元はと言えば、昨日カーテンを閉め忘れたせいだ。

「……起き、ちまった」

 体を半分起こし、俺はそうひとりごちる。
 眩しい。起きたばかりの体に日光はキツい。
 すぐさまカーテンを閉め、念のため時計を確認する。
 日付は……。

「大丈夫、みたいだな」

 今日はまだ、春休みの途中。まだ寝てたってバチは当たらないだろう。
 昨日、父さんも母さんも今日の朝はいないと言っていた。
 そのことを頭の中で反芻して、俺はもう一度目を閉じる……。


……
…………ガチャッ!

「聡ー! おーっす!」

 バタバタと部屋の中に誰かが入ってきた、気がする。誰だ、不審者か?
 しかし考えてみたら、こんな朝っぱらからやってくる不審者も、俺の名前を呼びながら
 テンション高くやってくる不審者も普通はいないだろう。きっと春の陽気にあてられて、俺の耳が捉えてはいけないものを捉えたに違いない。
 この明晰な論理に基づき、俺は安心して眠りこけることに決めた。ああ、今日は暖かくて絶好の二度寝日和――

「ほらー、起っきろー!」

 ――なぜか俺の体から、先ほどまで誠心誠意あっためてやっていたはずの熱が消えた。
 纏わりついていたものが離れていき、それにつられて俺の体がドスンと悲鳴をあげる。

「ったくー、せっかく呼びにきてやったんだからとっとと起きろっての」
「……」

 気づくと俺は、床に寝っ転がっていた。体が急に冷えていく感覚に驚き、目を開ける。
 そしてそうするとともに、目の前で得意げに無い胸を張っている(Yシャツだから余計に目立つ)奴が視界に入ってきて、俺の心も冷え切っていく。

「今日は姉の記念すべき始業式なのに、起きてこない弟がいていいだろうか。いや、いいはずがな い!」
「……進級するんだったらなおさら、起こし方くらい考えてよ」

 冷ややかな目で見つめながら、俺は抗議する。しかし、朝の、しかも無理に起こされた俺の声に力などあるはずもなく、そんなものは目の前の荒ぶる悪女を黙らせるのに何の効果も発揮してくれなかった。

「ほら、とっとと下に行くぞ!」
「……おう」

 先頭を切って歩く姉ちゃんに少し遅れて付いていく。この仕返しは今日の朝飯で果たそう、と決めて溜飲を下げる俺は、悪くないはずだ。

 気づいてみたら、今年で姉ちゃんは18、俺は14。
 時の流れの早さを実感するとともに、4年という年の差を訝しくも思う。その疑念の大半は、「姉ちゃんが俺よりも4年も早く生まれたわけがない」というものだ。
 どう考えても、俺の方がしっかり者だと思う。
 ごはんもしっかり作るし、勉強も(そこそこ)ちゃんとやるし……そりゃたまにコーラ飲みなが らゲームしたりもするけど……そういったところを含めたとしたって、俺の方に軍配が上がるだ ろう。俺に出来なくて姉ちゃんが出来ることは、精々ドラムくらいだ。
 今日だって、そうだ。どうせ次に言う言葉は、「朝飯、用意して」だ。賭けてもいい。

(……今日は、少し塩っぽくしてやる)

 姉ちゃんは甘いものは好きだけど、塩っぽかったり苦かったりするのは大の苦手だ。
 ここにこそ付け入る隙がある――!

「さっ、入れ入れー」

 そんな小さな企みを胸に、リビングに入る俺。いつもの習慣で、すぐさまキッチンに向かう…… あれ?

「ど、どういうことだ……?」

 なぜか、そこにはまな板があった。しかもその上には、汚れがついている。
 間違いなく、これは昨晩俺が洗ったはずだ。
 次に、目に入ったのはフライパン……これまたなぜか、汚れている。

「……ま、まさか」
「ふふふ、聡くん? 私がいつまでも君になめられているだけのお姉ちゃんと思ったかね?」

 はっとして声のした方を見ると、姉ちゃんが超得意気な顔で仁王立ちしている。
 その芝居がかった口調といい、その表情といい――俗にいう「ドヤ顔」そのものだった。

「見ろっ! これが私の力だ!」

 ついに食卓へと目を向けた俺は、そこにあるものを見て驚愕した。
 野菜炒め、味噌汁、そして鮭。日本の朝の定番とも言える料理がずらっと並んでいる。
 ……いや、待て。なんで俺はこの料理の発する香りに気づかなかった?

