8月12日。


 私、琴吹紬は友人の平沢唯を拉致・監禁しました。



 きっかけはリーマンショックでした。
 相次ぐ株価の大暴落は私のパパが経営する会社も襲い、
 栄華を誇った我が家もみるみるうちに斜陽族と化しました。
 パパはつい最近までそのことを教えてくれなかったのですが、
 執事の斎藤が解雇されたのでこれ以上黙っていることはできなかったようです。

 一生償っても返済しきれない借金ができてしまったと告げられました。
 あまたある別荘は借金の返済に宛てられ、私の家も売る羽目になり、
 夏休みになってからは街から離れた山奥の小屋でひっそり暮らしていました。

 軽音部のみんなにはイギリスに留学するからと嘘をつきました。
 思えば、それが崩壊の始まりだったみたいです。



 極貧生活は苦痛以外の何物でもありませんでした。
 いつも放課後に飲んでいたあの紅茶でさえ、今となっては高嶺の花です。

 最初はピクニック気分で楽しく過ごそうと努めていたのですが、
 連日続くパパの狼藉やママの愚痴、それらにいてもたってもいられなくて、
 体育座りのまま耳をふさぐばかりでした。
 いつも琴吹家としての自覚を持ち、おしとやかに振る舞おうと胸に言いつけますが、
 私の腕はわなわなと震えています。

 こんなはずではありませんでした。
 私はただ、普通の家庭で普通に育ち、愛らしい友人たちと
 普通の学校生活を送りたかっただけなのです。
 ようやく見つけた放課後ティータイムこそ、私の本当の居場所でした。
 正直に言えば琴吹の家などどうでもよかったのです。
 ただ、放課後ティータイムへの復帰よりもまず、目先のお小遣いが私たちには必要でした。

 てっとり早く金を稼ぐため、パパやママとそこらへんの子供を誘拐し、
 身代金をいただくという原始的な犯罪計画を企てました。
 すでに解雇した斎藤も私の命令でこの計画に協力してくれました。
 パパが適当にひっかかりそうな子供を町で誘拐し、
 その両親が支払いに応じるまで私が面倒を見るのです。



 私はすでに気が触れていたようです。
 心の底の暗い私がささやき続けていました。
 疲れきっていた私は、悪魔になることも魅力的に感じてしまったようです。

 できればかわいい子がいいな、なんて。

 パパはその日のうちに近所で女子高生を拾ってきました。
 公園でぼんやりしていた女の子と聞いて、まさかそれが唯ちゃんだったとは夢にも思わず、
 少女が小屋の二階にある私の隠し部屋に運ばれるまで、ずっとわくわくしていました。


 目隠しされ、口にはガムテープが貼られていましたが、
 桜高の制服を着ていたのですぐに唯ちゃんだとわかりました。
 それまで失っていた罪悪感が一気に芽生えてきました。

 私はいったい何をしているんだろう。

 パパにこの子が友人であることを告げようとしましたが、
 いざ本人の目の前に立つと、いままでとは違うものすごい形相で、
 私は怖くなって何も言えませんでした。
 誘拐にはあれだけ賛成したのに、今更撤回する気なのか。
 そう叱るパパの顔が目に浮かんだのです。



 唯ちゃんは寝息を立てて、すやすやと眠っていました。
 一気に憔悴してしまった私とは違い、まだ幼くて小動物のように愛らしい友達がそこにはいました。

 無邪気で、浮き世の景気など微塵も考えてなくて、頬に触れるとほんのりと暖かい。

 いつしか私の胸はときめいていました。

 この子を普段から独り占めにできる憂ちゃんがうらやましいなと考えると、
 心に芽生えたはずの罪悪感がまた消えていくようでした。
 私の心のためにも、少しは唯ちゃんを私のものにしてもいいだろうと思うようになったのです。



唯「ふにゃあああ」

 唯ちゃんの目隠しを取り外すと、口をもごもごさせつつ、彼女は目をさましました。
 プリンのような頬に髪の毛が一本張り付いていて、何度首を振っても離れません。
 ぺろりとなめてあげたい衝動を抑えつつ、私は唯ちゃんに語りかけました。

