――出会いはいつも、突然に。
 最近、俺が読んだ雑誌の帯に書いてあった言葉だ。
 出会いというものは、本当に予想もつかないところからやってくる。
 自分が気構えていようがそうでなかろうが、来るものは来る。

 俺もまた、これまでの短い人生の中で、何度かそういう経験をしてきた。
 どちらかというと、俺は気構えていた方だと思う。
 待ってるばかりじゃ、だめだ――というのは、俺の姉ちゃんの言葉。
 こっちから飛び込んでいこう――というのは、俺の心掛けている事。
 そんな風にして日々を過ごしていたから、かもしれない。

 その日の出会いは、俺にとって全く予想もできなかったことで、それがやってきた場所も、これまたおかしな場所だった。

「……はぁ」

 その日、俺は起きてからカーテンを開け、ため息をつくことになる。
 この時期にしてはどこか薄暗い感じ。そして、さっきから揺れているガラス窓。
 予想は、してたんだ、けど――

「……これはだるい」

 再びベッドにゴロンと横になり、俺は一人不平を漏らす。
 今日が学校なら、まだ良かった。元々、雨は好きじゃないけど、学校に行くという目的さえあれば一日を乗り切ることは、まだ簡単になるからだ。
 けど、休日の雨の日だと、そうはいかない。
 まず、外に出たくなくなる。そして、外は言うまでもなく、家の中までジメジメしてやってられないんだ、これが。

「聡ー! ご飯よー!」
「……」

 しかし、いつまでも不貞寝してるわけにもいかない。
 せっかく母さんが朝ごはんを作ってくれたんだ。早く行かないとご飯が冷めてしまう。
 ただでさえ今日一日を過ごすことが憂鬱なのに、のっけからこれじゃいけない。

「よっ……と」

 ベッドから下りて、部屋のドアまで歩き、開ける。
 廊下に出てから、ふと隣の部屋のドアが目に入った。

「……」

 なんとなく、開けてみる。案の定、散らかっていて、俺の貸した漫画もところどころに散乱していて、ボロボロになった雑誌もあって――

 空っぽの、部屋。

「聡ー! 冷めちゃうわよー!」
「……分かったー」

 母さんのその言葉でしっかりと目を覚まし、ドアを閉め、階段を駆け降りる――。

 いや、別に大したことがあったわけじゃない。
 さっきの言葉だとまるで姉ちゃんがもういないとか、そういう風にも捉えられるだろうけど、決してそんなことは無くって。
 きっと今、姉ちゃんは、京都を絶賛修学旅行中だろう。

「聡ー! おみやげなんか欲しいかー?」
「いや、特になんも」
「なんだよ、淋しいやつだなー! いいぞ、ケチケチしないでなんでも言ってみろって!」
「旅行前だからってテンション高すぎだって」
「えー、姉の親心を分かってくれよー」
「姉ちゃん、せめて日本語くらいはちゃんとしようよ……」

 そんなちぐはぐな、ちんぷんかんぷんなやり取りがあったのが昨日の朝。
 玄関で靴を履きながら、姉ちゃんは傍目から見ても分かるくらいに、相当はしゃいでいた。
 ドアの前で澪姉がそんな姉ちゃんを苦笑しながら見てるところも、見慣れた光景だ。

(……そういえば、昔から遠足前とか凄かったなあ)

 まだ姉ちゃんと同室で寝てた頃、遠足前夜に姉ちゃんがはしゃいで、そのせいで俺は全く眠れず、二人とも寝坊し、姉ちゃんと揃って学校までダッシュで向かったのも今となってはいい思い出だ(当時は本当に恨めしかった)。

「……おい、律! そろそろ行かないとまずいぞ!」
「うわっ、ホントだ! じゃ、じゃあな、聡!」

 話しこんでるうちに随分と時間が経っていた(話の大部分は、姉ちゃんのテンションによって成り立っていた)。

「あ、ああ、行ってらっしゃい。それじゃ澪姉、姉ちゃんの面倒よろしくね」
「ちょっと待った、聡! それじゃまるで私が子どもみたいじゃ――」
「あー、もう! じゃあな、聡!」

