ムギソウは律の嘆願を聞いていた。


『軽い気持ちで手を出した挙句、フった事は本当に悔いてる。
本当に、悪かった。手を出して悪かった、捨てて悪かった……。
本当にごめんなさい、お願いだ、許してくれ……許してぇっ』


 聞き終わった時、それでも律を許す気にはなれなかった。
心からの謝罪ではなく、助かる為の詐言に過ぎないかもしれないのだ。

「何より、私一人の判断でゲームを勝手に終わらせる訳にはいかない」

 協力者の事を思った。
律の謝罪を聞きムギソウの心が動いたとしても、協力者は報われない。
少なくともゲームが終わるまでは、
自分の感情でシナリオを変えない事が筋だろう。
ここまで協力してもらいながら、
勝手にゲームを終わらせてしまうのは裏切りに等しい。
それは律と同様の行為だと、ムギソウは思っている。

「それにしても、凄まじい執念。
私よりも恨みが篭っていそうな程。一体、誰かな?」

 ムギソウは考えた。自分を含めて、ムギソウが知っている律の浮気相手は四人だった。
それは協力者から得た映像で知った事である。
自分を除いた三人の中に、協力者が居るのだろうか。
実際、浮気映像ばかり選られている以上、それが妥当な推理のように感じられた。
律も浮気相手の中にムギソウの正体が居るという前提で、先程の嘆願を放ってきた。
それも浮気映像ばかりが流れている事から推量したのだろう。
そしてそれは、事実正しかった。

 勿論、律の浮気相手が四人とは限らない。
ムギソウの持っている映像の中には居ない者と、浮気している可能性が残っている。
その者が協力者かもしれなかった。
もしそうなら、当たりを付ける事さえ不可能に近い。

 そう考えていた時、流れてきた律の声がムギソウの注意を引いた。


『ああ、あと一人だけど、居るよ』


 その発言が真実ならば、浮気相手は四人という事になる。
即ち、映像に登場している人数と一致する。
そして律がこの局面で嘘を付くとは考え難い。
流される映像によって嘘が露見するリスクを思えば、危険過ぎる賭けなのだから。
それにどうせ嘘を吐くなら、一人も居ないと答えるだろう。

 ムギソウは確信を深めた。
協力者は自分を除く三人の中に居る、と。
映像を吟味していけば、協力者が誰であるか分かるのだろうか。
少なくとも、ヒントは得られる気がしていた。

 しかし、その吟味を今行おうとは思わなかった。
それよりも、続いて流れてきた澪の声に、ムギソウは意識を向けた。
今集中すべき事は、ゲームの進行である。


『これ以上は無理だ……これ以上、恋人や友人や知人から裏切られたくないよ。
唯に会いたい……HTTの中じゃ、アイツだけが私を裏切っていない。
アイツだけが……』


 ムギソウは歪んだ笑みを浮かべた。
律が最も愛している女、それに絶望を届けられる事が嬉しかった。

「そろそろ、四人目。最後の一人の映像を流そうっと」

 無邪気に言うと、映像を再生させた。



 エレベーター内に、唯の声が響き渡った。


『りっちゃん、大好きー』


 スピーカーを通しても、朗らかさが伝わってくる明るい声だった。
ディスプレイには、唯の姿が映っているに違いなかった。
だが、澪はこういう形で唯と会う事を望んでいなかっただろう。
律はそう、確信していた。


『私も大好きだよ、唯』

『むー、私の好きと、りっちゃんの好きは絶対違うもん』

『何言ってるんだよ、今更。何度もヤってきただろ?今だって最中だしな。
友情じゃないって。ちゃーんと恋愛感情抱いているよ』

『澪ちゃんに向けてる恋愛感情と、私に向けてる恋愛感情が違うって言ってるの。
澪ちゃんに向けてるのは、長い恋愛感情。
でも私には、刹那的な恋愛感情だもん』

『そんな事無いって。それに、長短が恋愛の勝敗を決めるワケじゃない。
例え短くても、その分激しく燃え上がればいいんじゃん?』


 粘つく卑猥な音が響く。
ディスプレイには、溶け合っている二人が映っているのだろう。
目を逸らしていても、音がそれを教えている。


『そうかもね。私、澪ちゃんでさえやってもらって無い事を、
りっちゃんからやってもらってるもんね。
そうでしょ?澪ちゃんとは、ここまではヤってないんでしょ?』


 唯との性交は、常に激しいものだった。
時に倒錯した行為にさえ及んでいた。
それは澪との性交では、未だ及んだ事の無い領域だった。


『そうだよ。こういうのは、唯が相手じゃないとな。
澪じゃどうせ務まんねー。だから私達で激しく燃え上がろうぜ』

『うんっ。こういう事ヤってもらってると、
私って特別なんだなって思えるよ。
澪ちゃんに勝ててる、そう思えるんだ』


 今流れている映像も、数多重ねた倒錯した性交の一つなのだろう。
律はディスプレイから目を逸らしているが、唯の発言からそれを推量する事ができた。


『ていうかさ、お前との相性って、澪以上だと思うんだよね。
澪とじゃこういう事できないし。ほら、次はもっと凄いのイクぞ』


「っ」

 スピーカーから流れる音声に混じって、すぐ側から澪が漏らす嗚咽の声が聞こえた。


『うんっ、来て。ひぎっ、凄い何これ……狂っちゃいそうだよぉ。
凄い凄い、りっちゃん、いいよ、いいよぉ……。
あ、あのね。りっちゃんの言う通りだよね。
こういう危険な事ができるって、
それだけ私とりっちゃんの間の相性が良いって事だし。
危険なプレイに身を委ねられるって、それだけ信頼関係があるって事だし』

