聡「……暑い」

ピッ

聡「このドラマ、似たような話ばっかだなー…」


テレビ「臨時ニュースをお伝えします」

聡「ちっ」



 殺風景な個室のベッドに寝転がり聡は一人テレビドラマの再放送を眺めていた。
 窓一つない所為かその部屋はやけに蒸し暑く、ベッドの端々には脱ぎ捨てた服が散らばる。
 暑苦しさのためか、ドラマの筋書きにも集中できない。

聡「……暑いな」

 彼は蝸牛の這い回ったようなシーツの、それでも乾いた方へと何度も身体を動かす。
 湿気から逃れようとするのだが、どうにも自分の汗をなすりつけているようでもある。
 生乾きの布地で身体を拭う作業が不毛に思えた時分、テレビ画面に砂嵐が吹き荒れた。

聡「ったく、またかよ」

 どうにもこのテレビは映りが悪い。
 聡がベッドからよろよろ這い出て赤ん坊のようにノイズをわめくテレビを叩く。
 するとテレビはくしゃみのような音を立てて沈黙した。
 なぜだか急に汗が肌寒く感じて聡はシャツを着直す。


 いつからなぜその部屋にいたかを覚えていない。
 気づくとベッドの中で、そのまま部屋から出ようとも思わなかった、といった按配だ。
 彼は部屋に来る前に肉か何かを食べ過ぎたようで食欲も湧かず、テレビを眺めたり棚の本に目を通したりして時間を潰した。
 たしか大それた催しがあり、それから逃げて来たような覚えはある。
 だが携帯電話の電池はとうの昔に切れてしまって、彼も手を打とうとはしない。

 携帯電話はなくとも時計ならあった。
 壁の上の方にある、白黒のアナログ時計がそれだ。
 だがその文字盤には何も書かれておらず針も一本のみだから時の感覚もはっきりとしない。
 長いとも短いとも言えない長さの針は常に気づかぬうちに回る。
 聡も部屋に来た頃は何度も針の動きを確かめた試しもあるが、近頃は気に掛けるのをやめてしまいもう何周したかも思い出せない。
 この部屋に来て数十時間か数週間かのうちに――ともすれば十数ヶ月は経ってしまったのかもしれないが――自然と彼は時計から目をそむけはじめる。
 針の動きが急かすようで煩わしかったのだろう。


 彼は決してその部屋を気に入ってはいない。
 薄橙の内装は女々しく映り、雨漏りにもしばしば悩まされた。
 ただ多少不愉快といえど聡には他に適当な場所もないらしい。
 そんな中途半端な心境の所為か彼は始終何かをやりすごすようにベッドで丸まっていた。

聡「……ねみい」

 ただでさえ壁の向こうから響く呼吸に似た音は都合よく眠気を誘う。
 それに寝入る間際だけは生暖かいベッドも心地よい。
 時計の存在はますます記憶の奥底に沈められていく。

 うまく寝付けないときはテレビを見た。
 昨今では珍しいそのブラウン管テレビは時々画面がちらつき、音声がくぐもり、酷い時には何の番組かさえも分からないが、聡は番組の判別も含めてテレビを楽しんでいるようだ。
 とはいえリモコンが見つからないために彼が見られるのは名前も分からぬローカル局一局で、流れるのは殆ど再放送のドラマばかりだった。

 時々思い出したようにニュースが映るのだが、どれも大して重要と思えないものばかりである。
 三日ほど前にも病院で女の子が死んだとか誰かが無理心中を起こしたが未遂に終わったなどといったニュースが流れたようだが、すでに彼は忘れている。
 ただニュースが入るときはなぜか決まって緊急速報だった。
 彼以外の誰かにとっては緊急を要する知らせなのだろうか。

 テレビの見られない間、聡は本棚に向かった。
 その本棚は彼の決して低くはない背丈ほどもあり、女性誌や恋愛小説、育児書まであらゆるジャンルの書物がある。
 だがそのどれにも興味を持てないでいた聡は一番上の棚に妙な装丁の本を見つけた。
 文庫本以上ハードカバー未満の中途半端な大きさと規格を無視した形、緑の布地で装飾された本である。
 聡は何の気なしに手に取り開く。
 旧約聖書であった。


