紬「違う……」

律「え?」

紬「違うの……りっちゃんは何も悪くないのに。それなのに……!」

ムギの頬を一筋の涙が通る。彼女はそのまま突っ伏す。
肩が小刻みに震えており、泣いているのが見えずともわかる。

……そうか、ムギは。

ムギは、友人を信じられない自分への自己嫌悪に陥ってしまった。
だから、今日は学校を休んだ。「合わす顔がない」と。

あまりに重苦しい話。今まで、友人関係でそんなに重苦しく悩んだことのない私に
は、正直ついていけない部分はあったかと思う。


でも――

律「なあ、ムギ」

ムギに声をかける。ムギは、ややあってゆっくりと顔を上げた。
涙で腫らした瞼の奥、潤んだ瞳が私の方を見る。

私の方に顔を向けたその瞬間――

律「てい」

ペチーン

紬「きゃっ」

デコピンを一発。

ムギは、何が起きたかわからないようで、涙目で額をさする。

紬「な、何するのりっちゃん」

律「へへん、お仕置きだよ」

私は明るく言う、つもりだったがやはり少し元気のない語気になった。
しっかりしろ、私。心のなかで言い聞かせる。

律「私がさ……」

紬「……」

律「私が、何とかするから……お前は気にするなよ」

紬「でも、りっちゃん……!」

律「うっさい! 部長命令だっ!」

紬「だって……きゃっ」

私はキツめの言葉をかけ、ムギが反論する前に
彼女の体を引き寄せ胸元で抱きしめる。

突然のことに彼女の体が一瞬ビクンと震える。

律「噂なんてさ、すぐ消えるよ。あいつらも、すぐにわかるよ……」

あいつら――私の噂をしていた、クラスメイトたち。
彼女たちは彼女たちなりにムギのことを心配していたのかもしれない。

でも、私とムギは仲間なんだ。

噂なんか気にせず、今まで通りやっていこう。
そうすれば、今の状況なんてすぐに変わるさ。

私は、慎重に言葉を選び、胸元のムギに対し言葉を掛ける。
ムギは黙って聞いていたが、やがて、私の腰に手を回す。

紬「りっちゃん……りっちゃん……!」

ムギは、また泣き出す。
やれやれ……私は子どもをあやすように、ムギの頭を撫でてあげる。


当面は、噂のせいで過ごしにくいかも知れない。
でも、こんな日々はすぐに終わる。

私が少し耐えればいいだけの話なんだ。

周りの視線は確かに痛いものだけど
でも大切な友人を失うよりは遥かに良い。

私は、覚悟を決めた。



次の日から、ムギは学校に戻ってきた。
今までと変わらない様子で、今までと同じ笑顔で。

また、いつもの日々が戻ってくる。私はそう思った。



しかしもう一つ、私は大切な事を見落としていた。
そして、気付いたときにはもう――



律「澪、入るぞ」

澪が学校を休んだ。私はお見舞いがてら家に行き
彼女の部屋の扉を開ける。

澪は布団にくるまっていた。

律「おーい、澪。なに芋虫みたいな格好してるんだー?」

私は軽い調子で話しかけたが、澪は反応しない。
よっぽど体調が悪いのか……と思い、少し自重してみる。

……?

