これは私が高校に入った頃のおはなし。

梓「あの……入部希望、なんですけど」

軽音楽部の新勧ライブに感動した私は
音楽準備室の扉を叩いた。
軽音楽部の先輩たちは
唯一の新入部員である私を歓迎してくれた。

四人の先輩たちはみな明るくて優しく、
音楽準備室はとても居心地の良い空間だった。

ジャズ研と迷ったがこちらに入って正解だった。
この軽音楽部で三年間、楽しく音楽漬けの日々を送ろう……
当時の私はそんなふうに考えていた。
しかし淡い期待はあっさりと崩れ去る。

先輩たちはありえないくらい不真面目であった。
毎日放課後に音楽準備室に集まりはするものの
高そうな紅茶やケーキをむさぼり食い
どうでもいいような雑談をするばかりで
一向に練習しようとしないのである。
先輩たちだけでなく顧問まで
この茶会に参加しているのだからたちが悪い。


澪「なんかごめんな、だらだらした部活で」

梓「ああ、いえ……」

澪先輩。
この部活でただ一人の常識人である。
私と同じくさっさと茶会を切り上げて練習したい、
と思っているようなのだが
いくら言っても聞かないので
最近はもうあきらめ気味らしい。


澪先輩は私の憧れだ。
まず第一に練習に対しての意欲がある。
この堕落した部活においてはそれだけで尊敬の価値がある。
そして澪先輩はベースを担当しているのだが
その腕前もたいへん素晴らしい。
友達に付き合ってないでこんな部活なんか辞めて
外バンでも組めばもっとイイトコまで行けるはずなのに、勿体無い。

次に澪先輩は女の私でも見とれるほどの美人である。
それに肌は白いし、黒髪も綺麗だし、おっぱいでかいし、
紅茶を飲む仕草も上品だし……
ちんちくりんの私では足元にも及ばないが、
澪先輩と一緒にいるだけで心が満たされる気がした。


私の人生は物心ついたときからずっと空虚だった。
親は私にいつも真面目でいなさい、勉強しなさい、
ギターを頑張りなさいと口を酸っぱくして言ってきた。
私はずっとそれに従って生きてきたし、
それを間違いだと思ったことはない。

しかしその生き方は正解でもなかった。
クソがつくほど真面目で堅物で
勉強とギターしかしていなかった私には
ろくに友達もできなかった。
親や教師は私に笑顔を向けてくれるが
同級生と楽しく笑いあうなんてことは
小中の9年間でついぞなかった。

友達のいない孤独な思春期生活は私を歪め、
それだけが私に必要なものであるかのように
一心不乱に勉強とギターに打ち込んだ。
私にはそれ以外のことは目に映らなかった。
成績を上げ、ギターの腕を磨き、
そして私はさらに孤独……というか孤立を深めていった。

私はただ独り、
課せられた義務をこなすように毎日を過ごした。
それは中学卒業まで続いた。

高校に入って澪先輩と出会い、
私は初めて憧れとか、ときめきとか、
そういう年頃の娘らしい感情をいだいた。
それは私のからっぽの心に充足をもたらした。


素晴らしい出会いは他にもあった。
私に友人が二人できたのだ。
二人は根暗な私に明るく接してくれた。
最初は付き合いなんて面倒だと思っていたが、
いつの間にか私は二人のペースに巻き込まれ、
気づけば仲良くなってしまっていた。
その二人のうちの一人が鈴木純である。

純「梓、おねがい! 英語の宿題見せてー」

梓「ええ、またー? 少しは自分でやりなよ」

純「一生のお願いだからー……
  今日授業の答え合わせで当たっちゃうんだよ」

梓「もう、仕方ないな」

純「おおー、ありがとう梓大明神!
  あとついでに現国と数学のも頼む!」

梓「分かったよ、も~」


純は私と正反対の人間だ。
毎日を楽しんで生きている。
楽しんで生きる方法を知っている。
勉強ができなくても、真面目にしていなくても
私よりも何倍も実のある日々を送っていた。

純と一緒にいると私も楽しかった。
友達と一緒にいることが
こんなに素晴らしいことなのだと
その時初めて知ることができた。
私はそれまでの空虚な人生を埋め合わせるように
純との充実した学校生活を夢中で過ごした。

純は私が持っていないすべてのものを持っていた。
からっぽだった私の心は
純がくれるもので満たされ溢れていった。

そんな純が私にとって特別な存在になるのに
さほど時間は変わらなかった。


私はもっと純と親密になりたいと思った。
しかし友達のできた経験がなく
人付き合いの不器用な私にとって
誰かと仲良くするなんてことは困難だった。
私は今まで人付き合いを避け
勉強しかしてこなかった自分を恨んだ。

どうしたら純ともっと仲良くなれるだろう。
どうしたら純はもっと私を気に入ってくれるだろう。
どうしたら純は私を好きに……
そんなことばかり考えて、
考えれば考えるほど思考はこんがらがり、
最終的には自己嫌悪に落ち着いてしまう。

