上半身を脱ぐことは容易かった。
しかし、足首に鎖と繋がる鉄の輪がある関係上、
パンツルックの下半身は双方共に苦労した。
ズボンを足首まで下ろす事はできた。
そこから先が問題だった。
足首を拘束する鉄の輪と鎖が障害になり、
ズボンを脱ぎきる事ができない。

「これ、邪魔になるよなぁ」

 律が鬱陶しそうに言うと、澪も応じた。

「鎖もその分、短くなるしな。まぁ、この程度なら問題無さそうだけど」
「いや、相当邪魔になると思うぞ。
勿体無いけど、ふざけたプレゼント活用させて貰おうぜ」

 律は包丁を手に取った。

「おいおい、帰りはどうするんだ?」

「側面だけ切り裂けば、ショーツの大部分は隠せるでしょ?
それに、どうせ服もボトムも水浸しだ。着て帰ろうとは思えなくなるよ」

「しょうがないな」

 澪も包丁を手に取っていた。
苦労はしたが、程なくズボンの側面を切り裂いて、
足首から解き放つ事に成功した。
 二人とも、胸部と性器を隠す下着、そして靴下のみの姿となった。

「あーもう、本当にポルノって感じだよ。
お互い、勝負下着めいてるしさぁ」

 律は呆れたように口にする。
律は上下ともに、レース刺繍の編まれた黄色の下着だった。
澪の下着も上下ともにレース刺繍が編まれており、色だけが律と違い水色だった。

「なぁ、律。そんな下着付けてきたって事は、期待してたのか?
ムギの別荘だってのに、大胆だな」

「お互い様だろ」

 律はそう返した後で、紬の安否が再び気になって呟く。

「そういや、そのムギ。大丈夫かなぁ」

「随分とムギに拘るんだな?そんなに心配なんだ?」

「そりゃ、友達だし、なぁ。
大変な状況に巻き込まれてると分かれば、心配にだってなるよ」

「私達だって、充分大変な状況下に置かれてるけどな」

 澪は溜息を吐いた。

「あー、そりゃそーだな」

 律も溜息を吐く。
自分の置かれた状況を改めて考え、不安が擡げた。

「でも、ゲーム自体は大丈夫だろ。不安なのはその先で。
私は律を信じてるから、交互の息継ぎだってきっと上手くいくよ。
……こんな時だから言えるけどさ、私はずっと律一筋だ。
律だけ愛してきた。律だけ愛してる。律だけ愛していく。
だから、きっと乗り越えられると信じてる。
律は?律も、私の事だけ愛してくれてる?」

