―――そして、五月二十五日


にわかに、壕内の空気が浮き足立ちました。

本部に伝令に行っていたりっちゃんが、小声で耳打ちします。


 「……唯、荷物まとめろ!南部へ転進するんだって!」


転進、とは要は撤退のことですが、それを聞いて私はビックリしました。


 「へ? 患者さんたちは!? とてもじゃないけど全員連れて行けないよ!」

 「シッ!大きな声出すな!私だって驚いてんだ!よく分からないけど、歩ける人だけ連れてけって!」


りっちゃんが私をとがめますが、この不穏な雰囲気は、たちまち壕内に広がります。


 『女学生さん!自分はまだ歩けるんだ!』

 「あの、その……」

 『歩けるんです!どうか連れていってください!お願いします!』

 「で、でも……」


両脚を失った兵隊さんでさえ、寝台から転げ落ちてきて、必死に両腕で這い寄ってくるのです。

しかし、将校さんが壕に来て仁王立ちになり、軍刀を片手に叫びます。


 『歩けない兵隊を連れてくやつは叩っ斬るぞ!』


私たちにはどうすることもできず、脇目もふらず荷物をまとめたり、軽症の患者さんを手伝ったりしたのです。


しかし、私とムギちゃんは、壕の近くに米兵がいると聞いて、なかなか脱出できませんでした。


しばらくすると、数名の衛生兵さんたちが、ズカズカと壕に入ってきたのです。

衛生兵は、練乳を水で溶いたミルクを入れた飯盒をいくつか持っていました。

そして、ミルクを空き缶に注いで重傷兵さんたちの側に置いていきます。


 「あの……手伝いましょうか?」


ムギちゃんが、衛生兵さんの一人に声を掛けました。しかし、


 『何をモタモタしとるか貴様ら!敵が迫ってるんだ!早く行かんかっ!』

 「ひ、ひぃ!」「ひぇぇ…」


すごい剣幕で衛生兵さんに言われた私たちは、壕の入口のほうへ退きました。

すると、配られたミルクを飲んだ重傷兵さんの一人が、ウンウンうなって苦しんでいます。


 「え? ……もしかして、これ…?」


ムギちゃんの色白な顔から、さらに血の気が引き、蒼白になります。


 「え、衛生へ……モゴモゴ!」


私は、苦しんでいる患者さんを診てもらおうと、衛生兵さんを呼ぼうとしました。


 「黙って!」


しかし、ムギちゃんに口をふさがれます。


 『飲むな!青酸カリだ!』

 『毒だ!飲むんじゃない!』


異常を感じた他の患者さんが騒ぎ出しました。


 「ゆ、唯ちゃん!行きましょう!」


ムギちゃんに急かされ、私も、ただならぬ雰囲気を感じ取りました。


 「早く出ようよ!私たちも危ないよぉ!」


私たちは、急いで身の回りのものをまとめると、壕の外に逃げ出したのです。


 『これが人間のやることか!お前らそれでも人間か!』


逃げる間際、叫び声に振り向くと、脚のない重傷兵さんを、衛生兵さんたちが暗い壕の奥に引きずっていきます。

その叫びが、耳にこびりついて離れませんでした。


 (ごめんなさい……ごめんなさい……!)