これでは答えなど出ない。
ただ行き場のない悩みが膨れあがっていくだけだ。
ある日の帰り道、
私は思い切って澪先輩に相談してみることにした。


澪「そっか、友達ともっと仲良く……ね」

梓「はい」

純のことが好きだ、とは言わなかった。
引かれることは容易に想像ができたからだ。
ちなみにこの時の私は澪先輩と二人きり、
やかましい先輩たちはいない。

澪「うーん、梓の気持ちは分かるよ。
  私もそういうのちょっと苦手だからな」

梓「そうなんですか」

澪「仲良くなろう! って気構えるのも良くないと思うよ。
  友達ってそういうものでもないしさ。
  同じ時間を過ごすうちに、二人で共通のものを得られる……
  そういう体験を重ねていくことで親交が深まっていくんじゃないかな」

梓「……よく分かりません」

澪「とにかく焦らずゆっくりやればいいってことだよ。
  私個人の意見だけど、友情を深めるために必要なのは
  モノでも行為でもなくて時間だけなんだと思うよ」

梓「時間、だけ……」


さすがは澪先輩だ。
私には考えもつかなかったことを言ってくれた。
私は直接的かつ短絡的に純との仲を進める方策を
考えていた自分を心中で戒めた。

澪「そうだ、その子を軽音部に連れてきてあげたらどうだろう」

梓「軽音部に……ですか」

澪「うん、それで梓がギター弾いてるところでも
  見せてあげるといい」

正直言うと連れていきたくない。
ぐーたらな先輩どもの姿を見られるのは
私にとって恥だ。
しかし他ならぬ澪先輩の提案である。
ここは無条件で従うのが当然だろう。

梓「わかりました、じゃあ明日連れてきます」


翌日、私は純とともに音楽準備室に向かった。
幸いにも澪先輩以外の先輩は来ていなかった。
後で聞いたことだが、
この日澪先輩は気を利かせて
他の先輩たちを帰らせてくれたらしい。

私は澪先輩とセッションした。
自分で言うのもなんだが、
私のギターの腕は相当なものだと自負している。
そこに澪先輩のベースが加われば
人を惹きつけるに充分すぎる演奏になる。
事実、純はずっと私たちの演奏に聴き入っていた。

純は私がギターの上手いことを実感してくれただろう。
そして純の中にまたひとつ私という存在が刻まれる。
澪先輩の言ったように、
こうして二人の時間を共有し積み重ねていくことで
私たちはもっともっと絆を深めていけるはずだ。

私が純に抱く恋はきっと実らない。
それはそうだ、女同士なのだから。
ならばせめて友達として。
純にとってかけがえのない存在になりたい……
私はそんな想いをこめてギターをかき鳴らした。
純には届いただろうか。
音に込められた私の気持ち。



その日の部活はセッションだけで終わった。
澪先輩は音楽室で自主練すると言って居残り、
私と純は二人で帰路についた。

純「いやーすごかったよー。
  梓があんなにギター上手かったなんて、知らなかった」

梓「へへ、そうかな……」

純「それにしても今日はありがとうね、梓。
  軽音楽部に連れていってくれて」

梓「そんなに行きたかったの?」

純「うん、だって澪先輩を生で見られたし!」

梓「え」

私は自分の心が
なにか得体のしれないものに押さえつけられるのを感じた。

梓「それは……どういう」

純「知らないの、澪先輩はみんなの憧れの的なんだよ。
  かくいう私も尊敬してるんだよ、澪先輩のこと」

私はもう言葉を出せなかった。
演奏の間、純は私ではなく
ずっと澪先輩に心を奪われていたのだ。
そんな純に向かって
私は私自身を知ってほしくて
必死にギターを鳴らしていた。
我ながら滑稽である。
そして惨めだ。
さっき純がくれた褒め言葉も、
もう社交辞令だったとしか思えない。

純「あの美貌とか、
  モデルみたいなスタイルとか、
  落ち着きとか上品さとか勤勉さとか、
  それでいてカッコよさも兼ね備えてて、
  私が持っていないすべてのものを持ってるって感じ!」

澪先輩について語る純は、
それまで見てきたどんな純よりも
ずっとずっと活き活きしていて、とても眩しかった。


それからというもの、私は澪先輩に対して
以前のように接することができなくなった。
澪先輩はいつものように気さくに話しかけてきてくれるが、
私はどうも意識してしまって
ぎこちない受け答えになってしまっていた。

純はといえば、事あるごとに
澪先輩の話をしてくるようになった。
今日は休み時間に澪先輩とすれ違っただとか、
校庭で体育をしている澪先輩を見られただとか、
裏サイトにアップされていた昨年のライブ映像を見て
思わず鼻血を吹いてしまっただとか。
純が澪先輩のことを嬉しそうに語るほど
私は悔しくて悲しくて泣きたい気持ちが募って
どうしようもなかった。

純は澪先輩に夢中だった。
澪先輩に憧れる女生徒達は大勢いたが、
その中でも純はひときわ澪先輩を崇拝しているようだった。




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