 姉ちゃんが何か言おうとするも、澪姉が先手を取って姉ちゃんを引きずって駅へと向かっていった。よく聞こえなかったけど、姉ちゃんは子どもだと思うな、俺は。

(元気にやってるかなあ……)

 回想終了、今現在の雨の日に思考を戻す。
 俺は母さんの作ってくれた朝ごはんを食べてから、食後のコーヒーを飲んでいる(姉ちゃんがいると、勝負を吹っかけてきて、紅茶派VSコーヒー派の熾烈な戦いが繰り広げられることもある。 その場合、大抵、ゲームで決着がつく)。

「……お姉ちゃんのことが、心配?」

 コーヒーを啜っていると、母さんがそんなことを言ってきて、俺は面食らってしまう。
 見ると、母さんは紅茶を飲みながら(母さんは紅茶派だけど、大人だから、戦いを仕掛けてくるようなことはしない)穏やかに微笑んでいる。その落ち着きっぷりは、いかにも大人の女性っぽくて、それを見るたび、いつも姉ちゃんのせわしなさっぷりが頭をよぎる。

「別に心配じゃないよ。ただ、姉ちゃん『子ども』っぽいからなー」
「ふふ、聡は大人なの?」
「まあ、姉ちゃんに比べれば、ね」
「大人にしては、随分と色の白いコーヒーがお好みなのね?」
「……そ、そういうのは無し!」

 ひそかに気にしてることを、母さんはずばりと言ってくる。
 くそ、早くブラックが飲めるようになってやる!

「……あー、暇だ~」

 結局コーヒーを飲み終わると、本当に何もすることが無くなり、俺はリビングで横になる。窓から見える景色はさっきと変らず、灰色がかった、俺にとって陰鬱な感じを漂わせるものだった。

「聡は昔から雨の日が好きじゃないわね」

 寝転んでると、母さんが優しさを含んだ口調でそう言った。
 なるほど、たしかに俺は昔から雨の日がそんなに好きじゃなかったような気がする。

「私、なんで聡が雨の日が嫌いか心当たりあるのよ?」
「え、そんなのあるの?」

 俺は全く覚えていない。そんなものがあるんだったら、教えてほしい。

「ええ。もう10年以上前のことになるかしら。私と律と聡でお風呂に入ったの。
 その時、律がふざけて聡の顔に思いっきりシャワーを――」
「……もういいや、母さん。ありがとう」

 頭が痛くなってきた。姉ちゃん……きっと関係ないだろうけど、恨むぞ?

「でも、そんな風にゴロゴロしてるのは年頃の男の子にとってあんまり良くないわね。
 ……あ、そうだ!」

 俺がなおも転がり続けてると、母さんが何か思いついたらしく、居間に向かった。なんだなんだ?
 少しして、母さんが戻ってきた。その手には――

「はい、これ」

 バット。グローブ。そして、軟式野球ボール。

「……」

 姉ちゃん、どうしよう? 俺には母さんのことが最近よく分からないんだ。
 でも、姉ちゃんはこういう時々変な行動をとる母さんとよく話してるよね?
 だったら弟の俺にも何とかできるかな?

「母さん、今の天気、分かる?」
「察しが悪いわよ、聡。まだまだ、子どもね」
「予想外の反撃!?」

 母さんはそんな俺のリアクションを無視し、一枚のチラシを取りだした。
 そしてそれを見て、頷くと、俺に手渡した。

「なになに……『バッティングセンター、OPEN!』あれ、しかもここって……うちから近   い?」
「そういうこと。健全な男子中学生たるもの、運動すべきじゃない?」
 得意げにする母さんを見て、俺は「なるほど」と思った。
 たしかに運動するっていうのは、いいアイデアだ。俺も(姉ちゃんほどではないにせよ)
 運動はそこそこ得意だ。近くにバッティングセンターがあるのなら、そこで思いっきりバットを振るうのも憂さ晴らしになるかもしれない。とはいえ――

「これ随分と昔、小学生の頃、俺たちが使ってたやつじゃん。これでボールを打てっていうの?」

 とはいえ、この野球セットを使っていたのは主に姉ちゃんの方だ。
 今でこそしなくなったものの、小学生の頃は、男子に交じってサッカーだったり野球だったりしていたものだ。ちなみに、当時の姉ちゃんの運動神経は男子顔負けだった、らしい(その光景を遠巻きに眺めていた澪姉によれば、だけど)。

