私はベンチに座り、空港ロビーを行き交う人々を眺めていた。

人と荷物の集まる場所である空港。

そして、ホリディシーズン真っ盛りの今。

ロビーを行き交う人の数も普段の何割か増しのように見える。

でもだからと言って、ただ全体の雰囲気がせかせかした余裕の無いものになっているかと言うとそれも違っている。

例えば、今、私の目の前を通り過ぎて言った家族。

こどもが両親の手を引いて、一歩でも速く飛行機に乗りたいと言う感じで飛び跳ねている。

両親も子どもが他の利用客の迷惑にならないようにと言う節度を感じさせるはしゃぎ方をしていたので、それを叱り付ける事もせず、逆に合わせる様にしていて。

こどもも、そして両親もこれからの楽しい休暇に心を躍らせているに違いない。

その幸福を絵に描いたような家族の様子を見て微笑まないでいられる人と言うのは、そうはいないと思う。

だから、私もそれを見て微笑むの。


紬「ね、私の休日はどうなると思う?」

旧知の人に会うと言うイベントをこれから迎える私の心臓は緊張のためか、いつもより少しばかり速い鼓動を刻んでいた。


私が選択した異国の地で暮らすと言う人生は、当然旧知の人に会うと言う機会を少なくしているとこ
ろがあって、今回だって相手の方が来てくれると言う事でなければ、こう言う流れになっていない。

紬「もう、そろそろね…」

インフォメーションボードは、彼女の搭乗している飛行機の到着を知らせていた。

?「やっほー、ムギちゃーん」

来た!

私は思わずベンチから立ち上がって、声のした方を見る。

ああ、会うのは久々だけど、あの頃と全然変わっていないように見える。

あの頃学校で見ていた姿と違って、休日なのでやっぱり少しくだけた格好をしているけれど。

・・・
・・・

紬「先生、お久し振りです」

さわ子「ムギちゃんも久し振り…」

先生は少し目を細める。

紬「ん、何です…?」

先生はいたずらっぽい笑みを浮かべて、私の疑問に答える。

さわ子「いや、あまりのオーラに圧倒されてました」

先生…。

さわ子「あの頃も綺麗な娘だと思ってたけど…、ちょっと今からガン見するわね?」

紬「先生…、止めて下さい…、ちょっと恥ずかしいですよ…」

さわ子「うふふ、良いじゃないのぉ、久し振りなんだし」

先生は、私を頭頂部からつま先まで、観察するように見る。

さわ子「ふーむ、ホント、感心する程隙が無いわね…。着てるものもそうだし、パーフェクトって感じで、ねー?」

紬「せ、先生…、ひゃっ、ちょっと、そんなとこ…、触られたら…」

さわ子「あの頃はちょっと、ぽっちゃりしてたし、正直澪ちゃんほどでは無いと思ってたけど、ほら
ここらへんもすっきりして…、うーむ、これほどの逸材とは思わなかったなー」

それがあの頃からの、先生得意の冗談だって言うのは分かったけど、私は一応の抗議を試みる。

紬「あ、あの…、先生…」

先生は、私の言葉を遮るように目の前にピッと指を立てる。

さわ子「私とムギちゃんはもう先生と生徒じゃないわ」

紬「じゃ、じゃあ、なんでしょう…」

さわ子「友達?」

友達…、それはとても魅惑的な響き。

紬「え、ええ、そうです!もう、先生と私は友達です!ね!」

さわ子「だから、これからは、先生ではなく、あの頃のりっちゃんや唯ちゃんみたく、さわちゃんと呼ぶこと」

さわちゃん…。

さわ子先生をちゃん付け…。

素敵!

