唯「おらぁっ!!!!」

梓「かはぁっ・・・ぁ・・・!」

唯先輩の握り拳が勢いよく鳩尾にねじ込まれる。体中に走る鈍痛に、私は思わず片膝を
つく。いったい何が起きているのか訳が分からない。

唯「こんなのでくたばっちゃうなんてつまんないよ・・・。ほら、立ちなよ・・・。」

痛みの余韻が抜けない私を唯先輩は執拗に蹴り飛ばす。お腹を。脇腹を。肩を。痛みは止まることなく私を襲う。ふと顔を上げた時、私を見下ろす唯先輩の顔はとても嫌な笑顔を浮かべていた。

梓「先輩・・・・。何で?何でこんな酷いことを・・・」

唯「何でって?そんなのきまっているじゃん。」

唯先輩はいつものおどけた様な調子で言う。でも、この後の言葉は耳を疑う様な内容だった。

唯「梓にゃん、うざいんだよ。ギターが上手いからって偉そうなんだよね。空気も読めないし。敬語も満足に使えないし。ホント何でこんなの入ってきたんだろう・・・。」

私、先輩からこんなに嫌われていたんだ。上手くいっていると思っていたのに。ここが私の居場所だと思っていたのに。気がつくと私の頬を大粒の涙が伝う。

梓「うぅ・・・ぅつ・・・っぐ・・・・」

唯「泣けば許してもらえるとでも思ってるの?そういうところも梓にゃんのうざい所だよ。何ていうか行動の一つ一つがあざといよねぇ。」

梓「ぇ・・・・そんな・・・違・・・」

唯「何も違わねぇよ!!!!ブス!!!!!」

罵声と共に唯先輩の右足が私の背中目掛けて振り下ろされた。丸まった背中を蹴られるのってこんなに痛かったんだ。何度も蹴られる中、私はそんなことをぼおっと考えていた。まるで何か悪い夢を見ている様な気分だ。夢なら早く醒めて。



律「たのもー!」

明るい声色と共に律先輩が顔を出す。律先輩はいつも通りの笑顔だ。でもその笑顔が引きつるのに時間は掛からなかった。

律「おい・・・。梓、どうしたんだよ。」

唯「え?何?律っちゃん」

律「梓がどうしたんだって聞いてるんだよ!!」

律先輩が金切り声をあげる。顔が真っ赤で、呼吸が荒い。こんな律先輩、初めて見た。そんな律先輩とは対照的に唯先輩は小馬鹿にした様な笑みを浮かべている。こんなの唯先輩じゃないよ。唯先輩はこんな顔しないよ。

唯「・・・何そんなに怒ってるの?梓にゃんは足を挫いただけだよ?」

え?唯先輩?今、何て・・・

律「おい・・・!いい加減にしろよ!」

唯「いい加減も何も。私、嘘なんてついてないよ。そうだよね?梓にゃん・・・」

律先輩に見えない様に唯先輩が私の足を踏む。

梓「ぇ・・・ぁ・・・・?!」

唯「さっさと合わせろよ・・・」

ドスの利いた声が耳元で囁かれる。とたんに心臓の鼓動が不規則に高鳴り、嫌な汗が流れる。
律先輩ごめんなさい。私、

梓「そ・・・そうです。足、挫いちゃったんです。まぎらわしいことしちゃってごめんなさい。」

言ってしまった。律先輩は私を助けてくれようとしたのに。私は本当のことを言う勇気
すら無いんだ。唯先輩に脅されて嘘をつく自分が嫌いだ。自分が可愛くて一時のその場凌
ぎを選んだ自分が嫌いだ。しばらく前を向けそうになかった。

唯「ほらぁ~、律っちゃん。私の言ってること嘘じゃないでしょ?ホント早とちりだよねぇ~」

律「ふざけるなよ!梓、泣いてるじゃないかよ!どうせ、お前が脅したんだろ」

唯「そんなことするわけ無いよぉ~。虫も殺せないような優しい女子(笑)だし。ってか律っちゃんって、疑い深いよね。何でそんなに私を疑うんだろぉ~」

意地の悪い笑みを浮かべて、逆上する律先輩を舐めまわすように見る。少し前までの私
なら想像もしなかった様な光景だ。でも、これは夢でも何でも無い現実で、今こうして
リアルタイムで進行しているのだ。そして、今、唯先輩の口から耳を塞ぎたくなる様な
言葉が紡ぎだされる。

