なぜ、澪先輩なんだろう。
澪先輩のようになれば、
純は私のことを好きになってくれるだろうか。
どうすれば澪先輩のようになれるだろう。
どうすれば、私が仲良くなりたくて仕方のない純を、
あそこまで夢中にさせられる人間になれるのだろう。

澪先輩への憧れは嫉妬に変わり、
嫉妬はコンプレックスとなって自らに跳ね返ってきた。
私は澪先輩にはなれない。
分かりきっていることだった。
ただ勉強しか能のない、真面目なことしか取り柄がない、
人よりギターが上手いだけの私が、
ルックスも人徳も女性的な魅力までも持ち合わせた澪先輩に
取って代われるわけがないではないか。

もちろん私が澪先輩のようにならなくても
純は私と友達でいてくれるし、
私も純ともっと仲良くなれることは分かっている。
でも惨めなのだ。
私の目の前で、とても良い笑顔で、
私以外の人に心酔している純を見ることが。

その笑顔を、私だけに向けてほしい。
私のことだけを考えて、そんな笑顔になってほしい。
そう考えるのは、愚かなことだろうか。



純はますます澪先輩に傾倒していった。
写真部が撮った澪先輩の盗撮写真を買いあさったり、
澪先輩の歌が入ったCD(純に頼まれて私が作った)を
ウォークマンで一日中聴いていたり、
休み時間には澪先輩の教室の近くのトイレに張り込んだり。
そして澪先輩に運良く遭遇できると、
満面の笑みで私に報告してくるのだ。

私はそれを受け入れるしかない。
無下にしてしまえたら、イヤだと言えたなら、
純の頬を引っぱたいて私だけを見て欲しいと言えたら
どんなに良いことか。
でもそんなことは出来ない。
私には純を否定する資格などないし、
純の澪先輩を見る目を私に向けさせることも無理だ。
私にはずっとこんな惨めな気持ちを抱えて
学校生活を送るしか選択肢はない。

私は軽音楽部での毎日の茶会に
積極的に参加するようになった。
澪先輩以外の先輩たちと仲良くなり、
私たちの練習時間はさらに短くなった。
膨れ上がったコンプレックスは私に「逃避」を教えてくれた。
その時の私には見たくないものばかりがあった。
澪先輩。純。そして私自身。
私は少しでも現実から目を背けられる暇があれば
できるだけ「逃避」に費やしていた。


そんなある日のことだった。
澪先輩が犬のウンコを食べて死んだ。


訃報を最初に持ってきたのは軽音楽部顧問の教師だった。
部活の後輩である私にだけこっそりと教えるつもりだったらしいが
ちょうど近くにいた純の耳にも入ってしまった。

純「何を言っているんですか、先生。
  澪先輩が死ぬわけないじゃないですかっ」

純の反応は当然といえば当然であろう。
私も教師の話には現実感を見いだせなかった。
昨日まで元気に会話を交わしていた人間が突然死んだなど、
到底信じられることではない。

教師は私たちを外へと連れだした。
校庭の隅にはパトカーと救急車がが停まっており、
野次馬たちが集まって人だかりが出来ていた。
やがて人をかきわけて救急隊員が姿を現した。
その救急隊員が担いでいたタンカに横たわっていたのは
紛れもなく澪先輩であった。
澪先輩の顔には生気がなく、四肢はだらんとうなだれ、
白かった肌はいっそう白くなっていた。
澪先輩は、明らかに死体だった。


純「いやあああああああああああああっ!!!」


天真爛漫に光だけを見つめて生きてきた純にとって
大切な人の死という悲しみは受け入れられることではなかった。
純は錯乱状態に陥った。

純「なんでっ、なんで澪先輩がっ……
  いやっ、澪先輩を返してええええっ!」

狂ったように泣き叫びながら暴れる純を
教師は3人がかりで抑えつけ、なだめた。
純はおとなしくはなったが
精神的に非常に不安定な状態であることは
誰の目にも明らかだった。

澪先輩の死は全校生徒に知らされた。
その日は授業は中止され、
生徒はみな下校することになった。
私は軽音楽部のことも気になったが、
純を家まで送っていくことにした。



