放課後。

私は掃除当番だったため、先に澪と唯を部室に向かわせ
さっさと終わらせるために、サクサク作業を始める。

ここでも、周りの皆はあからさまに私を
腫れ物に触るかのように扱う。

気に食わない。

しかし私は、なるべく気にしないようにして
黙々と当番業務をこなす。

何を噂されているのかは知らないが
放っておけば、そのうち勝手に収まるだろう。

そうタカをくくる。


掃除当番を終え、逃げるように私は部室に向かう。

その途中、教室に忘れ物をしたことに気付く。
……仕方ない、戻るか。

私はあの耐え難い空間に戻りたいとは思わなかったが
やむなく教室に向け足を運ぶ。

「……ホントに? 田井中さんが?」

教室の戸を開こうと手を伸ばした瞬間、教室の中から
私の名が聞こえた。声の主は、先程の掃除当番の一人だ。

……なんだよ、またかよ。

私はイライラを募らせる。
しかし、その気持とは裏腹に、私は次の瞬間には
極めて冷静に、何の迷いもなく教室の声に耳を傾けていた。


・・・・・・

「でも……軽音部で仲良く……」

「さっきのお昼の時も……」

「琴吹さんが……」

「でも……」

・・・・・・


断片的にしか聞き取れなかったが
少なくとも、ムギの名前やさっきの昼休みのことが聞こえた。

……意味がわからない。

彼女たちが何を言っているのか。
彼女たちが何を噂しているのか。

苛立ちがいっそう強くなる。

私は次の刹那、無意識の内に目の前の戸を勢いよく扉を開いていた。
バァンという弾けるような大音量に、中のクラスメイトたちは驚きの様子を見せる。

扉を開いたのが私であるとわかると、彼女たちはまた視線を不自然に逸らし
わざとらしく、寄り添うように縮こまる。

律「なあ……一体、私が何をしたっていうんだ?」

我ながら、怒りに満ちた声であると思う。しかし、私は既に
自分を抑えきれなくなっていた。

律「なあ、答えろよ……何なんだよ」


少しの沈黙の後、彼女たちの中で一番気の強そうな子が前にでて
しかしそれでもためらうような仕草を見せながら、口を開く。

「田井中さん……あなた、琴吹さんの何?」

発せられた質問は、ワケがわからないものだった。

ムギの何か、だと?
ムギは私の大切な友人の一人、そんな当たり前のこと……

律「ムギは私の友達だよ。部の仲間だよ。それがどうかしたのか?」

「……田井中さんが、琴吹さんにたかっているって……」

律「はあ?」

たかっている……それはどういう意味なのか。

「……高いお菓子やお茶を催促してるって聞いたの」

ちょっと待て。
要するに、お前たちは、私がムギを金蔓のように扱っていると
そう言いたいのか?

「……そんな噂が最近立ってるのよ」

私の怒りは頂点に達した。私は無意識に、手近な机に拳を振り下ろしていた。
拳と机がぶつかる音に、クラスメイトたちはまた体をビクつかせる。

律「……誰だよ。誰が言い出したんだよ。」

「……わからないわよ。でも、ここ数日そんな噂が広まっているの」

律「っ! ふざんけんな!!」

私は痛む拳を広げ、今度は平手を机に落とす。また、机はバァンと音を立てる。
遠まわしに、私がムギを虐めているというような噂を立てられて、私が大切な
友人を虐めているというような噂を立てられて、黙っていられるはずがなかった。



それからのことは、あまりよく覚えていない。

頭に血が昇った状態で口論していたせいもあるのだろうが
それより何より、終わり際に放った相手の言葉が強烈に私に突き刺さったからだ。

「今日、琴吹さんお休みなのに妙にテンション高かったし」

「そもそも、なんで今日琴吹さんお休みなの?」

「もしかして、琴吹さんも自分が金蔓にされてるって思ったんじゃないの?」

そう、根本問題――
なぜ今日、ムギはいない?