「お前っ、それ所謂死亡フラグってヤツじゃね?
何か、最期に言う言葉みたいだぞ」

「答えてよ……不安なんだ……」

「不安になんか、なるなよ。きっと乗り越えられるから。
私だって、澪一筋だ。澪だけ愛してる。
澪だけ愛してきたし、愛していくよ」

 澪は微笑を浮かべた。

「有難う、律」

「何、私の方こそ、好きって言ってくれて有難かったよ」

 澪の微笑が儚げに見えて、律は少し不安になった。
澪は律の為に、大切な何かを

──例えば自分の命でさえ──

犠牲にできるのでは無いか、と。
澪は自分が死ぬ事で、律を助けようと考えやしないか、と。
だから律は付け加えた。

「絶対、死ぬなよ。二人で助かろう」

「分かってる。二人で助かろうな」


 約束を交し合った直後、再び無機質な声が室内に響いた。
今回は声だけで、ディスプレイには何も映されていない。

『今より、注水を始める。ゲーム及びカウント、スタート』

 声は途絶え、ホースから勢い良く水が吐き出されてきた。




 いざ水が放出されると、澪の表情に不安が再度浮かんできた。
律とて不安だったが、励ますように言う。

「大丈夫だよ、な?」

「ああ、分かってる。でも、手、繋いでいい?」

「いいよ」

 その提案は律にとっても有難かった。
注がれる水を前にして、弱気な気分が擡げていたのだ。


『いいの?澪、居るんでしょ?』


 その時、再びスピーカーから声が響いてきた。
今度は無機質な声では無かった。人間の声だった。
それも、聞き覚えのある声だ。


『いいって、いいって。バレなきゃ浮気じゃねーし。
いちごだって、一回限りの心算なんでしょ?』


 続いて聞こえてきた声は、律自身の声だった。
律は青褪めた視線を、スピーカーへと向けた。
ディスプレイには、律とクラスメイトである若王子いちごの姿が映されている。

「なっ」

 律は絶句した。

「何だよっ、あれはっ」

 隣からは、澪の怒号が聞こえてくる。


『一回限りとは、限らないけど。律が望むなら、何回でも……』

『だーめだよ。澪ったら古風でさ。浮気とか許さないタイプのヤツなんだよ』
 二人以外には誰も居ない公園で、律といちごの唇が重なった。

『なぁ、早くいちごの家に行こうぜ?』

『そんなに私を求めてるの?』

『いや、澪に見つかったらヤバイからさ』

『帰り道、こっちじゃ無いんでしょ?』

『万が一って事もあるし。
他のクラスメイトとかに見つかって報告されるリスクもあるし』

『分かった。でもそこはね、早くお前を貪りたいから、って。
嘘でもいいから言って欲しかったな』

『じゃあ、言うよ。早くいちごを貪りたいから』

『前言撤回。やっぱり嘘と分かっていたら、虚しいだけね。
だから早く家に帰って、激しい行為で忘れさせて?
澪に負けてる女だって事』

『負けてないよ。つーか、負けないように頑張って、私を悦ばせてみな?』

『うん、頑張る。いっぱい感じて?』


 ディスプレイの中、律といちごが二人肩を並べて歩いてゆく。
その二人の背を追う事無く、画面はフェードアウトしていった。


 律の手を握る澪の握力は凄まじく、律は堪らず声を上げた。
それでも、澪の顔を見る事は憚られた。

「み、澪っ。手、手、痛いって」

「律……」

 澪は握力を緩めずに、怒りに満ちた声で呼びかけてくる。
律は震える声で返答した。

「な、何?」

「私の台詞だ。何なんだ?今のは」

 律は返答に窮した。
どう答えても、澪の怒りを静める事は不可能なように思える。

「答えろよっ」

 澪の怒号が、放水の音を掻き消して響く。
律が沈黙を続けていると、澪が再び口を開いた。

「黙ってるって事は……今流れた映像は、本当にあった事なんだな?」

 否定できなかった。
CG技術を駆使して作られた映像、などという嘘は通用しないだろう。

「でも……かなり前の事だし」

 律は目を逸らしたまま言った。

「私達が付き合った後の話ではあるんだろ?」

 澪の握力が更に増した。

「痛いっ、痛いって、澪っ」

 律は手を振って逃れようとするが、敵わなかった。

「私はもっと痛い。律に裏切られたんだからな……」

「おまっ、状況考えろって。悪かったって思ってるよ。
でもこの話は、後だ後。無事帰った後で、じっくり話し合おうよっ」

 律は尋常では無い痛みに耐えながら言う。
浮気の追及を免れる一時凌ぎだけが、提案の目的では無い。
実際に、ゲームから意識を逸らしてしまう事は、危険だと思っていた。

「分かったよ……。後でじっくり、話を聞かせてもらうからな」

 律の提案も尤もだと思ったのか、澪は握力を緩めてくれた。
律はその機を逃さず、澪と結んでいた手を解いた。

「律……?何で、手を解くの?」

 澪の口から、訝しむような声が発された。

「あ、いや。痛かったからさ。ちょっと、手冷やしたくなって」

 既に膝まで達している水に手を付けながら、律は言う。
だがそれは繕う為の言葉と仕草でしか無い。
本当は、再び澪が激して握力を込めてくるのではないか、
という恐れ故だった。
否、予感故だった。