『だろ?澪と私じゃ、できないもんな。
これって唯と特別な関係である証拠だよなー。じゃ、次は更に凄いのを』


「っ」

 澪の口から短い悲鳴が漏れていた。
律は過去の自分を呪ったが、今更どうする事もできない。


『本気?そんな事したら、私どうなっちゃうのかな?』

『不安?』

『んーん、りっちゃんなら、いいよ?壊してくれて、いいよ。
その代わり、私の事捨てないでね』

『分かってるよ。お前は特別だから。
じゃ、イクぞー』


 特別でも何でも無いくせに、律は安易な約束を交わし、挙句唯を捨てた。
唯だけでは無い、いちごも梓も紬も。
その過ちが今になって、大切な澪すら巻き込む原因となっているかもしれないのだ。
律は過去を悔いて、己を胸中で痛罵した。
薄情者、と。


『りっちゃん、早くぅ。わわっ、キた、キた。何これ?え?え?
わ、凄っ、凄い事になってる。こんな……初めて……。
ああ、止まらないよ……止まってくれない……身体が言う事聞いてくれない……。
ねぇ、どうなってるの?私の身体、どうなってるの?
どうなっちゃってるの?』


 限界を試すような倒錯した性交の連続、そのせいだろうか。
唯に別れ話を切り出した時が、一番揉めた。


『自分でも驚いてるよ。凄いな、唯の身体は。
私はこう考えるよ。今のお前、凄く綺麗だよ。とても魅力的だよ』

『ありがとうっ、だから私、頑張れる。
あのね、私ね、いっつも澪ちゃんに優越感抱いてるんだ。
澪ちゃんは、ここまでしてもらってないでしょって。
澪ちゃんじゃ、ここまでヤってもらえないでしょって。
澪ちゃんより私の方が、りっちゃんに相応しいよって』

『そっか』

『うんっ。澪ちゃんの事、見下してるよ。
許されるよね?だって、澪ちゃんは私のりっちゃんと、お付き合いしてるんだもん。
だから、これからも心の中で嘲笑し続けるよ。
気付いていない澪ちゃんを、嘲り続けるよ。
友達のフリしてるけど、実は蔑んでるよ、見下してるよ、嘲ってるよって』


 そこで映像は終わったのだろう。
水面に映る鮮やかな光彩は消え、代わりに白熱灯の光が映された。
スピーカーの音声も途絶えている。
恐る恐る視線を上げると、ディスプレイは暗くなっていた。

 続いて律は、澪に視線を向けた。
澪は憔悴しきった表情で、律を見つめ返してきた。



 絶望に沈む澪の表情を眺めて、ムギソウは悦に入った。
律から愛され続けた女である澪に対しては、
彼女に罪が無いと分かっていても憎悪を止められない。
だからこそ、澪を嬲り尽くす事に躊躇いは無かったし、
絶望の底へと叩きつける事にも逡巡しなかった。

「ゲームはこのまま、二人の死で終わりか」

 悲嘆に暮れる澪が、助かる為に律と協力するとは思えなかった。
自分だけ死ぬか、或いは律を巻き添えにするか。
残された選択肢は二つしか無いだろうと、ムギソウには思えた。
そして恐らく、律と心中する道を選ぶだろうと予想した。 

 その時は、手元の律と澪を半々に模した人形を引き裂いて、
高笑いを浮かべてやろうと決心していた。
律に対する、愛憎入り乱れる複雑な思いを抱えたまま。

「それでももし……ここから二人が信頼を取り戻して、
ゲームに勝つ事ができたのなら」

 その時は、ムギソウの側が屈服せざるを得ないのだろう。
ムギソウだけでは無い、協力者の敗北でもある。
もしそうなった時には、即ちそこまで強固な絆を見せ付けられた時には、
ムギソウは素直に敗北を認める事ができる気がした。
自分が選ばれなかった事は、仕方の無い事だったと。

「考えても意味の無い事だけど」

 ムギソウはそう呟いて、自分の無意味な思考を笑った。
ここからの逆転は、まず有り得ない。
もしここまで信頼を破壊され絶望に浸されてなお、
信頼を取り戻す事ができるのなら──
二人の仲を最良だと認めざるを得ないだろう。
それが逆説的に、二人の勝利の難しさを物語ってもいた。



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