唯「律ちゃん、心が貧しいんじゃない?だからそんな解釈しか出来ないんだよ。嫌だなぁ、心が貧しいって。まぁ、仕方ないよね。律っちゃん家、貧乏なんだし。」

唯「よく言うじゃん。衣食足りて礼節を知る、って。別に律っちゃんのせいじゃないよ?
 衣食が足りない環境が悪いんだよ。でもあれだよね、律っちゃんも貧しいけど澪ちゃんもけっこう恵まれて無いみたいだよね。在日・・・だったかな?
 たしかお爺ちゃんが朝鮮人なんだよね。クラスの子から聞いたよ。キムチ臭くって気持ち悪いって。そんなのと比べれば律っちゃんまだ余裕じゃん。
 大体、朝鮮人って・・・・?!」

乾いた音が音楽室に反響する。見上げると唯先輩の頬が真っ赤に腫れていた。律先輩が
平手で殴ったのだ。そして、律先輩はまるで何かにとりつかれたかの様に唯先輩の頬を何
ども殴った。

律「澪を馬鹿にするな!それに貧しいのはお前だ!梓だけじゃ飽き足らず今度は澪まで
 貶めるのかよ!ぶっ殺してやる!お前なんか・・・!お前なんか・・・!」

罵声と共に平手をあらん限り浴びせる律先輩。唯先輩はただそれを黙って受け止める。
こんなに罵られて、殴られてるのに唯先輩は嫌な笑みを崩すことは無い。とっても、
嫌な予感がした。



澪「お~っす。遅れてすまなかったな。紬と掃除やってて長引いちゃったんだ。」

紬「遅れてごめんねぇ~、みん・・・」

紬先輩が今日の部活のために持ってきたであろう洋菓子の入った箱を床に落とす。
そしてそれが落ちると同時に二人は唯先輩を殴っている律先輩を認識した。

澪「お・・・おい、律!何やってるんだ、止めろ!」

紬「お・・・落ち着いて、律っちゃん!」

律「放せ!はなしてくれ!」

二人によって剥がされる律先輩。もがく律先輩を尻目に唯先輩が私にむかって嫌な笑みを見せた。
まるで、それは『計画通りにいったよ』とでも言いたげだ。唯先輩はこれを狙っていたんだ。

唯「澪ちゃん・・・!怖かったよぉ・・・」

澪先輩に抱きついてわざとらしく肩を震わせる唯先輩。

唯「律ちゃんがね。いきなり私をぶって来たの。梓にゃんといちゃいちゃしすぎで目障り
 だって。ひどすぎるよ・・・。」

目一杯に涙をためて澪先輩に訴える唯先輩。嘘泣きだ。だって、目の奥が冷たい。
しかし、澪先輩はそんな唯先輩の演技を見破れず、律先輩に猜疑の眼を向ける。

澪「本当なのか・・・?律・・・」

律「違う!でたらめだ・・・!信じるな、澪!こいつは梓をいじめていたんだ!それに澪のことも・・・」

澪「見苦しいぞ!律!」

澪先輩が声を荒げ、律先輩の言葉を遮る。澪先輩は完全に唯先輩を信じ切っていた。


澪「何で唯が泣いてるんだ!でたらめも何も、唯は梓のことを誰よりも可愛がっているんだ。いじめる筈なんか無いだろ!今だったら許してやる・・・律、本当のことを話すんだ!」

