和「ねえ、澪」

和からの電話に私は不機嫌に答える。

あんな風に言い捨てて去って行ったのに、電話掛けて来るなんてどれだけ面の皮が厚いかと言う話だ。

澪「なんだよ」

和「唯ね、CDリリースしたのよ。インディーズで」

澪「ふーん。そうなんだ」

和「興味深々って感じね。表面的には平静を装ってるけど、丸分かり」

嫌な分析メガネだ。

澪「なんとでも」

和「五十枚ぐらい買って欲しいのよ」

澪「は?!」

何枚買えって?

和「五十枚よ。私も、突然100枚ぐらい家に送りつけてこられて困ってるのよ。50枚ぐらいは友達親類に売って回ったけど、それだけじゃ赤字が出ちゃうし…。澪、同学年の子らに比べたらお金持ってるでしょ?」

何から突っ込んだら良いか分からない。

澪「送り付けられて来たって、お金は払ったのか」

和「だって、唯からメールが来て『着払い、代引きで荷物送ったから、よろしくね』って言うから」

想像出来る。

きっと律が言い出したんだ。
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律「よっしゃー、和には100枚販売ノルマって送りつけようぜぇ。つか、桜高の同級生全員に送りつけるとそれだけで3000ぐらいは掃けるよな」

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私は噴き出す。

澪「ぷっ、ぷはは、分かった、分かったよ。代金は口座に振り込んどくから、送って来てくれ」

和「じゃあ、よろしくね」


私の部屋には50枚のCDタワーが出来た。

残り49枚をどうするかと言う予定は立たなかったけど、このCDは私の大切な宝物だ。



自分には部分的にしか責任の無い人生を甘受する事。

それがブルース歌手に取っては重要な事らしい。

ロバート・ジョンソンが言うにはそう言う事らしい。

希望など無いように見える完璧な絶望は時に、奥深いは満足を人に与えるのだと言う。

唯の音楽はそんなブルース歌手の歌と一緒で、世界に服従し得ない人間の通る暗い道に、ささやかな、本当にささやかだけど光を灯す深い力があった。


YUIは世間から消え失せた。

だが、平沢唯はそうはいかなかった。

最初に出した作品からインディーズチャートを賑わした。

リリースする作品リリースする作品全てが賑わした。

時には、メジャーからリリースする作品をチャート上で喰う勢いを見せた。


こうなると、当然の事ながら所属していたレコード会社は面白くない。

自分達が育ててやったのだと言う意識があるからだろうか。

私達の社会に依頼が降りて来る。

「あいつらを排除しろ。義理とコネの世界を乱す異物は排除されるべきだ」


さあ、私の出番がやって来たよ。

二人の前に出て行けないのに、こう言う時には出番だとばかりにアップを始める私は本当に滑稽な人間だ。


次の週の大手週刊誌にそのレコード会社所属のアイドルグループのメンバーが会社幹部に供されている、と言う実名告発の記事が載る。

「喜び組」と言うスキャンダラスな見出しとともに。

その会社の内部に詳しい人間で無ければ、出せないレベルの詳細さで書かれた記事だった。

会社内部は上に下への大騒ぎで、唯達の排除どころでは無くなっているはずだ。

凄いだろ?

