そのとき、壕の外から、ガシャガシャと水筒がぶつかり合う音が聞こえてきました。

“飯上げ”に行ったあずにゃんたちが帰ってきたのでしょう。


そのとき、敵機が近付いてくる爆音も同時に響いてきました。

井戸に水をくみに行くのも、ご飯を炊事場にもらいに行く“飯上げ”も命がけだったのです。



 「早く!早く!敵機が来たよ!見つかるよ!撃たれるよぉ!」


私は壕から顔を出して、“飯上げ”から帰ってきたあずにゃん、憂、純ちゃんたち下級生に叫びます。


 「わかってます!唯先輩こそ危ないですよ!引っ込んでください!」


両肩にいくつも水筒を下げたあずにゃんが、壕に駆け込んできました。


その少し後ろに、憂と純ちゃんの姿がありました。


 「梓ちゃん!どいてっっ!」

 「っっっしゃぁああ!」


憂と純ちゃんが、ご飯を詰めた醤油樽のてんびん棒を担いだまま、壕の中に転がり込みます。


パパパパン!


その瞬間、機関銃の乾いた着弾音が続き、壕の入口に土ぼこりが立ちました。


 「うぉ~危なかったぁ~!」

 「純が炊事場で炊夫さんに“もっとご飯”とかゴネるから……」

 「梓ちゃん、純ちゃん、とにかく早くオニギリ作ろうよ」


三人が安堵しながらグチを言い合っています。


陸軍病院壕の周囲にも、砲爆撃が降りしきるようになり、

“飯上げ”から帰ってくる間も、砲撃で吹き飛ばされた土塊がどんどん入ってきます。


 「うわぁ、ご飯が泥だらけ……ムギちゃん、どうしよう?」

 「水も少ないし……洗えないからこのまま握るしかないわね」


泥だけならまだしも、看護活動で血や膿や糞尿の世話をした手を洗う水もなく、手をモンペでぬぐってオニギリを握りました。

近寄ってきたりっちゃんが、ご飯の入った醤油樽をのぞいてため息をつきます。


 「この量じゃ、全員に行き渡らないだろ……」

 「もっと小さくするしかないよ……」


食糧も不足し、オニギリもはじめはテニスボールくらいだったのが、ついにはピンポン球くらいになったのです。



オニギリをにぎりながら、私は独り言のように、りっちゃんに話し掛けます。


 「あれ? この壕に治療班来たの、4日前だっけ?5日前?」

 「ゴメン、私も覚えてないや……」


人手も足りず、忙しかったり、砲爆撃が激しくて交代のために外に出られなかったり、

勤務時間も、十二時間交代のはずが、二十四時間、三十六時間連続勤務にもなりました。

薬箱に座って寝られればいいほうで、立ったまま坑木に寄りかかって寝ることも多かったのです。

夜になっても病院壕の中では、負傷兵のうめき声と悪臭が耐えませんが、砲爆撃が途絶えるひとときがあります。

しかし、そうすると別の音が聞こえてくるのでした。


 “ジャグ……ジャグ……”


 「ん……何の音だろ?」


疲労でうとうとしていた私は、聞き慣れない音に目が覚め、耳を澄まします。


 「これ、もしかして……!」



ウジが、負傷兵たちの肉をかじり、骨をきしる音だったのです。



 “クチュ……クチュ……”

 “グッ……グッ……”