「そうか、俺は思い込んでたんだ……俺の姉が料理なんてできるわけない、と!」
「ほら、冷めるぞ? 早く食べようぜ」

 目の前に差し出される茶碗。ちゃっかりごはんまで炊かれているというこの徹底ぶり。
 ……完敗だ。

「どうだー、うまいかー?」
「……お、おう」

 俄かには信じがたい話だが、用意されたご飯はどれも美味しかった。
 細かいことを言わせてもらえば、炒め方が甘い、味噌汁の味がうすい、ちゃんと焼けていない、などと文句はつけられるけど、どれも些末なことだった。
 というより、今まで料理が出来なかったはずの初心者がここまで作れたのに、経験者である俺がうだうだ言っても、負けを認めたみたいでなんか悔しい。


「そっかー、そりゃよかった!」

 うんうん、と喜色満面で頷く姉ちゃんを見ていると、どこか親にも似た感情が湧いてきた。
 そうだ、まるで初めて自転車に乗れて、親に向かって「乗れた乗れたー!」と楽しそうに
 得意気に笑う子どもを見てる、そんな心境だ。
 実の姉に向かってこんな感情を抱くのはどこか間違ってるような気もするけど、実際そう感じたんだから仕方ない。

 「でも、姉ちゃん、一体どこで練習したの? 家ではしてなかったよね?」

 俺が言うや否や、いきなり姉ちゃんの顔が強張った。笑ったまま硬直してしまったので、不気味なことこの上ない。
 ……まあ、こんな質問をぶつけて言うのもなんだけど、もう大体わかってるんだよなあ。出来心半分、からかい半分って感じで。

「そ、そりゃまあ、私くらいパーフェクトになるとどんなことだって
 そつなくこなせるように――」
「姉ちゃん、左手の指に、傷が……」
「えっ、マジで!?」

 咄嗟に自分の左手を確認する姉ちゃん。そして俺の視線に気づき、はっとする。

「何度目かな、引っかかったの」
「~~~~!」

 言葉にならないらしく、口をパクパクさせながら俺を睨み付ける。
 顔が赤く、目元が少し涙ぐんでいるため、怖さは全く感じられなかった。
 いつも思うけど、本当に感情表現が豊かで、話してると飽きない。

「あ、姉を騙すとはなんたる弟――!」
「そうなんだ、じゃあ俺、コップ取ってくるね」

 いきり立つ姉(とはいえ、全くもって威厳がない)をいなし、俺は台所へと向かった。
 冷蔵庫を開けて、牛乳パックを取り出し、コップにトポトポと注いでいく――


――ピンポーン


「あれ、誰か来たみたい」

 牛乳を注ぎ終わり、さて食卓へ持っていこうという時になってから、玄関から響く音。
 咄嗟に食卓にいる姉ちゃんの方に目を向けると――

「……あー、そーみたいですねー」

 仏頂面で姉ちゃんはふてくされていた。口をぷーっと膨らまし、明後日の方向を向いた姉ちゃんは、さながら漫画に出てくる典型的なギャグキャラみたいだ。
 そんな姉ちゃんを見てると、まだ日本は平和だな、と、どこかしみじみとした気分にもなる。

「じゃあ俺、行ってくるよ」

 どうせふて腐れた姉ちゃんはしばらくあのままだし、いちいち相手にしていてはお客さんに迷惑だ。そして、誰が来たのかは確認するまでもない。


……ガチャッ!