 突如、聡は途方もない恐れを感じ取る――何か咎められたような感触――思わず開いたページに見えた[第三十八]の文字を頭から振り払うように足下の棚にそれを押し込んだ。
 息が詰まる。
 どうにかベッドに逃げ込もうと後ろを振り向く。

 女が、膝を抱え横になっていた。

 その女は透き通った瞳、けれど何一つ見えてはいないような、水揚げされた魚のような目をしている。
 身体の輪郭がどうにも丸っこく、その所為か必要以上に幼く見える。
 そう見ると顔つきも幼く見え、抱えた足の細さがやけに痛々しく感じた。
 見覚えも無く印象にも残りそうにない、誰ともいえないようなその顔立ちは――しかし、聡の記憶に沈んで消えた他の誰でもあるように思えた。


梓「この人殺し」


 女は彼の居る方に向けて、はっきりと言い放った。
 彼は短刀を突き立てられたような感触を覚え、たじろいだ。
 女はそれ以上彼を苛むことはなかったが、聡は身に覚えのない言いがかりに心から震える。
 ベッドに戻るつもりにもなれず、その場にしゃがみ本棚に身体を預ける。

 背中に当たる無数の古びた背表紙がもたらす、遠き日の母の腕の中に似た感触。
 気づくとテレビからいつもの再放送のドラマが流れ、女はひたすら見入っていた。



 女が現れた当初は始終ぎこちなかった聡もやがて彼女を容認した。
 たとえ追い出そうにも行く宛てがなさそうに思えたからであり、またこの部屋がどうしてか女のためにあるようにも思えたからだ。
 事実、部屋に来てしばらく経った今でも聡はしばしば部外者意識を覚えた。
 部屋を無視して入室したようにも、逆にこの部屋に呼ばれたようにも考えられるが、侵入者であれ来客であれ部外者には違いない。
 彼と対照的に女が水を得た魚のごとく部屋で心地よさそうに過ごすのがどこか歯がゆかった。

 部屋に認められたからか、誰一人寄せ付けないような女の素振りは次第に薄れ、お互い口数は少ないものの会話らしきものが成立し始めた。
 女が一言二言こぼし、聡が聞き返す。
 その殆どはドラマの感想についてで、寝るたびに番組内容を忘れてしまう彼を女はその度に雨蛙のように冷ややかな目で見やるが、彼を責めることはなかった。
 ただ、未だに彼の脳裏に響くその言葉について彼女は一言も説明をしなかった。
 彼もそれを思い出さぬよう、時計のように忘れてしまえるよう努めた。

 だが彼の意味のない抵抗と裏腹に、あるとき彼女はふと時計へと目を向けさせる。

梓「あれを見て」

 見ると真っ白だった時計の文字盤にいつしか目盛と数字が打たれている。
 だがよく見ると目盛の量が異様に多い。
 また本来の時計で十五分の目盛には「70」、三十分の目盛には「140」、四十五分には「210」と書かれていた。
 針はいま「70」と少し過ぎたところ――この時計で言えば九十あたりだろうか――を差している。
 約二百八十進法の時計とそれに怯える女の小動物じみた顔つきを、彼は布団の中で不思議そうに見比べた。

 時計の話をされてなぜか居心地悪く感じた彼は無理やりテレビの画面へと向き直った。
 いま映っているドラマは禁断の愛がテーマらしい。
 二人はベッドに並んで座り、時計を忘れようとドラマに見入る。



  ◆  ◆  ◆


 画面内の小さな世界では、公園の電灯に淡く照らされた男女が抱きしめあっている。
 しとしとと涙を流す長い黒髪の女優を、短髪の男優がそっと抱き留めている。
 女優は腕に包帯を巻いており、人形のように整った顔つきは畏れと怯えにゆがめられているようだ。
 そんな彼女を男優はいたわるように、いとおしむように、すがるように背中へと腕を回す。
 やがて彼女も男優の気持ちを受け入れたのか、彼の肩に自らの頭を預けた。

 二人の立っている影はカメラの左隅に伸び、遠くにヒグラシの声が聞こえ、女優は相手役の男優の引き締まった腕に無心で包まれていた。
 男の側が何かささやき、女優も頷く。
 彼はさらに腕の力を強める。
 恍惚の表情を浮かべる二人。



  ◆  ◆  ◆


 彼にはどうしても、そのドラマが作り物のように見えた。
 女の側が西洋人形のような顔立ちなのに対し、男のスタイルはマネキンのようで、その番組はよくできた人形劇にも見えた。