私はドキドキしながら、その言葉を初めて発音する。

紬「さわちゃん…」

さわ子「なぁに、ムギちゃん」

紬「さわちゃん」

さわ子「何?」

紬「さわちゃん!!」

ああ、なんと言うこの高揚感。

だが、一言発する毎に上がっていく私とは逆に、さわちゃんのテンションがどんどんと下がっている事に気付く。

紬「さわ…、ちゃん…?」

さわ子「ごめん、この年でさわちゃんはきつかったかも…。ムギちゃんももうあの頃の私と同じぐらいになってるんだし…、でも私なんか未だに一人身だし…」

えっと…。

あ、さわちゃんが…、萎んじゃう…、ちっちゃく…。

さわ子「さわちゃんは無し。さわ子でお願い」

紬「さわ子さん…」

さわ子「うん…、そうね、それが良いかな」

紬「さわ子さん」

さわ子「はい、ストップ」

あ、これ、さわ子さんの「突っ込み」よね。

紬「はい!」

さわ子さんは、少し怪訝な顔で私を見る。

ふふ、私「突っ込み」されるのが夢だったの~って?

・・・

さわ子「凄い車!私なんかまだちっちゃいのに乗ってるのに!」

さわ子さんは駐車場に止められた私の車を見るなり、さっきまでのロウなテンションはどこへと言う
感じで、興奮を隠さない。

私の車は父が就職祝いにと、プレゼントしてくれたものだった。

紬「自分のお金で買ったものじゃないですし…」

さわ子「だって、アストンよ!ボンドカーじゃない!」

あまり大袈裟な驚き方をされて、私は反応に困ってしまう。

そんな私の様子を察してか、さわ子さんはクスリと笑うと、私の肩に手をおく。

えっと…、わたし、そんなに困ったような顔してたました?

