らない顔面蒼白の唯だった。


さわ子「本当なら絶対安静、面会謝絶。外出だなんてもってのほかだけど……」

和「特別に病院から外出の許可が出たそうよ」

それは唯の命脈がもはや風前の灯であり、
『最期の瞬間くらいは本人の望む場所で』という医者の悲しい心遣いだったのかもしれない。


澪「唯……」

律「……ぐっ」

紬「……ウッ」

梓「……ぶわっ」


目の前の唯のあまりにも悲惨な姿。見ていられないと4人は顔を反らした。
すると、車いすを押していた憂が意を決して、

憂「お姉ちゃんがどうしても皆さんにお願いしたいことがあるというんです。
  どうか聞いてあげてくれませんか」

そして憂に促されるように唯が消え入りそうなか細い声をひねり出した。


唯「み……みんな……さ、最後に一緒に……演奏しようよ……」

澪「そ、そんな身体で……か?」

唯「えへへ……。ボロボロだけど、ギターはちゃんと弾けるから……」

律「しかも……最後ってなんだよ……」

唯「ごめんね……わたし……もうだめみたいだから……」


そう言うと、唯はなんとか自力で車いすから降りる――も、すぐさま転んでしまう。


憂「お姉ちゃん!」

唯「えへへ……だいじょうぶ、だいじょうぶ」



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