「なに言ってるの、聡。私がこれを出した本当の意味に気づかないのかしら?」
「……へ?」

 ぽかんとする俺に向かって、母さんはご満悦といった表情で――


「そのまま『野球』って言うのもなんだから、出してみたかっただけに決まってるじゃない」
「……」

――ウイーン
――ガシャッ!
――ビュン!
――カキン!
 とりあえず、母さんの提案に従ってバッティングセンターに来てみた。
 最初こそ少し不安だったものの、野球は昔やったことがあるスポーツだったので(実際にクラブチームとかに入ってたわけじゃないけど)、意外とすんなり勘が戻ってきた。

(フォームとか、ちゃんと沁み込んでんだなあ……)

 自分の身体にしみじみと感心しながら、打ち続ける。せっかく来たんだから、ホームランを目指そう、などと思っていると――

「えいっ……えいっ!」

 どこか高い声が聞こえてきて、俺はちょっと驚く。
 隣の親子連れの人を挟んで、その声のした方を見てみると、予想通りと言うべきか、そこには女の人がいた。
 そりゃもちろん、バッティングセンターだってレジャー施設。女の人がいたって全然不思議じゃない。
 でも、やっぱり男の人が主に来る場所だろうなあ、という先入観があった。

(ああ……フォームがなってない)

 ボールを打つ合間に、やっぱり少し気になるので、女の子の方を見ていた。
 タイミングも揃ってないし、バットも重そうだ。さっきからほぼ全て空振りと言う有様で、打ててもせいぜいボテボテのゴロくらい。
 俺が教えてあげられたらな、とちょっと残念に思った。

「――いいかい、ここをこうして……」

 すると、隣の親子連れのお父さんが、小さな男の子にバッティングフォームを教えてあげていた。
 昔、俺もあんな風に教えられたのかなあ、とどこか感慨に浸りながら、それでも意識はボールに向けて、打ち取っていく。
 もう残り5球程度、というところで――

――パンパカパーン!

「……えっ?」

 思わず声を漏らしてしまった。音のした方を見ると、そこには「ホームラン」と書かれた的があった。ボールを打ちながら、どうやら誰かが当てたらしい。凄いな、なかなか難しいと思ってたのに。
一体だれが当てたんだろうなあ……と思っていると。

「……やった!」

 ガッツポーズをしてる件の女の子。いやいや、ちょっと待て!

(ど、どうしていきなりホームランなんて……さっきまでの様子じゃ絶対無理だろ!?)

 そのせいでボーっとしてしまい、次の球を逃してしまう。
 残り、3球――

(……)

 落ち着け、聡。さっきまで素人同然だった女の子に取られたくらいで、慌てるな。
 俺は「大人」、俺は「大人」――こんなことで慌てふためいてるうちは、「子ども」だ!


 続く1球目――ヒット。どうやら、このマシーン、高めが多いらしい。
 2球目――ゴロ。低めだと、ヒットさせにくいのかもしれない。
 そして、最後のボールが飛んできた。その球速と、それまでの手ごたえから、確信する。
 次で、必ず――!

――カッキ―ン!

 バットがボールの芯をしっかりととらえる。ボールは高く、高く飛んでいきそして――

――パンパカパーン!

 さっきと同じ音がセンター全体に鳴り響く。

「……よっしゃ!」

 俺はなんとも言えぬ達成感を味わいながら、自然と体はガッツポーズを取っていた。
 こういうところでホームランを取ったら、もしかして景品をくれたりするんじゃないか?
 こいつは、楽しみだ!