聡「……幸せそうだな」

 彼にとってそんな俳優のきな臭さは鼻につくほどだったが、隣の女に遠慮してそう言ってみる。
 すると女は彼に目を向けもせず、

梓「気持ち悪くないの」

 と、一言問いかけた。


 彼は何がそう感じたかを問おうとしたが言葉に詰まり、ついに聞き逃してしまう。
 そのとき彼には彼女が別の生き物へと変わっていくように見えた。
 ドラマは不意に臨時ニュースに変わり、女は慌てて立ち上がり壁の時計を確認する。
 女の顔はみるみる青ざめたが、彼はそれを気にすることなくベッドに潜り込んだ。


 聡が次に目覚めた時、ゴム手袋をした女が馬乗りになって彼の首を絞めていた。


 思わず突き飛ばし、頭の覚めきらぬ内に女を後ろで押さえつけ右手袋を引き抜く。
 摩擦でうまく外れなかったが、女の握り締めた掌を無理やり広げて手袋を奪う。
 この手袋がいけないんだ。
 俺を馬鹿にしやがって。
 自分の頭でさえも追いつかないほどに手袋が憎憎しく感じ、悲鳴を上げる女からもう一方の手袋も奪った。
 そこで何か達せられた気がして、二人してベッドに倒れこむ。
 両者とも、呼吸が整うまで息遣いで何も聞こえないほどであった。

 聡は我に返り、手の中に残った手袋を不思議そうに眺めた。
 女は肩を震わせて泣いている。
 無理やり引き剥がそうとした時に付いた女の血や聡の手汗なんかが気持ち悪い。
 思わず手袋を投げ捨てる。

聡「……なんでこんなことするんだよ」



 主人公の恋人である女優が一人、病院へと歩いている。
 足取りは重い。
 今までこの恋人たちはほぼ毎日を共に過ごしていたから、単独行動は奇異に映る。
 彼女は禁断の愛に溺れ、その後遺症から睡眠薬を飲み続けていた、聡はテレビを見ながらそんな設定を思い出す。
 すると、向かう病院は精神科だろう。
 彼はそんな先読みをしてみたが、どうやら違ったらしい。

 回想シーンが入って聡は驚いた。
 カラオケ店の中、その女優がかつて別れた女と手を繋いでにこやかに談笑していたのだ。
 やがて涙を流す黒髪の女をショートヘアーの女がそっと抱きしめる。
 なにかを思い出すように互いの身体をまさぐり、接吻を交わす。
 かつての悲恋に傷ついた話はどうしたのだろう。
 彼は冷や水をかけられたような心境で番組に見入る。

 お決まりの回想が終わると女優が病院から出てくる。
 待っていたのは恋人の男でなく、やはり悪役の女だった。
 彼は冷や水をかけられたような心境で番組に見入る。
 ロングヘアーの女優は男に向けていたのとは違う意味の笑顔を浮かべ、待っていた彼女の腕の中に包まれる。
 悪役――いや、元悪役が彼女を頭を優しくなでた。軽口を言って落ち着かせようとした。
 しばらくしてロングヘアーの女は元悪役の胸元で安心したように泣きはじめる。


梓「その子、かわいそうな子でいてほしかったでしょ?」

 隣で見ていた女が意地悪そうに問いかける。
 聡はドラマの前後のつながりが分からなくなり今まで見てきた恋愛描写すら伏線に思えた。
 疑心暗鬼で見るに堪えなくなって目を逸らそうとした聡の頭を隣の女が抱きかかえる。
 お願い、ちゃんと見て。
 彼は仕方なく、薄目を開けた状態でドラマを覗き込む。

 ――ボクはアナタを愛していたのに

 崩れ落ち、顔をくしゃくしゃにして泣き叫んだのは禁断の愛に溺れた女優ではなく普通に育ったはずの主人公の方だった。
 それを女優は親身になるでも聞き流すでもなく、ただ受け止める。
 そして泣きじゃくる主人公を女優は抱きしめ諭す。
 だがその目は決して主人公に向けられたものではなく、このときほど聡にとって劇中の女優が人形のように見えたシーンはなかった。

