女「ね、秋山さんって凄い美人だよねぇ」
澪「そ、そうかな」
女「うん、そうそう。もてたでしょ?」
…。
こう言う話は昔から苦手だ…。
女「あはは、赤くなった。見かけはクールビューティなのに、ギャップが激しい。こう言うのに男は弱いんだよねぇ」
澪「そんなこと無い。ちょっと酔っただけだから」
女「ねえ、夜の仕事とか興味無い?」
なんだ、そう言う目的で誘ったって事か。
最近は女でもスカウト業をするのか?
女「そんな目で見ないでよぉ」
澪「いや、そんな目では見て無い」
女「どんな目?」
澪「さぁ?」
女「あはは、チョー受ける。秋山さん、美人だし、面白いし向いてるよ」
澪「ま、待て、そんなのに向いてるなんて言われてもやる気は無いぞ」
女「夜のお仕事って言っても、キャバクラだよ?」
澪「職種で差別をするつもりは無いが、そこに微差があるからって『はい』と言う気は無いぞ?」
女「そっか、残念」
澪「大体、こう言うのって、路上スカウトとかで引っ掛けるもので…」
指を目の前に突き出される。
何だよ、ちょっと、感じ悪いぞ。
女「ああ言うのより、私みたいな同僚から誘われた方が可能性高いと思わない?」
澪「それは、まあ…、認めるけど…、ね…」
女「やる気になった?」
澪「ならないよ」
女「大型新人のスカウト報奨金ゲットし損ねたー」
澪「申し訳ないな」
女「でも、やる気になったら私に声掛けてね」
澪「ならないよ」
女「路上スカウトに声掛けてその気になったとしても、なる時は私を通してだからね」
澪「だからぁ…」
女「ふふふ」
…。
澪「週4で、ってきつくないか?」
何時の間にか、私達はタメ口で話すようになっていた。
女「そうだねー、ウチの会社が9時5時の会社じゃなきゃ続けられて無いかも」
澪「うちの給料は確かに高くない」
女「ストレートだね」
澪「でも、そんな頑張ってお金稼ぎたいものか?」
女「秋山さんはお金好きじゃない?」
澪「そりゃ、あるに越した事無いけど。でも、私は今はな…」
そう、何も欲しいものは無い。
ただ、生きているだけだ。
女「はあ…。わたしは幾らあっても、使っちゃうからなー」
澪「それは『悪銭身に付かず』って話なんじゃないか」
女「あはは、ひどい、でも、そうかも」
彼女はそのことを否定もせずに明るく笑った。
女「ねえ、今日仕事終わった後、空いてる?」
澪「構わないけど」
女「じゃあねえ、良いとこ連れてってあげる。しかもおごり」
澪「いや、割り勘で構わないけど」
女「昨日ねえ、向こうの仕事の給料が出たから」
澪「それでもなあ」
女「うーん、秋山さんの財政状況だとちょっとねー?」
澪「?」
店に入ると、彼女の贔屓であろうホストが彼女を出迎える。
ホ「○○ちゃ~ん。待ってたぁ。最近来てくんなかったからさぁ」
女「ごめんね、○○クン」
ホストは彼女の後ろにいる私に気付くと、にこやかな笑みを浮かべる。
ホ「あれ?御新規さん?」
女「そ」
ホ「初めましてぇ」
澪「ああ、こちらこそ」
ホ「堅いねー、カチカチだよ」
こう言うノリにはついていけない、昔も今も。
女「新しいお客になってくれるかも知れないから、優しくしてよね」
ホ「え、でも俺は○○ちゃん一筋だけどね」
女「そうじゃないと、私も悲しいぞぉ」
…。
この晩、彼女はリシャールとか言う酒を頼んだ。
たとえ、払いの比率を9:1にしたところで、私に払えるような額では無いような酒だった。
その値段なりの味だったかと言うと…、いや、私はお酒の味を論評出来るほどそれに詳しい訳でも無いのだけど。
客候補であり、また太客の連れである私を色々楽しませてくれようとしてるのは分かったが、正直楽しいとは思えなかった。
彼女のように、積極的にこの場を楽しもうと言うので無ければ楽しめないようなものなのだろう。
女「楽しかった?」
澪「どうかなあ…」
女「そっか…」
澪「いや、奢ってくれたことや貴重な経験をさせて貰った事はありがたく思うが…」
女「あはは、良いって」
澪「ごめん」
女「それに、秋山さんがあの人の客になっても、また私としては複雑だしね」
澪「そう言うもんか?」
女「そう言うものなのよ」
そう言うものらしい。
澪「でも、お金は大丈夫なのか」
女「そんな事気にしてちゃ駄目な遊びなのよ、こーゆーのは」
澪「でも、あの額はやっぱり大金だろう?いくら、キャバクラで売れっ子だったとしても」
女「そりゃあね…。あー…」
澪「うん?」
女「秋山さんはさ、きっとあれぐらいの楽しさじゃ我慢出来ないんだね」
澪「んー…?」
女「まあ、良いや。また今度飲みに行こ?今度は女二人で行くのにぴったりのとこにさ」
澪「ああ、うん。今日はありがとう」
あれぐらいの楽しさじゃ我慢出来ない?