さわ子「少し羨んで見ただけだから」

紬「いや、それだと、やっぱり…」

さわ子「ふふ、冗談よ。じゃ、お願いね、ムギちゃん」

紬「わかりました」

さわ子「スピード出しても良いわよ」

紬「あら、私はいつでも安全運転主義ですよ?」

さわ子「でも、こんな車乗ってると?」

うふふ、さわ子さんはやっぱり一枚上手と言う感じ。

・・・

さわ子「凄い加速」

紬「予測してたの違います?」

さわ子「う、うん」

さわ子さんがあまりに驚いたようだったので、私は少しアクセルを緩める。

さわ子「免停は?」

紬「幸いな事になった事が無いです」

さわ子「そう、それは良かったわ」

さわ子さんは少し疑うような様子を見せながらも、納得した様子を見せ、それから大きなあくびをする。

さわ子「少し、寝ていい?」

紬「ええ、このペースで飛ばしても二時間は掛かりますから」

さわ子「信じてるわ、ムギちゃん」

紬「はい、任されました」

さわ子さんはそう言うと、シートを倒して目を閉じたようだった。

私はさわ子さんが持ち込んだ昔の空気に、何となく微笑みを浮かべてしまう。

・・・

前を走るトラックが近づく。
紬「前がクリアじゃないと、ちょっとね…」

私は車線変更し、そして一気にパスしようと、シフトダウンのためにパドルに手を掛ける。

だが、視界の隅にさわ子さんの寝顔を捉え、思いとどまる。

紬「起こしちゃう…、かな…」

隣に人を乗せている時ぐらいは、ちょっとばかりのんびり運転をしても良いかも知れないし…。

さわ子「ね、ムギちゃん?」

紬「起こしちゃいました?」

さわ子「ううん、きちんと寝れてた訳でもないから」

さわ子さんは、目を閉じたまま言葉を続ける。

さわ子「ね、ムギちゃんはこっちに来て、どれぐらいになる?」

紬「そうですね…、もう…、五年ぐらいですか?」

さわ子「そう…」

さわ子さんはそれっきり、口をつぐむ。

私は気付く。

さわ子さんが、自分の疑問を私にぶつけるかどうかを迷っている事に。

私は、となりのさわ子さんのことが気になりつつも、一段シフトダウンしてギアを踏み込む。

その瞬間、Gが私達を覆い、そしてフロントガラスから見える視界は少し狭くなる。

・・・

紬「着きましたよ、さわ子さん」

さわ子さんは長いフライトの影響かそれなりに深く眠っていたようで、まだきちんと覚醒し切れてはいないようだった。

さわ子「あ、うん…」

さわ子さんは起き抜けの緩慢な動きで窓の外を見る。

さわ子「…、ねえ、ムギちゃん?」

紬「はい…?」

私は、さわ子さんが先ほどのしようとしていたであろう質問を今ここでするのか、と身構える。

さわ子「意外と普通の家ねえ?」

紬「それは…、って、はい?」

さわ子「えー、だってだって、車はこんなんだし、実家はあんなんだし、別荘もあんなんだし、それ
に、こんな片田舎だもの。それで、ムギちゃんの家って聞いたら、もっと凄い、古城!みたいなの想像するもんじゃない?」

私は思わず噴出してしまう。

紬「ふ、ふはっ、ふふ…、うふふ」

さわ子さんは私の反応に少しだけ拗ねたような顔をする。

さわ子「え、え、普通の反応でしょ?!」

・・・

さわ子さんはティータイムスタンドを見て、はしゃいだ様子を見せている。

さわ子「これよねー、本場って感じで、この二段のスタンドがねぇ…、あー、テンション上がっちゃうなぁ、スコーンも良い香りだし…、これ焼き立てよね?」

紬「はい。生地は作りおきのものですけど」

さわ子「じゃ、頂きまぁす」

さわ子さんはスコーンに手を伸ばし、二つに千切るとハンガリー直輸入のアカシア蜂蜜をたっぷり塗って、口に放り込む。

さわ子「美味しい~。もう、最高…」

紬「ふふ、ありがとうございます」

さわ子「くるみ入りなのが、また良いのよねぇ」

紬「ええ、プレーンだと少し食べでが無いですし、ドライフルーツや栗だと蜂蜜やシロップを塗ることを前提にするとお菓子っぽくなり過ぎちゃうかな、って」

さわ子さんは、感心したような視線を投げかけてくる。

さわ子「ムギちゃん」

紬「はい、何でしょう?」

さわ子「私のところにお嫁に来ない?」

上手い返しが出て来なくて私は少し口ごもる。

紬「えっと、いや、その…」

さわ子さんは、そんな私の様子をおかしそうに見ていたかと思うと、クスリと笑う。

さわ子「冗談よ。ほんの冗談じゃない」

紬「そ、そうですよね」

そうだ、きっとほんの冗談。

そこには何の意味もあってはならない。

さわ子さんは、私がそんな風に考えているのを知ってか知らずか、スコーンを三つほど、ビックリするようなスピードで平らげる。

さわ子「あー、美味しかったわ。それに紅茶もね。久し振りに入れて貰ったムギちゃんの紅茶、やっぱり最高だったなぁ」

紬「お粗末さまでした」

さわ子「お風呂借りて良いかしら。安い南周りの飛行機使ったから、ほぼ二日お風呂に入れて無い感じなのよ」

紬「あ、はい、一階の突き当たりのとこです」

さわ子さんは、椅子に掛けていたシアサッカーのサマージャケットを抱えると、鼻歌を歌いながら部屋を出て行こうとする。

さわ子さんのそんな様子を微笑ましく眺めながら、テーブルの片付けをしようとした私に、さわ子さんは足を止めて声を掛けてくる。

さわ子「ねえ、ムギちゃん?」

ムギ「はい…、何で…、しょう…?」

さわ子「ここには一人で?」

ムギ「ええ、今は」

さわ子「そっか…」

私は変な想像をされると嫌なので、必死で言い訳をしてしまう。

紬「ち、違いますよ?!ルームシェアをしてたんです」

さわ子さんは、ただニコッと笑う。

さわ子「え、私何も言って無いし、何も思ってないけど?」

それにしてはちょっとその表情が怖すぎますけど?