「よっ、聡」

 ドアを開けると、やはりそこにいたのは予想通りの人だった。
 長い黒髪、抜群のスタイル(特に胸のあたりとかは姉ちゃんに少しでも……)のこの人は、姉ちゃんの親友である秋山澪さんだ。
 ちなみに俺は昔からの習慣で「澪姉」と呼んでいる。

「おはよう、澪姉。ああ、今姉ちゃんだったら、朝ごはん食べてるよ」
「お、そうなんだ」
「うん、そうなんだ……ところでさ」

 俺は一旦そこで言葉を切る。といっても、そんな意味深な行動をとるまででもないんだけど――まあ、なんとなく。


「ん、どうした?」
「姉ちゃんの料理……澪姉が教えたんでしょ?」

 俺がそう言うと、澪姉は予想通りの反応をした。
 どこか優しく、ほんの少しの苦笑を滲ませ、ため息をついたのだ。
 俺は、長い付き合いで年上の女の人は澪姉しか(姉ちゃんや母さんはノーカン)知らないけど、ここまで綺麗な素振りをする人はそうそういないんじゃないか、と思う。

「なんだ、やっぱりバレちゃったか」
「うん、やっぱりね。なんか姉ちゃんの料理の味、ちょっと前に澪姉が作ってくれたものの味と似 てたんだもん」
「……あ、ああ、そうか」

 俺がそういうと、少し澪姉は顔を赤らませた。
 新学期を迎えても、進級しても、やっぱりこの人は変わらない。
 相変わらず優しくて、相変わらず照れ屋だ。
 だって普通、俺の――年下でしかも幼馴染の弟の!――言葉に赤面するか?
 いやまあ、俺もそういう反応が見たくて、言ったんだけどさ。

「で、でも聡も優しいよな」

 俺がそんな澪姉の反応を見てほんのちょっと楽しんでいると、そんなことを言ってきた。

「え、俺が? なんで?」
「聡のことだから、律を徹底的にいじめたりしなかっただろ? たぶんからかい程度で収めたんじゃないか?」
「まっさかー! 俺が姉ちゃんに対して優しいなんて、そんなこと――」


「聡ー、牛乳ついでくれてありがとなー!!」


「…………あ、あるわけねーだろ」

 思わぬ、全く予想してなかった反撃だ。
 悪どい姉ちゃんのことだ。俺たちの会話を盗み聞きして、今言うべきことを考えたに違いない。
 顔が赤らんでいくのを感じ、同時に後悔した。
 あまりに姉ちゃんの反応が面白いから油断しきっていた俺のミスだ――!

「ははっ、やっぱりか」

 目の前にいる澪姉は、またさっきのような顔をしてみせる。
 しかし今度は、声にからかいのようなものも滲んでいるということを
 俺は聞き逃さなかった。

「み、澪姉――!」
「ほらー、律! とっとと用意しろ―、遅刻するぞー!」

 澪姉は俺の言葉に自分の言葉を被せ、中にいる姉ちゃんをせかす。こういうかわし方までうまいんだから、ホント敵わない。 


「そいじゃ、行ってくるぞ!」
「じゃあな、聡」

 姉ちゃん(既に機嫌は完全に直っている)と澪姉に手を振られて、俺も手を振りかえす。

「姉ちゃん、新学期だからって調子乗りすぎんなよ」
「だいじょーぶだいじょーぶ! いざとなったら澪に――」
「調子に乗るな!」
「ふぎゃっ!」

 澪姉が姉ちゃんにチョップを食らわせた。どうせ、「いざとなったら澪に罪をきせる」
 とでも続けようとしたんだろう。成長しないなあ……。
 それに比べて澪姉は、高校に入ったばかりの頃はグーで思い切り殴っていたのに
 成長したんだなあ……。

「さて……」

 二人の姿が見えなくなると、俺は家の中に戻った。
 さて、二度寝でもするか。近々、俺も学校が始まる。
 といっても最高学年じゃ無いし、今はもう少し休んだっていいだろう。

「あれ……?」

 部屋に戻ると、思ったよりずっと暖かかった。
 なんでだろう、カーテンは閉めたはず――

「あっ……!」

 なぜかカーテンが開けられていて、そこから光が差し込んでいた。
 間違いなく俺はさっき閉めたはずだ、なのに、なんで――

「……そういうことか」

 少し考えて、俺は気づく。同時に、顔がほころんでいくのを感じた。

 最初、この部屋に入ってきたとき、姉ちゃんはYシャツ姿だった。
 俺は玄関で澪姉と雑談してて、姉ちゃんは食事の後で学校へ行く用意を終わらせるために自分の部屋に戻る、そのとき――

「やられた……」

 布団に入りながら、俺は自然に声を発した。
 その言葉は勝負ごとに負けた時などの語調ではなく、満足したからこその語調――
 そんな気が、した。

 第1話「姉弟!」・おしまい

2