「私とは手を繋ぐの、嫌になったのかと思ったよ。
いちごとは仲良く手を繋いでたのにね。ごめんな、いちごと違って馬鹿力な女で」

 澪は手を解かれた事が不満なのか、皮肉を放ってきた。

「いや、そーいうワケじゃ無いからさ」

 律は冷やしていない方の手を振って、その皮肉を躱す。

 その時、再びディスプレイに映像が映し出された。
水面に反射された像で、それを知る。

「今度は何だよ……」

 律は澪がそうしているように、視線を上に向けた。
そこには、律と梓の姿が映されている。
律達が部室として使っている、第二音楽室が舞台だった。


『駄目ですよ……。私、澪先輩に憧れてるんです。
憧れの人を、裏切るような真似……』 

『先にモーション掛けてきたのは、梓の方じゃん?
今更澪の名前出すとか、ずりーって話』

『でも……澪先輩は、私を妹みたいに可愛がってくれてます。
裏切るなんて……』


 鮮明に覚えている、迷いを繕っている梓の顔。
それを間近で眺めたあの時は、赤面を抑える事に苦労していた。
梓がそれ程、可愛く見えたから。

 画面越しに眺めている今は、
どれ程苦労しても青くなる顔色を抑えられなかった。
澪がそれ程、怖く思えるから。


『モーション掛けた段階で、裏切りは既に完了してんだよ。
ほら、お前の誘い通り、私は乗ってきたぞ?いや、狙い通りと言うべきかな?
意図通りの罠に嵌めておきながら、今更澪を言い訳に逃げて、
その気になってる私を生殺しとかエグくね?』

『その気、って、具体的に何を想定しているんですか』

『分かってるでしょ?やる気。いや、やられる気?』

『後悔しますよ?私は、本気、ですからね』
 画面の中で、梓に圧し掛かられた律がソファへと押し倒されていた。

『こんなトコで?梓ったら、大胆』

『言ったはずです。本気、だと』


 自分が梓に唇を貪られる映像から、律は意識を反らして視線も逸らす。
新たに視線を向けた先は、画面を食い入るように見詰めている澪の横顔だった。
未だかつて見た事の無い、憤怒の形相が滾っている。

 その表情に律が心底から震撼した時、澪が横目で一瞥を投げかけてきた。
動作は一瞬で終わっているが、それでも律の印象に焼き付いた。
律を睥睨した瞳には、尋常ならぬ憎しみが篭っていたのだから。
律は慌てて澪から目を逸らして、再度画面へと視線を向けた。


『んんっ。梓ぁ』

『はっんっ、律先輩……律せんぱぁい……律、律、律ぅ』


 かつて繰り広げられた、肉体の合わさる光景。
それがディスプレイの中で、繰り返されている。
艶美な声を上げながら、二人の身体は激しく擦れ、縺れ合う。

 澪を横目で盗み見ると、震える拳を握り締めてその場面を凝視していた。
迫り来る衝動を抑えようと、歯を食い縛って唇をきつく結んでいる。


『ごめんなさい……澪先輩……澪お姉ちゃん……ごめんなさい……』


 澪に謝りながら、律を貪り続ける梓。
謝る姿は聖者のようで、そして貪る姿は獣のよう。


『澪の名前出すんじゃねーよ、萎えるだろーが』


 聖者を窘め、野獣を礼賛する律の声で映像は終わった。
再び暗くなるディスプレイ。
音声だけが、もう一度リピートされて狭い室内に反響する。
それは映像を編集した者の悪意を醸し出す、醜悪な演出だった。


『澪の名前出すんじゃねーよ、萎えるだろーが』


 反響が鳴り止まぬ内に、澪の咆哮が重なった。


「律ぅぅぅぅぅっ」


 叫びながら、澪は動き出していた。
凄まじい勢いで首を律に振り向け、太腿まで達している水に構う事無く突進してきた。

「ひっ」

 律は短い悲鳴を上げると、逃れようと試みた。
こんなに狭い空間内で逃れきれるはずも無い、それは律とて理性では分かっている。
しかし、恐怖を訴える本能には逆らえなかった。

「私から逃げるなっ」

 叫んだ澪が自らの足元へと、手を潜らせた。
途端、左足首を強く引かれたように感じ、律は体勢を崩した。
崩れた身体を立て直せないまま、水面へと転倒する。

(ああ、そうか。鎖を引っ張ったのか。
二人を結び付けてるもんな。お前から、逃げられないよ)

 上がる飛沫の中、律は見ていた。
自分に向かって伸びてくる手、
その向こうに浮かぶ怨嗟を漲らせた澪の表情を、見ていた。


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