憂「余命一ヶ月の姉」
「お姉さんの寿命は、あと一ヶ月です」
憂「えっ……?」
桜の花が咲き始めた4月初めのこと。
淡々と告げられたその言葉に、私と家族は絶望した。
憂「ウソ…ですよね?お姉ちゃんは、元気になりますよね?」
お医者さんは、黙って首を横に振った。
「残念ですが、今の医療技術ではどうすることも…」
憂「そんな……」
憂「やだ、やだよ…。お姉ちゃん…」
憂「う、うぅ…。うわあああああああああああああ」
私は泣き叫んだ。
お父さんも、お母さんも、泣いていた。
お姉ちゃんが、あと一ヶ月で死んでしまう。
唯「………」
別の病室では、お姉ちゃんが静かに眠っていた。
腕には数ヵ所の点滴が打たれ、口には特殊なマスクがされている。
部活から帰ってきたお姉ちゃんは、夜ご飯の前に血を吐いて倒れた。
何の前触れも無かった。今朝だっていつも通り、2人で仲良く登校していたのに。
急いで救急車を呼んだ。お父さんとお母さんも病院に飛んできた。
お医者さんが言うには、珍しい病気らしい。(病名を聞いてもよくわからなかった)
治療法は無かった。あるのは、一ヶ月という「余命」だけ。
憂「お姉ちゃん…」
お姉ちゃんの手を握る。
このぬくもりが、あと一ヶ月しか感じられないだなんて。
私は再び涙した。家に帰ってからも、ひたすら泣き続けていた。
翌日、私は和ちゃんと軽音部の方たちを音楽室に呼んだ。
事情を話すと、端を発したように泣き崩れた。
和ちゃんも、澪さんも、紬さんも、律さんも、梓ちゃんも、みんな泣いていた。
私は我慢した。
ここで私まで泣いてしまったら、どうすることも出来なくなってしまうから。
涙をこらえ、私はみんなに一つお願いをした。
憂「このことは…、お姉ちゃんには言わないで下さい」
憂「最後まで、お姉ちゃんには笑っていてほしいから…」
みんな了解してくれた。
それが正しいことなのかはわからない。
だけど、知ってしまったらきっと死の恐怖や絶望に追われてしまうだろう。
そんなのいやだ。お姉ちゃんには最後の最後まで笑っていてほしい。
お姉ちゃんはもう学校には行けない、みんなに会いに行くことも出来ない。
だったら、私たちがお姉ちゃんの元に行けばいい。
残りの一ヶ月、お姉ちゃんと共に笑って過ごそう。そう決めた。
学校が終わると、私は病院に向かった。
病室に入ると元気な声がした。
唯「あ、うい!」
お姉ちゃんは目を覚ましていた。
いつもの調子で、私を呼んだ。
唯「寂しかったよー。病院ってすごく静かなんだもん」
憂「お姉ちゃん、大丈夫なの?」
唯「うん、平気だよ!ご飯もたくさん食べたし」
唯「でもお医者さんったらひどいんだよ!全然平気なのに退院させてくれないんだもん」
唯「早く帰って憂のごはんが食べたいよ~」
憂「…そうだね。早く、退院出来るといいね…」
唯「?」
この笑顔を見れるのがあと一ヶ月もないなんて。
ウソだと言ってほしい。変われるものなら変わってあげたい。
私はヘタクソな笑顔で、お姉ちゃんに接していた。
次の日は、軽音部の方たちと一緒にお見舞いに行った。
律「おーっす!」
澪「ばか、声が大きい。病院なんだぞ!」
律「いいじゃん個室なんだし」
紬「唯ちゃん、こんにちは」
梓「こんにちは唯先輩」
唯「みんな!来てくれたのっ?!」
律「どうせ一人で退屈してるだろうなと思ってさ。唯がいないから練習も出来ないし!」
澪「普段からしてないだろっ」
唯「えへへ、ありがと」
紬「さ、お茶にしましょうか♪」
律「えぇっ?!ここで?!」
澪「やけにムギの荷物が多いと思ったら、ティーセットが入ってたのか…」
紬「いつもに比べて少し小さい物だけどね。持ってきてみたの」
梓「い、いいんですか?病院から出される以外のものを勝手に飲んだりして…」
唯「大丈夫だよ!それにムギちゃんのお茶飲めばもっと元気になれるし!」
紬「うふふ、まかせて♪」
まるで音楽室での一場面を切り取ったかのような光景。
みんながいれば、病院だろうとそこは部室だった。
唯「あ!あずにゃんあずにゃん」ちょいちょい
梓「…?なんですか?」
唯「ぎゅーっ!」
梓「な、なにするんですかっ///」
唯「あずにゃん分の補給だよーっ。だってベッドから動けないんだもーん」
律「ったく、相変わらずだな」
唯「早く退院して、思いっきり抱きつきたいなぁ」
梓「………」
さっきまで抵抗していた梓ちゃんから、急に力が抜けた。
唯「…あずにゃん?どうしたの?」
梓「す、すいません。目にゴミが入っちゃって…。ちょっと目洗ってきますね」
そう言うと梓ちゃんは病室から出て行った。
