―――そして、六月一八日


私は、飛び交う銃砲におびえながらも、その夜に伊原の第三外科壕に戻りました。

澪ちゃんとりっちゃんは、入れ違いで伝令に出かけたようです。

しばらくして、さわ子先生が、学徒隊のみんなを集めました。


 “何だろう……”

 “女学生も斬り込みに行くの?”

 “まさか…”

 “きっと、新兵器ができて日本が勝ったのよ……”


みんな口々に、ひそひそとうわさ話をしていましたが、


 「……みなさんに、大事な話があります。時間がないから、静かによく聞いてね」


先生は、険しい表情で一人ひとりの顔を見据えるように、伝えます。


 「軍の命令で、学徒隊は、ただいまをもって解散することになりました……」

 「え、解散……って、どういう、こと?」


ポカンとしている私たちの頭に、さわ子先生の言葉が静かに響きます。


 「今後は、重傷で動けない人以外は、壕から出て各自行動することになります。

   大人数は危ないから、4、5人で班を作って、国頭まで逃げてちょうだい。

   途中で負傷した人は、置いていって。お互い、その覚悟で逃げるのよ。

   どうか一人でも生き延びて、私たち学徒隊の働きを伝えて……」


非情な命令を伝えなければいけないさわ子先生の苦衷は察するに余りますが、

私たちの受けた“死の命令”に等しい衝撃は、それ以上に大きかったのです。

私は、壕の岩肌にへなへなと座り込みました。


 (絶対に、日本が勝つって信じて、頑張ってきたのに、今さら解散なんて……)

 (私たちなりに、皇国女性として、勤めを果たしたのに……)


それは無駄な努力だったのでしょうか。

今になって鬼畜米英の砲煙弾雨の中に放り出されるなんて、見捨てられたようで、涙があふれてきます。


 「うう、ぐすっ……ひっく……」


周りからも、すすり泣く声、「お母さん、お父さん」と呼ぶ声がします。


 「……うーさーぎー、追ーいし、かーのー山……」


ふと、歌声が聞こえて見上げると、ムギちゃんが声をつまらせながら「ふるさと」を歌っています。


 「小ーぶーな、うっ、釣ーり、…ぐす、かの、川……」


私も故郷を思い出し、「ふるさと」を歌い出すと、

周りのみんなも、それに合わせて歌い出すのです。


 “夢は 今も 巡りて”

 “忘れがたき ふるさと……”


私たちが思い描いた美しい故郷、懐かしい学舎も、今は焦土と化しているのでしょう……



その後、女学生は、数人ずつ組になって、解散していきました。

ある人たちは、東回りや西回りで海岸沿いに逃げ、

ある人たちは、北部の国頭への突破を図り、

動けない人たちは、壕に残りました。


 「……先生、さよなら」

 「……はい、さようなら」


いつも授業後に交わしていたような別れのあいさつ。

それが、永遠の別れとなった人たちもまた、多く居たのです。



―――敵前での解散命令によって、学徒たちは壕から出ることを余儀なくされた。

このため、米軍の猛攻にさらされ、命を落とす者が続出したのである。



―――六月十九日、未明


 「……ムギちゃん、どうやったら国頭まで行けるのかな?」


唯ちゃんが、荷物をまとめながら、不安そうに私に問いかけました。


 「ごめんなさい。私も那覇より北の道はよく知らないの……」 

 「誰か国頭出身の人、いたっけ……」


そうこうして、壕から脱出する機会をうかがっていると、


 『敵襲っ!』


突然、兵隊さんの殺気立った甲高い声が響きます。

兵隊さんたちは入口付近に弾避けの米俵を積み、小銃を構え、機関銃を据え付けました。

壕内には百人近くもの人がいるのに、みんな、極度に緊張して息を潜めています。

敵兵の声が聞こえてきました。


 “コノゴウニジュウミンハイマセンカ。ムダナテイコウハヤメテ、デテキナサイ。

   デテコナイトバクダンヲナゲコミマス”


そんな呼びかけがあっても、誰も動きません。いえ、動くことができません。

すると突如、凄まじい爆発音とともに、もうもうと煙が立ちこめたのです。



 『ガス弾だ!』

 『タオルを水で濡らして口と鼻をふさげ!』

 『なるべく姿勢を低くせい!』


兵隊さんや先生方の怒声が聞こえます。

あっというまに濃い煙が壕内に充満し、何も見えません。

そもそも、目が痛くて開けられません。


私はとっさに、カバンからハンカチを取り出すと、水筒の水で濡らして口をふさぎました。

しかし、気休め程度にしかなりませんでした。


 “あぁ!怖い!怖いよぉ!”

