ディスプレイに映し出された人形は、
顔の左側が澪を模して造られており、右側が律を模して造られている。
タキシードに身を包み、胸元には青と黄色の混じったリボンが付けられていた。

「おい、何が目的でこんな事するんだっ」

 不気味な造形に気圧されつつも、律は勇気を振り絞って叫んだ。

『君達とゲームがしたい。その為に、ゲームルームに招待した』

「ゲーム、だって?」

 律は訝しげに呟いてから、人形に向かって言う。

「ゲームとやらに参加する心算は無いぞ。今すぐ帰してよ。
そもそも、招待以前に誘われた憶えなんて無いからな」

『拒否権は無い。だから誘わずに攫った。
薬を嗅がされた記憶は、ショックで消えているのか。クロロホルムは凄いね』

 その話を聞かされた今となっても、律の記憶は蘇ってこない。
それがショックのせいなのか薬のせいなのか、律には判別が付かなかった。

「大体、何をやらせる心算だよ……」

 律は諦め気味に呟く。
拒否権が無いであろう事は予想できていたが、それでも失意が沸いてきていた。

『ゲームのテーマは、絆。二人の絆を確かめさせてもらいたい。
ルールは簡単明瞭。1時間、そこで耐えてもらうだけ。
それが勝利条件だ。
但し』

 律は身構えた。居るだけで終わるはずが無い、その予感があった。

『この画面の脇に幾つかホースがある。そこから水を注がせてもらう。
40分程度で水面が2メートル40センチの高さに達し、
後は制限時間の残りまでその高さから減らないように注水する。
一応、天井付近にも強力な目張りはしてあるが、
それでもドアの隙間等からの漏れは完全に防げない。
その漏れをフォローする為の、注水だと考えてもらえればいい。
制限時間の1時間が過ぎれば、速やかに救出を行う』

 淡々と告げる人形に対し、澪は血の気の引いた顔を向けていた。
律は対照的に、怒りを露わにして叫ぶ。

「ふざけるなよ……死んじまうだろっ」

『さて、ここで生き残る為のヒントをあげよう。
まず一つ目。二人を結ぶ鎖の長さは、1メートル10センチ。
自分の身長と合わせれば、
一人だけなら水面から顔を出して呼吸し続けられる。
だが、二人同時に呼吸はできない長さだ。
一人で空気を独占したければ、置いておいた武器を自由に使えばいい』
 包丁の事を言っているのだろう。

(殺しあえってか?誰が、そんな要求乗るか)

 律は胸中で憎々しく呟いた。

『ヒント二つ目。中央の輪を抜こうなどとは思わない事だ。
助かる上で、それは不正解。裏に返しを付けている。
到底、抜く事などできない。
ヒント三つ目。包丁で足首を切断しようなどとは思わない事だ。
出血多量で死ぬ。尤も武器、包丁で自殺すれば、もう片方の人間は助かるがね。
そして、最後』

 焦らすような間を置いてから、人形は続けた。

『二人とも助かる方法はある。それは至ってシンプルな事だ。
既に気付いているかもしれないくらい、簡単に分かる事だ。
難解な話じゃない、その答えに辿り着くのは容易だ。
このゲームのテーマ、絆。その絆を見せてくれ。
二人の間に真の絆があれば、二人とも助かる。
では、15分後に注水を始める。そこから制限時間のカウントはスタートだ。
それまで作戦会議でもしていればいい。
話は以上だ』

「ま、待てよっ」

 律は咄嗟に叫んだ。

「お前、一体誰なんだよ?何がしたいんだよっ」

『言ったはずだ、君達とゲームがしたいと。
ゲームの目的も、君達の絆を確かめる事だと』

「ああ、言ってたな。でもお前が誰かは聴いてないぞ。
それと、ムギはどうしたっ?私達を攫ったってのは聞いた。
でも一緒の別荘に泊まっていたムギ、あいつはどうしたんだっ?」

 律と澪をゲームに招待する事が目的なら、
二人を攫う上で紬は障害になったかもしれない。
二人を攫って監禁した今となっても、
自由にしておけば警察等に相談される恐れがある存在だ。
そう思うと、紬の安否が気遣われた。

『彼女に付いては、死んではいないとだけ言っておく。
ゲームに勝ち残った時に、彼女がどうなったか教えてやろう』

 ディスプレイが暗くなった。

「生きてはいるんだ、な」

 安心していいのだろうか。
人形の思わせぶりな発言から察するに、
生きてはいても何らかの危害は受けているようだった。


『ツムギソウ』


 紬の安否に気を揉んでいる律の耳に、無機質な声が届いた。

「えっ?」

 律がディスプレイに目を向けると、再び人形の姿が映っていた。
”罪無偽装”と書かれた看板を首に掛けている。

『ツムギソウ、それが私の名前。
ムギソウと呼んでくれても構わない。
それでは、健闘を祈る』

 その言葉を最後にディスプレイから人形が消え、無機質な声も途絶えた。




「おいっ。まだ聞いてない事があるぞ。
制限時間が過ぎた時、排水って何処から行うんだ?
それと、本当に一時間だけ耐えればいいんだな?ムギソウ、おーい」

 律が呼びかけたが、反応は無かった。
一旦ブラックアウトしただけの先程とは違い、今回はもう応答終了らしかった。

「ちっ。さっきと違って、もう姿は見せないか」

 律は憎々しげに呟いた。

「な、なぁ、律。ど、どうしよう?早く助かる手段、考えないと」

 澪の声は不安に満ちていた。

「いや、それに付いては、もう見当が付いてる」

「ほ、本当かっ?私達二人とも助かる手段が、か?」

「ああ。ただ……」

 律は顔を曇らせた。
果たしてこの案でいいのだろうか、その不安があったのだ。

「ただ?何か問題でもあるのか?取り敢えず提案してみろよ。
それで、問題点を考えてみようよ」

 澪が急かしてきたので、律は取り敢えずその答えを口にしてみる事にした。

「そうだな……っていうか、冷静になれよ。
澪って私より頭いいじゃん?だから、冷静にさえなればすぐに気付けるよ。
いいか?鎖の長さは110センチで、私の身長は154。澪が160くらいか?
水面の高さが240。二人同時には無理でも、片方だけなら息継ぎができる」

