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そして、軽音部が人数の不足から公式の部活として未だ認定されず、日々何となくの勧誘などを続ける中、あの日がやって来た。
それまでの人生をひっくり返すような衝撃を私に与えたあの日。
これまでの人生でも、あれを超える衝撃を受けた事はない。
それはある放課後の事だった。
りっちゃんが一人の女の子の手を引いて音楽室に入って来る。
キッズモデル的な肢体、振舞い。
私が今まで知らなかった子。
私は魅了された。
一瞬で恋に落ちた。
初めての恋。
私は自分の恋のために、りっちゃんと澪ちゃんの二人は廃部を免れるために唯ちゃんを引き止めた。
そこからが私に取っての特別な日々。
ロックンロールと言う不気味な音楽は私を縛り付けていた上流階級的な抑圧から解放してくれた。
そして友人達は、私に暖かさをくれた。
つまり、それは音楽と自由(この二つは不可分で)、そして愛をあの音楽室が与えてくれたと言う事。
結局、高校三年間で唯ちゃんへの愛の告白どころか、皆に自分のセクシャリティをカミングアウトする事も出来なかった。
そこは、セクシャリティと言う点は除外せざるを得ないけれど、私が初めて手に入れた孤独や疎外感を感じず、生きられる場所だった。
それを万が一にでも、失うような選択を取れようはずも無かった。
にも関わらず、いや、だからこそ素晴らしい掛け替えの無い日々だった事には変わりはない。
けれど、人は楽園をいつか追放される。
またしても、周囲の環境が永続的なものであると言う私の認識が甘ったれたものであると言う事を思い知らされる事となったのだ。
一生の関係だと誓い合っていた私達は当然揃って大学に入学する事となった。
ある種閉ざされた時空間である地方女子高とは違う開かれた社会。
開かれた窓から様々な風が流れ込んでくる。
不穏な風も流れ込んでくる。
飲酒、喫煙、合コン…etc。
まずは、りっちゃんが対バンでやったライブをきっかけに、共演バンドの中の一人と付き合いだした。
私は少しだけショックを受けたのを覚えている。
恐らく、りっちゃんと澪ちゃんが付き合いだすのではないか、いや、そうなったら良いな、と微かな希望を抱いていたからだと思う。
それから、澪ちゃんが合コンで知り合った他大学の男の子と付き合いだした。
酷い言い方をするようだけど、相手は人畜無害であることだけが売りのような男の子だった。
この時は、りっちゃんの時ほどはショックを受けなかった。
私はりっちゃんと澪ちゃんをセットで捉えていたし、たとえ澪ちゃんが世の99%の男の子に幻滅しているようなタイプでも、りっちゃんが押し切るような形でなければ二人がそう言う形になるとは思えなかったからだ。
となると、りっちゃんが男の子と付き合いだした以上は、澪ちゃんが随分な妥協をしたとしても、男の子からの誘いを受け入れるのは時間の問題で、りっちゃんのある意味青天の霹靂とも言える報告の時とは違って、澪ちゃんに関しては覚悟を固める時間があったのだ。
・・・
梓ちゃんが一年遅れてN女子大に入って来て、五人で飲んでいた時の話だったと思う。
律「なあ、ちょっと重要な話があるんだけど」
澪「なんだよ、律、そんな真剣な顔して」
唯「おお、りっちゃんが真剣な表情!受験の時以来だね」
梓「なんですか、どうせ下らない事なんだから勿体振らないで、さっさと話して下さいよ」
律「中野…、お前とはその内きっちり話を付けなきゃならないようだな…」
梓「はいはい、分かりましたから、さっさと話してくださいよ、その重要な話ってのを」
律「あのな…」
私は、酔っている振りをして、返事をしなかった事を良く覚えている。
澪「ん、どうした?」
唯「りっちゃん?」
律「昨日、アイツと一緒に出かけたって言ったじゃん?」
唯「アイツって彼氏さん?」
律「…」
りっちゃんは皆が聞き取れないような小声で何か呟く。
でも、私には聞き取れた。
澪「律?」
梓「律先輩?」
唯「りっちゃん?」
りっちゃんは、最初より少しだけ大きな声で報告をする。
律「やった…」
あーあ…。
澪「り、り、り、りりり…」
澪ちゃんは、りっちゃんの一言が何を示しているか分かって、真っ赤になっている。
唯「へ?何何?」
唯ちゃんは、分かって無いみたい。
梓「もう…、律先輩は…」