 “助けてぇ!お父さぁん!お母さぁん!”

 “さわ子せんせぇ!苦しい!くるしぃ!”


級友たちの悲痛な絶叫が聞こえます。

さわ子先生が励ます声が、悲鳴の中からわずかに聞こえました。


 「みんな頑張って!頑張るのよ!あきらめないで!ほら、このタオルを!」


すぐ隣から、唯ちゃんの、のどをつぶしたような声の叫びが聞こえます。


 「ぁぁ、ぐるじいよぉ!水もタオルもないよぉ!うぁぁぁ!」


しかし、私にはどうすることもできません。

唯ちゃんの肩を抱いて、頭を地面にこすりつけるように下げました。


息を止めれば苦しく、しかし、呼吸をすればさらに苦しくなります。

先生か兵士の誰かが叫びました。


 『小便でタオルを濡らして口をふさげ!』


それを聞いた私は、とっさに叫びます。


 「……唯ちゃん、これ!」

 「え!?」


私は、自分の使っていたハンカチを唯ちゃんの口にあてがいました。

とまどった唯ちゃんは、ガスで真っ赤に腫らした目で、一瞬ためらっていましたが、

私が小さくうなずくと、唯ちゃんは顔に押しつけるように、必死でハンカチを口にあてがいました。



私は、被っていた防空ずきんをモンペの上からあてがって、おしっこで濡らしました。

それで口と鼻をふさぎますが、息は苦しくなるばかりです。

吐き気がするほど気分は悪くなり、次第に、意識は薄れてきました。


涙が、ボロボロ、ボロボロと溢れます。

もちろんガス弾のせいもあるでしょう。

しかし、それだけではありませんでした。


 (こんな日も当たらない穴蔵の底で、虫けらみたいに死ぬなんて!そんなのイヤ!)


そう思うと、悲しくて、悔しくて、寂しくて、涙が際限なく流れるのです。

そして、私は、必死で祈りました。祈り続けたのです。


 (戦争が終わったら、もし、戦争が終わったら)

 (またみんなで学校に行って、歌を歌って、お茶を飲むのが夢だったのに!)

 (またお腹いっぱい、みんなでおいしいお菓子を食べて笑うのが夢だったのに!)

 (こんなところで、死んでたまるか!)

 (死んでたまるか!……!……  ……  …




―――このときの米軍の攻撃で、ひめゆり学徒隊の教師四名、生徒三十八名をはじめ、壕内の八十余名が死亡した。

この地が、現在「ひめゆりの塔」が建立されている伊原第三外科壕跡である―――


―――どのくらい時間が経ったのか、けたたましい虫の羽音で、私は目を覚ましました。

まだ意識はもうろうとしてました。


 (……あぅ……)


私は、上に覆いかぶさっているムギちゃんにどいてもらおうとしましたが、

ガス弾でのどをやられたのか、声が出ません。


 (ムギ…ちゃん……重いよ、どいてよぉ……)


熟睡しているのでしょうか、ムギちゃんは全くどいてくれる気配がありません。

しかたなく押しのけると、勢いがつきすぎたのか、やや強めに岩肌に転がしてしまいました。


 (ごめん!痛かった!?)