 ※

「わー、凄い! あの男の子も取ったみたいだよ!」
「うわ、ホントだ。ホームラン2人目って……どうなってるの?」
「凄い人もいるもんね――って、あれ?」
「え、どうしたの?」
「いや、あの子――ひょっとして」

 ※

「おめでとーございます!」

 景品引き換え所でホームランの暁にもらえたのは、でかい亀だった。
 布製の。

「……」

 意外とずっしりしたその亀を抱えながら、俺はこれから取るべき行動について考えた。
 姉ちゃんにあげよう。そうしよう。
「欲しくねーし!」とか言いながらもらってくれるはずさ……きっと。
 俺が押しつけたものを姉ちゃんが喜んでくれれば……という目論見を立てる俺。

「……はぁ」

 俺がつい、ため息をついた、次の瞬間――

「なーに、ため息ついてんの?」

 後ろから肩をポンっと叩かれた。亀のことを考えていて、完全に力を抜いていた俺は――

「うわぁっ!」

 本当に驚いた。
 景品の亀を抱えながら、跳び上がりそうになる。
 だ、誰だ!? 別にこの亀にやましいところがあったわけじゃないぞ!?

「相変わらずオーバーだなあ」

 その後、少し呆れたようなその口調を耳にして、俺は「あれっ?」と思った。
 そのままほんの2秒くらい静止して、記憶とその声を照らし合わせ、そして――

「じゅ、純さん?」
「やっ、聡くん、久しぶり。元気してた?」

 振り向くとそこにいたのは、俺の知り合いだった。
 このヘアースタイル、そして、この頭のボサボサ具合は――

「……聡くん、失礼なこと考えてない?」
「いえ、大丈夫です。今日は雨ですもんね」
「それ、フォローなの?」
「こんにちは、純さん」
「スルー!?」

 ガーンといった風な純さん。
 俺もオーバーだったけど、純さんは俺に勝るとも劣らないだろう。
 ……というか、いいのか? 中学生と高校生が同じようなレベルで?

 この人は鈴木純さん。俺の友達のお姉さんだ。

「……ところで、今日は――その――俊、くんはどうしてるんですか?」

 俊、というのはその友達の名前だ。
 鈴木俊。純さんの弟である。
 顔立ちはそこそこ似てるものの、性格は結構異なっている。

「あー、わかんないな。私、昨日、友達の家に泊まってたから」
「そうですか……友達、っていいますと」

 ちらりと後ろを見やる。すると、そこには、二人の女の子がいた。

「こんにちは」

 ポニーテールの人がにこやかに挨拶してくれる。

「……こ、こんにちは」

 もう一人のツインテールの人は、若干緊張気味だけど、挨拶してくれる。
 俺も二人に挨拶をして、少し考える。
 なるほど、純さんと話してて気付かなかったけど、ポニーテールの人はどうやらさっきホームランを打った人らしい。
「さっきの、おめでとうございます」と言ったら、「ありがとう」と最高のスマイル付きで返事をしてくれた(これだけで、相当いい人だと分かる)。

「――そういうわけで、この子は私の弟の友達で、聡くん、っていうんだ」

 場所を変えて、ちょっとした休憩所。
 そこでテーブルを囲み、ジュースを飲みながら、純さんが改めて俺を紹介してくれた(何が、「そういうわけで」なのかはいまいちよくわからないけど、純さんだから仕方ない)。

「へぇー、そうなんだー」
「純、弟くんいたんだ……なんか意外」

 ポニーテールの人――平沢憂さんがそう相槌を打ち、ツインテールの人――中野梓さんが
 少し驚いたような声を出した。
 二人の名前は、ここに来るまでの間、純さんが教えてくれたのだ。


「ふふふ、梓ー? 私、お姉さんなんだよ?」
「そうなんだ……弟くん、大変そうだね」
「私が世話されてるの!?」

 ……純さんって誰からもこんな感じの扱いなのか。
 いや、でも、ここ一番のイニシアチブの取り方? っていうのは上手いんだよなあ。
 特にそれは、パーティーゲームで遺憾なく発揮される(大抵、俺と鈴木がやってる所に乱入してくるわけだけど)。

 それから少し経ち(その間、主に話してたのは純さんと俺で、二人も時々会話に加わってくれていた)その場の雰囲気も最初に比べたら段々と落ちついてきた辺りで――

「あのさ……」

 憂さん(さっき「平沢さん」と言ったら、「名前でいいよ」と言ってくれた)がそう切り出してきた。その目の先には……俺?

