澪「唯…」

唯「ご、ごめんね…、その、澪ちゃんスタジオにベース忘れちゃってたから…、その…、ね?」

唯は普段見せないような…、何て言うんだろうね、
緊張とも後悔とも判別し難いような表情を浮かべて私の部屋の前に立っていた。

私が言葉を返さないので、その沈黙に耐えられないのか、唯は次々に言葉を繋げる。

唯「あ、りっちゃんも気付いたし、最初りっちゃんが持ってこようとしてたんだけど、でも、私が持ってくよって言って、ほら、りっちゃんも澪ちゃんも気まずいかな、って…」

それでも良くならない、私達の間の空気の悪さに耐えられず、冗談めかした態度を取る。

唯「あー、気が利くなー、私ぃー?みたいな…」

唯の必死のユーモアはこの悪い空気をさらに調子付かせるエネルギーにしかなっていなかった。

この雰囲気に耐えられなくなったのは私の方で、さっき全てをあの防音扉を閉じた時に断ち切った筈なのに、思わず唯に優しい言葉を掛けてしまう。

澪「少し上がってきなよ」

唯は一瞬表情を明るくするが、私が無表情を「作った」ままである事に気付いて、その笑顔はまた萎む。

だけど、私は、その様子から、相手がどんな気持ちでいるかとか、そう言う事にちゃんと気付ける唯の優しさを改めて実感して柔らかい気持ちになる。

でも、それが出来るなら今まで気付いてくれなかったのはどうしてなんだよ、と言う唯に対して理不尽な怒りも湧いて来て、その柔らかさみたいな感覚はすぐにそのどす黒さに覆われてしまう。

律に関しては…、まあ、ああ言う奴だから、私のこう言う感覚に関しては気付きにくかったんだろうな、とは思うだけだ。

自分でも、言ってる事が滅茶苦茶って言うのは分かってるんだ。

相手に自分を100%分かってくれ(ただし、私に都合良い形でね)って言うのは随分と偉そうなもの言いだよな。

唯「おじゃま…、します…」

澪「なんで、遠慮がちなんだよ。何度も来た事あるだろ?」

唯「えへへ…」

澪「コーヒーで良いよな」

紅茶をムギほど上手く淹れられるはずもない訳でさ。

だったら、ティータイムなんてものは卒業してしまった方が良いんだ。

なあ、唯、それに律も。

そうだよな?

私達に放課後はもう無いんだ。


澪「ちょっと熱いから気を付けな?」

唯「うん、ありがと…」

あ、言ったそばから、冷ましもせず、口を付けるとっ…。

唯「熱っ」

澪「はは、だいじょぶか?」

唯は、私が相好を崩したのを見て、にこりと笑う。

唯「あ、うん、大丈夫だよ」

わざとやったのか…。

意外と策士な唯だ。

唯は今度はしっかりと吹いてから、一口。

そして、私の方を見る。

唯「ねえ、辞めないよね?」

唯はいつもと違って、いや今まで見た事無いぐらい真剣な表情だった。

澪「いや、もう一緒には出来ない」

唯「『何で?』って聞いても良いよね?」

澪「構わないよ」

唯「じゃあ、何で?」

澪「答えられない」

唯「澪ちゃん、聞いても良いって言ったよ」

澪「答えるとは言ってない」

唯「そんなの…、詭弁だよ…。屁理屈だよ」

澪「屁理屈も理屈のうちだと思うけど」

唯は黙り込む。

閉じた口の端が震えている事から、上手く言葉に出来ない感情が唯の心の中でうねっている事が分かった。

澪「なあ、唯」

唯「…何?」

澪「唯はさ、音楽を真面目にやってる?」

唯「…、分からない…。だって、それって、自分が判断するような事じゃないって言うか…、結果が出ないって事は、評価されてないって事でもあるし…」

澪「その通り」

唯「あ、でも、高校時代よりはずっと練習はしてる…つもり…、だけど…」

澪「あー、それはそうだな。唯も、それに律だって…」

唯「うん」

澪「じゃあ、何で私達はこんなところでフリーター兼バンドマンをやっているんだろうね?」

唯「それは…」

澪「唯はこのままやってて音楽で食って行けると思ってる?」

唯「それは…、分からないけど…、でも澪ちゃんの今日の言い方は…、なんだろ…、違うと思う。うん、違う」

唯の口の端の震えは止まっていた。

澪「良いよ。私が間違ってるかどうかは、唯と律が証明すると言う事だね」

私はわざと挑発的に唯に言ってやった。

唯は立ち上がる。

怒っている様子は無い。

ただ、少し悲しそうで、でも決心した様子に見えた。

唯「私達が澪ちゃんやムギちゃん、あずにゃんからもすぐに見つかるようになれば、私達の勝ちって事だね?」

澪「ああ、そうなるように願ってるよ。うん、唯ならきっと出来るだろうし、それに律は唯の側にいて支えてくれると思うよ」

唯「そ、そしたらさ…」

澪「そしたら?」

唯「戻って来てくれる?」

澪「良いよ。唯たちがいる場所が分かれば、世界のどこにいたって分かるなら、すぐ駆けつけるよ」

唯「約束して」

澪「ああ、約束する」

唯「指きりして」

澪「ああ、指きりしよう」

こうして私と唯は指きりする。

馬鹿げた、いい歳した人間がするには馬鹿げた約束だ。

唯は最後に私にこう言う。

唯「ふふん、私達の勝ちは決まってるよ。りっちゃん隊長と唯隊員はやり遂げるんだよ。私達は滝みたいなんだからね」

You'll carry on through it all.

You're a waterfall.