声は出ませんでしたが、そう思いながらムギちゃんに近付くと、様子が変です。

熟睡しているにしても無防備すぎるし、岩肌に転がされたら痛くて起きるはずです。


 (………)


ムギちゃんは、手足をだらりと投げ出し、薄目を開けて、口を半開きにしています。

しばらく眺めていると、ムギちゃんの瞳のふちや、涙のあと、唇の周りに、黒い点々がまとわりつき始めました。

ハエです。

ようやく私は気付きました。


 (……死んでる)


周囲を見渡すと、たくさんの友だち、先生方、兵隊、避難民が折り重なっています。


頭はぼおっとしていましたし、もはや死体を見るのにも慣れていましたが、

私はそれでも、すでに死臭を放ちはじめたムギちゃんやさわちゃん、多くの級友たちのなきがらが、

ウジにむしばまれ、腐っていく様子を見たくありませんでした。


 (ムギちゃん……ごめんね……)


私は、ムギちゃんの顔に、ムギちゃんが貸してくれたハンカチを掛けると、

はしご段を一段ずつよじ登って、壕の外に出ました。


壕の外は昨日にも増して砲声が響き、激しく銃弾が飛び交っていました。




―――六月二十日


とにかくのどが乾いていたので、私は独りで水を探してさまよいました。

そしてようやく、道ばたに泥水の水たまりを見つけたのです。


顔を近づけると、血や肉が腐ったような臭いがしましたが、背に腹は代えられません。

鼻をつまんで顔をつけてガブガブ飲みました。


こんな汚い水でも、飲めば安心するものです。

ふと、あたりを見回すと、茂みの中に長い黒髪の女学生が倒れています。


 (澪ちゃん!?)


 「澪ちゃん!ねえ、澪ちゃんしっかりして!」


私は駆け寄ってその女学生を抱え起こし、顔の泥をはらって確かめようとしました。


 「……違う」


長い黒髪の持ち主は、澪ちゃんではなく、級友の風子ちゃんのなきがらでした。

まだ亡くなって間もないのでしょう。砲弾片が首筋をかき切っている以外は、眠っているような死に顔です。


土をかぶせてあげようと思いましたが道具もなく、近くの砲弾痕まで引きずって、

落ちていたボロ布一枚をかけるのがやっとでした。


すると、茂みの上のほうから聞き慣れた声がします。


 「唯っ!その声は唯だな!?どこだ!」

 「あ、澪ちゃん!?」


澪ちゃんの声がするほうに駆け寄ると、私たちは再会を喜びました。


 「ホントに澪ちゃんだよぉ!りっちゃんは無事なの?」

 「あたしもいるよん!ほら、サトウキビ取ってきたぞ!」

 「ありがとぉ!あヒハホォ!」


お礼を言うより早く、りっちゃんがくれたサトウキビを頬ばると、甘い汁が喉に落ちます。


夢中になってサトウキビをかじっていると、


 「私たちも、伝令に行った先でいきなり解散命令を受けてさ……ひどい話だよ。

  ところで、ムギは?他のみんなは?唯ははぐれちゃったのか?」


りっちゃんが、私の顔を覗き込むようにながめます。

ガリガリとかじっていた私の口が、固く閉じました。そして、


 「………解散命令のあと、米軍が来て、壕が攻撃されて、ガス弾が投げ込まれて、みんな、みんな……」


その続きを、どうしても言うことが出来ず、私は黙ってうなだれました。

澪ちゃんが眉間にしわをよせて、噛みしめるように確かめます。


 「死んだ、のか……?」


こくり、と、私は小さくうなずいたのです。

沈黙の中で、激しい砲声がとどろいていました。



 「とにかく、北に向かって国頭に突破しよう。このままじゃ私たちも……」


りっちゃんの言葉で、私たちは、山城の丘を越えることにしました。

ドトン。ドズン。

艦砲や爆弾がこれでもかというほど降ってきて爆発し、破片と土砂が雨あられのように飛び散ります。


 「伏せろっ!」


澪ちゃんの言葉に、急いで茂みに伏せると、強烈な腐臭とともに、グシャリと柔らかい感触がしました。

腐乱した死体の上に伏せてしまったのです。


 (うぅぅぅっっ!)


しかし、気持ちが悪くても、命には替えられないのでじっとしていました。

ひゅるひゅると矢のような音を立てて飛んできて、手を伸ばせば届きそうな距離にドスンと落ちる破片。

走っている時間より、伏せたり茂みに隠れている時間のほうがずっと長かった気がします。


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