「さっきから気になってたんだけど……聡くんの名字ってなんなのかなって」

 憂さんはそう言って、微笑む。
 なるほど、たしかに、気になるかもしれない。やっぱり、名字と名前揃ってこそ、かもしれないし。
 見ると、梓さん(これもまた、「名前でいい」だそうで)も少し気になっていたらしく、頷いている。

「あー、それ私も聞きたかったー!」
「……あれ、純さん知りませんでしたっけ?」
「知らなかったよ、全然全く」

 けろりと言い切る純さんにため息をついて(純さんらしいけど)、その場の全員に向かって言う。


「俺の名字は、田井中です。田井中聡って言うんです」


 なぜか、空気が静まり返った。そして、これまた何故か3人が真顔になっている。
 なんだろう、俺なんか悪いことしたかな? いや、でも静まったとはいえ、冷たいってわけじゃないし……うーん?

「……あ、あのさ、聡くん?」

 少し長い沈黙の後で、俺に話しかけてきたのは――梓さんだった。
 見回すと、どうやらこの三人の中で一番驚いてるらしいのが窺える。

「もしかしてさ……お姉さんとか、いる?」

 驚きのためか、途切れ途切れになりながら、梓さんが俺に問いかける。
 俺はというと、「なんでそんなことを訊くんだ?」と疑問に思った。
 いや別に、応えることに抵抗は全く無いけど――

「……いますよ? でもそれが一体――」
「お姉さんの名前は?」

 次に訊いてきたのは、憂さんだ。梓さんと同じく、結構戸惑っているように見える。
 雰囲気がただならぬものに(別に険悪ってわけじゃないけど)なってきてることを察知した俺は即座にその質問に――


「俺の姉ちゃ――いや、姉は、田井中律、っていいます」


 応えると、再びの沈黙。
 居心地は悪いわけじゃないけど、少し落ち着かないそんな時間だった。

 その時間を終わらせたのは――

「……っはははは!」

 純さんの笑い声、だった。
 何がおかしいのか、本当に心の底から楽しそうに、笑っていた。
 純さんの声を皮切りに、他の二人も笑いだす。

「さ、聡くんが、まさか……律先輩の弟って……!」

 いまだ笑いながら、純さんが俺に向かって言う。
 なにがそんなにおかしいんだろう――と訝っていた俺は、ふと純さんの言葉を反芻し、
 「ん?」と引っかかった。

 律――先輩?

「いや、ごめんね、聡くん。ちょっとびっくりしちゃった」

 純さんの言葉に戸惑っていた俺に声をかけてきたのは、梓さんだった。
 さっきまでの緊張気味の表情はどこへやら、口元が綻んでいる。

「聡くんのお姉さんがまさか、あの……律先輩――って!」

 言い終わる前に、また笑いだす。
 二人が笑うにつれて、俺の戸惑いは増していく。

「――えっとね、聡くん? 実はね」

 その場で一番先に落ち着いたらしい憂さんが、俺に助け船を出してくれた。
 なんとなく予想はついていたものの、どことなく実感がわきにくい、その事実は――


「聡くんのお姉さんの律さんは、私たちの学校の軽音部の部長さんなんだよ」


 憂さんの口からはっきりと語られた。

「いやー、世間は狭いねえ」

 ようやく純さんと梓さんが落ち着き、場の雰囲気が和やかになったところで、純さんがそう言った。

「こっちこそ驚きましたよ。まさかあの姉ちゃんが……」

 この人たちと知り合いだなんて、想像もつかなかった。
 姉ちゃん――田井中律は、この人たちと同じ、桜ヶ丘高校の軽音部の部長だった。
 もちろん姉ちゃんが「どこの高校か」とか「どこの部か」とかは知っていたものの、この人たちと面識があるとは全く予想もつかなかった。

「……でも私、律先輩の家にお邪魔したことあるけど、聡くんにあったこと無かったよね?」

 それまで少し考え込むそぶりを見せていた梓さんが疑問を口にする。
 たしかにそれは、俺も思っていたことだ。

「分かりませんが、もしかしたら姉ちゃんが関係してるのかもしれませんね。
 けど、俺たちは間違いなく会ったことは無い、と思います」
「そっか、そうだよね」

 とりあえずその場はそれで収まったけど、疑問は残ってしまった。
 やっぱりこの件については頼りになりそうな人にあたるしかないな。

「それで、聡くんは律先輩とどんな感じなの?」

 梓さんと俺のやり取りが終わるやいなや、純さんが笑いながら訊いてきた。
 ちなみにその笑いは「くすくす」というようなものではなく(まず純さんにそんな笑い方は似合わないと思う)「にやにや」という感じだった。

