その日の昼過ぎ。


……急に炸裂音がして、目の前に火花が散ったかと思うと、私たちは地面になぎ倒されていました。

至近弾が落ちたのです。

私は自分の無事を知らせるのも兼ねて、二人に声を掛けます。


 「あうぅ……澪ちゃん、りっちゃん、大丈夫?」



澪ちゃんから震える声で返事が聞こえます。


 「うん、私は、平気。でも、律が、律が……」


しかし、そのりっちゃんから返事がありません。

土ぼこりが収まるころ、ようやくりっちゃんのか細い声がきこえました。


 「ぁぁ、とうとう、やっちゃった……」

 「りっちゃん!?」


ひとまず、澪ちゃんと一緒にりっちゃんをそばのサトウキビ畑まで担ぎこみましたが、

りっちゃんは、左手の甲が手首近くまでぱっくりと二つに裂けて骨が見え、

脇腹は肩からさげていた水筒もろとも切り裂かれ、腸がせり出していました。


この三ヶ月間、ずっと負傷兵たちの手当をしていた私たちには分かっています。


おなかをやられたら、まず助かりません。



――――澪と唯が、私のことを、覆いかぶさるように見下ろしている。


 「律ぅ……」

 「りっちゃん……」


逆光で表情はよくわからなかったけれど、その瞳には焦りとあきらめの色が宿っていた。


 (ああ、私たちが手当てしてた人たちも、最期はこんなふうに見つめられて、こんな気持ちだったんだな)


そう思うと、急に寂しく、泣きたくなってきた。

それを悟られたくなかったから、私は二人に無理なお願いをした。


 「水、飲みたい…。最期くらい、ワガママ、言っても、いいだろ?」

 「私、持ってないよ……澪ちゃんも?」

 「わ、わかった!水はいくらでも汲んでくる!汲んでくるから!最期とか言わないでくれっ!」


そう言い終わる前に、澪は走り出していた。あの怖がり澪が強くなったもんだ。


 「あ、澪ちゃん、私も! でも、りっちゃんが……」

 「……唯も手伝ってあげてよ。ついでに、これ、澪に」


私はカチューシャを外して、オロオロしている唯に握らせた。


 「え、りっちゃん、そんな……」

 「いいから……」


顔をゆがませながら作り笑いをしたけれど、ちゃんと笑えていたかどうか。


 「………うん」


唯は細いサトウキビをもいで、歯で剥いて私に渡してくれた。

そして何度も振り向きつつも、茂みから遠ざかっていった。


 (………)


サトウキビをかじると、かすかに甘い汁が喉に落ちていった。


 (私たちなんて、このサトウキビみたいに無造作になぎ倒されていくんだ……)

 (痛い…苦しい…どーせ助からないのなら、楽に死にたかったなぁ……)


葉陰から空を眺めると、戦争など関係ないかのように、青い空がのぞいている。

艦砲が遠のき、少し静かになると、サトウキビが風にざわめく音が耳に残る。


 (やっぱり、寂しい……)

 (水くれなんて、言わなきゃよかったなぁ)

 (お父さん、お母さん……聡はどうなったんだろ……)


