―――六月二十二日、深夜


その日も、砲火に追われ、敵兵の目から隠れながら、海岸をあてどもなく逃げ回った。


岩陰に隠れて眠っていると、夜中にふと目が覚める。岩に当たる背中やおしりが痛む。

私のすぐそばには、唯先輩と憂が、姉妹仲良く寝息を立てていた。


 「そうか、私たち以外、みんな、死んじゃったんだ……」


外から差し込む月の光に、痩せこけた二人の顔が映る。


 「唯先輩、憂、ごめんなさい。……今まで、ありがとうございます」


泥のように眠りこけている二人を尻目に、

唯先輩のかばんから、手榴弾を抜き取る。


 「私、きっと足手まといになっちゃいますよね。体、小さいし……」


憂のかばんからも抜き取ろうと思ったけれど……

気付かれそうだし、“いざというとき”のために二人で一つは残してあげようと思った。

代わりに、残していた乾パンと粉味噌を置いておいた。



どうせ死ぬのなら、先輩方や友達の命を奪った米兵を、一人でも道連れにしてやる。

石灰岩の岩肌に爪を立てて、私は海岸から丘の上にはい上がった。


 「殺ってやる……殺ってやるです……」


山城の丘にさしかかろうとする辺りで、兵隊たち十数名の集団が、斬り込みをかけると息巻いている。

私には、ためらいはなかった。


 「……私も、加わっていいですか?」




照明弾がしきりに落ちてきて、あちこちに散らばる腐乱死体が青白く不気味に照らされる。

ほんの数百メートルの距離を、数時間もかけて匍匐前進した。


しかし、そこは米軍陣地のまっただ中。

たちまち米軍の攻撃に遭って数人が吹き飛ばされ、集団は散り散りになる。

私がアダンの茂みに身を潜めると、数名の米兵があちこちを歩きながら警戒している。



ガサッ。


 (しまった!)


不用意に物音を立ててしまい、冷や汗をかく。

不審に思ったのか、一人の米兵が私の居る茂みに近付いて、じろじろと眺めている。


 「に……にゃ~~……」


こんな所でネコの鳴きまねが役に立つとは思わなかったけど、米兵はきびすを返して来た道を戻っていく。


 (今だ!)


私は素早く手榴弾の栓を抜くと、その米兵に投げつけた。

爆発音。


 (やった!?)


しかし、そう思うのもつかの間。

小銃弾の乱射、続いて機関銃までもが火を噴き、私は地面に突っ伏す。


 「!!  うぁ……っ……」


……気が付くと、赤鬼のような憤怒の形相をした一人の米兵が、小銃を私の額に突きつけている。

米兵はいきり立ちながらも、相手が年端もいかない女だったことに少し驚いているようだった。

だがこのままでは、私は鬼畜米英の毒牙にかかり純潔を汚され、慰み者にされてしまうのだ。



私は荒れた呼吸をようやく整えると、叫んだ。


 「……私は皇国女性だッ!早く殺さないか!殺せッ!殺すですッッ!!」


しかし米兵は、言葉が分からないのか、動かない。


 (このまま、辱められるくらいなら……!!)


私が、ふところに忍ばせていた小刀で斬りかかろうと、右手を伸ばした、その瞬間。









ぱん。



―――六月二十三日、早朝


私は、遠くから聞こえた銃声で目が覚めました。

空が白み始め、あちこちから聞こえる小銃の音が激しくなります。


 「……あれ、あずにゃんは? 水でも探しに行ったの?」


寝ぼけまなこで辺りを見回しますが、あずにゃんの姿が見えません。


 「え!? 私も知らないよ? 梓ちゃん? 梓ちゃーん!?」


呼び起こされた憂が、驚いてあずにゃんの名を呼びます。

しかし、返事が返ってくることは、ありませんでした。



あまり声を張り上げると、米兵に見つかってしまいます。

この岩壁も危ないので、仕方なく、逃げるために荷物をまとめていると、


 「あ、私の手榴弾が無い!」


はっと気付いた私は、憂と顔を見合わせました。

近くに、あずにゃんが残したらしい食料も、少し置いてありました。


 「きっと、梓ちゃんが……」

 「あずにゃん、なんで、一人だけ……」


空しくなって、視界が涙でにじみました。


今さら、私たち一人一人の生き死にが戦争の勝ち負けに何の関係があるのでしょう。

いっそ、こんな苦しくつらい思いをするなら、あずにゃんのように潔く死にたい。


 (生きるのはつらい……でも、死ぬのは怖い)


しかし、生きて、生き残って、お父さん、お母さんに一目でも会いたい。

でも米軍に捕まれば、辱められ、八つ裂きにされたり、戦車でひき殺されるとさえ言われていました。


 (死にたい……でも、死にたくない……)