梓ちゃんは、目に涙を浮かべていた。
ふと考えてしまったんだろう。あと何回こんなやりとりが出来るのだろうかと。
病室を出て行った梓ちゃんを見た律さんたちも、どこか悲しげな顔をしていた。
だけどそれを表に出さなかったのは、先輩としての意地なのかも知れない。
さらに翌日、次は和ちゃんと一緒にお見舞いに行った。
和「あら、随分と元気そうね」
唯「和ちゃん!」
こんな風に3人でいるのも、随分と久しぶりだ。
和「病院といえば、小さいころの憂は…」
憂「もーっ、やめてよ和ちゃん!」
唯「懐かしいねぇ、そんなこともあったっけ」
この日は、3人だけしか知らない小さい頃の思い出話に花を咲かせていた。
和「それじゃ、今日はもう帰るわ。また今度ね」
唯「うんっ、ばいばーい」
和ちゃんはいつも通りだった。
寂しげな素振りは一切見せなかった。
お姉ちゃんの勘が良いことをよく知っているから、悟られないよう振る舞ったんだろう。
こんな毎日が続いていた。
会える時はみんなお見舞いに来てくれた。
お姉ちゃんは、そのたびに笑っていた。
私の大好きな笑顔で。
唯「………」
夜。
私が入院してから、10日ぐらい経った。
何で倒れたのかわからないし、お医者さんも何も教えてくれなかった。
病院のベッドは嫌い。冷たいし、お薬の匂いが鼻をくすぐるから。
早くおうちに帰りたい。ギー太を抱いて寝て、憂のご飯を食べて…。
そんないつも通りの毎日に戻りたい。
唯「…眠れないなぁ」
起きるのが遅かったからか、いつまで経っても寝付けなかった。
数日ぐらい前から、起きている時間が少なくなっていた。
看護師さんは、お薬が効いているからって言ってたけど…。
夜の病室は静かだった。誰もいないし、何もない。
言いようのない孤独感に襲われる。
しばらくすると、部屋に誰かが入ってきた。
お医者さんだった。
何やら難しいことを看護師さんと話している。
毎日来ているのだろうか。ベッドの傍の機械を見つめ、何かを書いているようだ。
私は寝たふりをして2人の会話を聞いていた。
「平沢さんの様態は?」
「…ダメみたいです。進行が予想以上に早く、数値も下がり続けてます」
「もってあと10日ほどかと…」
「そうか…」
唯(えっ…?)
なに…?もって10日ほどって。
すぐに退院出来るんじゃないの?
私、10日後に死んじゃうの?
しばらくよくわからない難しい話をしたあと、
お医者さんと看護師さんはため息をつきながら病室を出て行った。
唯「あと10日。あと、10日…」
自分の両手を見た。
目に写る10本の指。それを一本ずつ折っていく。
小さな手のひらが、あっという間に握り拳に変わってしまった。
こんなちょっとしかもう生きられないの?
やりたいことも、したいこともいっぱいあるのに。
あと10日しか生きられないなんて、やだよ。
私は、声を殺して泣いた。
真っ白な枕が、涙でシミだらけになっていた。
唯「死にたくないよ…。うい…」
ずっと憂の名前を呼んでいた。
ねぇ、憂。
私、もう憂と会えなくなっちゃうのかな?
翌日。今日は日曜日だ。
ゆっくりと目が覚める。時刻は12時を回っていた。
泣き疲れたからなのか、それとも体が弱ってきているのか、今までで一番遅い目覚めだ。
ガラッ
憂「お姉ちゃん、おはよう」
お昼ごはんを食べたあと、憂がやってきた。
日曜日だって言うのに、あと10日も生きられない姉のために時間を割いてくれている。
私はなんて恵まれた、幸せな姉なんだろう。
唯「うん、おはよう」
憂「今日はね、リンゴ買ってきたの。お姉ちゃんリンゴ好きでしょ?」
唯「ありがとう」
何を恨めばいいのか、憎めばいいのかわからなかった。
こんな健気な妹を、一人ぼっちにしなければならないだなんて。
憂「それでね、梓ちゃんがね―――」
私はリンゴを剥きながらお姉ちゃんに話しかける。
曜日なんて関係ない、お姉ちゃんに会いに行くために全力だった。
精一杯おしゃれして、お姉ちゃんが好きなものをたくさん買って。
まるで恋人に会いに行くみたいに。
唯「………」
でも、今日のお姉ちゃんは元気がなかった。
どんなに話しかけても空返事だし、上の空だった。
憂「どうしたの?お姉ちゃん。元気ないみたいだけど…」
唯「んー?さっき起きたばっかりだからさ、頭がまだ回らなくて…」
憂「…?そっか」
リンゴを剥くシャリシャリという音だけが病室に響いた。
憂「うん、上手に向けた」
ちょうど剥き終わってお皿に盛り付けようとしたとき、お姉ちゃんは口を開いた。
唯「ねぇ、うい。私…さ、死んじゃうの?」
最終更新:2011年07月14日 22:23