水を飲みたいのは本当だったけど、やっぱり独りはイヤだった。

涙がぽろぽろ、ぽろぽろと溢れ、目尻から流れていく。



薄れてきた意識の中で、しばらくすると、キャタピラの音と、炎に木々が爆ぜる音が近付いてきた……



――――私たちは、泉を探し出して水をくむと、急いでりっちゃんのいた茂み近くに戻りました。

しかし、すでにサトウキビの茂みは、米軍の火炎放射で焼き尽くされていたのです。


 「あ、あぁ……」


その光景と、悲嘆にくれて膝から力無く崩れ落ちる澪ちゃんを、私は呆然と眺めていました。


 「……」


澪ちゃんが取り落とした水筒から、乾いた赤土に、こんこんと、水が溢れました。




―――六月二十一日


敵の正面から山城の丘を越えるのは難しいと考えた私たちは、南端の荒崎海岸に向かいました。

そこには、住民も兵士も混じって、ものすごい人が集まっていたのです。

するとその中に、生き残りの女学生や先生方の集団がありました。


 「ああ!お姉ちゃん!?」


不意に、解散命令以来聞いていなかった、懐かしい声がします。

憂が私に走り寄り、抱きついてきます。


 「憂!?あずにゃんも!よかったぁ~……」 

 「唯先輩!澪先輩!ご無事だったんですね!」


その背後に、あずにゃんの姿もありました。

私たちをしげしげと眺めていたあずにゃんの表情が、次第にこわばります。


 「あの……ムギ先輩や、律先輩は……」

 「ムギと律は、もういない。いないんだ」


澪ちゃんが、きっぱりと言い切り、口を固く結びました。握った拳がブルブル震えています。


 「……そう、ですか」


あずにゃんは、納得したというよりは、あきらめたような口調で応えました。

憂は、二人の最期を聞いて、私に抱きつく腕の力を強めます。私まで失いたくないのでしょう。


 「澪ちゃん。二人にも、ちゃんと話しておこうよ。誰かがムギちゃんとりっちゃんのこと、伝えてくれないと…」

 「……うん。そう……だな」


私と澪ちゃんは、途中、何度も言葉に詰まりながらも、内容を補いあって、

ムギちゃんとりっちゃんのことを、そして、さわ子先生や他の人のことも、出来るだけ語りました。


学徒隊の働きを後世に伝える、なんて立派な理由から話したのではありません。

このまま、みんな永久に忘れ去られてしまうなんて、あまりに寂しいからです。


そして、私たちは海岸沿いに移動を始めたのです。


海岸には、腐ってドラム缶みたいにふくれあがった死体が散乱していました。

その中を、たくさんの避難民や兵隊が右往左往しています。


私たちは、潮が満ちれば、カニか磯虫のように岩にへばりつき、

潮が引けば、見つからないよう海に入り、溺れないよう手をつないで逃げました。




その夜。




照明弾が真昼のように照らす中を、潜ったり顔だけ出したりしながら摩文仁に向かっていました。

ブシュブシュと、米軍の機関銃の弾が水切りのように海面を連続してうがち、あちこちで悲鳴が上がります。

ときおり、迫撃砲が大きな水柱を立てて兵隊と避難民、そして水死体をはね飛ばします。




突然。




 「うあ゛あ゛ぁっっ!」




澪ちゃんが悲痛な叫び声をあげ、つないでいた手が弾かれるように離れます。

おそらく、肩か腕を打ち抜かれたのでしょう。


 「澪ちゃん!?」


驚いた私が声を上げ、澪ちゃんに振り返ります。

そのときすでに、澪ちゃんの顔はかろうじて海面に出ている程度でした。




その瞬間、私は見たのです。


澪ちゃんの、海水のためか涙のためか、真っ赤に腫らした目。


その顔に浮かぶ、悔しさとも、悲しさとも、苦しさとも、寂しさともつかない表情。


 「ゆ……っ……」


私の名を呼ぼうとした澪ちゃんの顔が、ゴボリと波間に沈みます。


そして長い黒髪が、海面からわずかに伸びた左手にからみながら、照明弾の白い光に照らされ、波間に数瞬ゆらめきました。

するとまた大きな波が来て、それを私が何とかしのいだ後には、澪ちゃんは完全に見えなくなっていたのです。



……あっという間の出来事でした。



―――………ごぼごぼ、ごぼごぼ


夜の海の中は真っ暗だ。

南海の激流が私の体をもてあそぶ。

もう、上下左右の感覚もない。


 (ああ、苦しい、苦しい)

 (律も苦しかっただろうなあ。ごめんな、律)

 (カチューシャも、ちゃんと、返さないと……)


ぼしゅぅぅぅ……ん

迫撃砲弾だろうか。体全体に染みるような重い振動が響く。


 (そういえば、今年は毎年恒例のひな祭りもできなかったな)

 (卒業式もちゃんと挙げてないし、卒業証書ももらってないし)

 (みんなにちゃんとお別れしたかった……)


今の迫撃砲弾で、鼓膜が破れたのだろうか。

急に、海の中が静寂に包まれた。


漆黒の海中で、ふと脳裏に、総天然色の夢幻が湧き出た。


 (……この美しい島、そして美しい海)


丘には、紺碧の青空と対比を為す深い緑が茂り、色とりどりの花が咲き誇る。

蝶が悠々と舞い、鳥が翔んで競うように歌を奏でる。

コバルト色に澄みきった海が、日差しの下でさわやかな白波を立てて、珊瑚でできた乳白色の浜に打ち寄せる。

竜宮城から舞い出たような極彩色の魚たちが、磯に群れて遊ぶ。


 (でも、それは失われた)

 (今は、死の島、死の海だ)

 (こうして、私の流す血も涙も、そして私自身も)

 (この死の海に飲み込まれていく)


陸には草むす屍、海には水漬く屍。

それが、幾十、幾百、幾千、幾万、幾十万、累々と折り重なる。

私もその一部となろうとしている。


 (そうだ、ここは地獄の果てだ)

 (死の島と死の海に挟まれたこの海岸は、地獄の果てだ)


そのとき、無音となった海の中、

照明弾の明かりが水面からほのかに海底ににじんだのか、ぼんやり明るくなった。


 (たった三か月前まで、学校にいたのに)

 (なんで、こんなことになったんだっけ……)

 (なんで……)


こぽこぽ、こぽこぽ……



 「澪ちゃ……ゴホッ!……澪ちゃぁぁぁん!」

 「……ゲホッ!澪先輩っ!」



私とあずにゃんは澪ちゃんの居たあたりに向かおうとしますが、

どんどん潮が満ちてきて、強い引き波に足を取られそうになり、進めません。


 「お姉ちゃ……危ないよっ!」


ようやく死体だらけの海岸にたどり着いた私たちは、放心状態になって、岩陰に倒れ込みました。


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