 聡はついに我慢できず、女の腕を払いのけて布団の中へと逃げる。
 女は無理にでもドラマを見せようと布団を懸命に引っ張るが、その間に番組が終わってしまい、同時に彼への抵抗をも放棄した。
 そして代わりに布団の中に潜り込み、目を逸らす彼を抱きしめた。
 しばらく二人はそうしていたが、やがて女は布団を払いのけ、まっすぐに聡の目を見て尋ねる。

梓「わたしがいなくなっても、わたしのことを愛してくれますか?」

 その問いかけに聡は心から頷く。
 愛情というより、むしろ恐怖に追い立てられた形での肯定だろうか。
 だがその恐怖は彼女に対してではなく――むしろ彼女の居る部屋に対してのそれだった。
 審判が下される。
 そんな予感が聡を恐怖させる。



 次の日、彼が目覚めると女は消えていた。
 慌てて部屋を見渡すと恐ろしい光景が広がっていた。
 女が身体中を滅多刺しにされて死んでいる。

 聡は駆け寄り、絶命した女を抱きかかえる。
 足元には血まみれのナイフが転がっていて、女の見開いた目は取り返しが付かないことを如実に示している。
 女の最期の顔は、どことなく聡のそれと似てしまった。
 呼吸のやり方も忘れるほど聡は動転し、時計が目に入る。
 だが時計も床に堕ちて文字盤のガラスが割れ、もう二度と動かないらしい。

 時計の針は「0」まで辿り着いていて、このとき彼は実に永く部屋で過ごしていたことを悟る。
 だがその日数さえ多くとも三十八週間には満たない程度だろう。

 点いたままのテレビに映る主人公は、死体に懺悔する聡自身と同じ顔をしていた。



おわり。




28 : ◆WJPyexWZiU : 2010/10/03(日) 23:17:39.21 ID:oYPJeuzF0


読んでくれた人ありがとう
ただの夢落ちだけど現実で何が起きてたかを推理すると面白いかも

というわけで問題 「女の部屋」とは誰の何をさしているでしょうか
分かったら「#誰のなに」って形で答えてみてね
12時か13時ぐらいまでに当てたらリクエストしたカプで何か書くよ!

とりあえず次は憂がお散歩する話か、梓がスカイプで雑談する話か、憂と梓が勘違いする話にする


↓なにか質問あれば


30 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします: 2010/10/03(日) 23:22:24.69 ID:HEDPOrEsO


>>28 ドラマの登場人物の律と思われる人物のことを聡は姉とわからなかったのか? 


32 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします: 2010/10/03(日) 23:25:45.37 ID:oYPJeuzF0


>>30 
最初の方はまず気づいてないだろうね
ラストでドラマから目をそむけた頃には気づいてたのかも


33 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします: 2010/10/03(日) 23:30:10.89 ID:HEDPOrEsO


ゴム手袋がなにを暗喩していたかがわからん……


34 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします: 2010/10/03(日) 23:30:48.33 ID:oYPJeuzF0


あーあと作中の梓は現実の梓とは別人と思ったほうがいい
設定の都合であずにゃんに登場してもらったけど


37 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします: 2010/10/03(日) 23:46:43.98 ID:oYPJeuzF0


答えは澪の子宮
ドラマの方が現実でこっちの世界が夢っていう
聡と澪の愛の結晶()があずにゃんで、律が堕胎手術を勧めた結果あずにゃんが死んだ的な


>>33 
コンドーム
ちなみに錠剤は中絶薬


39 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします: 2010/10/03(日) 23:49:26.84 ID:VwCwRNAT0


旧約聖書 第三十八 ってどんなことが書かれているの?


41 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします: 2010/10/03(日) 23:52:51.32 ID:oYPJeuzF0

>>38 
三十八週間とか床に「堕」ちてだろうか
書いてる俺もどれがヒントになってるか分からなかった


>>39 
厳格なキリスト教だと避妊行為が禁じられてるんだけど
その辺の主張の根拠が創世記38章1-11節のオナン云々なんだ


42 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします: 2010/10/04(月) 00:05:28.32 ID:gZ4jr+XDO


>>41 わかったというより妊娠の話って考えると一番しっくりくると思っただけだな 
育児書、薬、病院等々

あと、中絶の話のコピペみたいな雰囲気がしたのもあるな


45 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします: 2010/10/04(月) 00:31:22.78 ID:566G21Hd0
>>42 たしかにあれには影響受けてる気がする 
分かってほしくていろいろばらまいたつもりだけど



最終更新:2011年09月03日 12:33