「ああ、その通りだ。さっき、ムギソウが言っていた事だな」

「うん。でさ、この鎖の範囲内でなら、移動は自由じゃん?
つまり、水が満ちても、交互に息継ぎしてれば、二人とも助かると思うんだけど。
初めて会う二人ならともかく、私と澪だよ?昔からの親友で……そして恋人だ。
信頼関係もあるんだから、予め交互に息継ぎするって決めとけば、助かりそうなんだけど」

 澪が目を見開いた。

「そうだよ、その通りだよ。交互に息継ぎしてればいいんだ。
本当に冷静さを欠いていた。恥ずかしいよ」

 澪は頬を赤らめた。

「いや……でもさ、本当にこれでいいのかな?」

 律はその案に自信が持てていない。

「何だ?何か問題あるのか?」

「ああ。簡単過ぎるんだよ。普通、こんなの気付くだろ」

「私は気付けなかったけどな」

 澪は苦笑を浮かべた。

「いや、澪はほら、動揺してたし。でも私が言わずとも、すぐに気付いたと思うよ。
とにかく、ここまで仕掛けをしておきながら、
こんな簡単な方法で二人助かるってのがちょっと気に懸かってる。
ゲームの謎解きにしては、簡単過ぎる」

 律の懸念はそこだった。そう、簡単過ぎるのだ。
果たしてこの程度の難易度でしかないゲームを行う為に、
ここまで大仰な仕掛けを凝らすだろうか。
律は顎に指を当てた。

「何言ってるんだよ。ムギソウも言ってただろ?
シンプルだって、簡単だって、容易だって。
それに、ゲームのテーマ、絆だったよな?
息継ぎを交互に行えるかどうかで、絆を確かめようとしているとすれば、
テーマにも沿うぞ」

 澪は答えを得た事で余裕を取り戻したのか、楽観的な意見を口にしていた。
だが、冷静とは言い難い、そう律は思った。
冷静と楽観は違う態度なのだから。

 だが、律とて代替の案は浮かんでこない。
それに、澪の意見は的を射ている部分も多々あるのだ。
少なくとも、ムギソウのヒントやゲームのテーマと、辻褄は取れている。
何より、澪を不安がらせたくは無かった。
先程までの動揺していた姿に比べれば、今の楽観的な澪の方がまだ良かった。
だから律は胸中に不安を抱えつつも、肯定の言葉を返す。

「まぁ、確かに、な」

「あ、でも律……。ゲームにクリアしたとして、私達は帰してもらえるのかな?」

 澪の口調が、再び不安に震えていた。
ゲームはクリアできる前提で、澪は考えているらしい。

「それに付いては、大丈夫だと思うよ。
さっき人形を登場させてただろ?音声だって、機械通して加工してた。
口封じに殺す心算が無いから、犯人推測させる材料提供してないんじゃね?」

「随分、楽観的なんだな」

 澪にそう指摘され、律は少し愉快な気分になった。
ゲームに対する澪の姿勢を律は楽観的だと思っていたが、
澪は状況に対する律の姿勢を楽観的だと思っている。

「ふふっ、私達、本当にいいコンビだよ、澪。ふふふっ」

 堪えきれずに笑いを零すと、澪が呆れたように言う。

「何が可笑しいんだよ……」

「さってね」

「全く……。少しは真剣に考えろよ。
本当に、このゲームの設定通り、絆を確かめる事が目的だと思うか?
絆を確かめる、なんていうのはきっと口実だよ。
或いは、そういうシチュエーションの設定。
どうせ本来の目的は、スナッフビデオの撮影辺りだろ?
なら、私達はゲームの成否関わらず口封じに……」

 澪はそこまで口にしてから、身を震わせた。

「どうせ殺す心算なら、こんなゲーム組む必要なんて無いだろ。
もっと派手に確実にやっちまえばいい。
まぁ、スナッフの可能性だって排除できないけどさ。
それでも殺しはしないと思うよ。
ゲーム設定のスナッフなら、ゲームのクリア未クリアに関わらず殺してしまうと、
観る側は興醒めだよ。
口封じで考えるなら、殺すよりも金を握らせた方が、捜査の手は伸びにくいだろうし」

 そもそもスナッフビデオだとするならば、
ゲームの条件が優しすぎると律は思った。
スナッフビデオの舞台裏など、律は当然知る由も無い。
だが簡単に双方助かる手段が用意されていては、
そもそもスナッフビデオの用を為せるか疑わしかった。

 それに律は、一つの疑いを抱いていた。

──自分の知り合いがこのゲームを組んだのでは無いか──と。

勘の範疇は出ておらず、具体的な根拠にも欠けている。
見ず知らずの人間が不作為に自分達を選んだとは考え難い、
という消去法を基にした疑いでしかない。

「そうか、そうかもな……。ところで、律」


 律の言葉に安心したのか、澪の声には力が戻っていた。

「何だ?」

「もうすぐ注水が始まるけど、その前に服、脱いだほうが良くないか?
水を吸って重くなると、体力的にもきつくなるだろうし」

「それもそうだな」

 律は同意した後で、諧謔的な調子で付け加えた。

「スナッフからポルノにシフトだよ。満足か?ムギソウ」



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最終更新:2011年10月23日 00:32