確かに、私は自分の全てに等しい楽しさを知っている。
でも、今の私には何も無いよ。
私は、律達と過ごしていた時代と違って、(表面的にはともかく)周囲と深く付き合う事も無く日常を過ごした。
この同僚との、(主に昼の社員食堂に限られていたけれど)交友関係を除いて。
また、無駄に真面目で、シフト変更にも柔軟に対応する私の職場での評価は高くて…、つまりは、本当に何も無い穏やかな生活を送っているのが私だった。
日常生活をやり過ごして、週末のパーティを目指すのでもなく、ただ日常だけを過ごす。
それを苦痛に感じる心も今の私には無かったのだ。
この静穏なる生活がずっと続くように思えた。
あの日までは。
女「あ、ちょっとごめん、コール入った…」
澪「別に、そんな断り入れなくても」
女「一応さ」
彼女は携帯を抱えたまま、社員食堂を出て行く。
澪「忙しい事だね」
私は、彼女の背中を見ながら、付けあわせのモズクを口に運ぶ。
焼き魚定食、A定食、B定食、酢豚定食、牛すき定食。
月曜から金曜、曜日ごとに決まっている。
私の食生活は、私の生活そのままに変化が無い。
…。
澪「戻って来ないな」
彼女は戻って来なかった、就業時間になっても。
澪「すいません、ちょっとトイレに」
別に心配になったと言う訳でもない。
いや、気になっているのは事実だけどな。
?「だからぁ、今日は締め日でしょー?俺が三位になれるかが掛かってる訳だから、払って貰いたいのよ」
あれは…、彼女の担当さんか。
女「でも、今月お金が…、メールした時は来月末まで待ってくれるって…」
嫌なところに居合わせる形になってしまった。
ホ「本当に難しいの?」
女「来月は絶対払うから。それに次行った時、もう一本リシャールも入れちゃうから」
ホ「ふぅ、○○さんは俺のエース級だからさ…、こう言う風になっちゃうの辛いんだよね…」
どうしたもんかなね。
女「…」
ホ「ねえ、店紹介しようか?そうしたら、タワーだってして貰えるし…。○○さんにタワーして貰ったら、俺も凄ぇ感激しちゃうしさ」
女「う、うん…、考えて…」
ホ「考えるじゃなくて、今決めちゃお?」
よし、止めよう。
私は、何となく通りかかった風を装う。
かなり不自然な事は認めるけど、うん。
澪「ははは、ちょっと立ち聞きするつもり無かったんだけどさ。ほら、就業時間になっても戻って来なかったし、ね」
女「秋山さん?!」
ホ「あれ、あの時の」
澪「今は、お互いにちゃんとした判断も出来なくなってるだろうしさ」
これで帰ってくれれば良いけど。
ホ「あンたには関係無いと思いますけど?」
澪「そ、それはそうだけど、ただ、このまま彼女が就業時間中と言うのに戻って来ないのはいかにもまずい、とは思わないか?」
思わないか、こう言う人は。
ホ「邪魔すんの?」
澪「い、いや、そう言う訳じゃないんだ。ただ、今日の所はお互いに冷静じゃないようだし、ね?また、日を改めてとか、そう言う」
ホ「今月の俺のランキングに関してはどう保障…」
澪「いやいやいや、人生は長いしね」
ホ「話になんない」
ホストは私との噛み合わない会話を打ち切って、彼女の肩を抱くようにして、連れて行こうとする。
澪「ちょっと待ってよ」
ホ「うるさい女だな」
ホストは私を手荒く押しのけようとする。
私は争いに慣れない人間にありがちな事で、下半身を残したまま上半身だけ大きく避けようとして…。
勢い良く前に出たホストはその場に残ったままの私の片足に躓いて転ぶ。
手を振り回そうとするのに意識が行っていたためか、手を着くことも出来ずそのまま顔面から地面に倒れる。
うわっ、痛っ!