誇れる訳でも無いけど、これが今の私なんだ。


何時の間にか、二人の元には梓が戻って来ていた。

梓の帰還を得て、HTTは勢いづいているようだった。



私はCDだけでは我慢出来なくなって、少しばかり皆のやろうとしている事を体験したくなって、梓が始めたと言うパーティにも出向いたりもした。

本当はライブが一番良いんだろうけどね、惜しいことにタイミングが合わなかった。

でも、負け惜しみじゃなくて、そう言う特別なのじゃなくて普段着に近いものの方が良いとも思っていたしね、うん、これで良いんだ。

馬鹿みたいな話だけど、私は念入りに変装して、普段の日常生活の自分を覆い隠すように変装して出かけた。

ちょっとした緊張感を抱きながら。

これでは「変わり果てた私だけど、本当の私を見つけて下さい」って言う、そんな古い少女漫画の主人公みたいなもので、我ながら、苦笑してしまう。



22:00オープン。

私はそう言う場に不慣れな子供のように、開始前から扉の前に並んだ。

開始すぐには、当然の事ながら、フロアは人影もまばらだった。

DJブースには懐かしい人間が立っていた。

それを見て、私は、まずブースが良く見えるような場所(丁度二階に登る階段からDJブースが良く見えた)を探す。

そこには男の子がDJの勉強しようと言うのか、先客としていたけれど、それを押し退けると、そこに陣取って梓の動きを注視する。

梓は少し遠慮がちにThe UpsettersのWalk The Streetsをターンテーブルに乗せる。

今ここで隠れて見ている私のために用意されたんじゃないか、と私に思わせるようなメランコリーな曲。

私は、ここにいるのが自分であるとばれないようにと、さらにもう一段階隠れる為に伊達メガネを懐から取り出す。


一時間、二時間と時間が経つに連れ、次第に人が集まりだす。

それに伴いBPMはアップされ、フロアの熱狂を煽るようになっていく。

何時の間にかフロアは、客の肩が触れ合うような満員状態になっていた。

客は皆エキサイトしていて、アピールするように派手に振舞う奴、俯く様にして頭を振る奴、上を向いてライトの眩しさに目を細めるようにしている奴、大声を上げて喚く奴、皆が皆ワイルドになっていた。

何時の間にかDJは梓から、モップみたいな髪型の子に変わっていたけど、客は気にもしていないようだった。


皆、人生相手の苦闘をしている。

そして週末のパーティに繰り出す。

週末が来れば、音楽を感じて身体を揺らす。

パーティーピープルって言うのはそう言う事だし、人生を音楽が変えると言うのはきっとそう言う事なんだ。

こんなに今の私の状況に当てはまるものは無い。


時間は3時を回ってピークタイムを迎えていた。

私はリズムが少し変わった事に気付いてブースの方を見る。

ブースの横には唯が立って…。


唯はマイクを握った、

それは、歌うような、フリースタイルのような、ポエトリーリーディングのような、うなり声のような何かだった。

唯の「それ」は私達を完全にロックし、私は呆けたようになって、ブースの方を向いて身体を揺らし続けた。

唯が「それ」を続ける間、DJはモップの子からまた梓に変わって、でも唯のそのパフォーマンスは続いていた。

フロアから少しづつ、人が引け始めるころ、唯はマイクを置いてブースからそのままフロアに飛び降りると、まだフロアに残っているハードコアなダンサー達とハイタッチして退場していった。

鈴木さんはその退場に合わせる様に、If I Ever Lose This Heavenを掛ける。


この夜は(例え私の一時の思い込みだったしても)、孤独な私を繋ぎ止めるコミュニティー的なもので、人を音楽の暖かさで様々な苦難から解放させた。

唯達のやった事はそう言う超越を可能にしていた。


例えば、皆はどういう理由で音楽を聴く?

明日に希望を見出して、人生にロマンを感じたいからじゃないか?

だとしたら、そう言うもの全てがそこにあったんだ。


澪「あ、唯、待って…」

私は、唯の姿を追い掛ける。

いた…。

チルアウトスペースには唯がいて、梓がいて、二人はソファに身体を埋めて、まるで高校時代と同じように手を繋いでいた

そして、その脇には律がいてグラス片手に周囲の人間と談笑している。

だから、やっぱり皆のいる場所は高校時代のあの部室と一緒で、ちゃんとそう言う空気のままだったんだ。

ただ、そこに私はいない。

なんで、あそこで律と話をしているのが私じゃないんだろう。

私は視線を外そうとして、でも、未練がましく視界の隅に入れるようにする。

あ、律が手を上げて…。

気付いた?!