昨日からどこか変な様子はあった。
私はそれを体調不良と思っていたのだが……

誰か、ムギに喋ったのか。
こんな他愛もない噂を。
ムギは信じたのか。
私じゃなくて、こんな噂を。


もうこれ以上クラスメイトとやりあっても埒があかないと感じた私は
足早に教室を出て、部室へと急いだ。

そして、部室の戸を開き、皆に一言告げる。

律「すまん、今日用事が出来たから帰る!」

部室にいた仲間の顔も返事も確認せずに、私はまた駆け出す。
走りつつ携帯電話を開き、電話帳から彼女の番号を開く。

プルルル…… プルルル……

出ない

プ…ルル…… プル…ル……

自らの呼吸の音と走る足音が、コール音とともに頭の中に響く。

ブツッ…只今、電話にでr

私はそれだけ聞いて通話を切る。



その後も何度か電話を掛けてみるが、ムギは出なかった。
私は駅まで休みなく走り、丁度ホームにいた電車に飛び込んだ。

息を切らし、髪型も服装も乱れ気味で、汗まみれになった女子高生が
急に電車に駆け込んだせいか、周りの視線が少しながら集まる。

気にするほどのことじゃない。さっきまでの視線に比べれば。

私は携帯電話をもう一度開き、今度はメールを送る。

「今から行くから」

そう一言だけ書く。
返事は来るだろうか……私はメールを送信し、開いてる席にドサリと腰をおろす。

……ムギに会ったら何を話そうか。

私は、考えを巡らせながら電車の揺れに身を任せ考えを巡らせた。



……

ムギの家には、思いの外すんなり入ることが出来た。

お見舞いに来たと告げると、執事の方が応接室に通してくれた。
しかし、ムギの部屋に入れるかどうかはわからない。

執事の斎藤さんが、ムギと話をしてきたらしいが
最初に返ってきた返事はこうだった。

「合わせる顔がない」と。

……どうやらムギは、私が今日ここに来た理由を既に察している。
となれば、ムギがどう言おうが私は今日あいつに会わなければならないと思った。

やがて、二度目の交渉に行っていた斎藤さんが私の元に戻ってきた。
彼は申し訳なさそうな表情で、「すみませんが」と一言丁寧に私に告げる。

既に心を決めている私は、その言葉に「そうですか」と返し席をたつ。
そしてカバンを手に持ち、帰る素振りを見せながらこう切り返す。

「お手洗い、借りてもいいですか?」

トイレを借りるふりをして、ムギの部屋に強行する。
それが私の考えた作戦。

少し琴吹家の廊下をさまようことになりそうだが
そんな些細なことに構っていられない。

斎藤さんが「どうぞ」と答えてくれたので、私は、トイレへ向かう振りをしようとする。

しかし、斎藤さんは不意に「お待ちを」と私を呼び止めた。

……もしかして、バレたか?

そう思って、斉藤さんのほうを向き直る。
斎藤さんは優しげな表情を崩さすに、一言こう言った。


「お手洗いは、そちらじゃありませんよ」


……ああ
そういうことか。

「ありがとうございます」

私は斎藤さんにそう言うと、案内されてもない、そしてトイレがないであろう
方向へ足早に歩を進める。

向かう先は、ただ一つ。


「ムギっ!!」


私は、彼女の部屋の扉を勢い良くブチ開ける。

結構な音が響いたが、しかしムギはベッドに腰をかけた姿勢のまま
微動だにせず、でも私が来たことに驚きの表情を見せる。

紬「りっちゃん……」

律「なあ……ムギ」

紬「ごめんなさい」

律「何がごめんだよ……例の噂のことか?」

紬「……」

律「……ムギ、さ。私のこと……信じてない、のか?」

我ながら卑怯な聞き方だったと思う。
でも、私にとってそれが一番引っかかる事柄であったし
オブラートに包んでじっくりと聞き出そうなんて余裕は私にはなかった。

紬「……違うの」

ムギは消え入りそうな声で、体を微かに震わせ返事をする。
俯いて私を見ようとしないその目に、涙を溜めているのがわずかに見て取れた。

紬「私……りっちゃんのこと、信じてる。でも……」

律「でも?」

紬「……心配してくれたクラスメイトのことも、信じたいって思ってしまった」

律「……」

紬「本当はわかってる。りっちゃんが酷いことを考えてるはずなんてないって
  でも、それでも彼女たちの心配そうな表情が、頭から離れないの……」

そして、ムギは言った。昨日の部での私の最初の一言が、自分を惑わしたと。
冗談でしかない軽い言葉。でもムギに取っては惑いの言葉。


『ムギ、今日のお菓子何~?不味いものなら承知しないぞ~』


ムギはひと通り言って、黙り込んだ。
今にも涙が瞳からこぼれ落ちそうだ。

……私とクラスメイトたち、どっちを取ればいいのか。
そんなことでムギは悩んでいたのか。

……いや、ムギにとっては重大なことなのか。

そして、いつもだったら軽いノリで済ませられるはずの私の言葉が
結果的にムギを縛り付けたのだ。

律「……ごめんな、ムギ。」




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