様子がおかしい。
いつもなら、体調が悪くても私を無視するなんてことはないはず。

律「なあ、澪……大丈夫?」

私は、今度は慎重に声をかける。

澪は、布団の中で少し体をうねらせ、やっと私の方に顔を向けた。
青白い顔で、体調がよろしくないのが一目でわかる。

私はこれほどか、と思い今度は気遣うように声をかける。

律「辛そうだけど、大丈夫か?」

澪「……ん」

律「いつぐらいから学校来られそうだ?」

澪「……い」

律「ん?」

澪は、聞こえないような小声で何かを言っている。
先日、ムギの家に行ったときのことを思い出す。

律「ごめん、ちょっと聞こえないよ。何?」

私はいつもの態度と違い、努めて優しい声で問いかける。

澪は今度は、比較的はっきりした口調で言った。
その言葉に私はまたワケがわからなくなる。

「がっこう、いきたくない」

学校に……行きたくない……
澪ははっきりと、確かにそう言った。

澪とは長い付き合いだが、こんなこと言うのは初めてだ。
冗談か、とも思ったが彼女の顔はそんな嘘を言っている風ではなかった。

律「澪……何言ってるんだ……?」

私は頭の整理がつかず、ただ率直な言葉で聞き返すことしか出来ない。
澪はパニックに陥っているそんな私の様子を察してか、その理由らしき言語を告げる。

澪「最近……周りの、視線が怖いんだよ……」


周りの視線――
おそらく、私が疑惑を持たれたときと同じ種のものであろう視線。

私は、この時初めて自分の迂闊さ、認識の甘さを呪った。

私だけじゃなかった。
澪も、私と同じように……

律「なあ、澪……」

言葉が続かない。
澪は、どこまで知っているのだろうか。

視線の原因、理由。
澪はそれを知っているのだろうか。

私は、今この場で、澪にどんな言葉をかけてやるべきなのだろうか。

律「澪さ、聞くけどそんな見られるような心当たり、何かある?」

澪「……ないよ」

心当たりはない、か。澪の表情からは真意は読み取れないが
だからといって、追及するようなマネは出来ない。

私はとりあえず、本当の理由はさて置いて澪を励ます。

律「あんまりさ、気にし過ぎるなよ」

極めて無難な物言いだったと思う。
これで良かったのかどうかはわからないけど、でもこれ以上は強要できない。

私は、その後二言三言澪を会話をし、彼女の家を後にした。

思った以上に尾を引く問題に嫌気を感じるが
それでも、私は皆と一緒にいたいんだ。

その為なら、多少の我慢は問題ない。そう、自らを鼓舞した。



次の日も、澪は学校を休んだ。

唯やムギに澪の状態を一応は伝えるが、学校に行きたくないと言ったことに
ついては伏せておいた。

最初の事件から数週経って、ようやく少しづつ黒い噂も落ち着きを
見せている頃合いだ。何か下手なことは言えない。

そうだ、もう少しの辛抱だ。

それが、終われば。
今までの、皆との楽しい日々が戻ってくるんだ――

しかし――



澪が学校を休んで4日目、その日はムギも学校を休んだ。
そして、ムギは二度と学校に出てくることはなかった。



ムギの言い分はこうだ。彼女は私にメールを残し、どこか別のところへ転校していった。

紬「私が最初に、学校を休んでしまったから……
  私が種を撒いてしまったから、今澪ちゃんは苦しんでいる
  全部、私が……私が悪いのよ……」


澪にも話を聞いた。一連の噂のことについては、一人で見舞いに来たムギの口から聞いたらしい。

澪「ムギは何も悪くない。私が勝手に参ってしまっただけなんだ。
  私だって、ことの真相をちゃんと知っていたら……
  私だって、ムギのために頑張れた……!!」

澪は、ムギから事の顛末を聞き一度は立ち直りかけた。
しかし、澪のことに責任を感じたムギは逃げるように転校してしまった。

『ムギを、助けることが出来なかった』

澪はそう言って更に一人で責任を背負いこみ、結局引きこもってしまうこととなった。



まさに負の連鎖――私はこうして二人の仲間を失ってしまった。



あと、一人のクラスの仲間――唯はどうだったのだろうか。

唯は、実は噂の視線を向けられていなかったらしい。後でわかったことだが。
裏表のない彼女は、そもそも悪意の意識を持つ人間ではない、と
最初からクラスの皆は感じていたらしい。

唯は、特別だったのだろうか。

卒業が間近に迫ったクラスの中、孤独にふける私とは対照的に
唯は私以外のクラスメイトとも上手くやっているようだった。

唯が羨ましい。いや、そんな爛漫な彼女だからこそ
私も好きになったと言えるんだろうが……



高校を卒業し、私は唯と同じ大学に通うことになった。
最初は別々の進路を考えていたのだが、唯が「りっちゃんと一緒がいい」と
言って、無理やり押し切った形だ。

私だけじゃない、唯も大切な友達を二人失った立場なんだ……

だから、私がどこかに行くんじゃないかって不安になっていた
ということを、後になって憂ちゃんから聞いた。

まったく、唯らしいよ……
私も、彼女だけは離すまいと思った。



澪はしばらく引き篭っていたが、欠席日数がギリギリになった頃に学校に戻ってきた。
とはいえ、特別クラスのような扱いとなり学校で会うことはなかったが。

その後何とか卒業し、今は地元を離れて別の地方の大学へ行ったらしい。



他愛もないはずの噂。
信憑性のないような話。

そんなもの、女子高では日常的に飛び交っていることだろう。
しかし、私はその噂のせいで二人の親友を失った。

噂する側も、あったのは悪意ではなく心配。
澪やムギを縛り付けたのは、相手を信じられない自らへの自己嫌悪。

誰が悪かったのか。いや、誰も悪くなかったのか。
理不尽すぎる結末に、涙すらこぼれない。

唯「りっちゃん……どうしたの、怖い顔して?」

過去のことを思い出していた私の顔を、唯が覗き込む。
私は、「ちょっとな」と一言返す。



もうこれ以上、大切なものを無くしたくない。ゆえに私は改めて強く思う。
唯……お前だけは、何があっても離さない、と。

もし、お前がどこかに行こうというのなら……その時は……

失うくらいなら、いっそ……




懐に忍ばせたナイフが、カタっと小さな音を立てた。





終わりです
次の方、よろしくどうぞ




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