その翌日。音楽室にて――。

澪「今日は唯、休みらしいな」

律「ああ。なんでも風邪をこじらせたとか」

紬「やっぱりずっと体調が悪かったのはそのせいだったんですかね?」

梓「そこで皆さんにお話ししたいことがあります」

澪律紬「???」

突如、真剣な口調で語り始めた梓に三人は首を傾げたものの、
一枚のレコードを卓上に置くとともに放った次の一言に、


澪「そ、そんな……」

律「バカな……」

紬「唯ちゃんが……」


三人は一様に表情を歪ませた。




唯「うーん、身体が重いよ~……頭が痛いよ~……」

一方その頃、唯は自室のベッドの中にいた。
憂が作り置きしていったお粥に口をつける食欲もなかった。
すると、

悪魔「どうしたんだユイ、そんなにウンウン唸って」

あの悪魔がいつの間にか唯の枕元に浮遊していた。
唯は最近体調が悪くて仕方なかったこと、
そして今日、とうとう倒れてしまったことを咳交じりに伝えた。すると、

悪魔「あっちゃ~、今回は意外と早かったなぁ。
   まぁ、ユイの場合、俺と契約する前の腕前が酷いもんだったからなぁ。
   その振れ幅を考えれば、仕方ないか」

悪魔は妙なことを言い始めたのだった。




澪「唯が!?」

律「悪魔に魂を!?」

紬「奪われるですって!?」

梓「はい」

至極真剣な様子で頷く梓の顔を三人は思わずまじまじと見つめた。


澪「いや、いくらなんでもそれはおかしいから」

律「梓はちょっとおかしなライトノベルの読みすぎなんじゃないか?」

紬「中2病ですか?」

梓「……でもそれしか考えられないんです。
  そうでもなければ、いくら唯先輩でもあんなに急激にギターが上手くなるわけがありません」

澪「いや、でも上手くなった=悪魔と魂の取り引きをした、なんて発想は……」

梓「この前一緒に帰った時に唯先輩……唐突に私にこう言ってきたんです。
  『悪魔でも人を幸せにすることが出来る』って……」

律「唯が寝惚けてたんじゃないか?」

紬「そもそも梓ちゃんはどうしてそんな考えに至ったんですか?」

梓「実はこんな話を聞いたことがあるんです――」


そう言って、父親の蔵書の中ににあった
とあるミュージシャンの伝記本にあったとある逸話を、梓は語り出した。


梓「戦前の話です。アメリカのとある片田舎に、一人の黒人ブルースマンがいたそうです。
  その男はギターの腕前を上げたい一心で、毎日練習に励んだそうですが、
  なかなか思うように上達しない――」

律「なんか最近の唯みたいな話だなぁ」

澪「毎日練習に励んでいたとは言い難いけどな」

梓「そこで男は悪魔が出ると噂になっていたとある十字路(クロスロード)を訪れたんです。
  そして悪魔にこうお願いしました。
  『俺の魂と引き換えに、悪魔のように、恐ろしいまでのギターの腕前を与えてくれ』と」

紬「その話と同じことが唯ちゃんにも?」

律「まさかぁ。だいたいその話自体、眉唾もんだろ?」

梓「私も最初はそう思いました。でも、この曲を聴いてその考えは覆りました」


そう言うと梓は、持ってきたレコードを音楽室のステレオにセットし始めた。
すると最初に流れてきたのはプツプツと耳障りなノイズだった――。

澪「随分と古い録音みたいだな……」

梓「なんてたって戦前の、1936年の録音ですからね」


次の瞬間、スピーカーを突き破るように流れ出したのは、
咽び泣くようなアコースティックギターの咆哮、そして、


I went to the crossroads, fell down on my knees♪
(俺は十字路へ行って、跪いた)
I went to the crossroads, fell down on my knees♪
(俺は十字路へ行って、跪いた)
Asked the Lord above,
(そして天の神様にお願いしたのさ)
Have mercy now,Save poor Bob if you please♪
(「お情けをください、哀れなボブをお救いください」と)


世の無情をこれ以上ない切実さで表現して見せる情感ダダ漏れのボーカル。
まさにこれぞブルース。ホンマモンの戦前ブルースだ。


律「なんじゃこりゃ。随分と古臭い曲だなぁ」

紬「でもこのギタープレイ、凄いですね。とても70年も前とは思えない……」

澪「! ちょっと待てよ!」


それに最初に気づいたのは澪だった。


澪「これって唯が歌っていた英語の曲じゃないか?」

律「はぁ? 全然違う曲じゃないか」

紬「……! でも唯ちゃんが歌っていたのと歌詞が同じ……!」

澪「アレンジはかなり違うけど……間違いない!」


梓「澪先輩の言うとおりです。これは、『クロスロード・ブルース』、
  戦前の伝説的ブルースマン、ロバート・ジョンソンの代表曲です――」

澪「そう言えばエリック・クラプトンが演奏しているバージョンで聴いたことがあるよ」

梓「そしてこのロバート・ジョンソンこそが先の悪魔と契約して魂を売り渡し、
 その代償として恐るべきギターの腕前を手にしたと言われている『クロスロード伝説』の張本人です」