私たちは、心の中で詫びながら、走り続けたのです。



―――現在この地に建つ、南風原陸軍病院壕跡の碑には、「重傷患者二千余名自決之地」と刻まれている。

しかし、その数は定かでなく、さらに多いとも言われている―――


そして、私たちは、ようやく南部へ撤退していく学徒隊の列に追いつくことができました。

雨が激しくなり、たちまち、脚もとは膝まで浸かるようなぬかるみと化します。

私たちを引率しているさわ子先生が、私を心配して声をかけてくれましたが、


 「どうしても重たければ、捨てていってもいいのよ?」

 「ううん、大事なものだから……」


薬や包帯がないために苦しんだ兵隊さんたちを思うと、捨てていくことはできませんでした。

しかし、豪雨の中を歩いていると、背負っている毛布や包帯や脱脂綿が水を吸って重くなり、肩に食い込むのです。

みんな、大事な医薬品や、食料や、書類を背負ったり、てんびん棒で担いだりしています。


 「しゃらんら…、しゃらんら……」


力持ちのムギちゃんは、米俵を背負ったうえに、傷ついた級友を担架で運んでいますが、

気丈に振る舞ってはいても、さすがに疲労の色は隠せませんでした。


 「伏せっ!」


突如、和ちゃんの声が響き、みんな、ためらいもなく泥の中に顔を埋めて突っ伏します。

着弾音。

周囲に砲弾の破片がバチャバチャと落ち、泥の塊が降りしきりました。


 「……危ねえ」


りっちゃんが、ずれたカチューシャを直しながら起きあがります。


 「うぅ……」


つややかだった澪ちゃんの黒髪も、ぬかるみの泥と壕生活の垢とシラミにまみれて見る影もありません。


南部への撤退の最中も、十字路や橋などを中心に、砲爆撃が盛んにありました。

ぬかるんだ道ばたには、艦砲や機銃掃射に遭ったり、

あるいは力尽き行き倒れた、たくさんの死体が転がっていました。

どぶ川には避難民の死体が浮かび、手や足のなくなった重症患者の死体が、雨に打たれています。


 『助けてください!女学生さん!看護婦さん!』


負傷した避難民や兵隊が泣き叫んでいても、助ける余裕などありませんでした。

非情だと思われても、見捨てて進むしかなかったのです。


さて、もうすぐ東風平だと思って歩いていると、前方から来た兵隊さんたちに呼び止められました。


 「どこへ行くのだ?」


和ちゃんがメガネに付いた雫をぬぐいながら答えます。


 「東風平です」

 「なんだ君らは、こっちは国場だ。反対方向だぞ」


兵隊さんがあきれます。

澪ちゃんは棒のようになった足をさすり、泣きそうになって恨みがましくつぶやきました。


 「和ぁ……」


国場、それは首里に通じる道です。私たちはあてどもなく歩いていたのです。


 「おかしいわね……」


和ちゃんは首をかしげてきびすを返しました。

私たちの中には島尻の地理に詳しい人もいなくて、ようやく引き返しました。




―――五月二十九日

この日、星条旗が首里城跡にはためいたが、日本軍司令部はすでに南部に撤退した後であった。

壮麗優美な首里城は跡形もなく焼け落ち、石垣も大半が破壊された。

今も、その破壊の痕跡を、当時の石垣に見ることが出来る。

司令部の南部撤退は、徹底持久という作戦目的には適うものであったが、

これが避難民の被害を激増させる大きな原因となったのである―――



そして、ようやく南端近くにたどり着きました。

まだ南部のほうは、艦砲も爆撃も少なく、家々の屋根が残っていました。


 「静かだねぇ…」


途中、立ち寄った集落では子ヤギが草をはみ、庭先をニワトリがコッコッと歩いていました。

畑から失敬してきたキャベツを塩もみにして頬張ると、しょっぱさと共に、キャベツの甘みが口に広がります。


 「キャベツうめぇ!」


りっちゃんが、涙にむせびそうな勢いで、パリパリとキャベツを噛みます。

私たちも、思わず笑みをこぼします。野菜を食べるなんて久しぶりでした。



床板は引きはがされたりしてありませんでしたが、屋根の下で休めたので、私たちは泥のように眠りました。

しかし、そんな束の間の安らぎは、すぐに破られたのです。



患者さんを収容する壕はなく、患者さんは廃屋や、石垣の陰や茂みの中で野ざらしになっていました。