紬「今日からしばらくの間、唯ちゃんは私のものですよ」

 唯ちゃんはしばらく眉毛の前のお星さまをくるくると追っているようでした。

唯「あれれ、私どうしてここにいるの?」

 どうやら誘拐されたことに気づいていないようです。
 両手両足がしばられているのに、いつものまったりとした表情を崩しませんでした。

紬「私が誘拐したのよ」

唯「ゆーかい? ムギがここにいるってことは、ひょっとしてここはイギリス!?」

 唯ちゃんの表情がぱあっと明るくなりました。

唯「でも、イギリスにしてはちょっと暗いかなあ」

紬「ごめんなさいね、元々イギリスには行ってないの。

  お金が足りなくてそれどころではなかったんです」

唯「ふへぇ、そうなんだぁ。近頃あんまり景気がよくないみたいだからね、大変だよね」

 目を点にしながら語る唯ちゃん。
 どう頑張っても唯ちゃんに自分が身代金目的の人質であることをわからせることは難しいようです。

唯「ねぇねぇ、私ちょっとお腹すいちゃったみたいなんだけど……」

 誘拐した後、残った最大の問題は食糧でした。
 しばらくは私の食費をきりつめてなんとかするしかありません。

紬「少し待っていてくださいね」

 飢え死にさせるわけにはいきません。
 私は自分のために買っておいた昼食を唯ちゃんに与えることにしました。
 ファミリーマートという珍しい店で買っておいたおにぎりがあったのです。

紬「さきほど、コンビニという場所でおにぎりを買ってきました。
  ごぼう入りとたくあん入り、どちらがいいですか?」

唯「たくあん!」

 即答した唯におにぎりを差し出しましたが、
 腰の後ろでしばった両腕を使えないことに今更気づいたようです。

唯「あれれ、なんだか腕がしびれちゃったみたい。ギー太弾きすぎちゃったかな、
  てへへ。ムギちゃん、開けてくれるかな?」

紬「いいですよ」

 私はビニールに包まれたおにぎりをしばらく見つめました。
 シールを取り除いても剥ける気配がなかったので、
 私はハサミを取り出して端っこを切ろうとしたのです。

唯「そうじゃないよ!」

 唯が少しばかり声をあらげました。私はびくっとしました。

唯「一番上に赤いピラピラがあるじゃない。おにぎりを回しながら
  あれをぴぃぃぃぃぃぃって引っ張って、両端をつまみながらくぱぁって開けるんだよ。
  おにぎりを取り出す瞬間、海苔がくるりんとなって面白いんだよ」

 恥ずかしながら私はおにぎりの開け方を知らなかったようです。
 よく見たらラベルの裏に簡単な注意書きが記されていました。
 唯ちゃんの言うとおりおにぎりを取り出すと、彼女はきゃっきゃっと嬉しそうに身をよじりました。

唯「あーん」

 満面の笑みを浮かべながら唯ちゃんは大きく口を開いていました。
 両手が使えないのではしょうがないので、私がおにぎりを唯ちゃんの口に運びました。
 唯ちゃんは美味しそうにおにぎりを食べました。
 彼女の頬に米が一粒ついたので、指でつまんで自分の口に入れました。

唯「おいしーい」

 まさか120円のおにぎりでこんなに喜んでくれるとは思いませんでした。
 お米だってぼそぼそで、中身も着色料がすごいのに。

唯「私、コンビニのおにぎり好きなんだよ。なんかね、たまに食べたくなるんだ」

紬「そうですか。気に入ってもらえてよかった」

唯「食べたら寝るね、おやすみ~」

紬「えっ、もう寝るの?」

唯「だって眠いんだもん」

 大きなあくびを一回、唯ちゃんはいつの間にかその場で眠ってしまいました。
 試しに唯ちゃんの髪をくるくる回してみても反応しません。


 予想外の事態でした。
 唯ちゃんに嫌われても仕方ない、生活のためだからと覚悟を決めていたのに、
 唯ちゃんの行動は普段とまるで変わらなかったのです。
 お金のためなら悪女にだってなるつもりでした。
 思わぬ形で出鼻をくじかれたのです。

 私は頭を抱えました。
 身代金がとどくまで私はいったいどのように振舞えばいいんでしょう。
 いつもどおりでいいんでしょうか。
 狭い屋根裏の汚い部屋には、私と唯ちゃんのみです。

 唯ちゃんをこんなに間近で見るのは初めてのことでした。
 肌はとてもきめ細かく、まるで赤ちゃんのようです。

唯「すぅ……えへへっ、ふぐぅ……」

 たまに良くわからないいびきをかきます。

 そのまま翌朝までぐっすりでした。
 私はずっと唯ちゃんを観察しながら眠れない夜を過ごしました。



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