これが、うめき声に混じって、壕全体に静かに響きわたる様子は、本当に不気味でした……。


―――そして五月



しかし、慣れとは恐ろしいものです。



すでに、南風原陸軍病院に動員されて一か月以上が経ちました。


 「今日、私たち四人は手術室当番なんだって。あずにゃんたち下級生は飯上げ当番だよ」


私がそう伝えると、以前は手術と聞くだけで震えていた澪ちゃんが、事も無げに言葉を返します。


 「手術なら、今回の照明係はムギ以外の3人でじゃんけんかな……」

 「え?私はじゃんけんしなくていいの?」


ムギちゃんは、私たちが気を遣ったものと思っていたようですが、りっちゃんが申し訳なさそうに言います。


 「……ほら、ムギは力仕事得意じゃん? 照明係より大変かもしれないけど、押さえる係で」

もうだいぶ前に、三角兵舎の手術室は砲爆撃で破壊され、壕の通路で手術をしています。


今回の照明係はりっちゃんです。

手元を照らすランプの燃料がないので、ロウソクを素手で持って手術場を照らしていました。

すると、当然ですがロウが溶けて手にべったりとかかります。


 「うぉあぢぢぢぢぢぃ!!!!」


りっちゃんが思わず、ロウがたれないようにロウソクを立てました。

すると、メスを握った軍医さんが怒鳴ります。


 『おい!手元ちゃんと照らせ!見えんじゃないかッ!!』


麻酔不足は最も深刻でした。

周囲ではあちこちから重症患者がうめく声が夜通し聞こえますが、

手術台の上からは、それをかき消すほどの絶叫が発せられます。


 『軍医殿っ!お願いですッ!殺してください!!ごろじでぐだざいぃ!!!ああぁぁぁあ゛あ゛あ゛!!!』


左脚に重傷を負った兵隊さんが、肉を切られる激痛のあまり半狂乱になっています。無理もありません。


 「兵隊さん!動かないで!頑張って!」


ムギちゃんがその腕力で、暴れる兵隊さんの両脚を無理矢理押さえつけます。

私は左腕、澪ちゃんは右腕を押さえていました。


 『我慢せい貴様ッッ!!それでも帝国軍人か!!動くんじゃない!!おい、鉗子よこせ!』

 「はい!鉗子っ!」


澪ちゃんが慣れた手つきで鉗子を軍医さんに手渡します。

あの怖がりやの澪ちゃんを知っている私たちにはウソのような光景です。


兵隊さんの脚には、止血のため血管を挟んだ鉗子が何本も連なり、血に濡れた銀色の花みたいです。

軍医さんが、額に玉のような汗を浮かべ、ノコギリで骨をゴリゴリと削っていきます。


 『いぃぎいぃぃぃ!!ぐぐぐぐぐぁぁぁぁ!!!!』


手術台の上の絶叫は、さらに大きくなります。軍医さんも声を荒げます。


 『うるさくてかなわん!仕方ない、モルヒネ足してやれ!』

 「ほいっ!モルヒネ打ちます!」


私は軍医さんの指示で、すかさず兵隊さんにモルヒネを注射します。

私たちは看護婦さんの見よう見まねで、カンフルもモルヒネもどんどん打ちました。


ズズン。 ドズン。


ときどき、砲弾が近くに落ちると、壕の天井の土が崩れます。

そして天板のすき間から、土砂がバサバサと容赦なく手術台に降り注ぐのです。


 『くそっ!こんなところで手術ができるか!!』


軍医さんが叫びます。やがて、ゴリッといやな音がして、骨が切断されます。


 (この兵隊さん、朝まで持つのかな……)


私たちは、そんなことを思いながら、左脚の切断面がてきぱきと縫合されていくのを眺めていました。

すると、軍医さんが私に命じます。


 『ご苦労だったな、お前ら。少し休め。……おいお前。これ外に捨ててこい』


そう言って、軍医さんがあごで示したところには、切断した左脚が転がっていました。


 「は、はいっ!」


私は、言われるままに切断された脚を抱きかかえると、まだ体温が残っていて生暖かく、ズシリと重くて不気味でした……。


―――「……いっち、にーの、さん!」


明け方、澪ちゃんと一緒に艦砲の弾痕に死体を毛布にくるんで捨てに行きました。

今日は7体も捨てたのです。

初めはちゃんと墓穴を掘って埋めていたけれど、そんな余裕は今はとてもありません。


 「あの兵隊さん、やっぱり朝まで持たなかったね……」

 「そうだな……」

 「ガス壊疽になると、あっという間だね……」

 「うん……」


壕に引き上げようとすると、澪ちゃんが真っ暗な砲弾痕、つまり墓穴の底をじっとながめています。


 「外にいると危ないよ!早く壕に入ろうよ」


私が澪ちゃんの手を引くと、ゆらりと倒れかかってきました。


 「ど、どうしたの?大丈夫?お腹空いた?」

 「……怖いんだ」

 「そっか、そうだよね。澪ちゃん、怖がりなのに、こんなことしてるんだもん」


私はてっきり、そう思って慰めの言葉をかけたのですが、

澪ちゃんは体を震わせながら激しく反駁するのです。


 「違うっ!」

 「え、何が違うの……?」


私は、澪ちゃんの強い口調にあっけに取られ、間抜けな返事をしてしまいました。


 「こんなとこで、こんなことしてるのに……怖くないのが……怖いんだ……っ」


そう言って、澪ちゃんは私の胸にしがみつくと、さめざめと泣いたのです。


 「澪ちゃん……」


私は、「怖い」という感覚どころか、「怖くないのが怖い」なんていう、

当たり前の感覚さえ失われつつあるんだと気付かされ、

とても、とても、寂しくなりました。



―――五月中旬までの間、日本軍司令部のある首里北方の戦線では激しい攻防が繰り広げられた。

場所によっては米軍も一日に100m前進するのがやっとという戦況であったが、

日本軍は補給が続かず、じりじりと追いつめられていくことになる。






―――五月十一日


その日も、敵の砲爆撃が激しい日でした。

しかし、水やご飯を欠かすわけにはいきません。


 「じゃあ、ちょっと行ってきますね」


そう言って“飯上げ”に出て行った純ちゃんたちを待っていましたが、なかなか戻りません。

みんな心配していると、さわ子先生が弾雨の合間を縫って本部から駆けてきました。


 「純ちゃんがやられたわ!誰か来て!」


ついに、この第三外科から犠牲者が出たのです。

手の空いている人などいないので、私だけが第三外科壕から飛び出しました。


 「純ちゃん!?」


私が本部壕に駆けつけると、一緒に飯上げに行っていた憂とあずにゃんが振り返りました。


 「唯先輩……純が、純が……」

 「お姉ちゃん……純ちゃんがやられた……」


二人とも、何が起きたか分からない、といった感じで呆然としていました。


 「炊事場でねばってたのが、ダメでしたね……へへ」


そう言っておどける純ちゃんは、意識ははっきりしていましたが、ひどい状態でした。

背中からおしりに弾丸が抜けて、脊髄がぐちゃぐちゃ、腸も飛び出ています。


 「もう、注射とか、薬とか、いいですよ。もったいないですから」


お腹をやられて助かる患者がいないことを、看護活動を通して純ちゃんも知っていたのでしょう。


 「眠いから、ちょっと寝ます。すみません……」


そう言って、純ちゃんは、私たちの見守る中で息を引き取ったのです。

あずにゃんと憂が、取り乱して、純ちゃんのなきがらを揺さぶり、あるいは涙を落としました。


 「純?純!?ウソでしょ!?」

 「う……うっ……純ちゃん……」


さわ子先生が、アルコールで純ちゃんの顔を拭き清めてくれました。

憂は、持っていた制服を純ちゃんの死に装束として着せてあげ、山の上に埋葬しました。

後になって思えば、丁重に葬られた純ちゃんは、まだ、ましだったのかもしれません……

その後、憂とあずにゃんの二人は、南にある糸数分室に転属になったのです。


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