すぐに薬も資材もなくなり、病院としての機能はほとんど失われていたのです。

私たちにできることと言えば、砲火をくぐって水をあげたり様子を見に行くくらいでした。

その患者さんたちも、次第に激しくなる艦砲と銃爆撃にさらされ、どんどん亡くなっていきました……。



―――南部撤退後、沖縄陸軍病院が入った壕は、以下のとおりである。

病院本部は山城本部壕。第一外科は波平第一外科壕と大田壕。

第二外科は糸洲第二外科壕。第三外科は伊原第三外科壕。

津嘉山経理部は伊原第一外科壕。一日橋・識名分室は伊原第三外科壕。

糸数分室は伊原第一外科壕―――





―――六月十四日以降、八重瀬岳、与座岳といった防衛線は米軍に次々と突破され、

司令部のある摩文仁方面と、避難民が集まり病院壕も散在する山城方面に敵は迫った。


この前日の六月一三日、小禄の海軍根拠地隊が全滅し、司令官・大田実少将は自決。

これに先立つ六月六日、大田少将から海軍次官あてに打電した電報は、以下の有名な一節で結ばれている。


「沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」




―――六月十七日

和ちゃんと一緒に、伊原第一外科壕への伝令に行く途中、空の壕で食糧を探していました。

斬り込みに行った部隊がいた壕には、食料、薬、そして、手榴弾などが残っていたからです。

そして、斬り込みに行った部隊が還ってくることは、ほとんどありませんでした。


 「手榴弾、か……」


缶詰をかばんに詰めたあと、私は、手榴弾を手に取ったり、また弾薬箱に戻したりしていました。

“いざというとき”の用意をしておこうか、迷ったのです。


和ちゃんにも、私の様子が見えていたはずですが、とがめるわけでもありませんでした。

和ちゃんもまた、密かに覚悟を固めていたのかもしれません。


 「……唯、もう行くわよ」

 「う、うん」


私は、手榴弾を、かばんに押し込みました。


そしてサトウキビも探し、ようやく、焼け残った畑からサトウキビを探しだしてきました。

でも、「サトウキビはアリがわくから壕の外で食べろ」と先生方に言われてましたから、


 (えへへ、早く食べたいなぁ~)


と思いながら第一外科壕の入口近くでサトウキビの皮をむいていました。 


 「唯、先に食べちゃいなさいよ。キビ皮は私が捨ててくるから」


もたもたしている私を見かねた和ちゃんが私に促します。


 「え? いいよぉ。自分で捨ててくるよ」


私が遠慮してると、和ちゃんは茶目っ気を含ませて、


 「ふふ……いいのよ。これも“生徒会の仕事”だから。でも、私の分も残しておいてね」


と、私からサトウキビの皮を奪い取るようにして外に出て行きます。

私は、サトウキビをかじりながら、


 「じゃあお言葉に甘えて!和ちゃんも気を付けてね~」


と、壕の中に入りながら髪をいじっていましたが、そうしたらヘアピンを落としてしまいました。


 (ヘアピンヘアピン……、あ!あった!)


私がしゃがみながらヘアピンを探し当てて髪に挿していると、



入口からすさまじい炸裂音。


「!!!! ひゃぁぁぁぁ!」


熱い液体がぬるりと顔にかかり、爆風で私は壕の奥のほうまで転がり落ちます。

恐ろしい絶叫が轟いて、壕の中は騒然とします。たくさんけが人が出ています。

壕の入口付近に、艦砲が直撃したのです。



「明かりを点けろ!」と大声がして明かりが灯されると、入口付近は大惨事。


 「あ、ああぁ……」


足の踏み場もなく散る、兵士やら生徒やら看護婦やら教師やら、誰が誰ともわからない手足や臓物、

それどころか、壕の壁のいたるところにへばり付く、何が何ともわからない肉塊や血しぶき。

たまたましゃがんでいなかったら、私もこうなっていたでしょう。 


 (の、和ちゃんは!?)


私は、血みどろの中を手探りで恐る恐る和ちゃんを探しましたが、

ようやく、ひしゃげた血まみれのメガネのつるが片方、見つかっただけでした。

さっき、私が頬に受けた血は、和ちゃんのものだったのでしょうか……


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