「ど、どんな感じって……普通の姉弟ですよ、ホントに」
「『普通の』じゃ答えになってないよー? ほら、言ってごらんって」

 純さんがしつこく訊いてくる。
 見回すと、他の二人もどこか興味がありそうだった。

「じゅ、純さんはどうなんですか!? 純さんにだって弟が――」
「私は俊のこと、大好きだよ? 今更なに言ってんの?」

 いまだにやにや笑いを崩さない純さんが、何のためらいもなくそう言った。
 くっ、そういえば、純さんの家にお邪魔したときの二人は、相当仲良しだった――!
 鈴木も照れながら、嬉しそうだったし。

「ほらほら、次は聡くんの番だよー? 言いなさい!」

 純さんに一本取られて(そこで純さんが少しでも戸惑ってくれたら、うやむやにできたかもしれないのに……)俺は仕方なく話し始める。

「俺は別に、姉ちゃんのこと――嫌いじゃありませんよ。姉弟仲も悪くない、と思いますし。ただ、ことあるごとに、俺の部屋から漫画やゲームを借りていくのはやめてほしいですね。ただでさえ散らかってる部屋が、余計に酷いことになるし……今日の朝だってそうです。いつもその掃除を手伝わされる俺の身にもなって――」


「聡くん、律さんのこと、好きなんだね」


 俺がまくし立てているところで、誰かがそんなことを言った。
 「誰だ?」と探すと、憂さんがなんの邪気も無く微笑んでいるのを見つける。
 顔がかっと赤くなるのを感じた。

「な、なんでそうなるんですか――!」
「だって、好きじゃなかったら、そんなたくさん話せないもん。『嫌いじゃない』っていうのは、裏を返せば、『好き』って風にも取れるし。私にもお姉ちゃんいて、大好きだから、聡くんの気持ちがなんとなくわかっちゃうんだ」

 最後の方は少し照れ笑いを浮かべながら、憂さんが言う。
 その言葉を聞き、何故か純さんと梓さんが呆れた様子を見せる。
 なにやら、裏がありそうだ……けど、今はそれどころじゃない!

「姉ちゃんにはいつも困らされてますってば! だ、だから、別に『好き』とか『嫌い』とかそういうのは――!」
「聡くん、顔赤いよ?」

 くすくすと笑いながら(純さんとは違う笑い方だ)憂さんが楽しそうに言う。
 俺がどんなに抗議しようとしても、憂さんの邪気のない微笑みと泰然とした様子には届かない。
 まるで澪姉を相手にしてるような気もしたけど、憂さんにはお姉さんがいるらしく、同じような境遇だからだろう、俺はこの人に敵わないと実感させられた。

「……ねえ、お家での律先輩ってどんな感じなの?」

 俺が顔を赤くして黙りこんでいると(純さんはからかってくるわ、憂さんは何も言わずに笑いかけてくるわで、踏んだり蹴ったりだ)、今度は梓さんが訊いてきた。

「いや、さっき言った通り、ホントがさつですよ? 繊細なところとかも――あるのかもしれませんけど、それは普段の行動に隠されて、ほとんど見えません」
「……学校と家とで、変わらないんだ、ふーん」

 まるで、「唯先輩」みたいだなあ、と梓さんがどこか呆れた様子を見せると、憂さんが笑みを深くした。それを見て、梓さんはその表情に呆れをさらに深くにじませ、純さんも小さく苦笑する。
 ……このグループの人間関係を垣間見た、ような気がする。

「じゃあ、またね!」
「……ばいばい」

 憂さんと梓さんが去り際に挨拶をしてくれたので、俺は手を振って、「さよなら!」と声をかける。純さんもそんな二人ににこやかに手を振った。
 二人の姿が見えなくなると、純さんと俺は歩き始める。

「……しかし、律先輩と聡くんが、ねえ」

 歩きながら、どこか感慨に浸った様子の純さん。
 そっか、やっぱりそうしみじみとするよな。今まで遊びに来てたのが、先輩の弟なんだから。
 でも、純さんもこんな表情をすることがあるんだな。少し誤解してたかも――。

