そういえば、前に赤点をとった唯のために部活の皆で勉強会をしたことがあったな。
翌日、満点をとってきた唯には本当に驚いたけれど。

気付けばここ数日、私は唯のことばかり考えている。
それは良い意味でも悪い意味でも、私の中で何処かしらまだ割り切れていない部分があるからだろう。
――どんなに嫌悪したって、唯のことを自分の中から消すことはできなかった。

あの日の私は少し、大人気なかったのかもしれない。


会ったらまず謝ろう。
私はようやく、相手と向き合う決心がついた。


自宅とは真逆の方向へ進み、どれくらい経っただろう。
横断歩道の青信号が点滅している。
私は立ち止まり、赤信号になる数秒を待つことにした。

その時、向かいの車道に見慣れた背中を見つけた。
ギターケースを背負うその背中は私が今、会わんとしている人物に間違いなかった。


唯はそのまま自宅の方角へとあるいて行く。
その背中が段々と小さくなるのを私は見ていられなかった。

拳を握りしめ、できるだけ大きく声を張る。

「……唯!」

唯は振り向かなかった。
久々に呼んだ名は車道を走る車の音に掻き消され、虚空に消えた。

その時の私には現状を判断する冷静さがまるで欠けていた。


一歩、踏み出してからそれ以降の記憶がない。

覚えているのはけたたましく鳴り響くクラクションの音だけだ。


目を覚ました時、一番に見たものは無機質な白い天井だった。

頭に違和を感じて触ろうとすれば、腕にはチューブが刺さっていて身動きが取れない。
もう片方の腕は動かせなかった。

「…ぐすっ、うぅ…、…っく…」

誰かの嗚咽が聞こえ、僅かに首を傾けると唯が泣いていた。
どうしたんだよ、そう聞こうとして思わず口を噤む。
久し振りに唯の顔をまじまじと見たが、一目で分かるくらい痩せていた。

「…、唯…」

「…!、澪ちゃん」

元々大きな瞳が、以前よりも更に大きく見える。
その瞳に溜まった涙がぽろぽろと零れていた。
唯は私を見るなり泣き崩れ、もう会話どころではなかった。


私は唯の方へ手を伸ばそうとしたが、両腕が拘束されていて動かせないことを知る。
今の気持ちを伝える手段はもう、自分自身の言葉に限られていた。

「唯…、ごめんな」

ぽつり、静寂に包まれる病室に唯の嗚咽と私の声が反響した。
唯は驚いたように顔を上げ、何度も何度も首を横に振って私の言葉を否定する。

「私が…、私が悪いの…っ、練習…しなかったからっ…」

「唯…もういいよ…」

「ごめんね…、澪ちゃん…ごめんなさい…」

唯は泣きながら私の右手をそっと握る。
その時、私は何故これほどまでに唯が私に対して謝り続け顔を上げないのか、ようやくその意味を知った。


――私の右手は感覚を失っていた。


「そっか…」

意外なことに私自身はとても冷静だった。
未だ泣き続ける唯を横目に、自分自身が取り戻したものと失ったもの双方の大きさに改めて気付く。

だけど、何故か、唯の手のひらの温もりだけは確かに感じていた。

わかるはずなんかないのに、「あたたかい」と思った。



その後、私達四人が揃ってティータイムをすることはなかった。

私は必然的に部活を辞めることになり、それに続くように唯も退部した。

私と唯は再び以前のような関係を築けるとは思えなかった。
「大丈夫」――そんな一言で片づけられる問題ではないから。
互いに持っている後ろめたさが私達の距離を縮めることを阻んだ。


廃部になりそうだった軽音部にようやく集まった四人。
その内、二人が欠けてしまった軽音部は遂に廃部となった。
四人が集まるきっかけが、全て経たれてしまった。


しかしながら、移ろう日々というものは非常に残酷である。


初めは部活動の廃止に少なからず衝撃を受けていたにも関わらず、一年も経たないうちにその感情は薄れていった。
律やムギには悪いことをしたとしか言いようがないけれど、その二人も私に気を遣ってか以前のように話し掛けてくることは極端に減った。

私自身、不幸中の幸いだったのは、利き手である左手が無事だったことだ。
右手は未だに動かない。
どんなリハビリをしても、二度と以前と同じ感覚を取り戻すことはできなかった。




二年になった春、学校中を騒がせた出来事があった。


――唯が自殺した。


原因なんて誰に聞かなくてもわかった。
だけど――私にとっての唯との会話はあの病室が最後となってしまった。


私は罪悪感に苛まれ続けた。

当たり前のことだ。
あの日の出来事が私を、そして唯を、軽音部を変えてしまったのだから。

笑顔の溢れていた部活を思い出す度、それがフラッシュバックとなり、気付けば自傷行為に走っていたこともある。
そんな日々を過ごしながらも、私は死ぬことができずに生きていた。


しかしながら、それさえも時の流れが薄めてしまった。


部活動のない日々が自分にとっての“日常”になり、唯が居ない日々もまた“日常”になりつつあった。

人間というものは強い。
それが良い意味でも、悪い意味でも。



ある日の帰り道、律と顔を合わせることがあった。

唯の自殺については互いに触れることはなかった。
その代わり、律は私が知らなかったあの日々の裏側を教えてくれた。
あれから最も多く唯の傍に居たのは律だったそうだ。

「実はさ、結構頻繁に唯の家に行ってたんだ。練習してるみたいだったから、そのチェックも兼ねてな」

私は久々に四人で練習していた日々を思い出した。
唯の溢れんばかりの笑顔を脳裏に浮かべ、戻らない日々の虚しさを覚える。

「唯はお前が戻ってくるの待ってたよ。毎日毎日…澪のことばっか話してた」

「だけどあの日、唯はギー太放り出してまで澪を病院に運んだんだよ」

「ぐちゃぐちゃになったギー太、お前…知らないだろっ…」

律の声が震える。
気付けば二人とも立ち止まり、春風に髪を靡かせていた。

心の中に仕舞っていたはずのあの日々がそっと顔を覗かせる。
不鮮明な日々が色付き、私の脳内に鮮やかに蘇る。

「澪を責めてるわけじゃない…、けど、最近のお前見てるとどうしても言いたくなったんだよ…!」

私の中にあった蟠りが溶け、込み上げてくるものが目頭に熱を与えた。

後悔するのなら、何にもしなければよかった。
今更どんなに後悔したって、唯が戻ってくることはないというのに。

私はどこまでも都合が良い人間だ。

こんなことなら、喧嘩したまま別れを受け止めたほうがよっぽどマシだったかもしれない。
そうすれば中途半端な自殺で死ねないなんてことはなかったのかもしれない。

だけど――律の話を聞いた今、自分自身の愚かさをようやく見つけ出すことができた。



「律、話してくれてありがとな」



――忘れてしまうことは、一番の罪だ。



唯。

今、私が生きていることを赦してくれ。


私ができる償いは――自分が犯した罪の大きさを思い出すことくらいしかできないけれど。

それでも、これから先ずっと、唯を忘れることはないよ。




春風に当たりながら、右手を利き手できつく握り締める。
やはり、感触はおろか体温を感じることはできなかった。



――だけど、あの日、唯に包まれたときの温もりは今もこの右手に残っている。







とりあえず描写多すぎたことを反省している
最後まで付き合ってくれた人ありがとう