律「お疲れー」

純「どもー」

私の横を鈴木さんが通り過ぎていく。

純「唯先輩、やっぱ、ばっちりですよね」

唯「あはは、それほどでもないよー、ただ、ライブとかよりずっと長時間マイク握るから疲れるは疲れるけどねー」

律「でも、DJに合わせてってのは良いアイデアだよな」

純「あれ、梓が言い出したんですよ」

唯「そうなの?」

梓「あ、いや、はい…」

純「いや、バンド入れてライブって言うとどっちつかずって言うか、私の経験上でもどちらにも良い影響が無いって分かってましたし、だから、ナイスアイデアだなって」

唯「あずにゃん、凄い!」

梓「い、いや、そこまで考えてじゃなくて、機材の搬入もあるし、ブースとは別にステージ組んだり、機材入れたりするのにもお金かかるし…」

律「なるほどねえ…」

唯「あ、りっちゃん、何か思いついた表情」

律「いや、まだまだだから、もうちょいアイデア固まったらなー」

唯「楽しみー、あはは」



私はその場にいるべき人間では無いから、そっとその場を後にする。

大事な人達を遠くから守ることが、唯一私のすべき事だと思って、その場を去る。


唯たちはいつのまにかカルトスターになっていた。

大手レコード会社が汚い手で潰せないほどにスターだ。


その事と比例するように、二人の周りには好事家や新しいもの好き達が集まるようになっていた。

彼らは旧来的な地下世界とは繋がっていないようで、繋がっていて、だからいずれそれは律達を侵食していくかも知れなかった。

当然、律達はその事に気付いていない。

だけど、そんな風にして世界は回っていく。

上下するメリーゴーランドみたいに。

人々も変わり行く、回り続けるメリーゴーランドみたいに。

地下の世界はどうなっていると思う?

そこも世界と共にあるものなんだよ。


ライブツアーでのはしゃぎ様やその交友関係は明らかに律達の行く先をあまり良くない方向に向かわせている事を示していたけど、だからと言って、どうすれば良いのか私には分からなかった。

なあ、どうすれば良かったんだ?

だって、私はもうこんなとこに来てしまっていて、皆の前に顔を出せるような人間じゃ無いんだよ。


私が戻りたい唯一の場所。

私が愛するひとつのもの。

けれど、それは決して私に近寄らない。


HTTレーベルの突出の仕方と三人(いや、主に唯と律だけどね)の派手な振る舞いは、人々の好奇の目だけで無く、ある種のマスコミも引き付ける様になっていた。

彼らは律達にこう告げるためだけに存在しているような連中だ。

お前達は必ずバッドエンドを迎える。

その時を用意するために私達は存在している。

さあ、私達にお前らの弱みを握らせろ、と。


コンクリ打ちっ放しの壁と言うのは、モダンかも知れないけど空気をささくれ立たせる。

その空気に相応しい様子で男が床に転がされていた。

男の顔は何度か殴られたか蹴られたのかしたのだろう。

口の端は切れ、目尻は大きく腫れあがって、完全に片側の視界は塞がっているようだった。

私は、男の頭を軽く蹴り上げる。

男は大袈裟に呻く。

男「うぐわっ」

澪「はは、痛そうだね」

男「うぅ…」

澪「手を引く?」

男「引く…」

澪「私は上同士の話合いで手打ちとかそう言う事しないから。次に同じことしたら、殺すよ?」

男「分かった…」

澪「指切りする?」

酷いユーモアだと思ったのだろう。

返答は帰って来なかった。



私はあらゆる手段を用いて、皆に悪い状況をもたらす可能性のあるものを潰していった。

その代償か、私の心は軋むような音を立てるようになっていた。

心?

死んだ筈の心?

そんなものがまだ私にあったんだとすればだけど。



澪「おぇっ、うぼぁっ、ぶぇ~」

帰宅すると同時に風呂場に駆け込み嘔吐するのが日課のようになっていた。



唯と梓はレコーディングのためと日本を離れたらしい。

最近はネットで何でも分かる。

「薬抜きだろ」と書かれているのも分かる。


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