私は澪先輩の死を喜んでいた。
澪先輩がいなくなったことで純は崇拝の対象を失う。
もう澪先輩に夢中な純を見なくても済むのだ。
これからはこの悲哀に暮れる純を慰めていくことで
二人だけの時間を積み重ねていこう。
私はそう考えた。
不謹慎なのは自覚していたので、
表向きには私も澪先輩が死んで悲しいというふうに
振る舞ってはいた。

やがて純の家に着いた。
家には誰もいなかった。
純を一人にしてやるべきか、
それとも私が傍にいてやるべきか。
判断は純に委ねた。

梓「純、一人で大丈夫?」

その問いに純は力なく首を横に振った。
私は純の肩をそっと抱いて、
二人で純の部屋に向かった。


純の部屋で、ベッドに腰掛ける私たち。
外はまだ日が高かったが、
部屋はカーテンが締め切られて暗かった。

暗さのせいで俯いた純の顔は分からなかった。
ただいつもの輝かんばかりの笑顔の純とは正反対の、
絶望を湛えた表情をしているであろうことは想像できた。
そして、純をその絶望から救い出せるのは私だけなのだ。
私は愛する人にとってのそんな立場になれたことが嬉しく、誇らしかった。
もはや私には澪先輩の死は悲しいことでも何でもなかった。
澪先輩の死は、私と純の心を近づけてくれる。
その時の私はそう確信していた。
だがそれは間違いだった。

純が顔を上げた。
ぎこちないが、笑顔だった。

純「梓……髪、ほどいてくれない」

梓「え、うん」

なぜ私にそんなことを頼むのだろうか。
私には理由が分からなかったが
とりあえず純の髪に手を伸ばした。
が、その手は遮られた。

純「違う。私のじゃない……梓の」


私はその時に思い知った。
自らの浅はかさを。

純はまだ崇拝を捨ててはいない。
純の目には澪先輩しか映っていない。
純に必要なのは澪先輩だけなのだ。
私では純を慰めることなど出来はしない。

純は髪を下ろした私を澪先輩に見立てようとしていたのだ。

確かに髪を下ろした私は澪先輩に
雰囲気が似ていないこともない。
でも中身は私のままで。
澪先輩っぽいのはパッと見の上っ面だけで。
しかし純はそんな紛い物でしかない澪先輩を求めていて。
今、純の傍に居る私という確かな存在を無視して。
純はもはや純の心にしかない偶像の澪先輩を欲して。

純を慰められるのは私ではない。
澪先輩しかいない。
ならば私が澪先輩になれば良いのか。
私という存在を押し殺して
純が心酔していた澪先輩に。
しかし私は。
私は。
私は――



梓「私は、澪先輩にはなれない」



私がそう言い放った瞬間、
純の顔に再び絶望が広がった。
そして純は布団に顔をうずめてわんわん泣き始めた。

私は自分が純に必要とされていないこと、
純の傍にいる資格がないことを自覚した。
私はそっと立ち上がり、
泣きじゃくる純を見ないようにして部屋から出て、
音を立てずにドアを閉めた。

それが私と純との永遠の隔絶になった。



純は澪先輩の通夜にも葬式にも姿を見せなかった。
その後、2週間ほど学校を休んだかと思うと
急に隣町の高校に転校してしまった。

家は引越していなかったし
メールアドレスも電話番号も知っていたので
連絡を取ろうと思えばすぐに取れた。
だが私はそうしなかった。
今再び純と相対したとき、
純が私のことをどういう目で見るかが分からなかったから。

もう一度、私を友達として見てくれるなら、
今度は私も汚い感情に惑わされたりせずに
純粋に友情関係を育んでいけると思う。
でも、もしあの時のように
純が私を澪先輩の代わりとして見てくるのならば……
私にはそれが恐ろしいのだ、どうしようもなく。

澪先輩のいなくなった軽音楽部には
だんだんと先輩たちは来なくなり、解散となった。
あれから私の時間は止まったままだ。
澪先輩も、純も、軽音楽部も失って、
私は今まで通りの、独りで勉強とギターに明け暮れる
空虚な毎日を過ごしている。



     お     わ     り






これでおしまい

たまには真面目に書いてもいいよね
犬のウンコ食べて即死するかどうかは知らん