律「本当のことを話してるよ!なぁ、澪、私は嘘なんかついてない!嘘をついてるのはアイツなんだ!信じてくれよ・・・・!」

澪「律・・・お前まだ、そんな・・・意地を・・・!」

紬「もう止めてっ!!!」

紬先輩がたまらず叫ぶ。紬先輩は顔を真っ赤にして、嗚咽を漏らしていた。いつもの
紬先輩らしくない取り乱した様子に一同が唖然とする。ただ一人、唯先輩を除いて。

澪「む・・・ムギ・・・」

紬「こんなの嫌だよ・・・。こんなのいつもの軽音じゃないよ・・・。みんな、昨日
 まで仲良くしていたのに。何で・・・何で・・・。」

そうだ。昨日まで上手くいっていたんだ。少なくとも上手くいっている様に見えた。でも、
私は唯先輩に嫌われていて。律先輩が止めようとして。そして・・・・

澪「今日はこれで解散だ・・・。」

紬先輩の嗚咽が漏れる中、澪先輩がぽつりと呟くように言った。

澪「こんなんじゃ練習もティータイムもできない。もう訳がわかんないよ・・・。」



結局、澪先輩が部室を後にしたのを初めにそれぞれが音楽室を後にした。帰路をぼんやりと歩く。こんな筈じゃ無かったのにな。
今まで通りに唯先輩が抱きついてきてくれて、律先輩が冗談をとばして盛り上げてくれて、
澪先輩がみんなを引っ張って練習を率先してくれて、そして紬先輩のお菓子を食べて談笑して。
いつも通りで、でも掛け替えの無い時間が過ごせると思っていた。

梓「どうしてこうなったんだろう・・・。」



唯「あずにゃ~~ん♪」

後ろから唯先輩の不自然に明るい声と共に軽快な足音が聞こえる。

梓「唯・・・先輩?」

唯「いやぁ~、今日はすごかったねぇ~。ムギちゃん大泣きだったよぉ。」

唯「澪ちゃんったら、馬鹿だよねぇ~。あんなの普通見破れるよねぇ。間に受けちゃってさぁ。とばっちり受けた律っちゃん可哀想~」

まるで面白おかしいバラエティの内容でも話す様だ。この人は、悪魔だ。
みんなの仲を引き裂いて、楽しんで、嘲笑っているんだ。こんなの
唯先輩じゃない。

梓「おかしいですよ・・・。」

唯「えっ?聞こえな~い、あずにゃん。もう一回♪」

梓「おかしいですよ!!!唯先輩!!!」

気がついたら私は声を荒げていた。もう止まりそうにない。私は胸の中に渦巻く感情を言葉に乗せて叩きつけるように叫ぶ。

梓「みんなが仲違いして嬉々としてるなんておかしいです!!!みんな、辛い思いをしてるのに・・・!おかしいですよ!!!何でですか?!!何でこんなことを・・・!」

唯「あずにゃんのせいだよ・・・」

梓「・・・?!」

唯「あずにゃんさえ、いなければみんなこんなに辛い思いしなくて済んだんだよ・・・?」

梓「そんな・・・めちゃk」

唯「めちゃくちゃでも何でもないよ!!!!」

梓「・・・・っ?!!」

唯先輩がギターで私の後頭部を殴る。鈍痛が走り、思わずうずくまる。

唯「お前がいるからいけないんだよ!ギターは二人もいらないんだ・・・!お前のせいでみんな迷惑してるんだよ!お前が全部悪いんだ!」

支離滅裂な罵声を浴びせギターを何度も叩きつける。頭が。背中が。肩が。
もう感覚は麻痺しているのか前より痛いとも思わなくなった。だけど私は
ただ震える体を手でぎゅっと抑えることしかできなかった。

唯「今日はこれくらいにしておいてあげるよ。じゃあね、梓にゃん。」

私の顔に唾を吐きかけると唯先輩は踵を返す。制服、汚れたなぁ。私は土で汚れた制服をじっと見つめる。これからも唯先輩は私を殴ったり、罵声を浴びせたりするのだろうか。これからも澪先輩や律先輩、紬先輩が辛い思いをするのだろうか。これからも・・・
思考がこんがらがってこの先は何も考えられない。今日は色々とありすぎて何だか疲れた。

梓「・・・さ、家に帰ろう。」

ゆっくりと起き上がると、私は再び帰路を歩いた。



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