梓ちゃんも分かってて、恥ずかしいのだろうけど、それを表に出さずに呆れたような表情を作っている。
そう、人の性愛を求める心性を留める事は出来ない。
そのりっちゃんの告白に影響されたのか、焦らされたのか分からないけど、唯ちゃんがその一月後に男の子と付き合いだした。
その失恋は、私に全てが終わってしまったかのように思わせた。
私は年老いた自分が、小雨そぼ降る中、レインコートの襟を立て暗い夜道を一人歩いている姿を想像する。
私に声掛けてくれる人は誰もいない。
私を照らす灯りも無い。
それが私の人生の末路のように思えた。
・・・
Boooom
Boooooooom
何十キロ離れたところまでだって届くような低音が轟く。
田園の中で踊り狂う数万の人々。
煽る必要も無いほど上がりきった観客。
さわ子さんは、鬨の声を上げてそこに突入していく。
私もそれに負けじと続く。
さわ子「あはは、ムギちゃんも来た!」
紬「ええ、ロックンロールタイムですから!」
人々の足は泥を跳ね上げ、私のパンツの裾は早くも泥塗れ。
パンツインを選択したさわ子さんの選択は正し過ぎるぐらい正しいかった。
・・・
どのような形で両親や皆に留学を言い出したのかは良く覚えていない。
その理由は随分適当にでっち上げたものだったと思う。
両親は海外に出るのは良い事だ、と諸手を上げての賛成。
私の桜が丘への進学さえ不満だった両親の事だ。
よりステータスの高い海外留学は望むところだったのだろう。
皆はどうだったろうか。
りっちゃんと梓ちゃんは戸惑いつつも応援してくれて、澪ちゃんは酷く混乱していたように思う。
唯ちゃんは、涙を流して引き止めてくれて、その事自体は嬉しかったけど、でも、唯ちゃんへの失恋が原因なのだから、少しだけ苛ついたのも事実だ。
紬「私はもっと悲しかったわ、唯ちゃんが…、唯ちゃんさえ私の傍にいてくれたら、こんな事言い出さなかったのに!」と言う風に。
つまり、私が取った行動は、失恋と言う人の世界観を大きく揺るがせる出来事と対面した時に多くの人が取るありがちな行動でしかなかった。
所謂、自棄になると言うやつ。
・・・
私の旅立ちの日。
皆が空港まで見送りに来てくれた事を覚えている。
私はまずりっちゃんを抱きしめた。
紬「りっちゃん、ありがとう。りっちゃんが私を新しい世界に連れ出して、自由と愛を与えてくれた。いくら感謝してもし足りないぐらい」
律「あ、うん…。そ、そんな風に改めて言われると、照れるな…」
りっちゃんは、少しだけ照れたように、でもいつもみたいに照れ隠しに大袈裟にもしない。
ただ、悲しげな表情のまま、頬を赤らめただけ。
それから、澪ちゃんに。
紬「澪ちゃんはりっちゃんと仲良くね。やっぱり二人がHTTの両輪だと思うの」
澪「ああ、分かってる」
澪ちゃんは、力強く頷いたわ。
梓ちゃんは小さくてとても抱き心地が良かった。
紬「梓ちゃん」
梓「は、ひゃい!」
紬「そんな風に緊張しないで」
梓「き、緊張なんてしてないです」
紬「うふふ…。一回だけあずにゃんって呼んじゃおうかな」
梓「え?!」
紬「冗談よ」
梓「そ、その…」
紬「ん、なあに?」
梓「…、また…、戻ってきますよね…?」
…。
紬「…、ええ、勿論よ…」
梓ちゃんは私が返答に少し間を開けた事に凄く不安そうな顔になった。
まだ、将来的にどうしようなんて具体的に決めていなかったけど、ただ梓ちゃんの不安を解消させるためだけに私は梓ちゃんの望む言葉を言ってあげたの。
そして、唯ちゃんの方へ向き直る。
私の特別な人。
もう、唯ちゃんの目じりには涙が浮かんでいた。
唯ちゃんの方から私に抱きついてくる。
私は唯ちゃんの耳元に唇を寄せる。
そして…。
・・・
さわ子さんは助手席で寝袋に入って、既におだやかな寝息を立てている。
紬「ふふ、ここだって、結構大きな音してるのにね」
私達は会場の周囲で開かれている無数の小さなパーティに移動して来ていた。
昼間から大量にアルコールを摂取して踊りまくったさわ子さんは、夜も早い内に睡魔に取り付かれてしまったようで、それだったらと言う訳で車に戻り、でも、少しでも音楽を楽しもうと、私達は今このようにチルスペースのサウンドシステムの近くに車を止めていた。
サウンドシステムのスピーカーからは柔らかいソウルミュージックが流れる。
私は外の空気を少しだけ吸いたくなって、助手席にさわ子さんを残したまま、車から降りる。