生への執着と生へのあきらめ、死へのあこがれと死への恐怖が、

眼下に広がる海の荒波のように、ぐるぐると渦巻き、激しく寄せては返します。

思わず、その荒波に、吸い込まれそうになりましたが、


 「……お姉ちゃん!」


憂の声で、私はようやく我に返って気を取り直したのです。


 「ぁ、憂……ごめん……」


憂がいてくれる限りは、私もまた、生き続けなければなりません。


その後、死体につまづきながら、ひたすら海岸をさまよい続けました。


もう、どちらへ行けばよいのか、見当もつきません。岩穴や岩陰は、どこも追いつめられた人たちでいっぱいです。


相変わらず、丘の上から戦車砲、迫撃砲の砲声が響き、小銃が海岸を動くものを狙い撃ちます。

小さな魚雷艇みたいな船が、しきりに海岸に近寄ってきて、“コウサンセヨ”と呼びかけます。




そして、ついに。




 「あぐうぅぅっっ!」

 「お姉ちゃん!!!?」


脚に流れ弾が当たったのです。

倒れた私を憂が抱き起こし肩を貸してくれて、片脚を引きずりながら岩陰のくぼみに隠れました。


 「いま、診てあげるからね!」


憂が、私の左脚のモンペのすそを切り裂きました

ふくらはぎが熟れたザクロのようにはじけ、砕けた骨が露出しています。


 「ぁぁ……」


憂の顔からは、絶望の色がありありと見て取れました。


 「……ありがとぉ、憂。もういいよ、私は置いていきなよ」


私は、憂の表情を見ていたたまれなくなり、言ったのです。

すると、青い顔をしていた憂が、顔を真っ赤にして反駁します。


 「!? お姉ちゃん、何言ってるの!?」

 「憂まで死んじゃったら、お父さんとお母さんに私の最期を知らせてくれる人がいなくなっちゃうよ!?」

 「……でも……っ……私は……」


私が両親のことを口にしてもなお、憂は逃げようとしてくれませんでした。


 「私のことだけじゃないよ!

    りっちゃん、澪ちゃん、ムギちゃん、あずにゃん、和ちゃんも、純ちゃんだって……

    みんなのことを覚えててくれる人が、誰もいなくなっちゃうんだよ!?そんなのイヤだよぉっ!」


米兵が近くに居るともしれないのに、私は妹を引きはがすようにその肩をつかんで、声を張り上げました。


 「……それでも、私には、お姉ちゃんを置いてなんて行けないよ!私もここで死ぬ!」


しかし、憂もまた、私に負けぬ勢いで声を張り上げるのでした。


 「憂ぃ……お願い……お願いだから、逃げてよぉ……」

 「ごめん……、それだけは、絶対に嫌なの。わがままな妹で、ごめんね………」


私は涙ながらに、憂を何とか説き伏せようとしましたが、憂もまた、ぽろぽろと涙をこぼして拒むのです。


 “デテコーイ、デテコーイ!”


押し問答を続けていた私たちの耳に、米兵の声が、かすかに聞こえてきます。


 「べ、米兵!?」


憂が私をかばうように抱きついてきますが、その顔色は岩陰の薄明かりでもわかるほど蒼白でした。


 「ぁぁ、鬼畜米英だよ!おしまいだよぉ!」


絶望を強めながら、しばし声を殺していると、すぐ近くの岩陰から、小銃が乱射される音、悲鳴。


 “アカネっ!”

 “エリっ!”

 “……えーい!”


続いて、手榴弾の爆発音が聞こえました。

おそらく女学生の一団が追いつめられ自決したのでしょう。

憂が震える声で、切々と問いかけます。


 「もう、逃げられないよ。 お姉ちゃん、一緒に……」

 「……“いきてりょしゅーのはずかしめをうけず”だもんね」


こうして、私たちは、覚悟を決めたのです。


 「…ん、っしょ……っと……」


私は、自分のヘアピンを外して、岩陰に文字を掘りました。


 “ユイ”

 “ウイ”


私たちが死んだ後も、いつか、誰かが、その最期の証を見つけてくれればと願って。


 「……これを、あげよう」


そして、私はそのヘアピンを、憂の髪にさしました。


 「じゃあ、交換だね……」


憂もまた、リボンを外して、私の髪をくくってくれました。


憂の顔をこの目に焼き付けておこうと思いましたが、あとからあとから涙が溢れて見えません。

涙をぬぐうと、憂も私と同じように、泥と垢と血と涙で顔をくしゃくしゃにしていました。


 「えへへ、これでいつまでも一緒だよ……」

 「うん……」


私は、憂をしっかりと抱き寄せます。憂も私を固く抱きしめ返してくれます。


とはいえ、もう、時間は残っていません。


 「憂、もう、いいかな……」

 「……うん!」


憂が、かばんから取り出した手榴弾を手渡します。


 「……よし……っっ!」



敵の手にかかるくらいなら!

私は手榴弾の栓を口で引き抜き、信管を岩に叩き付けると、抱き合う私たちの胸元に押し込みました。


 「憂…憂ぃ……」

 「お姉…ちゃ……お姉ちゃぁん……」


私たちは震えながら、ひたすら抱きしめ合いました。


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