紬「まさかその『クロスロード伝説』を歌ったのが……この歌?」

律「マジかよ……?」



音楽室が悪魔のブルースの音色で戦慄していたその頃、
平沢家では本物の悪魔がにやけた顔で唯と対峙していた。

悪魔「あっちゃ~、今回は意外と早かったなぁ。
   まぁ、ユイの場合、俺と契約する前の腕前が酷いもんだったからなぁ。
   その振れ幅を考えれば、仕方ないか」

唯「そ、それはどういうこと……? 私の身体の調子がおかしいのと、あの契約は何か関係があるの?」

悪魔「おや、言ってなかったか?
   古今東西、俺のような悪魔と人間が契約する時の代償となるもの、それはソイツの生きた魂だ」

唯「た、たましい……?」

悪魔「言いかえれば寿命ってところだな。
   どうやらユイは得た技術が大きすぎた分だけ、早くガタが来たってことさ。ま、仕方ないことだね」

唯「そ、そんな……」

悪魔の言葉に、唯の身体中の細胞が震えあがった。


唯「そんなの……聞いてないよ」

悪魔「言ってなかったからなぁ。そもそも俺のような悪魔と契約して、
   何の代償も差し出すことを想定していなかった自分の頭のおめでたさを呪った方がいいぞ?」

なんてことだろう。人を幸せにする悪魔なんて、やっぱりいるわけなかったのだ。


唯「わ、わ、私……死んじゃうの……?」

悪魔「遅かれ早かれな。ま、悪魔的予想としてはあと数週間ってところか」

唯「そ、そんなの嫌だよ……死にたくないよ……」

悪魔「仕方ねえだろが。俺は『素質がある』とは言ったが、
   それに乗って『契約する』って言ったのは唯の方だぜ?
   それにあと数週間の間でもギターの腕前は変わらないんだ。
   残り少ない人生を燃え尽きるくらいに、弾きまくった方が楽しめるんじゃねえか?」


確かに、体調最悪の今でも、ギターを持つとなれば
烈火のごときプレイが出来そうな妙な確信が唯にはあった。


悪魔「短い間だったけど、思う存分ギターを弾けて楽しかっただろ?」

確かに、最近では頭の中で弾きたいメロディを思い描くだけで、
その半秒後には自然と左手の指がフレット上をものすごい速さで走り、思い通りの音を出せた。
あんな感覚は、唯は今まで味わったことがなかった。


悪魔「ほら、十分元はとれたじゃねえか。やっぱり俺は人を幸せにする悪魔なんだよ。そういう意味じゃ」

唯「でも死んじゃったら意味ないよっ!!」


悪魔「だから仕方ねえんだって言ってるだろうが。
   それに俺と契約した人間は皆、遅かれ早かれ
   ギターの腕前と等価交換で命を燃やしつくしているんだぜ?」

唯「えっ……?」


悪魔「そうさ。
   最初に契約したロバートって男は
   他人の女に手を出したせいで怨みを買ってボトルに毒を盛られて27の時にバタリ。

   次のジミって男はヤクと酒のやりすぎで寝ゲロでコロリ。こいつも確か27だったかな。

   デュアンって男はバイク事故、24の時だな。

   ランディって男は25の時、遊びで乗ったセスナ機が墜落しちまった。

   スティーヴィーって男も35の時に飛行機事故。

   ダイムバッグって男は38の時、
   こいつは結構長生きしたからその代わり死にザマはひでえもんだったぜ?
   ステージで演奏中にイカれたファンにピストルで撃たれちまった。

   で、アベって男もつい最近死んだぜ? ちなみにコイツは悪魔ならぬ鬼って呼ばれてたらしいな。
   ま、悪魔と契約した分すげえプレイしてたらしいぜ?

   んで、このリストに平沢唯が17歳で加わるってわけだ。」

唯「…………」

唯はもはや言葉すら出なかった。



澪「それじゃあ何か? 唯はギターの腕前を得るために自分の魂と引き換えに悪魔と契約したと……」

律「ちょっと待ってくれよ……。魂と引き換えってことはつまり……」

紬「死n――」


言いかけた紬の口は自然と止まった。そんな言葉、軽々しく口に出せるわけがない。しかし、


梓「唯先輩から、悪魔と契約したと言われるギタリストの名前を何人か聞きました
  ――そしてその全てが若くして……」

律「や、やめてくれよ!!」

律がヒステリックに怒鳴った瞬間、梓の携帯電話がけたたましく鳴った。

それは、『風邪で寝込んでいた唯が突如意識を失い、重篤状態で病院へ搬送された』
という涙交じりで声にならぬ憂からの報せであった。



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