私が車を降りたところを見計らったように、レイブグル(導師)のような人がフレンドリーな様子で近づいて来る。
…。
あはは。
・・・
どこにいたって私は食物連鎖の頂点に立つわ。
だから、大事なもの全てを、そして自分の心さえも投げ出してこの国にやって来た時、私はもう一度自分の独自ブランドを復活させることに決めた。
今度は自分の全てを動員しての総力戦。
向こうの人から見ればエキゾチックな外見も、長期の私費留学を可能にする財力も、全てを一つの目的に注ぎ込む。
相手も私をただ一時のパートナーとしてしか見ないのだから、私も彼女らを尊重しない。
それが私の生き方なのだと意気込んでいた。
だが、私も大人になっていたし、以前と違い周りもベテランばかりだったので、次第にそこまで気を張る必要が無いのだと言う事が分かってくる。
ただ、シングルの同性愛者として、そう言うグループに入って、自分とマッチする相手を探せば良いだけ。
さわ子さんが勘ぐったルームシェアをしていた相手と言うのも、この頃付き合っていた内の一人で、いまや私のものとなった、オンボロなロックモービルもその娘が持ち込んだものなのだ。
あの頃、私は失恋の痛手から回復して、全てを手に入れたと思っていた。
愛情もあり、彼女らとうろついたパーティやフェスが音楽を与えてくれてもいた。
そして、一番大事な事だけど「多幸感」もあった。
それは、指先が触れ合うだけで、幸福が全身を駆け巡るようなあの感覚を与えてくれる大切なもの。
それらが、私を満たしてくれると思った。
皆ニコニコしてハグ。
キュートな女の子達もいっぱい。
アーリーティーンエイジャーの娘達なんかもやって来て私にキスしてくれる。
私もキスを返す。
男の子達にもハグされる。
でも、それも赦しちゃう。
下心が無いってのが分かるから。
偽りのベールは剥がされる。
そこは掛け値無しに「真実の世界」だった。
皆踊り狂っていた。
狂っていた。
ハッピーなクラウド達は飛び跳ねて、そして自分達の服が汚れるのも気にせず転げまわる。
物憂げな顔して隅から眺めている娘なんか一人もいない。
トイレの中ではもっと酷い事になっている娘がいる可能性はあったけど、私はそんな事は気にも留めなかった。
そこにいる皆を愛していて、そこにいる皆が私を愛していてくれた。
「うわっ…、来てるチョー来てる」
「ねえ、最近ずっとハッピーじゃなかったんだけど、やっと笑えるね」
「クラクラする…、あ、眩しい!」
「ホント最高ー、ドゥードゥルドゥードゥル」
「飛ぶぞ飛ぶぞ飛ぶぞぉ!!」
「鼻の穴焼けそぅ…」
「チョー、ヤバイ!」
週末ごとにあの家に集まる。
決めてから出かける事もあったし、あの庭でやった事もあった。
ともかく、最高だったと思う。
音楽室と同じぐらいのサイズのあの部屋が、私が置き去りにして失くしてしまった部分に丁度嵌まるような形で、私を満たしてくれているのだと思えた。
つまり、あの家が私の全てになっていた。
そんな中、私はその内の一人の女の子に絞って本格的に付き合い始めた。
彼女のことは「私達の場所」で何度か見かけたことがあると言うぐらいだったけど、良くある話で、何時の間にかちょっとした知り合い気分だった。
チルスペースで、二人して並んで巻紙を巻いたり、ジョークを言って笑いあったり。
ある日、家に帰っても、身体から「多幸感」が抜け切らないままで、ベッドに入っても眠れなかった時、彼女の事が頭から離れなくなって、だから、私は起き上がって彼女に電話をしたのだ。
正式にパートナーにならないかって。
彼女は私を思い浮かべてオナニーするのにも飽きてたところなのと、笑いながらちょっと下品な事を言って、私の申し出を受け入れてくれた。
まだ、残っていたアレの影響もあって、その時の私と来たら、天にも昇る様な気分だった事を良く覚えている。
だけど、その頃にはもう全てがシンプルでは無くなってしまっていた。
シーンは殉教者を要求し、その数はどんどんと増える時期を迎えていたの。
「トイレでやんのが最高なのよねぇ」
「粗いまんまでやると酷いよ?」
「あはは、粘膜駄目になり過ぎてんじゃないの?」
「スピードがひっついた鼻糞ほじってる子見ちゃった。随分な間抜け顔でさぁ…」
「目が霞んで良く見えないんだけど、ここんとこに何て書いてあんの?」
「アミル、アミル回してよ」
「ぶちのめされた時用のクサ回してよ、必要でしょ?」
最終更新:2011年10月14日 22:24