そう、ルームシェアをしていただけですもの。

さわ子さんは、フッとと真顔に戻って言葉を続ける。

さわ子「ねえ、この部屋って…」

紬「はい」

さわ子「ちょうど、あの部室と同じぐらいの部屋の広さね。お茶会をするにも丁度良い広さ」

私が言葉に詰まっていると、さわ子さんはちょっと不思議な笑いを見せて部屋を出て行く。

だから私、さわ子さんの出て行った扉にベロを出してやるの、ベーって。

・・・

私の同性愛者としての人生は、今から遡ること十年ほど前、周囲のストレートな人間達が異性に興味を持つのと同じ頃にスタートしている。

性に目覚めたばかりの同性愛の少女に取って女子校の生活と言うのは、途轍もなく魅惑的な社会だった。

男性の目の無い空間における、女の子の振る舞いと言うのは非常に奔放なものになる。

そう言う振る舞いを洗練されていないと感じる人もいるのだろうが、私にとっては今でもそのような瞬間こそが生命力を感じさせ、その娘達が一番魅力的に感じさせるものだと思っている。

私は既に、自分のセクシャリティを自覚していて、かつその欲求は強くはっきりとしたものだったので、自分がその欲求を満たすためにはどうすれば良いかと言う事を他人から教えて貰う必要は無かった。


確か、それは新緑の季節、五月の放課後の事だったと記憶している。

私は頭の中で何度も描いたファンタジーを現実のものをとすべく、行動を開始した。

紬「ねえ、○○さん」

同級生「琴吹さん?」

紬「ね、この後って何か用事あるかしら」

同「いえ、何も無いですけど」

紬「そう…」

同「えっと…」

紬「ねえ、聞きたい事があるの。聞いても良いかしら」

同「えっと、なんでしょう…、か…?」

紬「○○さんは、お付き合いしてる男性の方って…、いるの…かしら…?」

同「い、い、いないですよ!?な、な…、急にそんなこと…」

紬「そう…。○○さんてクラスの周りの方より大人びて見えたから…、その、ごめんなさいね」

同「い、いえ、構わないです。あ、あの…」

紬「何かしら?」

同「琴吹さんもそんな事に興味持つんですね…?」

紬「あら、意外?」

同「ええ」

そうして、その娘はクスリと笑う。

どうやら、私はその娘の心の内側へ侵入することに成功したようだった。

その娘は図書部に属していて、あまり恋愛などに積極的な娘には見えなかったけれども、その娘が休み時間でさえ惜しいと言う様子で開いていたのは、古典的で現在はその価値の何割かを失っているし、表面的にはそう見えないかも知れないが、紛れも無く『恋愛小説』ばかりだった。

私のその一歩は、その娘がそう言う事に興味を持っていて、尚且つそこにファンタジーを抱いている事を事前に知った上で慎重に選ばれたものだった。

そして、私はその娘と次第に打ち解けるようになり、その最初のステップから二ヶ月程経った時、単刀直入にキスしないか、と誘いを掛けた。

彼女がどのような人間であるかをある程度リサーチしながら、最初のキスまで二ヶ月を掛けるなどと言うのはその後の私から見れば、馬鹿げた試用期間であると言う他無い。

でも、(もちろん、これも今の私から見ればだが)当時の私は未だ幼く、そう言う場での「クィア」としての口説き方などと言うものを良く知らなかったのだ。

私が知っていたのは、自分自身がその時何を欲しているかと言う事だけであり、それを同性相手にしたがっていると言う事だけであった。

だから、私は単刀直入に、直裁的に、直感に従ってありのままの言葉で尋ねた。

紬「ねえ、○○さん、変なこと言っても良いかしら」

同「何、琴吹さん?」

紬「私○○さんとキスしたくなってしまったの…」

同「?!」

彼女はその拙い誘いに乗って、私とキスをする。

それは私の人生の中で最も甘美な経験の一つだったと思う。


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