「……道理で聡くんも背が小さいわけだ」
「純さんへの見方を少しでも変えようと思った俺が馬鹿でした」
「えっ、なに、いきなり!? 気付かないうちに、私、評価されてたの!?」
「知りません、自分の胸に訊いてみてください」

 相変わらずオーバーな純さんには、やっぱりしみじみなんて言葉は似合わなかった。

「……まあ、それはいいとして。律先輩のこと、大事にしなよ?」

 それから少し歩き、その間に落ち着いたらしい純さんが、そう言った。
 俺はふと純さんの顔を見る。純さんはどこか穏やかな優しさを見せている、ような気がした。

「私、俊のこと大好きだってさっき言ったよね? 私ね、そう言える自分が少し好きなんだ。で、そんなこと言ってると、『ああ、やっぱり姉弟っていいな』って思うんだ」

 純さんがそう続け、俺と目を合わせてくる。
 圧迫されてるわけじゃないけど、どこか目を反らせられない雰囲気。

「だからさ――律先輩とずっと仲良くするんだよ?」

 そう言うと、「じゃあね!」と言って、純さんは方向を変えて、走って行った。
 それを見て、分かれ道に着いたことを知る。
 挨拶を返す暇もなく、俺は純さんの後ろ姿を見つめ続けていた。

 その後、俺は自分の家へ帰ろうと思ったものの、ふと思うところがあって、最寄駅へと向かった。
 そういえば、今日だ。せっかくだから――

「――なあ、律。あれって、もしかして」
「なんだよ、澪、いきなり――って、あっ!」

 駅に着いた俺を二人が見つけたらしい。
 たくさんの荷物を持っていることが窺えた。
 俺は小さく手を振って、「おかえり」と声を出す。

「聡、どうしたんだ、用事でもあったのか?」
「家で待ってるんじゃなかったっけ? どうして、ここに――」

 二人の質問には応えず、俺は何も言わずに手を差し出す。
 何かものを掴む時のポーズ。
 それを見て、二人は顔を見合わせて、笑い合い――

「……聡、ありがとう」
「さっすが、私の弟!」

 荷物を、俺の手に掛けてくれた――。

 ここから、後日談。
 その日は何となく切り出しにくかった、「出会い」の話を翌日の登校中に二人に訊いてみた。
 二人はその報告を聞き、やっぱり驚いた。
 けど、最後にはお互い笑い合って――それこそ昨日の三人組のように――和やかな空気になった。

「――そういえばさ、姉ちゃん?」

 俺は二人が落ち着いたのを見計らって、そう切り出す。

「ん、どした、聡?」
「いや、部活の人とか家に呼んだことあるんだよね? なんでいつも俺がいない時だったの?」

 ぴしっと硬直する姉ちゃん。
 そして、一気に顔を赤らめる。

「あー、それはな、聡?」
「や、やめろ、澪! その先は――!」

 わめく姉ちゃんを無視して、澪姉は答えを教えてくれた。

「恥ずかしかっただけだ。こいつ、お前と仲良いだろ? だから、みんなが来た後で、からかわれるのが嫌だったんだよ」
「――――ッ!」

 苦笑を浮かべる澪姉と滅茶苦茶恥ずかしそうな姉ちゃん。
 二人の表情を見て、俺はなんとなく理解した。
 なるほど、昨日の梓さんもなんだかんだで結構姉ちゃんのことをからかっていそうだった。
 あの人が、姉ちゃんと俺を一緒に見たら、きっと大笑いするだろう。
 その時、あの人は、憂さんみたいなくすくす」笑いをするのか、純さんみたいに「にやにや」笑うのか、俺には分からないけど。

「――まあ、聡にもバレちゃったことだし、もういいんじゃないか、律? 今度、みんなで――」
「み、澪! まだ、私には心の準備が――!」

 いつもとは少し違う二人の掛け合いを見ながら、俺は昨日の「出会い」を思い起こす。

 きっとこれからも、たくさんの「出会い」をしていくんだろう。
 その全てが素晴らしいものとは限らないけど――


 こんな風に楽しくさせてくれる「出会い」なら大歓迎だ――


 第4話「出会い!」おしまい

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