私は負けることを祈ってる。




なあ、唯がどれだけ才能を持った人間か分かる?

高校時代、曲を書くのは小さい頃より本格的にピアノをやっていて音楽理論も少しは分かっているムギが書いていた。

歌詞は私の役割だった。

幸いにも私は文を書くのは好きで、携帯のメモは歌詞に使えるようにと書き散らされた言葉で一杯だった。

ちょっとばかりの自信もあったんだ。

高校を卒業して大学になって、ムギが長期留学で外国に行ってしまって、梓が離れていってしまって、私は何時の間にか、バンドの中心として曲と歌詞両方を書くようになっていた。

プロになろうと言うバンドの行く先が私の双肩に掛かって来た。

その時初めて気付いたんだけど、私では駄目だった。

全然大した事無かったよ、私は。

歌詞はともかく…、歌詞はともかくサウンドに関しては特に。


例えば、リフ。

何時だってこんな感じだった。


唯「あ、ちょっとストップ」

律「あんだよー唯ぃ、今丁度良い…」

唯「もう一度、今のところの…」

唯は自分の見つけたリフを再び奏でる。

私達はそこで初めて良いリフがあった事に気付くんだ。


ベースリフに関してもそうだ。

唯「澪ちゃん、今のリフ良かったよね?もう一回聴きたい」

澪「あー、今の所だと…、こうかな」

唯「そうそう、超かっこぃー!」



録音して聴き直して気付くんじゃないんだ。

その場で気付く。

唯の耳が気付く。

きっと、そのリフは唯がいなければ一度プレイされたきり、二度とプレイされなかったんだ。

だって、私は自分がそう言う良いリフをプレイした事すら意識してなくて…。

でも、唯にはしっかり意識出来ていたんだ。

私は曲を書くようになった、と言ったね。

確かに唯は曲は書いてはいなかった。

全然曲は書かなかった。

でも、最終的に曲としてまとめているのは唯だった。

そう言う力があった。

唯「もっともっと、上がるようにしようよ!」

ってね。

そう言って、方向付けをしたのは全部唯だったんだ。


私は隠れてしまいたかった。

律はなんで平気なんだ?

私は中心メンバー面して、作詞作曲のところに名前なんて載せられないよ。


なあ、こんな感じはどうかな。

うちのバンドでは三人が一列に並ぶんです。

前から、ギター、ドラム、ベースと言う順番です。

これはバンドにおける精神的存在感の順番を示しています。

あはっ、こうなるべきだよな。

私は唯への嫉妬に苦しめられた。

唯が前に出て来ない事に苛立った。

そして、親友にそんな感情を抱く自分への自己嫌悪が渦巻いた。

限界だった。


だから、私は降りることにした。

これ以上、唯と一緒にいたら親友である唯を傷つけてしまうから。

唯を傷付ければ間に入る律は苦しむ。

律と唯を苦しめれば、バンドは壊れて私は死ぬしかない。


そして、私はバンドから降りた。

一人になった。

結局、友達を失った。

自分の居場所が無くなれば、人間は自分と言う存在を確認出来なくなるんだ。

ははは、結局私は死ぬ運命だったんだんじゃないか。

もちろん、字義的な意味で言えば生きているよ?

自殺を選んだ訳じゃない。

ただ、人生を価値あるものにしていた全てを失って、猶、ただ生き長らえる事を「生きている」と言うならばだけど。


アーティスト的エゴと自己嫌悪が私の心の中で戦争を繰り広げた結果、私の心は焦土となった。

もう、芽吹く花は無い。



澪「律ぅ…、何で、何で助けてくれなかったんだよぅ…。私の、私のことなら何でも分かってくれるんじゃなかったのかぁ…」


携帯を解約した。

引っ越した。

関係は途切れた。

私は何者でも無くなった。


私は生まれついてディアスポラだ。

私の父は母と結婚する際に、国籍を変更した。

それゆえ、父は血の繋がりを断ち切られた存在だった。

父と母の人生。

遡る事40年。

それが、私の過去の全てだ。

父は過去を持っているかも知れない。

周囲の世界との闘争。

重すぎる血の桎梏。

断ち切った関係、その反動。

そうした経験が父を作っている。

だけど、私に過去は無い。

ルーツなんて知らないし、そこの言葉なんて話せない。

お前は「~だ」と言われたって現実感が無い。

分かる?

私には律達しかいなかったんだ。

そして、今全てを失った。


私は知った人間のいない街で一人暮らしを始めた。

何も持っていないのだから、そこがどこだろうと一緒だった。



餓死する勇気も無かったので、就職しようと幾つか応募した所、全てに受かった。

以前と違ってビックリするほど簡単に面接をクリアする事が出来た。

簡単な事だった。

ただ、相手の求める言葉を答えてやれば良かったのだから。

あはは、何で昔の私はこんな事を苦手にしてたんだろうな。


出社。

定時退社。

時々残業。

現場の男性社員。

同僚の女性社員。

派遣バイト。

全ての人たちに固まったような笑顔で形態反射的な挨拶。

帰宅。

自炊。

入浴。

睡眠。

これだけで私の生活の全てが説明出来た。


一人辺境に住んでいる。

友達も恋人もいない。

灯りも無く、家も無く愛も無い。

女「ねえ、秋山さんっていつも一人だね」

澪「ああ、そうみたいだ」

女「一人が好きなの?」

澪「そうでは無いけど、この街には知り合いもいないし」

女「じゃあ、今日から私は知り合いって事で良い?」

澪「○○さんがそう思うなら…」

女「ね、じゃあ今日はけたら飲みに行かない?」

彼女は私と飲みに行きたがっている。

答は出たようなものだ。

澪「良いよ」


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