それが痛みによるものか、怒りによるものかは分からないけど、ホストは不自然なまでにブルブルと震えながら身体を起す。
私は、中途半端な攻撃ではさらなる相手の怒りを生み、それは私の身を危うくすると思って、
相手の顔面を思いっきりサッカーボールキック。
予期せぬ攻撃に人間は弱い。
私が力を込める様子を見せてからならば、この細いホストであってもその腹筋を突破する事は容易な事では無いかも知れない。
だが、この蹴りは違った。
より速く立ち上がって、より速くこの生意気な女に一撃を食らわせてやろうと言う事ばかりに意識が行っていたであろうホストは予期しなかったであろう、その一撃を喰らい、完全に失神した。
倒れているホストに彼女は駆け寄る。
女「○○君大丈夫?大丈夫?」
彼女は必死で声を掛け、それから私の方を向いて睨む。
女「秋山さんは良いよね!こんな私と違って、ホストなんかのお手軽な救いなんか無くても生きていけるんだから!」
澪「いや、そう言う話では無くて」
女「心の中じゃ、こんなありがちな人間馬鹿にしてるんでしょ!ホストに縋って癒されたい馬鹿な女だって!『癒しい』人間だって!」
彼女の中で私は完全に悪者のようだった。
別に英雄願望があっての事では無かったけど、理不尽な気分を味あわされる。
でも、それを主張するのも馬鹿馬鹿しく思われて…。
澪「わ、私、取り合えず戻るから…。就業時間中だし…」
私は、もうその場にいたくなくなって、小走りで走り去る事にした。
その場からは逃げ出した。
彼女との(表面的なものとは言え、今の私に取っては貴重な人間関係だった)交友関係は終わってしまったのだろう。
それは仕方の無い事だった。
しかし、問題は「彼女と私の」ではなく、「ホストと私の」だ。
これは、大きな問題だった。
夜の職業にはケツ持ちと言うのが不可分であり、面子を潰されたホストは彼らに頼ると言うのは自然な成り行きだった。
そのことにより、私の日常は自意識的な危機に加えて、身体的な危機にも晒される羽目に陥った。
会社に、自宅に時間構わず押しかけられた。
今の時代なので、直接的な暴力も言葉も無かったが、ただひたすら私へ無言のプレッシャーを掛けてくる。
「秋山君、さすがにこう言う事態になるとウチとしてもだね…」
会社は首になった。
「秋山さん、ちょっとこう言う事あると困るんだけどねぇ」
大家からもすぐに荷物を纏めて出て行ってくれと告げられた。
実際、傷害事件と言っても良い様な事例なので、非は私にあるのだろう。
法律に則った裁きを求めるなら、まだ良かった。
納得出来るからだ
だが、理不尽な事に、彼らは真綿で首を絞めるように私をすり潰しに掛かった。
個人的な歴史の蓄積は、しばしば民族的な血族的な桎梏を拒否する事を選択させる。
私の父がそうだったように。
皮肉な事に、そこから離れた所を歩いて来た筈の娘の私は、再びそこに囚われる。
要するに、私は親族を頼ると言う決断をせざるを得なかった。
自分の人生と引き換えに。
最終更新:2011年09月06日 17:58